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・修正用雑記帳その15(「この水は飲料水として使用できます」関連)

ホテルの館内案内


第55章 「この水は飲料水として使用できます」関係

 このテーマにぴったりなホテルに宿泊したので、同章冒頭の画像をその時のものに差し替えた。
 今回宿泊したのは福井と金沢のホテルである。福井は築30年は超えているとみられる好物件で、予想通り飲料水シール有りであった。

 しかし金沢のホテルは開業10年未満で新しいにもかかわらず、こちらにも飲料水シールがあった。私はホテル用水を井戸水で賄うのは昭和のビジネスホテルの風習だという先入観を持っていたのでこれは意外であった。半信半疑に飲料水蛇口(水道水)と風呂水用蛇口(井戸水)を飲み比べてみると確かに味が違う。飲んでのどを通るときに、飲料水蛇口のものは「当たりが硬い」感じがするのに比べ、風呂水蛇口のものはまろやかさが感じられ、のどの奥でかすかに甘味を感じるというところが違う。

 北陸地方は太平洋側の大都市と違って水質的には恵まれているように見えるが、それでもこのような違いがあるところが新発見であった。
 ところで、ホテルのポットの湯を沸かすためなら、滅菌された水道水を使用する必要はない。重金属など有害物質の心配さえなければ、むしろ風呂用の井戸水を沸かしてお茶を入れるほうがいい味になるのではないか、との考察に至ったことも収穫であった。

<目次にもどる>
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62 中川ウェットランド(後編)

  中川をきれいに 中川(埼玉県三郷市)


「61 中川ウェットランド(前編)」から続く)

 中川は基本的には各地の排水を引き受ける河川で、上水道利用は想定していない。
 これは取水堰や海水の遡上を防ぐ河口堰がないことからも分かる。
 しかしそうでありながら東京都は毎秒5.33㎥、千葉県は1.46㎥の水利権を確保していて、普段水道原水として使用している江戸川の流量が少なくなると、緊急避難的に中川の水を使用できるようにしている。
 これが保有水源に占める割合は東京都の場合で7%。このように少なからずの水を中川から取水できるようにしているのは、夏季の水不足に備えてのことと思われる。その仕組みはこうなっている(※1)。

 ・三郷市西部の中川から取水して三郷市東部の江戸川に放流する「中江戸緊急暫定導水路」(以下「中江戸」という)を作る(※2)。
 ・中江戸の江戸川側の放流口の下流に東京都三郷浄水場と埼玉県新三郷浄水場の取水口があり、ここで取水する。


 こうすると中川の水を東京や埼玉の水道原水として利用できる。江戸川の水量が減って中川の水量が増えるのは夏。
 江戸川上流の利根川で農業用水が大量に取水され、水田を通って中川に排出されるからである。
 すると中川の水質は少しマシになる。このマシになったタイミングを捕えて夏の水不足を解消しようというアイデアと思われる。
 これは前編冒頭の水利権研究者のアイデアと似ているが、実はこの提案が書かれた昭和60年には既に中江戸の取水は実行されている。この研究者の提案は、中江戸の存在を踏まえて中川からの最大取水量をさらに毎秒25.76㎥増加させようというものであった。

  edo_winter 冬の状況(水不足なし)

  edo_summer 夏の状況(水不足)


  nakaedo_before 中江戸による融通


 さて、中江戸の問題点とはこうである。

 ・中江戸の中川側取水口の下流に下水処理場の放流口がある。
 ・ところで中川下流には堰がないので東京湾の干満の影響で、川の水が逆流する時間帯がある。
 ・すると下水処理水も逆流し、上流の中江戸取水口に入り込む。
 ・これが江戸川側放流口を経て三郷浄水場の取水口に到達する。
 ・中江戸の江戸川側放流口と三郷浄水場取水口が離れていれば江戸川の大量の水で薄まるけれども、近すぎるので下水処理水があまり希釈されないまま水道原水として取水される。   


  nakaedo2 中江戸の問題点


 夏場の一時しのぎとはいえこれはまずい。ということで次のような改造工事が行われた。

 ・中江戸の江戸川側放流口を三郷浄水場取水口の下流に移設する。
 ・江戸川は河口に堰があるので、中川のように川が逆流する心配はない。
 ・したがって三郷浄水場は中江戸の水を取水しなくても済むようになり、
 ・それでいて江戸川には中川の水がちゃんと補給される。


  nakaedo_after 中江戸の解決策

 こうしてこの問題はクリアされたが、この顛末を知って私の中に新たなギモンが浮上した。
 ギモン4「下水処理場の処理水はそれほどまでに汚いのか」である。
 川を歩いていると、下水処理場の放流口に釣り人が集まっているのをよく見る。実際そういう場所はよく釣れるらしく、魚の姿もよく見る。下水処理場の処理水はBOD値で2~6mg/Lくらい。水道原水にするには少しきついが、魚が棲める程度のきれいさは確保できているはずで、原水への混入を断固阻止すべきほどのものだとは思えない。

 私はまず、中川の中江戸取水口を見に行った。
 ここの水質は悪くはない。次に下流側の下水処理水放流地点に行った。案の定ここも釣りスポットになっている。
 通常、こういう場所は水が勢いよく吐き出されて分解されない界面活性剤が泡立ったりしているものだが、ここはそういう気配はない。ただし放流口から黒い帯が出ている。放流口の水が黒く見えるのは周りの水が薄茶色だからで、周りの水が薄茶色なのは放流水で巻き上げられた底土が光を反射しているからであった。

  4163 左側が下流、手前は三郷市、奥は対岸の八潮市。

 私が見に行った日は、大潮で、時刻は東京湾が干潮から満潮に向かう頃合であったが、黒い帯は逆流することなく下流に流れていた。(※3)
 しかしにおいはいただけない。いただけないと言っても普通の処理水の酸っぱいにおいなのであるが、酸っぱいにおいの成分が問題である。まことに尾籠ながら私の独自実験によると、

 ①閉め切った部屋の中でシークヮーサージュースを飲みながら、
 ②おならをすると、

このにおいが再現できるということが分かっている。
 ①はシークヮーサーのクエン酸が下水処理水に含まれる有機酸のにおいを疑似再現し、
 ②は硫化水素やアンモニアを再現している
と言えるので、下水処理水にもこれらの物質が溶けていることが推測される。
 このこと自体は下水処理水として異常でも何でもないが、これが水道原水に入ってしまうのは確かに都合が悪いと思われた。水溶性なので、ごみや藻屑と違って取り除くのが難しいからである。資料ではアンモニウムイオンの濃さが問題視されている。

 中江戸の場合は、江戸川側放流口を下流に移すことでこの問題を解決しているが、これで解決するのは三郷浄水場だけで、下流には東京都金町浄水場の取水口があるからこの問題は本質的には解決しない。
 そこで金町浄水場は巨額の費用をかけてオゾンと活性炭を使った高度処理を行うと同時に、件の下水処理場でも窒素とリンを除去できる高度処理方式の設備を一部導入している。つまり巨額の費用をかけて下水処理と浄水場の両方で高度処理を行わないとまともな水循環にならない、ということになっている。
 他の川ならばこのことはウヤムヤにされて水に流されてしまうところだが、中川の場合は

  ・もともと水質がイマイチの川であったのに、 
  ・なまじ夏場の水不足時の水源という役割を背負わされている

という特殊な要因のために、この問題が露見してしまっている。
 こう書くと悪いことのようだが、私はここが中川の面白いところだと思っている。これは生活排水の本当の処理コストが見えるということであり、視点を変えればこのコストをかければ東京都の必要水量の7%を「使える水源」として立ち直らすことができる、ということでもある。コストが高いか低いかは別として、それを見えるようにした意義は大きい。
 しかも中川は、川として決定的に大切なものを失くさずに持っている。ここを最後に強調しておきたい。
 
 それは三郷市あたりの区間に細長く存在する干潟の存在である。
 中川は水道利用を前提としていないので東京湾の海水遡上を防ぐ堰がなく、潮の干満の影響を受ける。そのため、干潮時に干潟が露出する。幅は狭いが距離は相当に長く、水際のヨシ原と複雑に入り組んで生物の生息地を生み出している。
 しかもこの干潟は、埋め立てで多くの干潟を失った東京湾の最奥部のポジションを占めている。堰のある荒川や江戸川にはできない芸当で、水源河川の重責を担わない中川だけが持ち得る美点といえる。

  4164

 この細長く続く干潟とヨシ原で窒素やリンが消費されているところが面白い。干潟の微生物がエビやカニに食べられて魚に食べられて鳥に食べられるという循環を充実させれば、水質浄化策として結構いい線いくんじゃないか、などと思う。
 もちろんそういうレベルで消化しきれないから中江戸の問題が発生するのかもしれないが、たとえ機能的に下水処理場の高度処理や河川浄化装置にはかなわないのだとしても、こういう仕組みが川に残されているということが希望を感じさせる。電気代も機器メンテナンスも汚泥処分費も要らないというところもいい。 (おわり この章で一旦終了)


(注釈)
※1
利根川および荒川水系における水資源開発基本計画(埼玉県)
東京都水道局 事業概要平成26年版の第2章第1
「健全な水循環系構築のための計画づくりに向けて」(国交省)の第7章「モデル調査における技術的検討事例(1)」
による。

※2
 中江戸のすぐ南には三郷放水路という開渠の水路があるが、これは大雨のときに中川の水を江戸川に逃がす役目を負った水路で、中江戸とは別物である。
 また、三郷浄水場は東京都のものであるが、所在地は埼玉県内である。もちろん都の浄水場は都内にあるほうが望ましく、東京都も下流の23区内に建設を検討したのであるが、適地がなく三郷市内になった。この際少しでも運営を効率化するため、埼玉県が近隣に計画していた新三郷浄水場と取水口を合同にしたという。

※3
別の日の満潮から干潮に向かう時間帯に行ったら見事に逆流していた。どうやら東京湾の干満が時間差を伴って影響してくるようである。

(参考にした書籍)
『利根川の水利』 新沢芽嘉統 岡本雅美 著 岩波書店 昭和60年6月
この著者の主張は、「利根川上流の八ツ場ダムができる見込みがない以上、東京向けの都市用水は(水質の問題はあるが)中川からとるべき」というものであったが、それから30年を経てみると今度は八ツ場ダムと中川周辺の浄水場の高度処理施設が同時に完備されつつあるという世になっている。

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61 中川ウェットランド(前編)

 nakagawa1 中川(総武線橋梁付近)

