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12 どぶ板通り商店街

どぶ板通り

 どぶ板通り商店街は神奈川県横須賀市の米軍基地の正門近くにある。
全長約500m、かつて米兵向けのバーが立ち並んでいた通りで、今でも「アメリカンな横須賀」を味わえる一角である。私がこの商店街に関心を持ったきっかけは、当然そのユニークな名称である。

 ところがこの商店街を訪れて私はがっかりした。この商店街にはドブ板もドブ川もなかったからである。広い路面はカラータイルで舗装され、ドブ板を模した縞模様のデザインが施されているだけである。さらにがっかりなことに、商店街の名称の由来となったドブについての資料が乏しい。かろうじて分かったのは次のようなことである。

・かつてここには道の中央にドブが流れていたが、通行の邪魔なので軍の払い下げの鉄板を敷いた。
・明治38年の地図にはすでにドブの姿はなくて「どぶ板」の名称がある。

 どぶ板通り商店街はドブにフタをしてからすでに100年以上も経った商店街のようである。
 100年以上も「どぶ板」などという妙な名前を愛用しているわりに、そのドブの正体が気にとめられていないことに驚きというか無頓着さを感じた。どぶ板通りが語られるときテーマになるのは、きまって店の紹介や、そこに関係したミュージシャンなどである。
 
 もっとドブのことを気にしてくれてもいいではないか。
 ドブというものはいつもそうなのだ。「それは金をドブに捨てるようなものだ」とか「ドブ板選挙」などと軽々しく使われる割に、その正体はまるで存在しなかったかのように無視され続ける。どぶ板通り商店街には特にそれが現れている。
 思わず憤ってしまった私であるが、やがてそれが収まる日が来た。何度目かのどぶ板通り来訪で、ついに本物のドブ板に遭遇したからである。
 どぶ板通り商店街から少し離れたさいか屋というデパートの裏の道を歩いていると、細く薄暗い細道が交差しているのが見えた。細道は幅2mほどで、路面は周りより一段低い場所を通っている。その路面は、と見ると古ぼけた巨大なコンクリートのドブ板であった。

ドブ板細道
ドブ板細道

 私はその細道に入り込んでドブ板を踏んでみた。
 ドブ板は頑丈なつくりで、踏んでもボコボコと音がしたりはしなかったが、ドブ板にあけられた穴からはドブの水面が見えている。こういうドブ板は今は珍しい。ドブ板細道の周りには小さなスナックやバーが立ち並ぶ。
 ちなみに昭和30年代の地図を見ると、当時も同じようにスナックや旅館が立ち並んでおり、昔からこんなドブ板細道だったようである。
 
 ドブ板細道を進んで行くと、大通りに出た。
 バスの行き交う通りの向こうを見ると、例のどぶ板通り商店街が始まっていた。
 つまりこのドブ板細道のドブはどぶ板通り商店街を流れていたドブなのであった。まさに正真正銘「どぶ板通り」である。しかもこっちの方があやしくて雰囲気がある。

 さて、このドブは元はどんな川だったのであろうか。
 このドブはもともと川だったはずだから、川が流れてしかるべき地形的要因があったはずである。
 残念なことに今の横須賀は、元の地形が分からないほどに海面の埋め立てが繰り返されたので、このドブの地形的な関係が推測できない。なにしろ今商業地や米軍基地のある平地部分は、ほとんどが明治以降の埋立地なのだ。 しかし江戸時代の絵図を見ると、どぶ板通りのドブのポジションがはっきり見えてくる。
 
 江戸時代の横須賀は、海に迫る急峻な丘(現在の横須賀中央駅裏の丘)、そこから東京湾に向かって延びる細長い岬(現在の米軍基地)、そして丘と半島の間にある細く狭い平地(現在の本町)から成っていた。この平地の部分は「横須賀」という浜(現在の国道16号線小川町交差点あたり)に向かって開けていて、漁村の集落がへばりついていた。

 どぶ板通りのルートはこの細長い平地の真ん中を貫いている。現在のどぶ板通りの下流側は、前出のあやしげな細道となってしばらく続いた後、国道16号線にぶつかって姿を消すのだが、ここが江戸時代の横須賀の海岸線にあたる。つまりどぶ板ルートのドブはここで海に注いでいた。
 重要なのはここからである。明治7年、ここに小さな港が作られて港町・横須賀の端緒が開かれた。

 港を作るのに必要な条件は3つある。波が穏やかな入江であること、水深が深いこと、そして船や物資を引き上げる緩い傾斜の平地があること。
 港には運んできた物資を引き揚げる荷捌場や、船ごと引き揚げてるスロープが必要である。面白いことにこれが決まって入り江の小さな川の河口の横に作られる。なぜ河口の横に港を作るのか。

 入江の川の河口は、周りを急峻な岬に囲まれながらも小さな平地を作ることが多く、これが前述の3条件を満たすからである。
 たいていの港町は入り江の河口の小さな港から出発し、その背後が「元町」と呼ばれる商業地となる。横浜や神戸のような大型港も、大きな船が着けるように後から入江の外側に大規模な埠頭を追加建設していっただけで、もとは入り江の河口付近の港から出発した。
 
 横須賀の場合はどうか。横須賀は軍港があるので少し事情が特殊(※)であるが、明治7年に作られた港はどぶ板ルートの河口に位置し、その背後に元町(現在の本町)が作られている。位置から察するに、どぶルートを流れていたであろう川が「入り江の河口」の役割を果たしているのではないか、私はそう考えた。

旧小川港
かつて港だった地点(手前からヤシの木のあるあたりまで)から、ドブ板細道の「河口」(中央のグレーのビルの左端)を見る
 
 考えた、と若干歯切れが悪いのは、証拠がないからである。
 横須賀には江戸末期に描かれた絵図が何枚かあるが、そのどれを見てもどぶ板通りの場所に川はない。絵図には相当小さな川であっても姿が描かれるはずであるから、描かれていないということは実際には存在しなかった可能性もある。
 しかし丘と岬の間の低地という地形的な条件を見れば、そこに小さな川が流れていたと考えるほうが自然だし、絵図には書いてなくとも実際にドブ跡はそこにある。
 そのようなわけで若干疑問符は付くが、どぶ板通りを流れていたドブは、港町横須賀のルーツの港のそのまたルーツであった、そのように言ってみたいと思う。

 軍港として明治の初期から栄えた横須賀はかなり早いタイミングで土地が不足し、このドブも早い段階で暗渠にされたと考えられるが、証拠も不確かでなおかつ暗渠化されて100年以上経ったドブの名が生きているのは、横須賀を産んだこのドブ、いや川に敬意を表してのことなのではないだろうか。

大正4年横須賀市全図
横須賀市全図(大正四年横須賀市統計書附録 横須賀市中央図書館蔵) クリックすると拡大します
北に伸びる半島が現在の米軍基地、その南東に旧港、どぶ板通りは「元町」の町の字のあたりを旧港に向かって走る。半島の西の湾は軍港、その西に横須賀線横須賀駅。


※今の米軍基地のある場所(横須賀市泊町)には昔、水深の深い静かな入り江があり、これが軍艦に適していたことから軍港として利用されたという。
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33 豊橋の下水処理場はなぜ全国4番目なのか(前編)

 野田処理場入口

 『横浜下水道史』は地味なタイトルのわりに結構面白い本である。
 もともと鶴見の河童沼を調べるために読んだ資料本であったが、昔の横浜のドブ川のバラエティに富んだ汚れ方や埋め立て前の本牧の海水浴場の様子まで分かる。
 この種の下水道史は他の都市でも作っているけれども、横浜が面白いのは下水道に国際貿易港の側面が絡んでいるところである。

 横浜には江戸末期から外国人が住み始めたので外国人居留地があった。
 高台の山手にもあったが、中華街周辺の低地にも作られた。
 この居留地の下水インフラは西洋人基準でいうと劣悪で、水は井戸水、便所は屋外にあって汲み取り式、生活雑排水を流す側溝は木製ですぐ詰まった。そこで西洋人は、石でできた暗渠の下水を作るようしつこく求めてくる。そこで神奈川県は馬車の通る馬車道に暗渠の下水路を設けるなどして必死に対応する。

 この結果として横浜には地方都市としては異例に早く西洋式下水が誕生する。明治3年のことであった。
 西洋式下水といっても暗渠で海に流し去るだけなのであるが、さしあたってこれでよかった。西洋人が下水の整備にこだわったのは海の水質保全を考えてのことではなく、地面に浸透した下水がすぐ近くの井戸にしみこんでコレラの流行につながることを恐れたからである。

 同じ理由で汲み取り便所の木製便槽をコンクリート製に替えることも求めている。
 これは木製の便槽から地下に染み出す糞便が井戸水を汚染していたことによる。その時もちろん彼らは水洗で下水管に流し去る方式の便所を同時に要望したのであるが、これは近代的な水道による大量の水を必要とするので、改善は便槽の材質にとどまり、汲み取り式は改まらなかったようである。
 
 ところがこうして作られた明治3年式の「西洋式下水」は、実は雨水を流す程度の機能しかなかったのですぐにごみが詰まってしまい、西洋人の抗議の末、明治17年に今度はまともな西洋式下水(ただし海に垂れ流し)が完成する。
 一方で彼らは、清浄な上水を供給しろという要求も行い、神奈川県は多摩川から二ヶ領用水経由で木製の樋で通水したものの使い物にならず、再び抗議を受けて明治20年、相模川上流から鉄管による近代水道が完成する。
 このあたり、純粋に首都の衛生対策のために下水整備した東京とは対照的に「外圧でしぶしぶやらされた」感が滲み出ていて涙ぐましい。
 そのためかどうか分からないが、横浜に下水処理場まで完備した現代式下水道ができるのは昭和37年で、スタートの早さに比してかなり遅い。横浜がここまで遅れたのは関東大震災で被害を受けた影響もあるが、同じく外国人居留地を抱えた神戸(昭和33年)と長崎(昭和36年)も遅い。
 
 いっぽう、下水処理場の設置が早いのは、東京(大正11年)、名古屋(昭和5年)、京都(昭和9年)、豊橋(昭和10年)、岐阜(昭和12年)、大阪(昭和15年)である。
 東京は首都だから、京都は東京遷都以後近代化に努めていたから、名古屋も大都市だからというようなことだろうと思うが、ここで不思議なのは豊橋と岐阜の早さである。大阪よりも早い。特に豊橋の早さはかなり唐突である。豊橋の人には失礼になるが、豊橋程度の規模の都市に下水処理場が早くできたというのは違和感がある。
 
 これらの都市で下水処理場のできた年と、当時のおおよその人口を並べてみる。
  東京市  大正11年 217万人(※)
  名古屋市 昭和5年  90万人
  京都市  昭和9年  108万人
  豊橋市  昭和10年  14万人
  岐阜市  昭和12年  13万人
  大阪市  昭和15年  325万人
  横浜市  昭和37年  138万人
 
 下水処理場は大量の汚水を集中的に処理しようとする施設である。だから人口が多く、人口密度が高くないと成立しない。この表では人口密度は分からないが、人口がある程度多くなると下水処理場を作り出すことが分かる。 最初の東京市は200万人を超えるまで下水処理場を作らなかったので遅い感じだが、これは後述するように下水処理場というものの発明がそもそも遅かったのと、予算不足で建設が後回しになったためである。
 大阪も遅いが、これは市街地が低湿地に向かって急拡大したので、その排水対策に追われていたためとされている。ちなみに大阪よりも出遅れると横浜のように戦後に後回しになる。
 京都が大阪よりも早いのは近代インフラに敏感に飛びついた京都らしいといえるが、その京都よりも早い名古屋の存在が妙に気になる。そして問題は豊橋である。人口10万人台で下水処理場建設に踏み切ったこの早さは異常といえる。

 野田処理場
 現役で活躍する豊橋市の野田下水処理場
 野田処理場看板  

 豊橋市下水道局のホームページはかなり充実しているので前から気にはなっていたが、そのホームページによるとこういうことのようである。

 ・豊橋では大正時代、製糸業が盛んであった。
 ・しかし昭和4年、世界不況によって生糸相場が暴落して製糸業が大打撃を受けて失業者が多く出た。
 ・一方、豊橋は水はけが悪かったので、不衛生で伝染病の発生に悩んできた。
 ・そこで昭和7年、当時の市長の丸茂藤平が失業対策事業として下水道工事を進めた。
 ・この工事で昭和10年、当時東洋一といわれる下水処理場ができた。
 ・下水道工事は昭和12年に完成する予定だったが、昭和10年に完成した。
 
 
 つまり主力の製糸業が落ち込んだので失業対策の公共事業として取り組んだら意外に早く下水道ができたということらしい。しかしこれだけではどうも腑に落ちない。
 当時製糸業が盛んで水はけの悪い土地はいくらでもあったはずである。
 例えば横浜は生糸の輸出港であったし、北関東にも製糸業が盛んで水はけの悪い都市はいくらでもあったが下水処理場はできなかった。当の豊橋にしても実際に行ってみるとそれほど水はけが悪い地形に見えない。豊橋にはもっと特別な事情があるのではないか。そこで別の資料をあたると次のようなことがわかった。

 ・失業対策事業には国から補助金が出た。
 ・丸茂藤平市長は警察官僚出身で関東大震災復興事業で下水道建設にあたったことがあるのでそのときのスタッフを招いてノウハウを丸ごと利用した。
 ・下水道工事が2年早く終わったのは、昭和6年に満州事変、昭和7年に上海事変が起こったためであった。
 ・それはこういう仕組みである:戦時体制に入る→資金を得るために国債が大量発行される→お金が多く出回る→物価が上がる→工事用の資材も値上がりしてきた→工事を急いだ。
 ・さらにこういう事情もあった:戦時体制に入る→財源確保のために公共事業費が抑制される→のんびり工事していると補助金がもらえなくなる→前倒しで工事を急ぐ必要がある。
 ・このため、丸茂市長は結構強引に工事を急いだ。
 ・その後日本は、市長の読み通り公共事業を急速に尻すぼみさせていった。
 

 つまり豊橋に下水道が早くできたのは、
 ①恐慌の影響を受けやすい製糸業の都市であったという産業的要因に加えて、
 ②公共事業の仕組みを知り尽くして、なおかつ強気な丸茂市長のキャラクター
に負うところが大きかったように見える。
 
 ところで豊橋はその後の終戦直後も、地元の資金拠出で国鉄の駅舎を作るという「民衆駅」を全国で初めて建設したり、平成10年に市内の路面電車を駅前まで延伸してその後の路面電車ブームの先駆けになっている。どうも豊橋は新しい都市インフラに的確に飛びつく嗅覚を持っているらしく、それが①②と相乗的に働いたということも考えられる。
 
 さて、しかしそれならば名古屋と岐阜の早さは何なのか。岐阜も異常だが大阪と京都を差し置いた名古屋もあやしい。
 岐阜も名古屋も繊維産業が集積していたので事情は豊橋と似ているが、そう都合よく豪腕な官僚市長がいたとも思えない。他に理由がありそうだが、愛知県あたりの下水道史を見てもそれはわからない。「低湿地で排水対策に悩んでいた」「河川の汚濁に悩んでいた」という決まり文句が出てくるだけである。なので日本全体で比較することにした。すると面白いことが分かった。
「34 豊橋の下水処理場はなぜ全国4番目なのか(後編)」につづく)


(参考文献)
※大正9年国勢調査結果による。なお、東京市の人口は当時の15区(大田区、世田谷区などが含まれない)にあたる区域の人口の合計である。(出典は独立行政法人統計センターのホームページ)現在の23区の区域で集計すると370万人となる(出典は東京都ホームページ)。京都市ホームページも分かりやすい。

『横浜下水道史』 横浜市下水道局 平成5年(横浜市立鶴見図書館などで閲覧可能)
『横浜水道関係資料集』一八六二~九七  昭和62年 横浜開港資料館 同館で購入可能。地下の資料室で閲覧も可能。
『豊橋市史 第四巻』 豊橋市史編集委員会・編 昭和62年(関東の人でも東京都立中央図書館で閲覧可能だが、出版年にこだわらなければ他の図書館でも所蔵している可能性が高い)

(おすすめ)
エコチャリ 豊橋駅前大通店(レンタサイクルもしてくれる自転車店) 
野田下水処理場は交通の不便な場所にあるが、レンタサイクルを使うとスイスイたどり着ける。また、豊橋から渥美半島に向けて走る豊橋鉄道は土日はプラス100円で自転車持ち込み可なので、両方駆使すると豊橋をかなり安く効率的に制覇できる。なお、この自転車店は暗渠の上に建つビルに入居するという絶妙なロケーションにある。

34 豊橋の下水処理場はなぜ全国4番目なのか(後編)

土管壁 愛知県常滑市内
33 豊橋の下水処理場はなぜ全国4番目なのか(前編)から続く)


 明治初期、日本で一番下水道が整っていたのは大阪であった。
 豊臣秀吉の時代から下水を流す暗渠がそれなりに作られていたからである。
 そこに外国人居留地を背景にした横浜、神戸、首都整備を背景にした東京が参入する。
 
 さて、ここで「下水道」と呼んでいるのは生活排水を流すための側溝や暗渠程度のものである。
 私たちは下水道というと「汚水と雨水に分かれて下水処理場までつながる排水網」と考えがちだが、ここに落とし穴がある。下水道は上水道と違って、要求される機能が時代によってめまぐるしく変わるところに特徴がある。下水処理場のパンフレットはこの点に触れてくれないが、この特徴をつかまないと謎が解けないのでまとめてみる。

 ステップ0 下水道を真剣に考えなくてよい段階(西洋人がコレラなどの伝染病を持ち込む前の日本はそれほど排水の衛生を考えなくてよかった)
 ステップ1 「下水道は、伝染病予防のために、生活排水を土に浸み込ませずにすばやく流す設備である」という段階
 ステップ2 「下水道は、浸水被害を防止するために、生活排水と雨水をすばやく流すための設備である」という段階
 ステップ3 「下水道は、水洗便所を可能にするために、下水処理場で汚水を浄化するための設備である」という段階
 ステップ4 「下水道は、川と海の水質を改善するために、高度な処理を行うための施設である」という段階 


 現代人はステップ4の感覚で下水道を捉えている。下水道がなくても水洗便所は可能だが、単独浄化槽や合流式下水道では川が汚れるので分流式で高度処理の下水道があったほうがいい、という感覚である。でも明治時代はステップ1だった。

 ステップ1の先頭集団は、上に記した大阪、横浜、神戸、東京である。
 ステップ2の時代になると大阪と東京が抜きん出るようになるが、なかなか進まない。原因は、費用がかかりすぎることと、明治22年の「東京市下水設計第一報告書」で、同じく費用のかかる上水道整備の優先が決定し、下水道が後回しにされたからである。上水道の方が伝染病対策としては即効性があるから仕方ないことではあった。

 ここでいきなり脇道に逸れるが、この報告書を策定したメンバーには内務省衛生局の官僚としてロンドン万国衛生博覧会を視察した永井久一郎がいる。当時下水道に関わった官僚は下水道一筋に奉職していくのに対し、永井久一郎はそのようなこだわりがなかったのか、文部省、日本郵船と転じて、最終的に趣味の漢詩に打ち込んでしまう。このことと彼の息子が荷風であることを併せて考えると「やはり」と思う。永井久一郎は名古屋の出身であった。

 さて、大正時代になると都市計画法という法律ができ、これが下水道に光明をもたらす。
 ある都市が「都市計画法で整備すべき都市」として認定されると、下水道を作った時に下水料金を徴収できることになったからである。こうすると費用の問題が少し解決する。そしてこの時期にイギリスで発明された下水処理法が日本に伝わり、ステップ3の時代になるが、ちょうど運悪く関東大震災が起き、東京や横浜は復旧作業に追われていく。
 
 ここで名古屋が彗星のごとく登場する。
 
 試行錯誤した東京や大阪と違い、名古屋の下水道は満を持して都市計画法を活用して行われた。
 岐阜と豊橋も同じである。都市計画法と、折からの不況対策として始まった失業対策事業を駆使して電光石火で下水道を整備してしまった。この3都市が全国の他の都市と違うのは、他の都市がステップ2の設備(下水幹線)しか作らなかったのに対し、ステップ3の設備(下水処理場)まで作ってしまったことである。

 しかもその処理方法には最新式の処理方法が採用された。
 大正11年に完成した東京の三河島処理場は「散水ろ床法」(砕石を充填した層に汚水を撒き、砕石表面の微生物に分解させる)という旧式の処理法であったが、イギリスのマンチェスターでは「活性汚泥法」(汚水に空気を吹き込み、微生物に分解させる)という新方式が大正2年に開発されていた。
 名古屋は後発のメリットを生かしてこれをいち早く導入した上に、一気に3箇所も作ってしまった。岐阜、豊橋もこれに倣う。
 
 この間、例えば横浜市と八王子市はともに失業対策として下水道工事を実施したが、下水処理場の建設まではしなかった。もちろん濃尾平野に低湿地が多くて水はけが悪かったという事情もあるが、最新式の下水処理場まで作ってしまったのはやはり彼らの合理性というものであったと思う。下水処理場を「都市計画に内蔵すべき装置」として捉える思考があったのだと思う。特に豊橋市長の丸茂藤平は最初からこのあたりのことがよく見えていたであろう。
 
 と、このようなことは下水道史などを読むと大体分かる。
 しかし下水道史はたいてい下水道局の人が書いているので当然下水道賛美になる。
 「本当は浄化槽でもよかったかもしれないですけどね」とは書かない。これでは気持ち悪いので別な角度から珍説を仕立て上げてみた。名づけて「名古屋便器都市説」。この説は『水洗トイレの産業史』という本を読んでいて浮上した。
 
 この本によれば、日本の便器メーカーはシェアの高い順に、TOTO(旧社名:東洋陶器)、LIXIL(旧社名:伊奈製陶、ブランド名・INAX)、ジャニス工業(旧社名・西浦製陶)、アサヒ衛陶で、この4社で98%を占める(平成17年現在)。
 
 TOTOは北九州市の企業であるが、もともと日本陶器というメーカーの衛生陶器製造部門の会社として設立された。日本陶器は名古屋駅近くの則武という場所で輸出用食器を作っていたメーカーで「NORITAKE」ブランドとして有名であった。これが衛生陶器部門にも進出し、結果的に北九州に東洋陶器を設立する。
 北九州に設立したのは、いい陶土があること、筑豊の石炭を使えること、販売先として有力だった東アジア諸国に近かったこと、とされる。
 では母体の日本陶器はなぜ名古屋で陶器を作っていたかというと、瀬戸・多治見などの陶磁器メーカーの輸出基地が名古屋にあったからである。
 瀬戸、多治見は豊富な陶土を背景とする陶磁器産業の都市であるが、明治以降は欧米への輸出に力を入れたので輸送に便利な名古屋港と名古屋駅周辺が拠点になった。名古屋港からの堀川運河と東海道線が交差するあたりが則武である。つまり強引に結びつけると東洋陶器は瀬戸や多治見の陶磁器産業をルーツに持つ便器メーカーといえる。
 
 2番目のシェアを持つのはLIXILである。
 この会社の前身の伊奈製陶は愛知県常滑市、伊勢湾に延びる知多半島西岸の窯元伊奈家をルーツとしている。常滑は良質の陶土が出ることを利用した陶器の製造で古くから知られている。伊奈製陶はもともと日本陶器の支援を受けて陶管の製造からタイル製造を始め、トイレのタイルを一体施工できることを強みに便器分野を伸ばし、今ではアルミサッシメーカーと流し台メーカーと門扉メーカーと合併して現社名になっている。
 