 東京の東側には川が多い。しかもその位置関係が分かりにくい。
 下町低地西端の秋葉原から東端の市川まで黄色い総武線に乗ると、渡る川は計6本。

 ・両国の手前で、隅田川
 ・次の錦糸町で、横十間川
 ・平井の手前で、旧中川
 ・平井の先で、荒川と中川
 ・小岩の手前で、新中川
 ・小岩の後で、江戸川

 この間14km。私はいつもこれらの川を覚えられない。
 新・旧・本家と3本もある中川の間に荒川が挟まっているところが分かりにくい。しかも中川の上流には「大落古利根川」と「古隅田川」と「元荒川」というものがあり、事態をことさらややこしくしている。全く理解できない。
 これでは困るので、覚え方のコツを編み出した。

 ①まず東京の東には、荒川利根川という二大河川がある。
 ②荒川は下流で隅田川と荒川に分かれる。隅田川は旧荒川で、現在の荒川は洪水対策のために人工的に開削された「荒川放水路」である。
 ③利根川は下流で江戸川と利根川に分かれる。江戸川は旧利根川で、現在の利根川は江戸時代に開削された新流路である。江戸川は河口部で江戸川本流と旧江戸川に分かれる。
 
 ④荒川利根川という二大河川の間に第3の川である中川がある。
 ⑤中川は始めは独立を保っていたが、大正時代にその流路を横切って荒川放水路が開削されたので西側と東側に分断されてしまった。
 ⑥このうち西側部分が「旧中川」、東側部分が本家「中川」となった。
 ⑦東側の本家「中川」は下流部を荒川放水路に分断されてしまったので、代替として荒川放水路と平行する人工河川が東京湾まで開削され、ここを流れる。
 ⑧しかしそれだけでは下町低地の水害を防げないので、京成線青砥駅付近から分流して旧江戸川下流部に放流する人工河川を開削した。これが「新中川」である。

  東京東部河川
  荒川、利根川、江戸川、中川それぞれの下流部に、計5本の人工河川が開削されている。


 まとめると、東京東部の河川は荒川グループ(荒川・隅田川)利根川グループ(利根川・江戸川・旧江戸川)中川グループ(中川・旧中川・新中川)の3つに整理できる。
 これらが分かりにくいのは、②~⑧の改造が加えられて不自然な姿になっているからと思われる。これらの河川は②~⑧以前にも江戸時代に幾度にもわたる流路付け替えが行われているから、今のスタイルは、デルタ地帯をまぜこぜに流れていた川を400年かけて大改造した結果ということになる。
 
 この大改造の目的は、江戸や東京を洪水から守ること、房総半島を経由せずに東北から江戸までの航路を開通させることであったとされているが、もう一つあまり語られない使命を帯びているのではないかと思う。北関東からの川を上水用と排水用に分離するという使命である。
 
 第52章「長距離河川の孤独」で霞ヶ浦の水を東京に送水する北千葉導水路のことを調べていた時のことであった。農業用水利権の研究者が次のようなことを主張している。

 ・北千葉導水路を建設してまで霞ヶ浦の水を東京に送水する必要はない。
 ・なぜなら中川の水を利用すれば東京の水不足は解消できるからである。
 ・中川沿いは水田が多く、夏には利根川から大量取水された農業用水が水田を経て中川に大量排出されるので、渇水時の水源としてぴったりである。
 ・しかし中川は周辺の工場や住宅の排水が流入するという難点があるので積極的には使われない。
 ・利根川にも上流部の高崎や前橋といった都市が利根川の水を使用した後、排水として再び利根川に戻すという構造がある。このことにより水系全体では実際の降水量よりも多くの水を使用できている。
 
 
 これは知らなかった。
 何を知らなかったかというと、

 ①中川が排水専用河川としての使命を担っていることと、
 ②関東でも上流の排水を下流の水道原水として使う水循環がそれなりの規模で存在していること

である(※1)。
 利根川の水を東京の水道水として使う仕組みは、②の循環を内在させている。これは下水処理場と浄水場の浄化機能が完璧ならば、水が有効利用できて理想的であるが、実際には両者はそれほど完璧な処理ができない。
 そこで①の仕組みを作り、「上流の群馬県北部の排水が混入するのはやむを得ないが、群馬県南部と埼玉県の排水は中川ルートでなるべく分離する」という作戦を併用したのではないか。混入する排水の量を大幅に減らし、水道原水として問題にならない程度の量に押さえ込んでいく……
 
 この理論は実践されていて、地図を見ると確認できる。すなわち、

 ・浄水場は荒川、利根川、江戸川沿いにしかなく、
 ・下水処理場はなるべく中川と隅田川沿いに配置し、
 ・荒川、利根川、江戸川の中上流にはなるべく下水処理水を流さない

 という具合である。

  下水放流先イメージ 
  荒川・利根川・江戸川に流す場合は取水口より下流で流す。ただし上流では中川がないのでやむを得ずそれぞれの河川に放流せざるを得ない。

 荒川、利根川、江戸川は水源河川として丁重に扱われているのに引き換え、中川は完全にドブ川扱いである。
 実際に中川の水質は悪く、平成23年度の国土交通省発表の河川水質ランキングを見ると中川はBOD4.0mg/Lでワースト1である。ちなみにワースト2は綾瀬川で、これは中川の支流だからワンツーフィニッシュとなる。BOD4.0mg/Lという値はひどい汚染とは言えないが、並行する江戸川のBODはだいたい1.7mg/Lだから、これに比べればだいぶ汚れている。言い換えると中川を使った荒川・江戸川防衛作戦は成功している。

 こうしてみると中川はある意味「作られたワースト河川」である。
 これは他のワースト河川でもいえる。ワーストの3位は大阪府の大和川、4位は神奈川県の鶴見川。大和川も鶴見川も間近で見るとさほど汚く見えないが、両河川ともほとんど上水道原水としては利用されず、排水を引き受ける下水処理場だけは立ち並ぶという共通した構造がある(※2)。

  4161 大和川(大阪府柏原市・藤井寺市境付近)


 国交省は平成24年度からワーストの発表をやめてしまったので、今はこういうランキングはないがこの構造は興味深い。
 ワースト河川は、もともと水質が悪くて水道原水用河川になれなかったのかもしれないが、逆になれなかったことで排水専用河川としての性格が強化され、ワーストの座が再生産されているのではないか、と思えてくる。
 
 私はこの構造に興味を抱いた。
 しかも奇妙なことに他のワースト河川はこの30年の間に目覚ましい水質改善を見せているのに、中川は昭和57年にBOD値6.9mg/Lでランキング入りして以来、さほど改善されていない。その間に他の河川に追い抜かれてしまった感がある。なぜそうなったのか不明である。こうしてみるとどうも中川には分からない点が多い。私は中川のギモンを一気に片づけることにした。

 まずは、ギモンその1「中川はどこから流れてくるのか」。
 中川は都内では中小河川のような顔をしているが、延長は81kmと結構長い。その実態は埼玉県内の水田の排水路を集めて流れる川で、源流も排水路である。
 起点は埼玉県羽生市。埼玉県東北部、利根川右岸の水田地帯に市街地がある。
 暗渠になった農業排水路があちこちに走り、市街地を出ると開渠になる。そういう場所に一級河川中川起点の碑が立っている。

 ここの川幅は5mほどしかなく、護岸は土で野の川といった風情である。起点の碑の上流側には農業用水路が通る築堤が横切っており、中川の水はこの下を暗渠でくぐって流れてくる。
 そこで築堤を越えて上流側に行くと、宮田落と呼ばれる排水路が続いており、ここはコンクリート三面張りになっている。これを300mほど進むとコンクリート蓋で覆われて暗渠区間になる。コンクリ蓋は住宅街を抜け、地上に飛び出た小型の水門を抜け、市街地を抜けるとまた開渠になって、水田地帯に突入する。このあたりの水田の水は利根川から取水されて開渠の水路やパイプラインで配水されているから、中川の水源は間接的には利根川であるといえる。

  中川起点の碑 中川起点の碑
  中川起点部 下流側から起点部分を見る
  起点の裏側 起点部分の裏側(=宮田落の最下流部)
  暗渠入口 その上流で宮田落が暗渠になる部分
  暗渠水門 その上流で暗渠から飛び出た水門


 次はギモンその2「中川は本当に水質が悪いのか」。
 中川は、本川はもとより支流の綾瀬川、芝川、伝右川などいずれも生活排水が流れ込んで水質がよくない。
 それでもこれが荒川や利根川なら山岳地帯からの大量のきれいな水が希釈してくれるが、中川にはそれがない。中川の水は農地と住宅と工場と下水処理場の排水だけで勝負しているということになる。
 
 このうち農地の排水は比較的マシな水質であるが、その他はあまりマシではない。
 したがって農地排水の豊富な水田の灌漑期(5月~10月)は持ちこたえるものの、非灌漑期(11月~4月)はいきなり悪化するという。
 
 非灌漑期に羽生市内の源流部を見ると、確かに水質良好とは言えない。
 私が見た宮田落のBOD値は、羽生市のデータ上は夏冬とも2.0mg/L前後で水も透明であるが、排水吐から水が流れ落ちると川底に当たった拍子にちょっとにおう。羽生市の下水道普及率は平成25年度で36.3%。ただし人口(約5万人)に比して水田地帯が多いので水質が破綻するというほどではない。
 
 中流部に下ると水量が増し、濁ってはいるがひどく汚濁しているわけでもないという、その辺によくある感じの川となる。 ただし埼玉県南部の三郷市(左岸)や八潮市(右岸)あたりの住宅地で水路を覗くと、まれに古典派ドブ川に遭遇する。手入れされない農業用水路に泥が溜まり、生活排水が流されてベギアトアが少し出る。かつての水田が工場や宅地に変わり、水路が生活排水路に化けたと見える。暗渠蓋の隙間からシャンプーのにおいがする。そういう水路は割合としては少ないが、あることはある。

  4156 三郷市内
  4157 八潮市内

 その北西側の支流筋にあたる春日部市内も同様で、住宅地を流れる幅5m位の支流が灰緑色に濁り、少し下水臭を出している。
 この川の公称BOD値は平成25年度で6.0mg/L。水量もそれなりにあり護岸は鋼製の矢板、という古典派ドブ川である。汚水を考察するよい機会なので橋の上に立ってしばらく考える。この灰緑色は何か。