 3番目のジャニス製陶も常滑市の企業で、陶管と便器を製造していた。この会社の設立には伊奈製陶がかかわっているという。
 残るアサヒ衛陶は大阪のメーカーで、江戸時代の「摂州瓦屋庄兵衛」という瓦製造業者で、赤煉瓦、土管の製造を経て便器に進出した。

 こうしてみると、日本の便器メーカートップ3のルーツをたどっていくと瀬戸・多治見・常滑の陶磁器産業に行き着くことになる。
 その帰結として名古屋には便器メーカーが集積することになる。これらの便器メーカーは水洗便器を製造していたから、そのことが名古屋の水洗便所普及の加速装置として働いたのではないだろうか。
 自動車メーカーが集積している名古屋で道路インフラが東京や大阪よりもずば抜けて整備されているところを見れば、「便器産業が下水道整備を促進する」という関係もありうるのではないか、私はそう考えた。

 もっとも、便器産業が発達してもそれが浄化槽産業と結びついた場合、下水道の進展にはあまり結びつかない。 便器メーカーとしては便器が売れればいいのであって、時間のかかる下水道を待つよりも手っ取り早くできる浄化槽で水洗便器が売れればその方がよい。有力な浄化槽メーカーが集積した戦前の大阪がこれにあたるように思うが、名古屋がそうならなかったのは、浄化槽メーカーがそれほど集積していなかったことによるのではないかと思う。こういったことが名古屋、岐阜、豊橋の下水処理場建設に影響を及ぼしたのではないだろうか。うーん、そうに違いない。
 
 と言いたいところであるが、この説には問題があった。
 
 この説では「ではなぜ常滑や瀬戸は下水道普及率が低いのか」が説明できない。瀬戸は名古屋便器産業のルーツ、常滑は伊奈製陶と西浦製陶のお膝元である。しかし瀬戸市に下水道ができたのは昭和45年、常滑市に至っては平成13年とかなり遅い。常滑市民は市内で大量の便器を製造していながら、なぜ下水道を欲しなかったのであろうか。これはいくら考えてもわからない。したがって常滑の人に聞くしかない。
 
 名鉄常滑線で常滑に近づくと巨大なLIXIL(INAX)の工場が現れる。
 この街にはINAXライブミュージアムという施設があり、歴代の便器が展示してあるという。ここで尋ねれば分かるに違いない。
 ところが残念なことに、このミュージアムは世界のタイルの展示室やおしゃれな陶芸工房を併設するという上品で洗練された施設で、館内のスタッフも上品な女性しかいなかったので、便器の話は切り出せなかった。しかし考えてみれば、現代の便器メーカーは、便器が排泄と下水処理の途中にあるという現実を忘れさせるために工夫を凝らしているのであるからこれは仕方がないことといえる。
 そこで作戦を変えて「とこなめ陶の森資料館」(旧常滑市民俗資料館)に向かうことにする。

 常滑市のドブ川は39.8%という低い下水道普及率のわりにそれほど汚れていない。河床には泥が堆積しているもののこれは干潟の泥に似たものであって、ヘドロ臭はそれほど感じない。
 ただし他の街のドブ川と決定的に違うのは、川底に陶器や陶管(いわゆる土管)のかけらが無数に落ちていることであった。こんなドブ川は初めて見た。
 そして見回して分かったのはこの街は便器メーカーの街である以上に陶管メーカーの街だということであった。街のあちこちに窯の煙突があり、石垣やブロック塀にすべきところに陶管が使われている。庭には使わなくなった陶管が転がっている。

常滑の川底 常滑市内の川(陶器の破片がちりばめられている)
常滑の川底2 陶管もある
常滑駅前の川 常滑駅前の川は若干「古典派ドブ川」である


 しかし陶管というものはまさに下水道に使われる資材である。これほどまでに陶管と運命をともにした街であれば、なおさら下水道普及率が低い理由がわからない。と頭をひねっているうちに資料館に着いたので訊く。どうして常滑は下水道普及率が低かったのですか?

 「下水道というものは、やはり都市部から普及していくわけです」
 この資料館の学芸員はすばらしいことに私のギモンを完全解消してくれた。まとめるとこうである。

 ・常滑の便器や陶管は全国に出荷する商品であって、自分たちが使うために作ったものではなかった。
 ・そもそも常滑の陶管は横浜の新居留地の下水整備に伴って確立した経緯がある。
 ・常滑の陶管は名古屋の下水管にも使われた。
 ・しかし常滑の街は規模が小さく、古くて街路が入り組み、アップダウンが激しいので下水道敷設が難しかった。
 ・とはいうものの下水道がなくても浄化槽を使えば水洗便所が実現できた。


 なんと奇遇なことに常滑の陶管は横浜の下水管に使うためにイギリス人技師の発注で生み出されたものなのであった。資料館の展示パネルには、常滑製陶管が明治のはじめから東京や横浜に出荷されていたこと、常滑港の改良と、名鉄常滑線の開通によって出荷が飛躍的に延びたことが書かれている。
 たしかに農産物と違って工業製品は換金用商品としての性格が強く出る。秩父の人がセメントばかり使うわけではないし、富山の人が薬ばかり飲むわけではない。
 常滑の人も販売するためだけに陶管と便器を作り続けたのであろう。
 とはいうものの、これらの産地が近くにあるという事実は名古屋、岐阜、豊橋といった周辺都市の下水道には少なからず影響したのではないか、冷やしとろろきしめんを食べながら私はそう結論付けた。
 
 帰りがてら、私はINAXの便器がどこに使われているか調べてみた。常滑便器の影響力がどこまで及んでいるのかを知りたかったからである。INAXミュージアムのトイレには当然同社の最新型が、とこなめ陶の森資料館には旧型のINAマーク便器が、名鉄常滑駅のトイレもINAX、さらに名鉄名古屋駅もINAXであったが、JRの700系新幹線の車内小便器はTOTO製であった。


(参考文献など)
とこなめ陶の森資料館(愛知県常滑市)常滑発展のルーツはこの資料館に秘められている。
INAXライブミュージアム(愛知県常滑市)ドブの調査を目的にするのでなければ、建築陶器や古い窯などがセンスよく展示されたすばらしい博物館である。

水洗トイレの産業史 -20世紀日本の見えざるイノベーション-』名古屋大学出版会 平成20年 トイレの話はとかく雑学ネタ的に取り扱われやすいが、この本は水洗トイレを給水、便器、浄化槽、下水道の産業の複合体として捉えた労作である。
『横浜下水道史』 横浜市下水道局 平成5年(横浜市立鶴見図書館などで閲覧可能)
『横浜水道関係資料集』一八六二~九七 横浜開港資料館 昭和62年(同館で購入・閲覧可能)
『豊橋市史 第四巻』 豊橋市史編集委員会・編 昭和62年
『愛知県下水道史』 (財)愛知水と緑の公社
『日本下水道史 行財政編』 (社)日本下水道協会 昭和61年
『日本下水道史 総集編』 (社)日本下水道協会 平成元年
図説 永井荷風 (ふくろうの本/日本の文化)』 川本三郎 湯川説子 平成17年 河出書房新社

名古屋鉄道 名鉄名古屋駅からタイルの美しい常滑駅までは名鉄常滑線特急で30分。

(行けなかったが見てみたい)
知多半島の鉄道 常滑線開通100年展(知多市歴史民族博物館) 平成24年9月2日まで
いまは空港アクセス、昔は陶管輸送の常滑線。便器は運んでいなかったのか?

50 泳げる霞ヶ浦

  5823 霞ヶ浦(茨城県土浦市)

 茨城県は排水に関する規制が非常に厳しいところである。
 これはラーメン排水について調べた時に気が付いた。
 全国一律の水質汚濁防止法に加えて、霞ヶ浦水質保全条例というものが制定されて、より厳しい排水基準を守らないといけないようになっている。この条例は水質汚濁防止法の上乗せ規制から始まって、家畜の糞の処理、高度処理浄化槽の義務化に至るまで異例の厳しさで排水規制をしている。
 
 関東各県は東京湾という汚れやすい湾があるので全般的に水質規制が厳しいが、東京湾に面していない茨城県が厳しいのは条例の名が示すとおり霞ヶ浦があるからと察せられる。
 霞ヶ浦は湖というよりは巨大な沼で、面積は全国第2位であるものの、平均水深は4mしかない。
 その昔、埼玉県の荒川流域から千葉県の印旛沼にかけての低地は海の底であったが、地球が寒冷化すると氷河ができて海岸線が後退して陸地になり、少し低い場所は湖沼になった。そのためにこのエリアは牛久沼や手賀沼などの浅く大きな沼が多い。
 霞ヶ浦もその一つで、平地の中小河川から流れてきた水が霞ヶ浦という浅い水溜りに流れ込んで、余った水が利根川の下流部に吐き出される。この流れ出すサイクルがかなりゆっくりであることから、底に泥が溜まりやすく、澱んでいるうちに水質が悪化する。

 と、このようなことは1970年代から指摘されていたそうであるが、それにしても茨城県の水質対策に対する執念は相当なものがある。毎年「霞ヶ浦水質浄化ポスターコンクール」が開催され、研究者によって水質浄化対策が研究され、それを習得するための環境学習プログラムが多数ある。しかもその内容が充実している。

 恥ずかしながら私はその理由がよく分からなかった。
 「霞ヶ浦をきれいにしよう」という熱意は感じるのだが、「何がどうまずいのか」がよく分からなかった。
 あまりに長年議論されすぎていまさらそんな初歩的なギモンを発せられないような雰囲気でもある。なぜ霞ヶ浦ではこれほど熱心に水質浄化対策するのか。霞ヶ浦はそれほどまでに汚いのか?

  role principale 主役を明示している看板
 
 調べると、霞ヶ浦の水質はCOD(化学的酸素要求量)平均値で8.1mg/L程度。湖沼なのでBOD(生物化学的酸素要求量)ではなくCODで表される。
 これがどのくらいの汚れなのかピンとこないので、環境省のホームページで他の湖や海と比較してみる(データは平成23年度)。

  支笏湖(北海道) 1.0mg/L
  中禅寺湖(栃木県) 1.2mg/L
  小河内貯水池(東京都) 1.6mg/L
  河口湖(山梨県) 2.7mg
  琵琶湖南部(滋賀県) 3.3mg/L
  諏訪湖(長野県) 4.0mg/L
  尾瀬沼(福島・群馬) 4.7mg/L
  児島湖(岡山県) 7.6mg/L
  霞ヶ浦(茨城県) 8.1mg/L
  印旛沼(茨城県) 11.0mg/L
  東京湾(東京・神奈川・千葉) 2.7mg/L
  大阪湾(大阪・兵庫・和歌山)) 2.5mg/L
 
 これは汚い。私の不見識であった。水質対策に力が入るのも分かる。
 しかしそんなに汚いのなら実際に見てみたい。どんなドブ川が流入しているのかも見てみたい。
 まことに不届きな動機ながら私は、霞ヶ浦西端の市街地、土浦市に行ってみた。12月のことであった。冬は水がきれいな時期なのであまり適してはいないが、とりあえず行ってみた。まず土浦市街を貫通して霞ヶ浦に注ぐ桜川という川に行く。ところが。

 水はきれいではないが、汚いというほどではない。他のもっと小さな川や工業団地の川も見たが汚くはない。
 次に湖岸をめぐってみると、浮遊物がちらほらするがやはり汚くはない。湖岸に下りて間近に見ても汚いとは思わないし、くさくもない。湖の堤の背後は農村になっていて、のどかな水郷のような風景になっている。草むらの水路に鉄酸化細菌がオレンジ色の堆積物を作っている。水郷の川は生活排水が流入して汚れている場所もあるが、全般的には「こんなものだろう」という感じである。下水処理場もちゃんとある。