  4158 春日部市内

 緑色は水中の植物プランクトンの色、灰色は黒いヘドロの川底と白濁した水の合成色であろう。ドブ川の白色は川底の細菌ベギアトアによる場合もあるが、この川には見当たらないので、白は水の色である。家庭で出す洗濯と風呂と台所の排水が既に乳白色なのであろう。
 自宅で風呂や洗濯の時に排水を溜めて観察すると、これらの排水は結構白く濁っている。洗剤やせっけんを使わなければ、洗う物がどんなに汚れていても排水は透明な茶色くらいで済むが、洗剤を使った途端に真っ白に濁る。ただし泡はあまりない。最近の洗剤の特性であろう。
 かくして白濁した香料と脂質混じりのぬるま湯が出来上がる。この川の側道のますの中ではそういう排水が少しばかり泡を立てている。

 これらの地域では下水道の整備も進んでいるが、平成25年度末の下水道普及率は三郷市75.8%、八潮市69.0%、春日部市85.9%。
 とにかく地形が平坦で広大なので過去に住宅開発が爆発的に進み、下水道整備が追い付かなかったと見える。丘陵がある東京西部や神奈川と違う埼玉南部特有の厳しさである。
 下水道整備が進んだとしても、住宅地の多くを占める古い住宅の配管の接続は進みづらいであろう。郊外でよく見ることであるが、下水道や合併浄化槽のある新しい住宅ができるのは農地や林を造成した分譲地ばかりで、既成住宅地にはかなり築年数の高い家が並び続ける。その住人は高齢化して配管工事を施す余裕などない…… 

 そのためか埼玉県は県内100か所で「水辺再生」をするという異例の対策を打っている。浄化施設設置、浄化用水の導水、ヘドロの浚渫から遊歩道の設置まであの手この手で計100か所。
 遊歩道の設置で水はきれいにならないと思うが、川沿いを歩かせる→汚い水を間近で見る→「何だこの川きったねー。何とかすべ!」という目論見と思われる。
 埼玉県が「川の国埼玉」を標榜し、川の博物館まで作るのは治水に苦しんだ歴史があるからだとばかり思っていたが、どうもこのあたりにも動機があるように思われた。
 
 都内に入ると問題は少ない。BOD値も少し良くなる。護岸はカミソリ堤防なので殺風景だが、下水道は普及しているし開渠の水路自体がないので埼玉県内のような問題はない。しかもその殺風景を埋め合わせるように、親水エリアとビオトープが配置された新型河川まである。
 江戸川区で荒川から西側に飛び出て蛇行する「旧中川」 がそれで、流水は意外にきれいで魚も多く、整然としているが無機質ではなく、川底に太陽の光が届く浅さになっているなど、生態系にも配慮されている。「よくデザインされた都市河川」という態である。
 この区間を流れる水は実は水質良好な荒川の水で、水量も荒川の水門でコントロールできるのであまり厳しい条件になく、工夫を凝らした改修をしたものと思われた。

  4159 中川(葛飾区) カミソリ堤防ではあるがテラスが設置されている
  4160 旧中川(江東区) マンション広告のイラストのようである

 こう見てくると、確かに中川の水はもう少し改善したいレベルと言える。しかも私は「作られたワースト河川」などと書いたが、どうみてもこれは埼玉南部の地理的な要因が関係していることが明白である。中川と綾瀬川の水質が苦戦する事情が分かってきた。
 しかし中川には、この川特有のもう一段難しいギモンが存在した。
 ギモン3「では下水道が普及したら中川の問題は解決するのか?」であった。

 (「62 中川ウェットランド(後編)」に続く)


※1 ②については以前、第29章「窒素の問題(後編)で少し触れているので、正確には「知らなかった」ではないのであるが、排水を水資源と捉える発想はさすがになかった。 

※2 大和川はわずかに上流部で上水道原水を取水しているようである。以前は下流部の大阪府内でも取水していたが水質悪化により停止した。なお、大和川沿いの下水処理場は数としては多くないが、流域で下水をまとめて処理しているので一つ一つの規模が大きい。


(参考にしたウェブサイト)
フカダソフト「中川のページ一覧」
中川全川を網羅するだけでなく歴史まで掘り下げていてとても分かりやすい。

中川・綾瀬川ブロック河川整備計画 (県管理区間)平成18年4月 埼玉県
埼玉県内区間では水質汚濁対策と浸水対策に悩まされていることがわかる。

中 川・綾 瀬 川 圏 域 河 川 整 備 計 画 (東京都管理区間)平成18年3月
都内区間は高潮対策に重きを置いている。

埼玉県水辺再生100プランのウェブサイト
かなり本気である。中には汚濁がひどかったのか、暗渠化して上部を親水せせらぎにした河川もある。春日部市の件の川はここにはないが、市議会のウェブサイトによると下水道整備とともに一部暗渠化される運命のようである。

平成25年全国一級河川の水質現況(国土交通省 平成26年7月22日公表)
ワーストランキングはなくなってしまったが、第3章の「5.全調査地点の水質」で中川と大和川の測定データを較べると現況が推測できる。この新しいスタイルのレポートは、ダイオキシンや環境ホルモンの量、「ごみが少なくて川に親しみやすいか」といった評価項目など、BOD値だけで表れない多様な指標で川を評価していこうという方向性のようである。また、地域の取り組みを紹介するなど、「地元が頑張るところから支援しましょう」という新機軸も垣間見える。
「川にレッテルを張ることよりも、望ましい姿のデザインを」という前向きさに繋がる反面、「来年こそワースト脱却しようぜ」的な分かりやすい動機が生まれにくくなってしまった感もある。

(参考にした書籍)
『利根川の水利』 新沢芽嘉統 岡本雅美 著 岩波書店 昭和60年6月

江戸の川・東京の川
 鈴木理生 平成元年 平成書院
東京東部河川の分類法はこの本17ページの解説「下町低地の河川」を読んで習得したが、難しすぎて実はまだ全部覚えていない。

(参考にした展示施設)
中川船番所資料館
「中川川の駅」の前にあり、中川が江戸の物資輸送の要衝であったことがよく分かる展示になっている。この資料館は船番所跡地に建てられており、最寄り駅は都営新宿線東大島駅だが、亀戸駅からも3kmほどと近い。
 亀戸には東武亀戸線が乗り入れている。亀戸線に乗って終点の曳舟で東武伊勢崎線に乗り換えてずっと下ると春日部を通って羽生に着く。つまり東武線は中川に寄り添って走っている。
 東武鉄道は私鉄の中では開業が古く、かつ貨物輸送が盛んであったが、その狙いは中川水運の需要を鉄道にシフトさせることだったのでは!とすると、東武伊勢崎線の愛称は「東武スカイツリーライン」ではなく、「東武ミッドリバーライン」であるべきなのでは!!などと妄想することもできる楽しい施設。

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60 法定外公共物にただよう情趣について考える

 maizuru1 水路(京都府舞鶴市)

 第31章「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」で、日頃私がドブ川と呼んでいる水路や普通河川(以下「水路」という)が法定外公共物とよばれるカテゴリーに入るということを述べた。この時に「公共用財産」や「普通財産」といったカテゴリーの定義を間違えた。
 
 この間違いは私の不勉強によるものであったが、せっかくなので「なぜこのような間違え方をしたのか?」を掘り下げてみると興味深いことに気が付いた。この間違いはおそらく、ドブ川が法的に中途半端な存在であることが関係している。
 自分のミスを法律のせいにしようとしているわけであるが、それも兼ねて少々眠たい分野ながらこの点の解明にチャレンジしたい。ただし私はこの分野の専門家ではないので、これから書くことは「ドブ川行政法学習ノート」くらいに捉えていただければ幸いである。
 
 水路は法律的には国有財産法というところから入る。
 正確には、平成11年以降は零細な水路はほとんど県や市に譲られたので「国有」財産ではないが、ここでは話を簡単にするために国有であった時代の仕組みで考えることにする。
 
 まず、国有財産は
①行政財産
②普通財産
に分けられる。
 両者の違いは「行政目的に供せられているかそうでないか」という点である。行政目的つまり、「行政機関がやっている仕事に使われているかどうか」で分ける。例えば、

・河川敷は「川の水を流す」という行政目的に供せられているので①行政財産であるが、
・流路が変わってそういう目的に供せられなくなった区間の土地は②普通財産になる。

  doblaw1

 次に①行政財産は①a公用財産と①b公共用財産と①c皇室用財産と①d森林経営用財産に分けられる。
 ①a公用財産は、河川の水門の管理事務所など役所が直接使っているもの
 ①b公共用財産は、河川本体のように誰でも自由に使えるもの
である。誰でも川に水を流してよいし、河川敷で遊んでよい。①cと①dはここでは割愛する。

  doblaw2

 このうちドブ川にかかわりの深いのは①b公共用財産である。これがさらに「法定公共用財産」「法定外公共用財産」に分かれる。
 法定の「法」とは、道路法や河川法や海岸法など、道路や川や海を管理しようとする専門の法律のことである。川の場合は、

・河川法が適用・準用される一級・二級・準用河川の土地は「法定公共用財産」
・河川法が適用されない水路(普通河川・公共溝渠)の土地は「法定外公共用財産」

となる。

  doblaw3

 しかしここで困ったことが起こる。「財産」とはこの場合、水が流れている土地のことを指す。しかし河川は土地だけで成立するものではなく、その上を流れる水があってはじめて河川である。しかし水は土地と違って不動産や動産ではないので、財産とは言えない。これらをまとめて何と呼んだらよいか。
 そこで、財産(ここでは河川の土地)とその上にある公物(ここでは水)の総体(ここでは河川)を「公共物」と呼ぶことにした。つまりこうなる。

 ・公共用財産(土地)+公物(水)=公共物(河川)

 これをもとに、

 ・一級・二級・準用河川=法定公共用財産+公物=「法定公共物」
 ・水路(普通河川・公共溝渠)=法定外公共用財産+公物=「法定外公共物」

といった具合にカテゴリーが作られた。

  doblaw4

 このうち後者の「法定外公共物」はドブ川について調べていると各地の市役所のホームページに頻繁に出てくるので、少し馴染みのある用語である。
 法定外公共物は明治以来平成11年まで国有財産であったが、「そういう各地の細かい水路は地方自治体に譲りますよ」ということで、現在は主に市町村の「公有財産」になり、根拠になる法律も地方自治法ということになっている。市役所のホームページに頻繁に出てくるのはそのためである。

 各地の市役所には「家と水路の敷地境界を調べたい」とか「家の前を流れている水路に橋を架けたい」とか、「水路の敷地を買いたい」といった要望が寄せられるらしく、それらに関するQ&Aがホームページに書かれている。
 そこには、「水路に橋を架ける」くらいは許可を得ればできなくはないが、「水路の土地を買いたい」はダメだと書いてある。
 なぜダメかというと、水路は水を流すという公共機能を持つ「公共物」だからである。