5825 汚れているといってもこの程度である
5824 背後地の水郷

 それほど神経質になる必要があるのだろうかと思う。このような経験は印旛沼や手賀沼でもしたことがあって、データ的には悪くても、見た目としては決して「腐臭放つ汚濁湖沼」という感じではない。
 そんなことを思いつつさらに湖岸を巡って、私はようやく理解した。浄水場があったのである。

 この浄水場は霞ヶ浦から取水している。この浄水場は土浦市やつくば市の排水が流れ込んだ水を原水にせざるを得ない。これは厳しい。
 川がきれいかどうか、下水がきちんと浄化されているかどうかを判断する場合、だいたいBODで5mg/Lを下回れるかどうかがポイントになると思う。5mg/L未満ならコイやフナが棲めるからである。
 しかし水道原水の基準は違う。原水のBODがだいたい0.5mg/Lくらいなら「おいしい水」、1.0mg/Lくらいなら普通の水、1.5mg/Lを超えるとまずくなって高度処理をするようになり、5mg/Lだと工業用水にしかならない。多摩川や荒川などの「流れる河川」でさえやっと2mg/L未満を維持しているというレベルなのだから、流れない霞ヶ浦でこのレベルを維持するのはかなり厳しいであろう。CODが8.1mg/LならBODが2mg/Lを下回るのは難しい。それゆえの厳しい条例なのであった。 

 霞ヶ浦で問題にされているのは、CODで表される有機物の多さよりも窒素(N)やリン(P)の多さである。
 窒素はし尿や肥料、リンは旧式の合成洗剤や農地、森林などが発生源である。窒素とリンは植物プランクトンの栄養分になるので、これが多いと植物プランクトン、特にアオコという藍藻が増殖する。
 アオコは夏場に水面で増殖し、水面に抹茶色のペンキを流したような光景を作る。アオコの発生は望ましくないものとされ、霞ヶ浦の目標もアオコの抑止が最優先になっている。ただし、なぜアオコが発生するとまずいのかについてはあまりよく解説されていない。
 
 行政機関が住民向けに発しているメッセージは、
「アオコの発生を防止しよう」と、
「その原因になる生活排水の浄化に努めよう」
の二つで、アオコの何がまずいのかについてはほとんど触れられていない。私の認識も「アオコ=よくない」くらいのもので、詳しくは知らない。
 例によってよく知らないのに「よくない」と思っていたのであった。そこで調べてみた。参考にしたのはアオコ抑止に成功した諏訪湖の研究書である。

 アオコは3つの点でまずいらしい。
 
  ①かびくさい
  ②水面上に浮かんで拡がるので見た目が悪い
  ③毒素がある

 
 は我慢ならないことではあるが、命にかかわる問題ではない。問題はである。
 アオコの毒素は「ミクロキスティン」というもので、化学式はC49741012
 よくこんな複雑なものが自然界で作られるものである。重量あたりの毒性はフグ毒の5.7倍、ダイオキシンの83.3倍。これだけ見ると恐ろしげであるが、把握されている被害は少なく、多くは飲み水や遊泳した際に飲んだ湖水に含まれるアオコ毒素による頭痛、吐き気、下痢などである。触っても大丈夫だが飲むとよくないもののようである。
 
 つまり霞ヶ浦の問題はこのような水を水道原水に使わざるを得ないがゆえの悩みであることが分かる。茨城県は那珂川や鬼怒川からも取水しているが、土浦などの県南部の水道はかなり霞ヶ浦に依存している。霞ヶ浦の問題は水道水源の問題なのであった。
 問題がアオコということであれば夏の霞ヶ浦を見なければならない。私は7ヶ月待って平成25年7月15日、再び霞ヶ浦を訪れた。この日は「泳げる霞ヶ浦市民フェスティバル」というイベントが土浦港で開かれる日であった。イベントタイトルから察するに霞ヶ浦は泳げる状況ではないらしい。

5827 第18回である
 
 この日の霞ヶ浦はアオコは発生していなかったが、霞ヶ浦対策に関わる人がいろいろなブースに総結集していて、霞ヶ浦のギモンを一気に片付けるには実に好都合なイベントであった。判ったことは次のとおり。

・アオコが問題なのは、毒素を含むがゆえに捕食してくれる魚がおらず、増殖が止められないことである。
・アオコをオゾンで分解する装置も設置しているが、分解されたアオコは底に沈んでただでさえ浅い霞ヶ浦をさらに浅くしてしまう。
・ただし浄水場の取水口はアオコのいる表層部よりかなり下にあるので、アオコの害をまともに受けているわけではない。
・浄水場はオゾン処理や活性炭処理などの高度処理を行っている。
・下水処理場も、窒素やリンまで取り除く高度処理を行っている。

・行政は、流域に多く残っている単独浄化槽を合併浄化槽に取り替えていく事業もしているが、この時に窒素、リンも除ける高度処理型の浄化槽を設置するのがこの地域の基本形である。
・霞ヶ浦は山奥のダム湖と違って豊富な清流を期待できないので、水質面でかなり不利である。
・周辺はハスの産地で、ハスの栽培で出る窒素分の高い排水も汚濁要因ではあるが、霞ヶ浦の場合は生活のすべてが汚濁に関わってしまうので、一つの要因だけを解決すれば何とかなるという構造ではない。
・水質データは一進一退だが、昔よりは改善されていると言う人もいる。


 土浦港からは遊覧船が出ているのでそれに乗ってみる。
 船は緑色の水泡を掻き上げながら進む。さすがに大きな湖である。この湖が茨城県が独自に使える巨大な水源であることを考えると、水質に難があるからといって簡単に放棄できるものではないなと思う。むしろこの湖のおかげで、排水の良し悪しが飲み水に還ってくるというシビアさを私たちは感じることができる。私たちはもっと大切に水を使わなければならないと思った。
 
  5828 
  5829 

 私は「全日本水の作文コンクール」風に神妙になった。しかしすぐにもっと刺激的なギモンが浮かんできてしまった。それはアオコのことである。
 アオコが増殖するのはその毒性ゆえに捕食する生物がいないからだという。
 それならアオコは食物連鎖の中でどのようなポジションを占めているのか。捕食されない生物にどのような意味があるのだろう?意味などないように見えても、その生物は意識していなくても、次に繁栄する生物のための何らかのステップを築いているはずである。例えば人類は捕食されないが、長年掛けて地中に閉じ込められた石油やメタンガスや放射性物質を好んでほじくりだし、太古の過酷な地球環境に戻すという特異な役割を担っている。アオコはどうか。
 
 このことを考えていて思い出したのは、以前小田原の「生命の星・地球博物館」で見た、ストロマトライトという藍藻の巨大な化石のことであった。
 ストロマトライトは約30億年以上前から地球上に存在する藍藻で、まだオゾン層がなく紫外線の強い原始地球の海辺にありながら、ぬるぬるした膜で自身を守ることで生存を保っていた。この藍藻は他の生物に捕食されることがなかったので、増殖し続けて光合成で酸素(O2)も出し続け、後年地球にはオゾン層(O)ができることになる。

 他の生物に捕食されないとどうなるかというと、自らの死骸の上に新しい藍藻が成長し、埋もれた死骸は嫌気性細菌の栄養源になる。その結果、ストロマトライトはひたすら成長と死と堆積を続け、高さ数メートルの巨大な岩のような化石になって発掘される。
 アオコという藍藻も、もしかしたらそのような存在なのではないだろうか。捕食されずに増殖し、死んで沈殿して分厚い層を形成しつつも表層で酸素を出し続け、中で嫌気性細菌が活動する場を提供しているのではないか。「アオコが発生するとくさい」というのは嫌気性細菌の活動の発するガスのにおいであろう。
 
 ストロマトライトが原始地球の毒性の強い紫外線ゆえに捕食されずに済んでいた構造を、アオコは毒を自ら産生することで代替的に実現しているのではないか。ストロマトライトは現代でもごく一部の場所で生息しているが、そこは捕食役の貝類が生息できないような場所、つまり塩分濃度が高すぎたり、水温が高すぎたりする場所であるという()。
 
 捕食者が絶対に存在しないような環境を必要とする点で、ストロマトライトとアオコは共通点を持っているといえる。現代の地球はオゾン層に守られて捕食者の高等生物が繁殖してしまったので、ストロマトライトは衰退してしまったが、アオコは毒という武器を手にすることで、ストロマトライトが持っていた優位性を能動的に作り出しているようにさえ見える。しかもアオコの栄養源が、人間-捕食者を持たないもうひとつの生物-の排泄物であるというところが巧妙である。
 霞ヶ浦は、藍藻類の長い命の歴史の中にたゆたう湖であり、人間も彼らの戦略から無縁ではありえないということを示唆しているように見える。

第51章 「アオコのにおい」へつづく
霞ヶ浦のアオコを腐らせてにおいを再現してみた。

(注釈)
このことは生命の星・地球博物館で教えていただいた。この博物館にはボランティアの解説員がいて、分からないことを訊くと解説してくれる。ストロマトライトの展示も、解説されなければ「ただの巨大な石」ぐらいにしか思わないが、解説を聞くと、「そういえば、貝には毒を持つものがいたなあ」とか「こないだ食べたチャンバラ貝についていた歯は、藻を捕食するためのものだったのか」などということも連想できる。ストロマトライトを見るときは磁石を持っていくことをお勧めしたい。

<参考にした書籍>
アオコが消えた諏訪湖 人と生き物のドラマ(山岳科学叢書3) 信州大学山岳科学総合研究所 沖野外輝夫・花里孝幸 編 平成17年 信濃毎日新聞社
 アオコの分析はもちろん、重金属、PCB、ワカサギの増減、下水道建設、観光への影響まで、努めて多角的に解説した良書といえる。

生命40億年全史 リチャード・フォーティ・著 渡辺政隆・訳 平成15年3月 (株)草思社
 40億年の歴史を駆け抜けるだけあって厚い本であるが、私はやはり地球ができて細菌が育ち、大気ができるくらいまでが面白いと感じる。脊椎動物が出現するともう、魚でも鳥でもチンパンジーでも大した差はないなどと思ってしまう。


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51 アオコのにおい

 霞ヶ浦のアオコ 霞ヶ浦(茨城県土浦市)

 第50章『泳げる霞ヶ浦』を読んだ方からコメントをいただいた。
 平成25年の夏も霞ヶ浦にはアオコが発生し、においもひどかったという内容であった。
 
 霞ヶ浦のアオコは以前ほどひどくはないと聞いていたし、私が訪れた7月15日はアオコは見なかったが、おそらく水温の高くなる8月頃にはアオコが発生する日もあったのだろう……。
 そう思って国交省の霞ヶ浦河川事務所のホームページを見た。ここに毎日のアオコ発生状況が載っている。
 
 すると、7月15日にもアオコは大発生していて悪臭がひどかった、とある。しかも6段階あるうちの発生レベルのうち、悪いほうにあたるレベル4で、あろうことか私の訪れた土浦港で発生していたという。私はあの日いったい何を見ていたのか。
 
 私は反省し、平成25年9月29日、再び土浦にやってきた。
 自分の目でアオコを確認したい。9月の終わりならまだ水温は高いからアオコはいるはずである。天気は晴れ、気温25℃、湿度52%、南南東の風、風速2m/sであった。筑波山がくっきりと見えた。
 
 コメントを下さった方の情報では、新川という小河川でアオコが大発生したというので川を遡ってみる。

  アオコ除去装置

 しかしアオコは見えない。川の水は濁っていて決してきれいではないが、アオコはない。アオコ抑制装置が稼動しているのが見えたが、抑制装置が効果を発揮しているのか、アオコは見当たらない。しかし今日は絶対にアオコを見つけ出したい。
 霞ヶ浦に戻って今度は西岸を行く。アシの水辺をよく見る。するとアシの茂みの水面に緑色の塗膜が見えた。
 
  アオコ軍団

 これだ。
 これがアオコというものであるか。
 まさに抹茶色のペンキである。鮮やかだった。
 アオコはペンキを流したように見えるが、よく見ると2mm四方くらいの物体が無数に浮遊している。そのうちの一部は護岸のコンクリートにへばりつき、緑色に染め上げている。
 比重が水より軽いのか、アオコの浮かんだ水を木の枝でかき回すと一時的に沈み、また浮かぶ。枝ですくってみると粘性があり、枝によく付く。例えるとインドカレーくらいの粘り気で、水分は含んでいるが決して水には溶けない。
 コンクリートに擦り付けてるとよく付き、アクリル絵の具のように伸びがよくて鮮やかで不透明である。
 
  アオコ棒

 鼻に近づけてみるとにおいはしない。
 ボトルに入れて振ってにおいを嗅ぐとかすかに青くささを感じるが、それほど強烈なものではない。アオコは悪臭があるという話だが、少なくとも水に浮いている状態では無臭に近い。
 
 このアオコをペットボトルに入れて持ち帰ることにする。
 アオコの浮かぶ湖水に腕を入れると皮膚にもよく付く。水ですぐに洗い流せるが、アオコが付いたところは後で少し痒くなった。「アオコは触っても問題ない」と書いたが、どうやらかゆみが出るもののようである。

  採れたてアオコ
 
 私は、猛毒ミクロキスティンを詰めたボトルをバッグに忍ばせて帰宅し、毎日自宅で観察した。以下は観察記録である。
 なお、ボトルは蓋を閉めて自宅の窓際に置いた。したがって、アオコは自然状態のものより早く酸欠になり、腐敗することになる。

1日目(採取日)
  アオコ1日目 
 ・静置するとアオコの緑の層と透明な水の層がくっきり分離する。
 ・木のくずのような沈殿物がごくわずかに底に溜まっている。
 ・においはわずかに青臭いにおい。強引に例えると「ライチの腐ったにおい」。

2日目~4日目
 ・変化なし

5日目 
 ・振ってみると緑色が均一に広がり、また2層に分かれる。

6日目~8日目
 ・外見上あまり変化なし。
 ・依然鮮やかな緑色を保つ一方、底にこげ茶色の沈殿物が増えてくる。

9日目
 ・よく振って蓋を開けると鼻が曲がるようなにおいがする。
 ・鼻が曲がりながら臭気を分析すると、臭気は①刺激臭、②青臭さ、③腐卵臭で構成されていると思われた。
 ・①はアンモニア、②はアオコのもともとのにおい、③は硫化水素ではないかと思われる。

13日目
  アオコ13日目
 ・①と③のにおいが増強されている。汲み取り便所のにおいに似ている。
 ・アオコは鮮やかさはなくなってくすんだ緑色になっている。
 ・底にはこげ茶色のヘドロ状のものが増えている。
 ・透明だった下部の水が緑色に濁ってきた。

21日目
  アオコ21日目
 ・におい変わらず。
 ・アオコの鮮やかさはくすむ傾向。
 ・ヘドロ状のものはあまり増えないが黒くなる。
 ・水の色の緑色化は加速。

47日目~119日目(写真は119日目)
  アオコ119日目
 ・においは微減傾向。
 ・水は均質に濁り、緑色から黒緑色へと変色。
 ・以降あまり変化なし。

 さて、確かにボトルのアオコは鼻の曲がるようなにおいであったが、果たしてこれが「霞ヶ浦のアオコのにおい」なのか。
 それを知りたければ来夏まで待って現場で嗅げばよいわけであるが、時間がかかりすぎるので書籍で調べることにする。昭和40年代の霞ヶ浦を記録した写真集で、霞ヶ浦沿岸出身の医学博士が出版したものである。ここにアオコのにおいの形容が載っている。

 ・汲み取り便所臭
 ・どぶ臭
 ・鶏卵腐臭
 ・にんにく腐臭
 ・たくあん腐臭
 ・大便臭
 ・汗臭

 ぴったり合っている。ペットボトルアオコはこれらの臭気を混合したようなにおいである。たくあん腐臭とは言い得て妙で、まさにそういうにおいも混じっている。このにおいが湖岸に漂うのか……。
 私は前章で、においの問題は大したことがないようなことを書いていたが改めたい。アオコのにおいは大問題である。
とは言うもののギモンも残る。それは、

「アオコのにおいは確かに激臭だが、そのほかの腐敗物に比べてさして差があるとも思えない」

という点である。においということなら底に大量に溜まっているヘドロだってくさいはず。それなのになぜアオコのにおいだけが問題視されるのか。アオコとヘドロでどのような違いがあるのか。アオコのにおいを嗅ぎながら考えた。
 おそらくこういうことではないか。

 ・確かにヘドロはくさいが、水中に沈んでいるので臭気の拡散は起こりにくい。
 ・一方、アオコは浮かんでいる最中に腐って腐臭を放つ。
 ・まさにこの性質によってアオコは外気に接触しながら腐臭を拡散することが可能になり、ことさら嫌われる要因につながる。


 このことは、第50章『泳げる霞ヶ浦』の時には気が付かなかった。アオコは浮きながら腐るからくさいのであって、沈んでヘドロになる分にはさほどくさくないのではないか。
 そうであれば、次のような発想が出てくることになる。

「アオコが発生してしまったとしても水の中に沈めてしまえばいいのではないか」

 例えば、くさいドブ川というものは、よく見ると水量が少なくて水面上にヘドロが顔を出している。逆に水量が多くて水面下に収まっていれば、水が多少汚くてもさほどにおわない。
 ヘドロの発するガスは大気中(分子同士の結合が緩い)では自由に動けるが、水中(分子同士の結合が堅牢である)では自由な動きを封じられるものと思われる。

 新川で見たアオコ抑制装置は、おそらくこの原理を活用したものであろう。
 この装置は簡単に言うと「水をかき混ぜてアオコが群れるのを防ぎつつ、超音波照射装置でアオコを粉砕して水底に沈める」装置であるが、こうすれば問題の根本的な解決にはならないものの、悪臭問題の解決にはなる。

 霞ヶ浦においてまず我慢ならないのは水質の悪化よりも「外気に触れて腐敗したアオコの悪臭」であろうから、この問題を解決してしまえばひとまず胸を撫で下ろせることになる。こうして時間稼ぎをしつつ地道に水質改善を進める、という霞ヶ浦周辺の戦法が少しずつ分かってきたのであった。
 ただしその戦法は気の遠くなるほど遠大なものであった。そのことは後になって知った。

(追記)
後になって知った結果はこちら。第52章 長距離河川の孤独


(参考文献)
『目で見るふるさと 霞ヶ浦 その歴史と汚濁の現状』 崙書房刊 坂本清著 1976年7月10日
 この写真集は、土浦駅近くの つちうら古書倶楽部で手に入れた。ここは蔵書数がものすごく多い上に質が高いという、驚きの古書店であった。しかも店の脇には、かつて霞ヶ浦と土浦城の堀を結んでいた川の暗渠がある。
 なお、この本は絶版であるが、茨城県霞ヶ浦環境科学センターの資料室で閲覧可能。


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52 長距離河川の孤独

  霞ヶ浦(沖宿) 霞ヶ浦(土浦市沖宿町)
 (第51章 「アオコのにおい」からつづく)

 昭和48年の霞ヶ浦(西浦)のCOD平均値は7.3mg/L。
 平成23年のそれは8.2mg/L。現在のほうが増えている。
 この40年ほどの間、着々と下水道が整備されて下水の浄化処理は進んでいるはず。平成22年度末の霞ヶ浦周辺の汚水処理人口普及率(下水道や集落排水処理施設、合併浄化槽などで生活排水の処理ができている人口の割合)は、
  
  土浦市93.4%
  つくば市87.5%
  かすみがうら市83.3%

である。
 これは決して低い数字ではない。このように処理施設で有機物を分解しているにもかかわらずCODが減らないとはどういうことか。
 これに対する一般的な答えは、こうである。

 ・排水には窒素分(尿などに含まれる)やリン(肥料などに含まれる)が多く含まれる
 →これが水中でプランクトンの栄養分になってプランクトンを増殖させる
 →増殖したプランクトンは有機物であるからCODを引き上げる
 
 
よって、そのような事態を防ぐために、霞ヶ浦周辺では浄化槽を設置する際に、窒素やリンの除去できる高度処理型のものを設置している。しかし問題はもう少し複雑なようである。
 つくば市にある国立環境研究所には湖沼専門の研究セクションがあり、そこが公表する研究成果がもう一つ新しい原因を解明している。抜き書きすると次のとおり。(詳しく知りたい方はリンク先の原典へ)

 ・CODの高さには、「難分解性溶存有機物」が関与している。
 ・難分解性溶存有機物とは、「微生物に分解されにくいが水に溶ける有機物」のことである。
 ・難分解性溶存有機物の主要な排出源の一つは下水処理水である。
 ・難分解性溶存有機物は水道の浄水過程でトリハロメタンの原因物質になるという問題がある。

 
 実際には、水中に難分解性溶存有機物が溶けていても、オゾンで有機物を分解する高価な装置を浄水場に備えれば、安全でおいしい水はできる。しかしどんな形態にしろ有機物が多すぎるというのは、水に余計なものが混じっているということであるし、霞ヶ浦の汚さがCODで評価されてしまう以上、これを下げなければ霞ヶ浦がきれいになったということにはならない。

 おそらくそういうことで、霞ヶ浦近辺では今も水質対策が熱心に行われている。
 霞ヶ浦の浄化対策は、およそ思いつく限りの対策が実行されているのではないかと思うほどバリエーションに富んでいて、「てんぷら油を流しに流さないようにしましょう」や「浄化槽の清掃をこまめにしましょう」から始まって、「アシの群生する水域を作って有機物を吸収させる」とか、「流入する水路でクウシンサイを栽培して有機物を吸収させる」といったものまであり、その創意工夫ぶりには感心してしまう。
 
 しかしその中に、「あまり感心できないがとても興味深い対策」を見つけた。
 それは、「水戸近辺の太平洋に流れ出る那珂川の水の一部をトンネルで霞ヶ浦に流し込む」というものである。
 水戸から石岡を通って土浦まで約40kmのトンネルを掘る。おそらく那珂川の水は霞ヶ浦よりもきれいだから、こうすれば水質の問題が解決しそうである。このトンネルは一部完成している。
 しかしこれは遠大すぎる計画である。お金がかかりすぎる。いくら霞ヶ浦の水質をよくするためとは言っても、そのために長大トンネルを掘るなんて。
 
霞ヶ浦図1

 と思っていたらこの計画は、「見直すべき公共事業」としていろいろと論議を呼んだらしく、「膨大なコストに見合う効果が見込まれるか否か」について論議した経過が国交省のウェブサイト(※1)に載っている。

 この内容が大変不思議なことになっている。何が不思議かというと、討議しているメンバーの構成である。  
 このメンバーには、国交省と茨城県のほか、千葉県と埼玉県と東京都が入っている。
 霞ヶ浦の浄化に一番関係があるのは茨城県であろうからこれは分かる。次に関係があるのは千葉県で、霞ヶ浦は利根川の最下流部に流れ出るから、霞ヶ浦がきれいになれば千葉県の銚子あたりに少しはメリットがあるといえる。
 しかし東京と埼玉には何も関係がない。
 東京の人が霞ヶ浦に遊びに行ったときに快適でいい気持ちになるくらいのものである。しかもこれらの都県はお金まで出しているらしい。ますます不思議である。
 
 各県のリアクションも不思議である。
 まず茨城はこの計画に大賛成。これは分かる。千葉も賛成で、まあこれも分かる。
 しかし埼玉と東京も賛成している。
 霞ヶ浦をきれいにすると埼玉と東京にどんなメリットがあるのか?これらの都県は利根川水系に水道水源を依存する運命共同体だから、茨城の水質対策にも一肌脱ごう、ということなのか?
 