 ・水路は治水上さほど重要でないから河川法で管理されていない(=法定外)だけで、
 ・公共的な機能を担っていることに変わりはなく(=公共物)、
 ・したがってその敷地は公共用財産であり、
 ・するとこれは①行政財産ということになり、
 ・そこで地方自治法を見ると「行政財産は売り払ってはならない」と書いてあるから、
 ・水路の敷地を売るのは無理。

というロジックである。これはなかなか分かりにくい構造である。

 ・水路は河川法で管理されないので「法定外」ではあるが、「行政財産」でなくなるわけではないという点と、
 ・「法定外」の「法」に国有財産法や地方自治法が含まれない

という点が分かりにくい。
 しかしこの分かりにくさの中にポイントがある。なぜならこれを裏返すと、
 
 ・水路は、公共物(つまり行政財産)なので売り払うことはできないが、
 ・水を流すという機能が失われて正式に廃止する手続きを経れば、
 ・公共物でなくなり、
 ・行政財産でない、ということになり、
 ・つまり普通財産となって売り払えるようになるし、
 ・しかも平成11年からは水路の敷地は市町村に譲り渡されていることが多いので、この手続きが市役所の中だけで完結する。(※)
 
 という仕組みが用意されているからである。
 これは敷地が国有である一級・二級・準用河川などにはない水路・普通河川独特の仕組みである。
 するとこういう二層構造が見えてくる。

 A 一級・二級・準用河川=法定公共物。公共物であり、河川法で管理されてもいる二重に縛られた本命行政財産。
 B 水路・普通河川
=法定外公共物。公共物ではあるが、河川法では管理されてはいないという、ゆるめの行政財産。水を流すという機能がなくなれば行政財産でなくなるので「普通財産一歩手前の行政財産」とも言える。
 実際にはこの下に
C かつて河川や水路であったが今はそうでない「旧法定外公共物」というものがあり、これは公共物ではなく、したがって行政財産ではなく、普通財産とされ、売り払い自由、というものもあるので三層構造である。

   doblaw_5
   doblaw6

 A→B→Cの順に管理の度合いは緩くなり、水を流すという機能が薄れていく。法律にはそのようなことは書いていないが、事実上そうなっている。
 ここで注目したいのはBである。Bの顔ぶれは、河川名が付いて滔々と水が流れてAに負けず劣らずのものから、無名で水が枯れてC寸前のものまで多種多様であるが、基調としては、「Aの予備軍である一方で、Cに格下げされる地ならしの場」としての性格を持つようになる。このようなあいまいな性格付けの結果、Bのカテゴリーには悪く言えばうらぶれて管理不明瞭、よく言えば情趣が漂うようになる。護岸に盆栽を並べられたりして、路地裏のごとき生活感をまとうようになる。私がドブ川に感じている親しみやすさの源はこの辺りにある。  



※詳しくはこちら。第31章 「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」

(参考にした文献とウェブサイト)
公共用財産管理の手引―いわゆる法定外公共物 建設大臣官房会計課/監修 平成7年
 役所の人向けの業務用参考書と思われるが、わりと分かりやすく書いてあるので法律を全く知らなくてもさほど難しくない。少し古いが、難解なドブ川行政法を解くには絶好の解説書。東京都立中央図書館などで閲覧可能。

「法定外公共物に係る国有財産の取り扱いについて」 平成11年7月16日 大蔵省理財局長   

「法定外公共物(里道・水路)に関する取り扱いが変わりました!!」 香川県東かがわ市のHP

国有財産法 この地味なタイトルの法律の第3条に国有財産の分類の仕方が書いてある。

地方自治法 この法律の第238条というところに、ドブ川の法的なポジションが書かれている。この法律は299条まである長い法律なので238条以外は全く読む気がしないが、まれに「市になるには人口5万人以上で、全戸数の6割以上が中心の市街地になければならなくて、商工業従事者世帯の人口が全人口の6割以上なければならない(第8条)」というような面白いことも書いてある。


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59 一級河川荒川起点の碑

  arakawa1 荒川(埼玉県寄居町)

 川の博物館は埼玉県寄居町、荒川のほとりにある。
 その名のとおり河川、特に荒川をテーマにした県立博物館である。聞くと「荒川を切り口に自然科学や人文科学を捉える総合博物館」というスタンスの施設のようである。
 この博物館の庭に、荒川全体を1000分の1に縮小した立体模型がある。荒川は全長173kmなので模型の荒川の延長は173m。山や谷も正確に1000分の1でできているので、身長170cmの人は1700m上空からの風景を眺めることになる。

 秩父の山岳地帯から東京湾まで荒川が流れる様を俯瞰するとなかなか壮観である。秩父の山々はなかなかに険しく、下流の下町低地はなかなかに広い。
 中流の埼玉県平野部は平凡な風景であるが、実はここがキモで、元々利根川と合流していた荒川を分離したり、その荒川を入間川と合流させたり、その合流地点で水害が起こらないように二本の河川を何kmも並行させたり、と芸の細かいことをやっている。それはすべて下流の江戸や東京が水害に遭わないようにするためと、低湿地帯を米作地帯にして江戸に供給するためであった、というようなことを博物館のガイドの人が説明してくれる。
 
 ガイドは模型の上流部、秩父の山奥のあたりの黄色い印の付いた点を指して、「ここが一級河川としての荒川の起点です」と教えてくれる。
 山中の沢と沢が合流する地点にそれはあり、そこからが荒川なのだそうである。しかしそのまた上流にも水流は続き、「源流点」というものが別にあるという。模型を見ると確かに「起点」の上流にも流れはあり、赤い印の付いた源流点まで続いている。
 
 その部分の水流はナニモノなのか。
 
  源流点から一級河川起点まで
   (源流点と一級河川基点の位置関係 川の博物館の荒川大模型173を撮影し加筆

 荒川は国や埼玉県が管理する一級河川であるが、それは治水と利水管理の必要からであって、その必要性が低い区間は一級河川にする必要がない。
 これは他の川も同じで、例えば一級河川多摩川に注ぐ川崎市の平瀬川は途中までは一級河川に指定されているが、そこから上流は普通河川に「格下げ」される。その区間が「ドブ川」と呼ばれやすく、そのあいまいな態様は以前触れたとおりであるが、それは上流部が市街地に収まっている場合の話である。
 
 山の中の場合は事情が異なるような気がする。
 市街地のようにコンクリート製の水路構造物が無いだろうし、水流の始まりが木の根元だったりして曖昧な気もする。そういう水流も普通河川と呼ぶのだろうか。
 「普通河川=ドブ川」という観念がある私にはどうも違和感がある。しかし普通河川でないなら何なのか。沢か、渓谷かそれとも他の用語があるのか?
 
 荒川のこの起点は、埼玉県秩父市大滝の「東京大学付属秩父演習林内27林班地先(左岸の場合。右岸は22林班地先)」というところにある。
 ハイキング客には結構有名らしく、多くのウェブサイトで起点の石碑を見に行ったという旅行記を見ることができるが、当然ながら多くの人はその上流の水流が法的に何なのかには興味が無いので、その点について触れたものはない。
 私としても、それが分からなくても特に差し支えないのであるが、「河川法で指定されていない水流=ドブ川」という観念が身についてしまっているので、「河川法で指定されていないけれどドブ川でない川」が何者なのかが気になる。
 「ドブ川でない川」は、それがむしろ川の本来あるべき姿なのであって、それを何と呼ぶのかなどとギモンに思うのは少し屈折しているように思うが、面白そうなので解明してみる。
 
 起点の碑より下流部が一級河川に指定されているのは、河川法という法律で治水管理しないと収拾が付かなくなるからである。では源流点から起点の碑に至るまでの水流は何の管理をしなくても収拾が付くのか?
 おそらくそんなことはない。
 源流部は源流部で土砂が流れ出るのを食い止めなければならない。ならばそのための法律が、山中の水流のことを何らかの用語で定義しているはずである。調べるとこれは「土石流危険渓流」という用語で、次のようなことになっていた。
 
 ・「渓流」のうち、勾配が15度以上で、「人家のある『土石流危険区域』に流入する渓流」「土石流危険渓流」に指定される。
 ・土石流危険区域とは「想定される最大規模の土石流が発生した場合、土砂の氾濫が予想される区域」のことである。 

 渓流。河川の上流端の先は渓流と呼ぶのであったか。してみると渓流とは何か。
 
 ・渓流とは、「山麓における扇状の地形の地域に流入する地点より上流の部分の勾配が急な河川(当該上流の流域面積が五平方キロメートル以下であるものに限る)」
のことのようである。
 
 これは「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律施行令」というところにひっそり載っている。川が山から平地に流れ出てドバーっと扇状地を形成するあたりより上流が渓流だと言っている。

  渓流模式図
   (荒川大模型173の秩父盆地付近によるイメージ。ただし現地の指定状況は正確に反映していない。) 

 
 ここで注目すべきは「勾配が急な河川」という表現である。なんと渓流は河川なのであった。
 河川の上流端の先は渓流だと思っていたが、そこも河川であるという。私は渓流にかなり期待を寄せていたのである
が、振り出しに戻ってしまった。
 そこで別の角度から調べてみた。渓流と河川はいかなる関係にあるのか?

  ・土石流危険渓流は、川の最上流部に多く、ある程度の川幅になっている箇所は土石流危険渓流に指定されていない。
  ・しかし一級河川であっても最上流部になると土石流危険渓流に指定されていたりする。
  ・普通河川で土石流危険渓流に指定されているものもある。
  ・それらの普通河川の多くには「○○沢」という名が付いている。名前は沢でも普通河川である。

 土石流危険渓流という用語は「土石流を防がなければならない水流かどうか」という視点だけで水流を捉えているので、それが「治水や利水管理しなければならない河川かどうか」は念頭にないようである。したがって土石流危険「渓流」でありながら普通河川であったり、まれに一級河川であったりする。クロスジャンルなのである。
 
 山間部の水流においては、「土石流を防ぐ」という行為と「治水する」という行為は似ているので、このような区分の仕方は分かりにくい気もするが、山を下って河川の幅が広くなればそれは土石流対策というよりはやはり治水であり、山を上って狭くなれば逆に土石流対策を超えて「治山」ということになってくることは間違いない。
 おそらくそういうような事情で法律で縦割りにして、「オーバーラップする部分があっても仕方なし」という便法が取られているものと見える。
 オーバーラップを容認しないと例えば、「国有林の中の一級河川の細流は森林法が適用されるからそこだけは一級河川でなくなってしまう」というような別の方面の問題が発生するようである。言われてみれば確かにそうである。
 
 ということで話を戻すと、さきの荒川の問いの答えは、
「一級河川荒川の基点より上流の水流は普通河川である。」
となる。
 普通河川、すなわち「ただの川」である。山中の水流もただの川、市街地のドブ川もただの川。



埼玉県立川の博物館のHPはこちら 荒川の模型はどうやら水を流すこともできるようである。

(参考にしたウェブサイトと文献)
①「市町村水道等の水利権取得状況」(埼玉県HP掲載 PDFファイル) 
 荒川源流域の水流の状況が分かる。

②秩父市地域防災計画 (秩父市HP掲載 PDFファイル)
 262ページに土石流危険渓流一覧表があり、①と照らし合わせると、「一級河川で土石流危険渓流」であるものや「普通河川で土石流危険渓流」であるものなどがあぶりだされる。

③「水法論序説 -特に国有林野上の普通河川をめぐって-」黒木三郎 (早稲田大学リポジトリに掲載 PDFファイル)
 「国有林内にある一級河川は農林水産省のものなのか国土交通省のものなのか?」という争いがかつてあったらしく、それについて述べた論文。
 結論は「農林水産省のものとして扱っていいけど、河川の管理は国土交通省とよく話し合ってくださいね」といったようなものである。
 この論文は「それは分かったけど、じゃあ河川法の絡まない普通河川はどうなんですか?地下水はどうなんですか?」という点について論じている。
 なお、この論文が書かれたのは昭和61年で、その後の平成11年の地方分権一括法によって普通河川の扱いはかなり変わったから注意が必要であるが、国有林内の普通河川に関しては引き続き農林水産省のもの、ということで変わりがないようである。そのことについては④の文書で説明されている。

④「法定外公共物に係る国有財産の扱いについて」平成11年7月16日 大蔵省理財局長


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58 古隅田川

  新河岸川 新河岸川(埼玉県川越市)

 隅田川は埼玉県川越市から流れてくる。
 私はそう思っていた。隅田川を東京湾から上流にたどっていくと、両国、浅草、北千住を経て赤羽付近の岩淵水門で荒川に一旦接した後、新河岸川に名前を変えて和光市、朝霞市を通り、川越に至る。
 川越から先も流れは続くけれどもぐっと細くなって野の川となる。
 江戸幕府の重要都市である川越と江戸を一本で結んでいるというロケーションの良さが買われて、隅田川は水運の動脈として発展した……と思っていたらこれがまるっきり違っていた。

  sumida1 図1 「隅田川=川越源流説」(私の最初のイメージ)
 
 まず、隅田川の流路は昔の荒川の流路である。
 隅田川は岩淵水門で荒川からの分水を受けるが、昔はこれが分水でなく荒川本流であった。したがって新河岸川は隅田川の上流部などでなく、一支流に過ぎない。
 ということは、隅田川という名前は、荒川の江戸市中における愛称にすぎないのであったか……と思っていたらなんとこれも違っていた。

  sumida2 図2 「隅田川=旧荒川下流部説」(私の2番目のイメージ)

 綾瀬川の流路を地図でたどっていたときのことである。
 綾瀬川は埼玉県東部、ポジション的には荒川と中川の間のエリアを流れてくる中規模の河川である。これが東京都足立区の綾瀬まで流れてくると、荒川左岸(=東岸)にぴたっと並行して流れ、さらにその東から合流してくる中川と合流して東京湾に注ぐ。
 
 この綾瀬川の綾瀬付近に向かって尺取虫のように激しく蛇行した支流が東側から接近する。尺取虫は常磐線の綾瀬駅あたりから発しているように見える。水色で記されているところを見ると開渠のようである。名前はと見ると「古隅田川」であった。「ふるすみだがわ」と読む。

  sumida3 図3 綾瀬川と古隅田川の位置関係  

 こういう名前の河川は結構ある。
 古利根川に元荒川、現存はしないが古鬼怒川に古多摩川などというものもある。これらは、現在の同名の河川がかつてたどっていた流路を指していう。
 大きな河川は長い年月の間には流路を変える。この変わり方はかなり突拍子のないもので、例えば現在の多摩川は武蔵野台地の南縁を流れているが、古多摩川は北縁を流れており、現在の相模川は相模湾に注いでいるが、古相模川は東京湾に注いでいた、といった具合である。
 流路が変わると元の広い流れは失われるけれども完全に無くなることはなく、細い流れになって残る。本流でなくなってしまった川なので流量も少なく、したがって洪水を起こす危険もあまりなく、治水工事でまっすぐに直されることもないので曲がりくねっている。古隅田川もこのたぐいの川であろう。
 私はこの川の激しい曲がりくねり具合に興味を覚え、8月のある日綾瀬駅に降り立った。

 綾瀬駅から東にしばらく歩くと妙な曲がり方をした道路があり、遊歩道風になったかと思うと親水せせらぎらしきものが現れる。古隅田川は暗渠化されて上部が親水せせらぎになっている模様である。
 このせせらぎは交差点を越え、住宅地の道路面スレスレに水をたたえながら道端を貫く。水面に糸を垂らしてザリガニを釣るおじさんや子供がいる。糸が絡まったと言ってけんかをしている兄弟がいる。
 
 しばらく歩くと親水せせらぎは終わり、地下から幅10mほどの無骨な古典派ドブ川が顔を出す。水路内には背の高い草がびっしり生えている。この川はクネクネと曲がるというよりは、まっすぐに進むと突如直角に曲がり、しばらくするとまた脈絡もなく直角に曲がるということを繰り返す。

  古隅田川(開渠区間) 古隅田川(親水緑道でない区間)

 この曲がり方は地図上で見ると異様に見えるが、現物を見ると全く違和感を覚えない。川というものは曲がっているほうが自然なのだと思う。護岸もまっ平らでなく、地肌の凸凹がそのまま反映するモルタル・コンクリートの吹付になっている。水質はさほど悪く見えないが、これぞ正調ドブ川である。
 そのようにして1kmほど進み、ポンプ場に吸い込まれる。ポンプ場の先は綾瀬川の高いカミソリ護岸であった。
 古隅田川沿いには由来を解説した説明板がいくつもあり、その内容を要約するとこうであった。
 
 ・昔、利根川はこの流路を流れて隅田川を経て東京湾に注いでいたが、
 ・長年の治水工事で東方へ流路が移り変わるうちに、ここを流れる水は少なくなり、
 ・古隅田川として細い痕跡を留めて今に至る。
 
 なんと。
 この川は隅田川に繋がっていたのであった。名前からすれば容易に推測できそうなことではあるが、古隅田川と現隅田川の間には荒川の広大な河川敷が横たわっているので、感覚的に結びつかなかった。
 
 しかし現在の広大な荒川下流部は、大正時代に洪水対策の放水路として人工的に開削された「荒川放水路」である。このことは永井荷風が『放水路』という随筆に書いている。
 すると、荒川放水路は昔からここにあった隅田川の流路を分断して開削された可能性がある。
 つまり隅田川はもともと、江戸の北東、葛飾方面から東京湾に向かって流れてくる川の名称であり、北西から流れてくる荒川の旧下流部の愛称などではない、ということが言えそうである。
 
 放水路によって分断される前の隅田川がいかなるものであったか。私はそのことに興味を覚え、『放水路』を読み直した。
 荷風は荒川放水路の荒涼とした景色がよほど気に入ったらしく、足繁く通って昭和11年にこの随筆を書いている。ちなみに荷風はその名もずばり『すみだ川』という小説も書いているが、明治42年作のこの小説には浅草あたりの隅田川しか登場してくれないので参考にならない。

 荷風は足立区の千住曙町、駅でいうと東武線の堀切駅付近で荒川放水路から隅田川に向かって水路(原文では「掘割」)が通じているのを発見し、これを「綾瀬川の名残であろう」と推察する。なかなかするどい。
 現在の古隅田川の水は、ポンプ場によって綾瀬川に排水され、綾瀬川はその600m下流で荒川放水路に接近する。この場所に綾瀬川から荒川放水路に連絡する短い水路があり、その400m下流に今度は荒川放水路から隅田川に連絡する荷風推察の水路がある。

  sumida4 図4  綾瀬川~荒川放水路~隅田川連絡水路

 これは確かに、荒川放水路によって分断される前の旧綾瀬川の流路にあたる。しかし荷風がこれを「隅田川の名残であろう」と言わずに、「綾瀬川の名残であろう」としているところが引っかかる。
 この水路の上流には古隅田川が合流していて、下流には隅田川があるのだから、ここを「隅田川の名残り」としてもいいはずなのに、「綾瀬川の名残り」という表現を用いている。

 荷風は浅草や玉ノ井といった下町に足繁く通ったが、それは「隅田川沿いの下町」である。当然隅田川には慣れ親しんでいるわけで、あえてそこに埼玉から足立区、葛飾区に流れ来る綾瀬川の名を持ち出してくることが少々不自然に思える。
 そこで荒川放水路完成前の大正10年の地図を見る。すると当時の地図上では次のような区分で名づけられていたことが分かった。

 ①荒川: 埼玉県から流れてきて、現在岩淵水門になっている付近で新河岸川と合流し、千住曙町で綾瀬川に合流するまで
 ②綾瀬川: 埼玉県から流れてきて、古隅田川を合して荒川放水路予定地を横切り、千住曙町で荒川に合流するまで
 ③隅田川: 千住曙町でが合流して東京湾に至るまで
 ④古隅田川: 地図に名称が載らないほどの細流で不明

  sumida5 図5 大正10年地図での区分

 これを踏まえると、荷風の時代においては、
 ・隅田川とは東京湾から千住曙町までのことであり、
 ・その上流は荒川または綾瀬川であり、
 ・綾瀬川の下流部が隅田川の旧流路であるという認識は一般的でなかった。
 
 ということが言えそうである。
 古隅田川はもともと、利根川→古利根川(現中川の上流部)→中川→亀有付近→古隅田川→小菅付近→綾瀬川→千住曙町付近の水路→現在の隅田川→東京湾という流れていたルートの一部である(※)。
 しかしこのルートは曲がりくねっていて水害が多発していたことから、亀有付近から東京湾へショートカットする川(現在の中川)を開削し、隅田川方面に水が流れないようにした。
 その結果、古隅田川の広い流路は干上がることとなり、この土地を新田開発に用い、残った流路は排水路として用いた、このような変遷を経ている。
 この流路変更が行われたのは江戸時代の享保年間。すると明治の頃の古隅田川は、名も無き水田の排水路として定着していたものと思われる。

  sumida6 図6 江戸時代以前の古隅田川

 こうしてみると『放水路』における「綾瀬川の名残りであろう」という記述は納得がいく。永井荷風は、古隅田川が利根川の旧流路であったことが忘れられ、それに代わって綾瀬川が燦然と隅田川に直通していた時代の作家であり、それを読んでいる私は、その綾瀬川が荒川放水路の東に追いやられて久しい時代にやってきた人間なのであった。
 当時の隅田川はすでに工場排水で汚染され、名物だった蜆は綾瀬産の養殖物に取って代わられていた、と田山花袋の随筆にある。