 しかしそんなことはなく、調べると次のようなことが分かった。

 ・このトンネル(「那珂導水路」という)はもともと霞ヶ浦をきれいにするためのものではなく、茨城県北部の那珂川の水を霞ヶ浦に引き込んで、茨城県南部で利用できる水量を増やす(毎秒5200L)ためのものである。
 ・しかしそのためだけならば単に茨城県内南北間で水道管をつなげれば用が足りるはずであり、もう一つ目的がある。
 
 ・実は「那珂導水路」は、「利根導水路」と「北千葉導水路」とセットになった施設である。
 ・「利根導水路」は霞ヶ浦から利根川(河口より約42km地点)へと水を流す水路、「北千葉導水路」は利根川(河口より約76km地点)から千葉県松戸市の江戸川に向かって水を流すトンネル水路で、いずれも完成している。
 ・北千葉導水路が江戸川に流れ込む地点には東京都三郷浄水場と埼玉県新三郷浄水場の取水口が、約8km下流には東京都金町浄水場取水口がある。
 
 ・これらを繋ぐと那珂川の水を東京まで運ぶことができる。
 ・これによって水道などに使える水が増える。その量は東京が1400L/秒、埼玉が940L/秒、千葉が1526L/秒(平成23年現在の計画)。
 ・要するに、もともと那珂川→霞ヶ浦→利根川→江戸川という経路で茨城北部から東京方面へ水を引っ張り込もうというプロジェクトがあり、霞ヶ浦の浄化はその副産物である。

    霞ヶ浦図2
 
 うーんそうだったのか。
 しかしこれはよく分からない計画である。何が分からないかというと、

 ・利根導水路(霞ヶ浦→利根川への水路)が、利根川に放流するのは河口から42km地点(※1)。
 ・しかし北千葉導水路(利根川→江戸川への水路)の取水口は利根川河口76km地点。34kmも上流である。
 ・これでは利根導水路からの水を北千葉導水路は受け取ることができないのではないか?
ということである。
 
 このギモンは調べてもなかなか分からない。例えば国交省の小学生向けパンフレット「北千葉導水路ってなあに?」の説明文はこうである。
「「江戸川の水が足りなくなると、江戸川から飲み水などを取っている流域の人々が困ります。そこで利根川の水を北千葉導水路をつかって江戸川に送り、水不足にならないようにしています」
 言っていることは正しいが、これでは私のギモンは解決しない。下流に放流した水をどうやって上流から取水するのか?
  霞ヶ浦 図3

 そこで別の方向から調べてみた。北千葉導水路に関しては、建設に反対していた人がいて、その人の書籍が北千葉導水路の仕組みを完全解明している。この人は農業用水利権が専門の大学教授なので、摩訶不思議な北千葉導水路の仕組みを分かりやすく解き明かしている。分かったことは次のとおり。

 ・実は利根川河口から18km地点に利根川河口堰(昭和46年完成)という大きな堰があり、そこで水を堰き止めている。この堰がポイントである。
 ・この堰の目的は、「洪水を防いだり、海の塩水が利根川に遡上することを防いで農作物の塩害を防止すること」とされている。
 ・利根川下流部は、河口から76km遡っても海抜は3mほどしか上がらないという緩やかな勾配である。しかもこの区間は浚渫によって川底が掘り下げられている。
 ・よって、海が満潮の時や、利根川の流量が渇水で少ない時にはこの区間に塩水が入り込む。塩水が農業用水路に流れると水田に流れ込んで稲が枯れる。これを防ぐのが河口堰の目的である。

 ・ところで、河口堰の水門で満潮時の海からの塩水を阻止すると、河口から76kmくらいまでが細長い淡水の貯水池のようになる。この水は水道用にも使える。当然これを水道用水、特に東京向けの水道用水に使いたい。
 ・さらに都合がいいことに、これは貯水池のようなものであるから、河口堰(河口から18km地点)で堰き止めた水を反対側(河口から76km地点)で取水するというようなこともできる。この地点に北千葉導水路の取水口はある。
 ・さらに、「貯水池」の真ん中(河口から42km地点)に霞ヶ浦から利根導水路経由で水を流せば、池の端の北千葉導水路取水口(河口から76km地点)でその分を吸い取るということも当然できる。

 ・こうして取水した水を北千葉導水路経由で江戸川に流す。その量は計画では30000L/秒。
 ・つまり那珂川→霞ヶ浦→利根川→江戸川の導水計画は、利根川河口堰という名のダムの存在を前提にしたものである。


 私はダムというものが山の中にあることは知っていたが、まさか河口のあれがダムの一味だとは知らなかった。利根川の中流部には利根大堰というのもあるから、してみると利根川は河口から源流まで川の形をした連続ダムのようなものであると言える(※2)。
  図4
  利根川河口堰    利根川河口堰(右側。左側は霞ヶ浦からの常陸川水門)を上流側から見たところ。この先で両河川は合流する。

 北千葉導水路の話には続きがある。
 北千葉導水路が、闇雲に毎秒30000Lの水を利根川から取水すると利根川が干上がる恐れがある。よって、国交省はこの水をどこから生み出すかをきちんと計算している。
 ・まず、利根川河口堰で今まで以上に正確に水をコントロールして無駄に海に流す水を極力少なくして生み出す水が10000L/秒。
 ・次に、那珂川→那珂導水路→霞ヶ浦→利根導水路→利根川経由で補給する水が4240L/秒。
 ・最後に、中流(埼玉県)の利根大堰で取水していた水を、取水するのをやめて下流の北千葉導水路での取水にシフトする分が15760L/秒。
 ・すると、利根大堰の処理能力に15760L/秒分の余裕が出る。
 ・そこで、群馬県の山中にダムを作って水を貯め、16000L/秒の水資源を開発し(※3)、利根大堰で取水することにする。 
 ・これが八ツ場ダムである。(※4)

図5
 
 このダムもまた「見直すべき公共事業」として平成21年頃にニュースで盛んに取り上げられたが、工事は一旦中止された後、しばらくして再開された。
 このときは群馬(と東京)のニュースだと思って見ていたが、なんと八ツ場ダムは霞ヶ浦の計画とつながっていたのであった。両者は関東地方の北端と東端で東京への水供給拡大プロジェクトの両翼を担っていたけれども、水が余るようになって揃ってその意義が疑われ出したものと見える。
 
 してみると霞ヶ浦の水質の問題は結構重大である。
 仮に霞ヶ浦の水が汚すぎて水道原水に向かないというようなことになると、この遠大なプロジェクトの歯車が狂うことになる。現在でも茨城県は我慢して水道用に使っているが、あえてさらに東京向けに、ということにはしにくくなる。これでは何のために長大なトンネル水路を掘ったのかが分からない。これを回避するためにも霞ヶ浦はなんとしてもきれいにしなければ・・・・・・
 霞ヶ浦の水質対策はそんな切実さをはらんでいるように見える。


(注釈)
※1 ここの距離だけは資料で見つけることができなかったので、川沿いに立っている「海まで△△km」の看板を見て書いた。

※2 ついでに言えば、利根導水路は利根川から水を吸い上げて霞ヶ浦に流すという逆の流し方もできる。これは霞ヶ浦に水をストックしておく機能を持たせたもので、要するに霞ヶ浦もダムのようなものと言える。

※3 ダムがあってもなくても降る雨の量は変わらないから、ダムを作ったことを以って「水資源が開発された」と言うのは違和感があるが、「水資源」とは、「いつでも安定して使える水」(安定水源)のことを指すようである。
 大雨の氾濫で使われずに流れ去ってしまう水は無いのと同じであり、そういう水をダムに貯めておけば、安定して使える「水資源」を「開発」できる、というのがここでの考え方と思われる。
 なお、こうした水資源はダムができる前は「不安定」水源なわけであるが、当たり前のことながら、不安定であっても渇水時以外は水道水源として使える。こういう水を使うことのできる権利を「暫定水利権」というそうである。

※4 これは農業用水利権の研究者の書籍で述べられていたことであったが、こうした計画が実際に実在したのか調べてみると、東京都の「第四次利根川系拡張計画」(昭和47年認可)は以下のようなことが書かれており、この計画を裏付けている。また、若干存在意義があいまいな北千葉導水路の建設経緯もよく分かる。
 ・中流部の利根大堰では、そこから送水する水路の容量がいっぱいで余裕がない。
 ・一方で、建設省(当時)の指導により、「水道原水はなるべく下流の方で取水すべき」とされた。水道事業者は水質のよい上流で取水したがるが、そうすると河川の流量が激減して水質や他の既得水利権者(農業用水など)に影響するからである。
 ・これにより、利根川では、中流の利根大堰で取水するのは、上流域で開発された水に限定することとされた。よって、上流の八ツ場ダムで開発された水は利根大堰で取水してよいが、下流部の水は、新たに北千葉導水路を新設して、そちらから送水すべきこととされた。


(参考にした文献およびウェブサイト)
『利根川の水利』 新沢芽嘉統 岡本雅美 著 岩波書店 昭和60年6月
利根川の下流部の水利権を解説している。農業用水利権の視点から、国土交通省のウェブサイトでは触れてくれないことを明快に解説してくれる。水利権は上水道ユーザー(自治体や厚生労働省)、農業用水ユーザー(農林水産省)、河川ユーザー(国土交通省)でいつも対立するらしく、この3者の言い分を読むと逆に全体像がよく分かる仕組みになっている。

「霞ヶ浦に係る湖沼水質保全計画(第6期)」の4~6ページ(茨城県霞ヶ浦環境科学センターのウェブサイト)
 窒素・リンが霞ヶ浦の水質悪化させている現状を解説している。

「霞ヶ浦の水質は改善されたでしょうか」 (国立環境研究所のウェブサイト)
 難分解性溶存有機物について解説している。

国土交通省関東地方整備局「霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討」のページ
 この検証は現在も進行中である。

「利根川水系河川整備基本方針 利根川水系流域および河川の概要」(国土交通省のウェブサイト)の61ページ 
 霞ヶ浦導水事業の分かりやすい図がある。

東京都第四次利根川系水道拡張多摩水道施設施設拡充事業誌 東京都水道局 平成11年
3月(東京都水道歴史館ライブラリーで閲覧可能)


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57 上流都市

  富士吉田市 宮川(山梨県富士吉田市)

 注文した蕎麦とともに置かれた伝票に、何か説明が書かれている。
 蕎麦をすすりながらこれを読む。以下のようなことが書いてある。

  ①蕎麦は古来より大変縁起のよい食べ物とされています。
  ②栄養にも富んでいます。
  ③当店はこれを恵まれた白河水で調理するので大変おいしい蕎麦ができるのです。

 「恵まれた白河水」って何だ。
 
 この店は京都市街の鴨川より東側にあり、少し離れたところには白川という川がある。
 白川は京都の北東の山から流れてくる小河川であるが、途中で琵琶湖の水を京都市内に導水する琵琶湖疏水という用水路の水が合流するので、流量は安定する。水質もBODで1mg/L前後で、都市河川としては格段にきれいである。疎水が開通した明治の頃はもっと良質であったと思われ、そのまま上水道として使用しても差し支えなかったと察せられる。

 この蕎麦屋は老舗である。開業当初はこの水を使用していたであろう。
 蕎麦の調理では、茹でた蕎麦を水で洗い流すために大量の水を使う。私も自分で蕎麦を茹でるとこの水の多さに閉口するが、これを節約するとうまい蕎麦ができない。
 その点、この蕎麦屋では、白川から良質な水が豊富に供給されるので、蕎麦をたっぷりの水で洗うことができ、うまい蕎麦が出来る。
 蕎麦屋としては水質はもとより水量が確保できることも肝心であるから、伝票の文句の「恵まれた」はこの2つの要素に対しての往時の賛辞を今に紹介したものと言える。同時に、この店の歴史の長さが京都近代水道の変遷と重ねて実感されるという、うまい仕組みの宣伝文句である。(※)
 