※ ややこしいことに古隅田川は埼玉県岩槻市にもある。しかしこの川は「大落古利根川」を経て中川に合するから、かつては都内の古隅田川と一連の流れであったものと思われる。古隅田川(埼玉県のHP)

(参考文献)
荷風随筆集 上 日和下駄 (岩波文庫 緑 41-7)
『放水路』を収録。ドブ川の小橋に惹かれる心理を描いた『日和下駄』も収録。

評伝 技師 青山士―その精神の軌跡 万象ニ天意ヲ覚ル者ハ… 高崎哲郎/著 鹿島出版会 平成20年
荒川放水路の建設を指揮したのはこの人である。工事にあたっては、地盤の軟弱さ、宿場町の千住を避ける必要があったこと、工事中に関東大震災があったこと、岩淵水門の設計が難しかったなどの困難があったとある。注目すべきはこの人の人格の高潔さで、自ら渡航してパナマ運河開削工事に携わった後、帰国して内務省に入り、「私はこの世を私が生まれてきたときよりも、より良くして残したい」と言って信濃川や鬼怒川の改修など数々の難工事を指揮し、真面目で芸者が嫌いでおまけに永井荷風と同世代である。荷風より1年早く生まれて4年遅く亡くなっている。いろいろな生き方があると言える。

川の地図辞典 江戸・東京/23区編 補訂版』 菅原健二/著 之潮 

『明治・大正・昭和・平成の4代120余年の歴史が読める 地図で見る東京の変遷(平成版)』 (日本地図センター 平成4年)に収録の大正10年5万分の一地形図 (絶版)


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57 上流都市

  富士吉田市 宮川(山梨県富士吉田市)

 注文した蕎麦とともに置かれた伝票に、何か説明が書かれている。
 蕎麦をすすりながらこれを読む。以下のようなことが書いてある。

  ①蕎麦は古来より大変縁起のよい食べ物とされています。
  ②栄養にも富んでいます。
  ③当店はこれを恵まれた白河水で調理するので大変おいしい蕎麦ができるのです。

 「恵まれた白河水」って何だ。
 
 この店は京都市街の鴨川より東側にあり、少し離れたところには白川という川がある。
 白川は京都の北東の山から流れてくる小河川であるが、途中で琵琶湖の水を京都市内に導水する琵琶湖疏水という用水路の水が合流するので、流量は安定する。水質もBODで1mg/L前後で、都市河川としては格段にきれいである。疎水が開通した明治の頃はもっと良質であったと思われ、そのまま上水道として使用しても差し支えなかったと察せられる。

 この蕎麦屋は老舗である。開業当初はこの水を使用していたであろう。
 蕎麦の調理では、茹でた蕎麦を水で洗い流すために大量の水を使う。私も自分で蕎麦を茹でるとこの水の多さに閉口するが、これを節約するとうまい蕎麦ができない。
 その点、この蕎麦屋では、白川から良質な水が豊富に供給されるので、蕎麦をたっぷりの水で洗うことができ、うまい蕎麦が出来る。
 蕎麦屋としては水質はもとより水量が確保できることも肝心であるから、伝票の文句の「恵まれた」はこの2つの要素に対しての往時の賛辞を今に紹介したものと言える。同時に、この店の歴史の長さが京都近代水道の変遷と重ねて実感されるという、うまい仕組みの宣伝文句である。(※)
 
 こういう「水の良さ」を称えるフレーズは、蕎麦屋のほかに、日本酒、ビールなどの酒造メーカーを筆頭に、酢、醤油、稲作に至るまで頻繁に目にする。○○盆地は△△山地の雪解け水がしみこんだ豊富な伏流水に恵まれ、××川の清冽な水で育った米を磨きぬかれた地下水を使用してうんうんかんぬん。
 
 これは本当だろうか。
 水の良さというのはそれほどまでに厳格に要求されるべき条件だろうか。本当にその水を使わなければその産品は作れないのであろうか。
 
 もちろん酒造のように、ミネラル分のバランスまで厳しく要求する業種もあろうけれども、この売り文句はある言いにくい事象を裏返した言葉ではないかと思う。すなわち、

 「この製品は、上流の下水が混入した河川水を原水とした水道水を使っていません」
という、本当に私は身も蓋もないことを言っているような気がするが、こう思ったのは群馬県高崎市のファミリーレストランに行ったときのことであった。
 この店は駅ビルの中にあり、何の変哲もないレストランだけれども出された水がうまかった。浄水器を使っているのかもしれないが妙にうまかった。料理が出される間、その理由を考えた。

 高崎市の水道はおそらく利根川水系から取水している。
 この近辺の水は特に名水として名高いわけではないが、高崎市が水道原水に使う水はおそらくおいしい。なぜなら高崎市は関東平野の山際にあり、上流側の市街地の下水があまり混入しない川の水を取水できると考えられるからである。どんな川の水も湧き出す時点では立派にきれいであり、下水さえ混入しなければ使う薬剤も少なくて済み、そこそこうまい水になるはずである。
 
 私はこの説を実証すべく、以後各地の飲食店で食事をする際に供される水をよく味わった。
 山梨県小淵沢市のほうとう店の水はミネラルウォーターのようで、富士吉田市のうどん店のもうまかった。長野県松本市内のホテルの水道水も神奈川県箱根町の公衆便所の洗面台の水もそのまま「おいしい水」として通用した。上流に大都市さえなければ水というものはそこそこうまいものなのだ。

  7201 富士吉田市内の歩道暗渠。中にはきれいな水が勢いよく流れている。

 
 私は自信を深め、今度は静岡県御殿場市に行った。御殿場市の上流には富士山しかないのでかなり期待できる。
 特急ロマンスカーあさぎり3号で御殿場入りした私は、大衆食堂でラーメンを食しつつ水を飲んだ。おいしい。大衆食堂の水でこのレベルとは御殿場おそるべし。
 次に商店街のお茶屋さんに入った。土産に緑茶を買うとお茶を試飲させてくれた。当然おいしい。
 ただし、私は「お茶がおいしいのは御殿場の水がいいからなんですね」ということにしたいのに対し、お茶屋さんのおばさんとしては「お茶がおいしいのは当店の茶葉がいいからなのよ」という点を主張しており、若干の見解の相違がみられた。 そこで意見交換を行い、「このお茶は水の良さと茶葉の良さのハーモニーである」という点で完全合意に達し、これを共同声明とすることとした。
 
 声明を出した私は住宅街を適当に歩いた。御殿場という街は、もうとにかく小さな川がたくさんあり、それぞれに水が勢いよく流れている。
 御殿場市の下水道普及率は平成25年度末で34.6%、集落排水施設や合併浄化槽を含めた「汚水処理人口普及率」でも60%と低いが、河川の水が豊富なのと、傾斜地で流れがよいので古典派ドブ川は見かけない。
 歩いていると川沿いに銭湯を見つけたのでふらふらと入る。湯船に浸かる。この湯があのおいしい水だと思うと気分がいい。石けんで体を洗って流す。
 と、そのとき考えさせられたのである。

 「うーんそういう問題があったか」

 銭湯に限らず御殿場で入浴に使われた湯は、計算上その40%弱が未処理で市内の川に放流される。ここの川は流れ流れて、えーとどこに行くんだっけ。
 家に帰って地図を見ると、御殿場という街は静岡県沼津市に向かって流れる狩野川の支流の黄瀬川と、神奈川県小田原市に向かって流れる酒匂川の支流の鮎沢川との分水嶺にあるのであった。こういう立地の街は珍しい。

 しかし考えてみると、御殿場線という路線がそもそも東海道線の箱根越えを避けるために敷設されたのであり、それでも急になる勾配を上るために助っ人蒸気機関車を付けたり外したりするために御殿場駅を作り、その駅を中心に街が発展したのであるから当然と言える。そういうわけで御殿場駅はちょうど分水嶺のあたりに設置されている。

  gotenba  御殿場のポジション

 
 市内の排水は黄瀬川方面と鮎沢川方面の二手に分かれると考えられるが、黄瀬川に行けば裾野市を経て沼津市へ流れる。この川の水は水道原水としてはほとんど利用されない。裾野や沼津は富士山麓で良質な地下水が豊富だからである。
 問題は鮎沢川に行った場合である。鮎沢川は神奈川県境を越えて酒匂川に合流して小田原市に流れ、ここで大量に取水されて神奈川県内の水道原水として取水される。酒匂川の水は多くは丹沢山地から流れてくるのでこれで希釈されるが、御殿場市の低い汚水処理人口普及率を見ると、ちょっと考えてしまう構造である。今にして思うと、着いてすぐ食べたラーメンの残り汁なども気になる。
 
 しかし御殿場市は地形がいいので古典派ドブ川が発生することもなく、東京都心のように必死に下水道を作る動機は生まれにくい。これはもどかしい構造と言える。今までこの構造に気付かなかったわけではないが、きれいな湯の風呂に入ったら気になってきてしまった。
 これを解決するにはどうしたらいいんだ。余計なお世話であるが一応考えてみた。

 ①下流の都市は、下水道をこれ以上整備するのはやめて、上流の都市の下水道や合併処理浄化槽を集中的に整備する。
 ②下流の都市は、水道水においしさを求めることはやめて、おいしい水を飲みたければミネラルウォーターを買う。
 ③上流都市の下水が浄化されると下流都市の浄水コストが減って水がおいしくなるのなら、上流都市の下水コストを下流都市の水道料金でまかなえばよい。


 は、「そうは言っても都会の川もねえ……」というところだと思う。
 は、現在の実情に近い。
 は、これの変形バージョンがいくつかの県で実施されていて、例えば神奈川県では「水源環境保全税」というものが県民税に上乗せして徴収され、その税収の一部が上流の下水道や高度処理型合併浄化槽の設置に投入されている(※)。 
 