 こういう「水の良さ」を称えるフレーズは、蕎麦屋のほかに、日本酒、ビールなどの酒造メーカーを筆頭に、酢、醤油、稲作に至るまで頻繁に目にする。○○盆地は△△山地の雪解け水がしみこんだ豊富な伏流水に恵まれ、××川の清冽な水で育った米を磨きぬかれた地下水を使用してうんうんかんぬん。
 
 これは本当だろうか。
 水の良さというのはそれほどまでに厳格に要求されるべき条件だろうか。本当にその水を使わなければその産品は作れないのであろうか。
 
 もちろん酒造のように、ミネラル分のバランスまで厳しく要求する業種もあろうけれども、この売り文句はある言いにくい事象を裏返した言葉ではないかと思う。すなわち、

 「この製品は、上流の下水が混入した河川水を原水とした水道水を使っていません」
という、本当に私は身も蓋もないことを言っているような気がするが、こう思ったのは群馬県高崎市のファミリーレストランに行ったときのことであった。
 この店は駅ビルの中にあり、何の変哲もないレストランだけれども出された水がうまかった。浄水器を使っているのかもしれないが妙にうまかった。料理が出される間、その理由を考えた。

 高崎市の水道はおそらく利根川水系から取水している。
 この近辺の水は特に名水として名高いわけではないが、高崎市が水道原水に使う水はおそらくおいしい。なぜなら高崎市は関東平野の山際にあり、上流側の市街地の下水があまり混入しない川の水を取水できると考えられるからである。どんな川の水も湧き出す時点では立派にきれいであり、下水さえ混入しなければ使う薬剤も少なくて済み、そこそこうまい水になるはずである。
 
 私はこの説を実証すべく、以後各地の飲食店で食事をする際に供される水をよく味わった。
 山梨県小淵沢市のほうとう店の水はミネラルウォーターのようで、富士吉田市のうどん店のもうまかった。長野県松本市内のホテルの水道水も神奈川県箱根町の公衆便所の洗面台の水もそのまま「おいしい水」として通用した。上流に大都市さえなければ水というものはそこそこうまいものなのだ。

  7201 富士吉田市内の歩道暗渠。中にはきれいな水が勢いよく流れている。

 
 私は自信を深め、今度は静岡県御殿場市に行った。御殿場市の上流には富士山しかないのでかなり期待できる。
 特急ロマンスカーあさぎり3号で御殿場入りした私は、大衆食堂でラーメンを食しつつ水を飲んだ。おいしい。大衆食堂の水でこのレベルとは御殿場おそるべし。
 次に商店街のお茶屋さんに入った。土産に緑茶を買うとお茶を試飲させてくれた。当然おいしい。
 ただし、私は「お茶がおいしいのは御殿場の水がいいからなんですね」ということにしたいのに対し、お茶屋さんのおばさんとしては「お茶がおいしいのは当店の茶葉がいいからなのよ」という点を主張しており、若干の見解の相違がみられた。 そこで意見交換を行い、「このお茶は水の良さと茶葉の良さのハーモニーである」という点で完全合意に達し、これを共同声明とすることとした。
 
 声明を出した私は住宅街を適当に歩いた。御殿場という街は、もうとにかく小さな川がたくさんあり、それぞれに水が勢いよく流れている。
 御殿場市の下水道普及率は平成25年度末で34.6%、集落排水施設や合併浄化槽を含めた「汚水処理人口普及率」でも60%と低いが、河川の水が豊富なのと、傾斜地で流れがよいので古典派ドブ川は見かけない。
 歩いていると川沿いに銭湯を見つけたのでふらふらと入る。湯船に浸かる。この湯があのおいしい水だと思うと気分がいい。石けんで体を洗って流す。
 と、そのとき考えさせられたのである。

 「うーんそういう問題があったか」

 銭湯に限らず御殿場で入浴に使われた湯は、計算上その40%弱が未処理で市内の川に放流される。ここの川は流れ流れて、えーとどこに行くんだっけ。
 家に帰って地図を見ると、御殿場という街は静岡県沼津市に向かって流れる狩野川の支流の黄瀬川と、神奈川県小田原市に向かって流れる酒匂川の支流の鮎沢川との分水嶺にあるのであった。こういう立地の街は珍しい。

 しかし考えてみると、御殿場線という路線がそもそも東海道線の箱根越えを避けるために敷設されたのであり、それでも急になる勾配を上るために助っ人蒸気機関車を付けたり外したりするために御殿場駅を作り、その駅を中心に街が発展したのであるから当然と言える。そういうわけで御殿場駅はちょうど分水嶺のあたりに設置されている。

  gotenba  御殿場のポジション

 
 市内の排水は黄瀬川方面と鮎沢川方面の二手に分かれると考えられるが、黄瀬川に行けば裾野市を経て沼津市へ流れる。この川の水は水道原水としてはほとんど利用されない。裾野や沼津は富士山麓で良質な地下水が豊富だからである。
 問題は鮎沢川に行った場合である。鮎沢川は神奈川県境を越えて酒匂川に合流して小田原市に流れ、ここで大量に取水されて神奈川県内の水道原水として取水される。酒匂川の水は多くは丹沢山地から流れてくるのでこれで希釈されるが、御殿場市の低い汚水処理人口普及率を見ると、ちょっと考えてしまう構造である。今にして思うと、着いてすぐ食べたラーメンの残り汁なども気になる。
 
 しかし御殿場市は地形がいいので古典派ドブ川が発生することもなく、東京都心のように必死に下水道を作る動機は生まれにくい。これはもどかしい構造と言える。今までこの構造に気付かなかったわけではないが、きれいな湯の風呂に入ったら気になってきてしまった。
 これを解決するにはどうしたらいいんだ。余計なお世話であるが一応考えてみた。

 ①下流の都市は、下水道をこれ以上整備するのはやめて、上流の都市の下水道や合併処理浄化槽を集中的に整備する。
 ②下流の都市は、水道水においしさを求めることはやめて、おいしい水を飲みたければミネラルウォーターを買う。
 ③上流都市の下水が浄化されると下流都市の浄水コストが減って水がおいしくなるのなら、上流都市の下水コストを下流都市の水道料金でまかなえばよい。


 は、「そうは言っても都会の川もねえ……」というところだと思う。
 は、現在の実情に近い。
 は、これの変形バージョンがいくつかの県で実施されていて、例えば神奈川県では「水源環境保全税」というものが県民税に上乗せして徴収され、その税収の一部が上流の下水道や高度処理型合併浄化槽の設置に投入されている(※)。 
 
 このうちの仕組みは理屈としてはいいが、上流と下流が同じ県内にないと難しいのではないかと思う。

 例えば東京都でやろうとすると都民税が利根川上流の群馬や栃木に移転することになってしまう。都民税が都県境を越えることに対しては賛否両論ありそうである。埼玉県も荒川水系に関しては源流が県内で収まっているので問題ないが、利根川水系は同じ問題を抱える。
 対して神奈川県はそういう問題の少ない稀有な県で、相模川の上流が山梨に、酒匂川の上流が静岡に飛び出てしまうものの、利根川水系ほどの飛び出し方ではない。もしこの仕組みがうまくいったとすると、私のような思考回路の人間も心置きなく御殿場の湯船で足を伸ばせることになる。

 ……もっともこういうことを考えるのは趣味的にはいいとしても、行き過ぎると例えば温泉旅行は熱海や別府でなくてはならぬということになり、高原のホテルはやめて海水浴にしようなどという発想に発展し、実際にそれが原因で私は家族に嫌われているので、家内平和環境保全的にはそこのところにも注意が必要である。


※本章を書き上げた後にこの蕎麦屋に行ったところ、なんとこの宣伝文は削除されていた。蕎麦屋のおばちゃんに削除の理由を尋ねたところ、「今は白川の水を使うてないからウソになる」ということだった。味があって好きだったのに。

(参考にした文献とウェブサイト)
「日本における森林・水源環境税の経験と課題」 藤田 香 2009年 の表1
酒匂川上流の山北町のホームページ(高度処理型浄化槽設置から水源林の手入れまで対策は多岐に渡っている)

※ 2017.4.23追記 
 平成29年度から神奈川県は驚くべき政策に打って出た。
 いままで水源環境保全税では単独浄化槽を高度処理型合併浄化槽に転換するための補助金を出していたが、それはダムの上流側だけであった。つまり山の方だけ。
 ところが平成29年度からは「取水口の上流側」も補助することになった。
 相模川の取水口は下流の寒川町、酒匂川の取水口はやはり下流の小田原市にあるから、要するに神奈川県の西半分の単独浄化槽を一掃しようということになる。
 たしかにダムの上流がいくらきれいになっても、取水するのは下流だからその間の厚木や海老名の市街地から垂れ流し下水が流れ込めば意味がない。
 しかしこの発想は私にはなかった。いったいどうなるのか神奈川県。ドブ川は完全駆逐されてしまうのか!

 神奈川ドブを全滅させる攻勢に出た同県のキャラ「しずくちゃん」かながわしずくちゃん
 と、彼女の恐るべきたくらみ「第3期かながわ水源環境保全・再生5か年計画」(第2章の8にこっそり載っている)。

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61 中川ウェットランド(前編)

 nakagawa1 中川(総武線橋梁付近)

 東京の東側には川が多い。しかもその位置関係が分かりにくい。
 下町低地西端の秋葉原から東端の市川まで黄色い総武線に乗ると、渡る川は計6本。

 ・両国の手前で、隅田川
 ・次の錦糸町で、横十間川
 ・平井の手前で、旧中川
 ・平井の先で、荒川と中川
 ・小岩の手前で、新中川
 ・小岩の後で、江戸川

 この間14km。私はいつもこれらの川を覚えられない。
 新・旧・本家と3本もある中川の間に荒川が挟まっているところが分かりにくい。しかも中川の上流には「大落古利根川」と「古隅田川」と「元荒川」というものがあり、事態をことさらややこしくしている。全く理解できない。
 これでは困るので、覚え方のコツを編み出した。

 ①まず東京の東には、荒川利根川という二大河川がある。
 ②荒川は下流で隅田川と荒川に分かれる。隅田川は旧荒川で、現在の荒川は洪水対策のために人工的に開削された「荒川放水路」である。
 ③利根川は下流で江戸川と利根川に分かれる。江戸川は旧利根川で、現在の利根川は江戸時代に開削された新流路である。江戸川は河口部で江戸川本流と旧江戸川に分かれる。
 
 ④荒川利根川という二大河川の間に第3の川である中川がある。
 ⑤中川は始めは独立を保っていたが、大正時代にその流路を横切って荒川放水路が開削されたので西側と東側に分断されてしまった。
 ⑥このうち西側部分が「旧中川」、東側部分が本家「中川」となった。
 ⑦東側の本家「中川」は下流部を荒川放水路に分断されてしまったので、代替として荒川放水路と平行する人工河川が東京湾まで開削され、ここを流れる。
 ⑧しかしそれだけでは下町低地の水害を防げないので、京成線青砥駅付近から分流して旧江戸川下流部に放流する人工河川を開削した。これが「新中川」である。

  東京東部河川
  荒川、利根川、江戸川、中川それぞれの下流部に、計5本の人工河川が開削されている。


 まとめると、東京東部の河川は荒川グループ(荒川・隅田川)利根川グループ(利根川・江戸川・旧江戸川)中川グループ(中川・旧中川・新中川)の3つに整理できる。
 これらが分かりにくいのは、②~⑧の改造が加えられて不自然な姿になっているからと思われる。これらの河川は②~⑧以前にも江戸時代に幾度にもわたる流路付け替えが行われているから、今のスタイルは、デルタ地帯をまぜこぜに流れていた川を400年かけて大改造した結果ということになる。
 