 このうちの仕組みは理屈としてはいいが、上流と下流が同じ県内にないと難しいのではないかと思う。

 例えば東京都でやろうとすると都民税が利根川上流の群馬や栃木に移転することになってしまう。都民税が都県境を越えることに対しては賛否両論ありそうである。埼玉県も荒川水系に関しては源流が県内で収まっているので問題ないが、利根川水系は同じ問題を抱える。
 対して神奈川県はそういう問題の少ない稀有な県で、相模川の上流が山梨に、酒匂川の上流が静岡に飛び出てしまうものの、利根川水系ほどの飛び出し方ではない。もしこの仕組みがうまくいったとすると、私のような思考回路の人間も心置きなく御殿場の湯船で足を伸ばせることになる。

 ……もっともこういうことを考えるのは趣味的にはいいとしても、行き過ぎると例えば温泉旅行は熱海や別府でなくてはならぬということになり、高原のホテルはやめて海水浴にしようなどという発想に発展し、実際にそれが原因で私は家族に嫌われているので、家内平和環境保全的にはそこのところにも注意が必要である。


※本章を書き上げた後にこの蕎麦屋に行ったところ、なんとこの宣伝文は削除されていた。蕎麦屋のおばちゃんに削除の理由を尋ねたところ、「今は白川の水を使うてないからウソになる」ということだった。味があって好きだったのに。

(参考にした文献とウェブサイト)
「日本における森林・水源環境税の経験と課題」 藤田 香 2009年 の表1
酒匂川上流の山北町のホームページ(高度処理型浄化槽設置から水源林の手入れまで対策は多岐に渡っている)

※ 2017.4.23追記 
 平成29年度から神奈川県は驚くべき政策に打って出た。
 いままで水源環境保全税では単独浄化槽を高度処理型合併浄化槽に転換するための補助金を出していたが、それはダムの上流側だけであった。つまり山の方だけ。
 ところが平成29年度からは「取水口の上流側」も補助することになった。
 相模川の取水口は下流の寒川町、酒匂川の取水口はやはり下流の小田原市にあるから、要するに神奈川県の西半分の単独浄化槽を一掃しようということになる。
 たしかにダムの上流がいくらきれいになっても、取水するのは下流だからその間の厚木や海老名の市街地から垂れ流し下水が流れ込めば意味がない。
 しかしこの発想は私にはなかった。いったいどうなるのか神奈川県。ドブ川は完全駆逐されてしまうのか!

 神奈川ドブを全滅させる攻勢に出た同県のキャラ「しずくちゃん」かながわしずくちゃん
 と、彼女の恐るべきたくらみ「第3期かながわ水源環境保全・再生5か年計画」(第2章の8にこっそり載っている)。

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56 海の家の下水道

  拡大する
 片瀬東浜海水浴場(神奈川県藤沢市)

 下水道を備えた海の家ができたというニュースが平成26年の夏に報じられた。
 神奈川県の江ノ島近くにある片瀬東浜海水浴場で、砂浜の中に下水管を埋設し、ここに海の家の厨房やシャワーの排水を流すという。砂の中の下水管は近隣の道路直下の公共下水道に接続され、下水処理場で処理される。記事には、
 「このままでは浜がもたないと思った」
という海の家の組合長の発言が載っている。この取り組みは海の家の排水の問題を何とかしたい、という思いから生まれたもののようである。

 よくやった。
 海の家の排水が砂浜に浸透されているという事実は、平成25年の夏に偶然シャワーを浴びた時に知った。
 私は下水道の普及した現代で思いがけなく発見した汚水観察ポイントに興味をそそられたが、これは世間的にはまずい問題である。
 まずい問題ではあるが下水管を砂に埋めて固定するのは難しいだろうからどうしようもないとも思った。
 調べると、この問題が顕在化している海水浴場もあるということを知ったが、汚水をまとめてバキュームカーで回収するにしても貯留しておくタンクの設置が難しいだろう。
 仮設トイレくらいなら休前日の朝に汲み取りをしているのを見たことがあるが、雑排水も、となると量が多いので大変である。夏の間しか営業しない施設のためにそこまで手間と費用をかけられない、というのがこの問題の本質であろう。そう思っていた。
 しかし片瀬東浜ではそれをやったという。しかもその費用の大部分を海の家の組合で賄ったという。これは行かねば。
 
 7月21日海の日、私は海パンをはいて片瀬東浜海水浴場に行った。よく晴れていた。
 早速下水管を探す。が見つからない。
 海の家は海岸線に一列に並んでいるからその裏手に埋設されているのだろうか。しかし裏手の国道に上ってきょろきょろしても、行ったり来たりしてもそれらしきものは見つからない。

 どうもよくない。これではただの怪しい人である。
 仕方がないのでおずおずと組合事務所に行き、下水管のことを訪ねた。すると海の家の途切れたスペースに砂に埋もれたマンホールがあり、これがそうだと教えてくれた。その近くには水洗便所もあった。おおこれか。

  拡大する 片瀬東浜の海の家。よく見るとマンホールが見える。 

 組合の人は地元育ちなので子供の頃から海育ちである。でも昔はシャワーひとつとっても冷水しかなかったという。さっと流しておしまいである。
 でも今は温水が当たり前だからゆっくり浴びてシャンプーもボディソープも、となる。
 排水の問題はこういう変遷の中で出てきた問題のようである。食事のメニューにしても焼肉もあればエスニックもある。この排水処理には往生したことであろう。
 
 マンホールを確認したところでゴーグルを着けて海に入る。
 片瀬東浜は東は小動岬、西は江ノ島に遮られているので水質的に不利な地形であるがそこそこきれいである。きれいといってももちろん伊豆や外房などに敵うものではないが、都心から小一時間で来られる駅前の海水浴場としては合格である。
 この水質はまさか今回導入した下水道の成果ではないはずである。
 下水道に接続しても長年砂浜に浸み込んだ汚れは少しずつ海に染み出ていくし、他の海岸から来る汚れもある。しかし海の家を下水道化するとどのくらい効果があるのか知りたい。そこで小さな川を挟んで500mほど西側にある片瀬西浜海水浴場に行ってみた。
 
 実は片瀬西浜海水浴場は数年前に下水道化されている。
 このことは私も今回はじめて知ったが、実際に行って見ると海岸の奥にコンクリートで整備された階段護岸があり、下水管のマンホールが埋められているのが確認できる。
 護岸の工事をした際に下水管を敷設したようで、西浜の海の家はこのマンホール沿いに並んでいる。するとこの海水浴場は下水道に接続されて数年経っていることになるから、東浜と比較すれば下水道効果が分かるのではないか。
 
 ということで西浜で潜ってみる。
 しかし正直分からなかった。どっちも同じくらいである。どちらも「まあそこそこなんじゃないか」といった程度である。海は潮流でかなり水が入れ替わっているので効果が見えにくいのかもしれない。
 
 しかし効果が見えにくくても出した汚水は浄化されるべきなのであって、少なくとも片瀬西浜と東浜では「今俺が流したシャンプーの泡が砂浜に……」という気まずさからは完全開放される。ラーメンもカレーも食べられる。
 これは大きい。富士山のトイレなどでも言えるが、「環境的な気まずさからの解放」というのは、屋外レジャーの新しい価値になっていくのではないか。私の観察ポイントは減ってしまうが、そういう面白い展開になるのであればそれでいい。


(参考:片瀬東浜の下水道を報じたニュース)
「湘南の浜に水洗トイレ導入 海の家に下水管設置」  朝日新聞DIGITAL 平成26年6月20日
「片瀬東浜 下水管配置で浜再生」 タウンニュース藤沢版 平成26年6月27日
「海の家”排水”の陣 片瀬東浜に下水道整備 県内初」神奈川新聞カナロコ 平成26年7月7日

(参考資料)
片瀬西浜海水浴場の下水道に関する藤沢市議会議事録


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55 この水は飲料水として使用できます

  この水は飲料水に使用できます

 ビジネスホテルの洗面台の蛇口に、「この水は飲料水として使用できます」というプレートが貼ってあるのを見かける。頻度はそう高くないが、建築年代の古そうなホテルではしばしば目にする。

 ビジネスホテルには大抵湯沸し用のポットがあるが、そこに入れる水を供給できる場所はユニットバスの洗面台しかない。洗面台の水も上水道であることに変わりはないからここで汲んでも問題ないけれども、ここは歯を磨く場所であって飲み水を汲むには多少不潔な感じがする。この抵抗感を払拭させるためにプレートが貼られているものと思われる。

 とはいうものの、このプレートは少しくどいのではないかと思う。
 洗面所の水道が上水道であることは誰でも知っていることであり、そのようなことをいちいち表明するのはホテルにありがちな過剰な丁寧さの表れではないか、そう思っていたのである。

 ところがこのプレートはそのためにあるのではないらしいことに気付いた。
 私はある温泉地で銭湯に入っていた。この温泉地には温泉を使った銭湯があり、銭湯料金で温泉に入れる。
 お得なことだと満喫しつつ浸かっていると、洗い場にいる子供が「のどが渇いた」といい、蛇口の水を飲もうとした。すると番台のおじさんが飛んできて、それは飲んじゃいかん、あっちの水道のを飲めという。「あっち」には「飲用水」と描かれた蛇口があった。
 
 あっちの蛇口とこっちの蛇口はどう違うのか。
 
 温泉を引いた銭湯の蛇口から出る水は温泉水である。
 温泉水には微量の砒素が入っていることが多い。砒素は毒性のある物質として知られている。(※)
 人間の体は微量の砒素であればダメージを受けずに済むようにできているので、温泉水に含まれている程度の砒素を飲んでも問題になることはあまりないと思うが、それでも水道法の基準値を超える砒素くらいは入っている。日常的な飲用に適さないのは確かで、よって水道水の蛇口を別に設けているのであろう。
 
 しかしこれが温泉水でなかったらどうか。例えば東京都心の銭湯ならどうか。
 都心の銭湯は褐色の鉱泉水を用いているところもあるが、そうでないところでも井戸水を使っているところは少なからずある。井戸水は温泉水のような問題はなさそうであるが、衛生上の問題で飲用に適しないものもあるから、結論として銭湯の蛇口の水は飲用には適さないということになる。
 
 では旅館の浴場はどうか。
 旅館もわりと井戸水を使う業種である。当然浴室には井戸水を使いたいであろう。旅館の設備に関する規程は自治体によって微妙に異なるので一概に言えないが、厚生労働省の「旅館業における衛生等管理要領」によれば、おおむね次のようになっている。

   6511 旅館

  ・浴室の水が衛生的であることは求めているが、飲用可能であることまでは求めていない。
  ・ただし、共同浴室には「1箇所以上の飲用水の供給設備の設置」を求めている。
  ・また、旅館の設備としては、飲料水を衛生的で十分に供給し得る設備を「適切に配置」することを求めている。
  ・この要領はホテル(=宿泊の態様が洋風であるような様式の構造及び設備を主とする施設)についても適用される。


 この要領の基準を満たせばよいとするなら、「ホテル客室のトイレや浴室にはなるべく井戸水を使用し、飲料水用には上水道を一本引いて済ませればいいのではないか」という考えが出てくるであろう。水道代を節約しようとすれば当然こういう発想はあり得る。
 
 例えば、数年前には東京都内のホテルが井戸水の使用量を過少申告して下水道料金を逃れた、というニュースが報じられた。
 ホテルの用水に井戸水を使った場合、上水道料金はかからないが、排水は下水道に流すから下水道料金を支払う必要がある。下水道料金は上水道がある場所では上水道の使用量に比例して課せられるが、井戸水の場合は配管にメーターを付けておき、この計測値で下水道料金が決まることになっている。しかしメーターを迂回するバイパス配管を作れば井戸水の使用量を過少申告できるという理屈である。
 
 このニュースから読み取れるのは、こういうことが起きることの前提として上水道料金を節約するための井戸水利用がある、ということである。
 東京都の記者発表資料によれば、このホテルは、3年2ヶ月の間に約50,000㎥の水を過少申告していたようである。
 したがって井戸水の供給能力は少なくともこの水量以上ということになる。これを1日あたりに換算すると約43㎥つまり43000リットル。
 ホテルの客室で使用する水量はツイン1室1日あたり500リットルとして86室分。このホテルが井戸水をどう使っていたかは分からないが、客室トイレや浴室の水源として十分使用しうる供給水量だとは言える。
 
 すると件のプレートは丁寧さの現れではなく、そのような使用形態のホテルにおいて飲料用に引いた上水道の所在を明らかにする役割を担っていると言える。
 となると、プレートの張ってあるホテルでは現地の井戸水と水道水の飲み比べができることになる。
 
 これは便利なシステムである。箱根や日光などの山間部では両者の違いはないかもしれないが、東京や名古屋など低地の大都市部では顕著な違いがあるかもしれない。プレートを見つけるのが楽しみになってきた。

(追記)
 その後いい物件に遭遇したので、冒頭の写真をその時のものに差し替えた。
 詳しくはこちら。修正用雑記帳その15「この水は飲料水として使用できます」関連


(参考にした書籍とウェブサイト)
場外乱闘はこれからだ (文春文庫 (334‐1)) 椎名誠 1984年 
この中の「大鼎談・この際だからホテルの疑惑について徹底追及するのだ」で「飲料水」の表記についてするどく追及しており、この当時から存在するシステムであることが窺える。

秋田市のホテル営業等構造設備の基準
この表は分かりやすい。

※ 愛知県衛生研究所の砒素に関する解説ページ
砒素は化学形態の理解が難しい元素ながら、このページの説明はわりと平易に書かれていて理解しやすい。


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54 眠れる森の下水管(後編)

  拡大する
 国土地理院電子地形図「東京西南部」より抜粋・加筆

  (「53 眠れる森の下水管(前編)からつづく)

 ただし、手掛かりがないわけでもない。
 まず。敷設年不明、ということは東京都下水道局でない者が設置した可能性がある。
 都心の下水道は戦災を経ているので詳細図がないくらいは仕方ないが、いくらなんでも自分で作っておいて敷設年まで分からないとは考えにくい。
 この位置から察するに、帝室御料地時代に排水施設として敷設されたものではないかという推測が出てくる。
 何の排水かというと、一つは同園内の池の余水である。この時に池の余水は下水管への流入が確定付けられたのではないか。
 
 もう一つは上流の邸宅の排水である。
 同園の南側、つまり上流端には東京都の庭園美術館が食い込むようにして立地しているが、同館は旧宮家の朝香宮邸をそのまま保存・公開しているものである。
 なぜこのように大切に保存されているかというと、この邸宅がかつてフランスで流行したアール・デコ様式を取り入れた珍しい建築だからである。着工は昭和6年で竣工が同8年。しかも貴重なことに当時の姿で現存している。
 ということであるが、実は私はアール・デコなるものが何なのかを知らない。
 全く恥ずかしい話であるが、では、ということで建築の書物を調べても、なんとこの用語の定義が判然としない。アール・デコという用語は、世に喧伝されているわりには理解の難しい概念のようである。そこでいつものように分解してみる。
 
 「アール」は、フランス語のartで「芸術」「美術」
 「デコ」は、フランス語のdecoratifの略語「deco」で「装飾」
 
 合わせると「装飾美術」。何のことだか分からない。装飾美術だったら和室の欄間も装飾美術である。
 そこでさらに調べると、この用語は1925年(大正14年)にパリで開催された"Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernes"という博覧会の名称に由来しているという。
 直訳すると「装飾美術と現代工業美術に関する国際博覧会」。
 
 装飾に用いられる芸術に、工業的な手法を用いることを追及したイベント名と推測され、要するに「工業的装飾美術」である。産業革命の成果が徐々に欧州に浸透し、装飾分野にまで及ぼうとした時代を想像させる。
 私ごときが簡単に論じてはいけない気もするが、「アール・デコ」という洒落た用語の裏には、迫り来る工業化がもたらすコストカットと美術デザインの折り合いを付けなければならなかった切実さが潜んでいると見た。

  地下鉄入口看板
     私の中でのアール・デコのイメージ(パリ市5区)。原色使いと地下鉄を記号化しようとする意匠がアール・デコっぽい(と言ってみる)。
 


 そうであれば、ここで次のようなことが言えると思う。

 「アール・デコに汲み取り便所は似合わない」

 欧州近代工業の産物であるアール・デコ建築に日本式農業の産物である汲み取り便所を組み合わせるのはまずい。ということで、この朝香宮邸の邸宅の便所はバスルームと一体化した水洗式の洋式便所である。
 昭和6年というと水洗便所が東京や大阪のデパートで使用され始めた頃であったから、技術的に十分設置可能である。
 
 ここで昭和2年に開通した下水道白金幹線が俄然意味を持ってくる。この下水幹線は同園北側の白金地区を通っている。
 これを引き受ける芝浦下水処理場(現芝浦水再生センター)の完成は昭和6年。朝香宮邸の着工も昭和6年。
 するとこの下水道を使えば高価な浄化槽なしに水洗便所が付けられる。同邸の位置は自然教育園(当時は御料地)南側だが、園内の谷戸を縦断して北側まで排水管を通せば白金幹線はすぐそこである。しかも排水管のルートは長く急な下り勾配なので流下に全く支障はない。これを使わない手があるものか。
 ということで、朝香宮邸は現自然教育園内に排水路を作ったのではないか。
 これがAの下水管の原型となり、の昭和42年に行ったのは新設工事ではなく、既存下水管の全面改修程度の話だったのではないか……さあこれでどうだ!

  下水管ルート上の湿地(木立の向こうは白金6丁目) 下水管ルート上の湿地(木立の向こうは白金6丁目)
 
 この推測の真偽を明らかにするには朝香宮邸の排水が浄化槽処理でなく、下水道直結であったことを証明すればよい。そこで宮内庁の公文書館に行き、『朝香宮邸新築工事録』という文書の中の配管工事の設計書を読む。
 
 すると推測はまたしても外れていた。
 朝香宮邸の裏庭には「分離槽」と「酸化槽」が設置されている。「分離槽」は今でいう単独浄化槽の沈殿槽、「酸化槽」は散水濾床であろう。朝香宮邸はなんと浄化槽処理なのであった。
 しかし次のようなことも分かった。

 ・「酸化槽」の設置場所、つまり処理後の放流場所は、Aの下水管に近いところにある。
 ・既存の道路側溝を放流先にする設計にはなっていない。

 よく考えると、浄化槽といえども、処理後の水はどこかに流さなければならない。その水の放流先は、Aの下水管に近いところにあるので、この状況を見ると私の推測もまるっきり間違いとは言えないかもしれないが、正解だとも言えない。 
 あまりに仮説が外れるのでだんだんむきになってきた。
 
 Aの下水管は朝香宮邸の敷地外、つまり帝室林野局の御料地内にあるので、その土地の資料を見なければ問題は解けない。
 ここは当時は空き地であったはずだが、昭和7年の朝香宮邸の建築着工前のこの土地の図面が宮内庁の公文書館に保存されている。着工前の図面はあまり参考にはならないがこれを見る。
 
 森林や池や通路の記号が見える中に、一条の線が通っている。
 この線は件の下水管のルートとほぼ同じ場所を辿っている。凡例を見ると、果たして直径二尺八寸(約85cm)の管であった。
 どうやら朝香宮邸ができる前からここには下水管があったようである。この管のルートを上流側に辿ると、なんと同邸を掠めて御料地の西側に出てしまった。そしてそこには「陸軍衛生材料廠」という施設があり、管の出発点になっている。

 なあんだ。
 件の下水管の起源は昭和初期の軍用の下水管なのであった。
 明治以降の軍隊は洋食や洋服に始まって洋船や鉄道に至るまで西洋文明をいち早く取り入れていたから、近代下水道の導入に関してもそれはありそうである。それに下水の処理は衛生のために行うのであるから、「衛生」材料廠が先んじて下水管を整備したとしてもおかしくはない。同時期に御料地内に計画された「ど真ん中ルート」の道路計画も貢献したことであろう。

 気が遠くなるような暑い日であった。
 自然教育園の森を歩いても、やはり下水管の存在は感じられなかった。この下水管は、森の中の小川に抱かれて身を潜めている。
 東京の多くの中小河川が、流路を下水管の敷設スペースとして提供し、上部を人工的なコンクリ親水せせらぎや遊歩道に変えざるを得なかった中にあって、ここではほぼ地上の流れを損なうことなく下水管と共存している。存在を忘れてしまうほどに共存している。


(参考にしたウェブサイト)
東京都庭園美術館リニューアルオープン特設サイト 2014年11月22日にリニューアルオープンする庭園美術館。トイレに行くのが楽しみである。 
国立科学博物館付属自然教育園のサイト
東京都下水道局下水道台帳

(参考文献)
アール・デコの館―旧朝香宮邸 (ちくま文庫)』 増田彰久(写真) 藤森照信(文) ちくま文庫 平成5年
『アール・デコの時代』 海野 弘 昭和60年 美術公論社(この書籍は、鎌倉の「古書 ウサギノフクシュウ」で入手しました)
朝香宮邸新築工事録 内匠寮 昭和6~8年(宮内庁書陵部宮内公文書館所蔵)
白金御料地内朝香宮邸建築用工作場敷貸付区域図 帝室林野局資料 昭和7年(宮内庁書陵部宮内公文書館所蔵)


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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