 この大改造の目的は、江戸や東京を洪水から守ること、房総半島を経由せずに東北から江戸までの航路を開通させることであったとされているが、もう一つあまり語られない使命を帯びているのではないかと思う。北関東からの川を上水用と排水用に分離するという使命である。
 
 第52章「長距離河川の孤独」で霞ヶ浦の水を東京に送水する北千葉導水路のことを調べていた時のことであった。農業用水利権の研究者が次のようなことを主張している。

 ・北千葉導水路を建設してまで霞ヶ浦の水を東京に送水する必要はない。
 ・なぜなら中川の水を利用すれば東京の水不足は解消できるからである。
 ・中川沿いは水田が多く、夏には利根川から大量取水された農業用水が水田を経て中川に大量排出されるので、渇水時の水源としてぴったりである。
 ・しかし中川は周辺の工場や住宅の排水が流入するという難点があるので積極的には使われない。
 ・利根川にも上流部の高崎や前橋といった都市が利根川の水を使用した後、排水として再び利根川に戻すという構造がある。このことにより水系全体では実際の降水量よりも多くの水を使用できている。
 
 
 これは知らなかった。
 何を知らなかったかというと、

 ①中川が排水専用河川としての使命を担っていることと、
 ②関東でも上流の排水を下流の水道原水として使う水循環がそれなりの規模で存在していること

である(※1)。
 利根川の水を東京の水道水として使う仕組みは、②の循環を内在させている。これは下水処理場と浄水場の浄化機能が完璧ならば、水が有効利用できて理想的であるが、実際には両者はそれほど完璧な処理ができない。
 そこで①の仕組みを作り、「上流の群馬県北部の排水が混入するのはやむを得ないが、群馬県南部と埼玉県の排水は中川ルートでなるべく分離する」という作戦を併用したのではないか。混入する排水の量を大幅に減らし、水道原水として問題にならない程度の量に押さえ込んでいく……
 
 この理論は実践されていて、地図を見ると確認できる。すなわち、

 ・浄水場は荒川、利根川、江戸川沿いにしかなく、
 ・下水処理場はなるべく中川と隅田川沿いに配置し、
 ・荒川、利根川、江戸川の中上流にはなるべく下水処理水を流さない

 という具合である。

  下水放流先イメージ 
  荒川・利根川・江戸川に流す場合は取水口より下流で流す。ただし上流では中川がないのでやむを得ずそれぞれの河川に放流せざるを得ない。

 荒川、利根川、江戸川は水源河川として丁重に扱われているのに引き換え、中川は完全にドブ川扱いである。
 実際に中川の水質は悪く、平成23年度の国土交通省発表の河川水質ランキングを見ると中川はBOD4.0mg/Lでワースト1である。ちなみにワースト2は綾瀬川で、これは中川の支流だからワンツーフィニッシュとなる。BOD4.0mg/Lという値はひどい汚染とは言えないが、並行する江戸川のBODはだいたい1.7mg/Lだから、これに比べればだいぶ汚れている。言い換えると中川を使った荒川・江戸川防衛作戦は成功している。

 こうしてみると中川はある意味「作られたワースト河川」である。
 これは他のワースト河川でもいえる。ワーストの3位は大阪府の大和川、4位は神奈川県の鶴見川。大和川も鶴見川も間近で見るとさほど汚く見えないが、両河川ともほとんど上水道原水としては利用されず、排水を引き受ける下水処理場だけは立ち並ぶという共通した構造がある(※2)。

  4161 大和川(大阪府柏原市・藤井寺市境付近)


 国交省は平成24年度からワーストの発表をやめてしまったので、今はこういうランキングはないがこの構造は興味深い。
 ワースト河川は、もともと水質が悪くて水道原水用河川になれなかったのかもしれないが、逆になれなかったことで排水専用河川としての性格が強化され、ワーストの座が再生産されているのではないか、と思えてくる。
 
 私はこの構造に興味を抱いた。
 しかも奇妙なことに他のワースト河川はこの30年の間に目覚ましい水質改善を見せているのに、中川は昭和57年にBOD値6.9mg/Lでランキング入りして以来、さほど改善されていない。その間に他の河川に追い抜かれてしまった感がある。なぜそうなったのか不明である。こうしてみるとどうも中川には分からない点が多い。私は中川のギモンを一気に片づけることにした。

 まずは、ギモンその1「中川はどこから流れてくるのか」。
 中川は都内では中小河川のような顔をしているが、延長は81kmと結構長い。その実態は埼玉県内の水田の排水路を集めて流れる川で、源流も排水路である。
 起点は埼玉県羽生市。埼玉県東北部、利根川右岸の水田地帯に市街地がある。
 暗渠になった農業排水路があちこちに走り、市街地を出ると開渠になる。そういう場所に一級河川中川起点の碑が立っている。

 ここの川幅は5mほどしかなく、護岸は土で野の川といった風情である。起点の碑の上流側には農業用水路が通る築堤が横切っており、中川の水はこの下を暗渠でくぐって流れてくる。
 そこで築堤を越えて上流側に行くと、宮田落と呼ばれる排水路が続いており、ここはコンクリート三面張りになっている。これを300mほど進むとコンクリート蓋で覆われて暗渠区間になる。コンクリ蓋は住宅街を抜け、地上に飛び出た小型の水門を抜け、市街地を抜けるとまた開渠になって、水田地帯に突入する。このあたりの水田の水は利根川から取水されて開渠の水路やパイプラインで配水されているから、中川の水源は間接的には利根川であるといえる。

  中川起点の碑 中川起点の碑
  中川起点部 下流側から起点部分を見る
  起点の裏側 起点部分の裏側(=宮田落の最下流部)
  暗渠入口 その上流で宮田落が暗渠になる部分
  暗渠水門 その上流で暗渠から飛び出た水門


 次はギモンその2「中川は本当に水質が悪いのか」。
 中川は、本川はもとより支流の綾瀬川、芝川、伝右川などいずれも生活排水が流れ込んで水質がよくない。
 それでもこれが荒川や利根川なら山岳地帯からの大量のきれいな水が希釈してくれるが、中川にはそれがない。中川の水は農地と住宅と工場と下水処理場の排水だけで勝負しているということになる。
 
 このうち農地の排水は比較的マシな水質であるが、その他はあまりマシではない。
 したがって農地排水の豊富な水田の灌漑期(5月~10月)は持ちこたえるものの、非灌漑期(11月~4月)はいきなり悪化するという。
 
 非灌漑期に羽生市内の源流部を見ると、確かに水質良好とは言えない。
 私が見た宮田落のBOD値は、羽生市のデータ上は夏冬とも2.0mg/L前後で水も透明であるが、排水吐から水が流れ落ちると川底に当たった拍子にちょっとにおう。羽生市の下水道普及率は平成25年度で36.3%。ただし人口(約5万人)に比して水田地帯が多いので水質が破綻するというほどではない。
 
 中流部に下ると水量が増し、濁ってはいるがひどく汚濁しているわけでもないという、その辺によくある感じの川となる。 ただし埼玉県南部の三郷市(左岸)や八潮市(右岸)あたりの住宅地で水路を覗くと、まれに古典派ドブ川に遭遇する。手入れされない農業用水路に泥が溜まり、生活排水が流されてベギアトアが少し出る。かつての水田が工場や宅地に変わり、水路が生活排水路に化けたと見える。暗渠蓋の隙間からシャンプーのにおいがする。そういう水路は割合としては少ないが、あることはある。

  4156 三郷市内
  4157 八潮市内

 その北西側の支流筋にあたる春日部市内も同様で、住宅地を流れる幅5m位の支流が灰緑色に濁り、少し下水臭を出している。
 この川の公称BOD値は平成25年度で6.0mg/L。水量もそれなりにあり護岸は鋼製の矢板、という古典派ドブ川である。汚水を考察するよい機会なので橋の上に立ってしばらく考える。この灰緑色は何か。

  4158 春日部市内

 緑色は水中の植物プランクトンの色、灰色は黒いヘドロの川底と白濁した水の合成色であろう。ドブ川の白色は川底の細菌ベギアトアによる場合もあるが、この川には見当たらないので、白は水の色である。家庭で出す洗濯と風呂と台所の排水が既に乳白色なのであろう。
 自宅で風呂や洗濯の時に排水を溜めて観察すると、これらの排水は結構白く濁っている。洗剤やせっけんを使わなければ、洗う物がどんなに汚れていても排水は透明な茶色くらいで済むが、洗剤を使った途端に真っ白に濁る。ただし泡はあまりない。最近の洗剤の特性であろう。
 かくして白濁した香料と脂質混じりのぬるま湯が出来上がる。この川の側道のますの中ではそういう排水が少しばかり泡を立てている。

 これらの地域では下水道の整備も進んでいるが、平成25年度末の下水道普及率は三郷市75.8%、八潮市69.0%、春日部市85.9%。
 とにかく地形が平坦で広大なので過去に住宅開発が爆発的に進み、下水道整備が追い付かなかったと見える。丘陵がある東京西部や神奈川と違う埼玉南部特有の厳しさである。
 下水道整備が進んだとしても、住宅地の多くを占める古い住宅の配管の接続は進みづらいであろう。郊外でよく見ることであるが、下水道や合併浄化槽のある新しい住宅ができるのは農地や林を造成した分譲地ばかりで、既成住宅地にはかなり築年数の高い家が並び続ける。その住人は高齢化して配管工事を施す余裕などない…… 

 そのためか埼玉県は県内100か所で「水辺再生」をするという異例の対策を打っている。浄化施設設置、浄化用水の導水、ヘドロの浚渫から遊歩道の設置まであの手この手で計100か所。
 遊歩道の設置で水はきれいにならないと思うが、川沿いを歩かせる→汚い水を間近で見る→「何だこの川きったねー。何とかすべ!」という目論見と思われる。
 埼玉県が「川の国埼玉」を標榜し、川の博物館まで作るのは治水に苦しんだ歴史があるからだとばかり思っていたが、どうもこのあたりにも動機があるように思われた。
 
 都内に入ると問題は少ない。BOD値も少し良くなる。護岸はカミソリ堤防なので殺風景だが、下水道は普及しているし開渠の水路自体がないので埼玉県内のような問題はない。しかもその殺風景を埋め合わせるように、親水エリアとビオトープが配置された新型河川まである。
 江戸川区で荒川から西側に飛び出て蛇行する「旧中川」 がそれで、流水は意外にきれいで魚も多く、整然としているが無機質ではなく、川底に太陽の光が届く浅さになっているなど、生態系にも配慮されている。「よくデザインされた都市河川」という態である。
 この区間を流れる水は実は水質良好な荒川の水で、水量も荒川の水門でコントロールできるのであまり厳しい条件になく、工夫を凝らした改修をしたものと思われた。

  4159 中川(葛飾区) カミソリ堤防ではあるがテラスが設置されている
  4160 旧中川(江東区) マンション広告のイラストのようである

 こう見てくると、確かに中川の水はもう少し改善したいレベルと言える。しかも私は「作られたワースト河川」などと書いたが、どうみてもこれは埼玉南部の地理的な要因が関係していることが明白である。中川と綾瀬川の水質が苦戦する事情が分かってきた。
 しかし中川には、この川特有のもう一段難しいギモンが存在した。
 ギモン3「では下水道が普及したら中川の問題は解決するのか?」であった。

 (「62 中川ウェットランド(後編)」に続く)


※1 ②については以前、第29章「窒素の問題(後編)で少し触れているので、正確には「知らなかった」ではないのであるが、排水を水資源と捉える発想はさすがになかった。 

※2 大和川はわずかに上流部で上水道原水を取水しているようである。以前は下流部の大阪府内でも取水していたが水質悪化により停止した。なお、大和川沿いの下水処理場は数としては多くないが、流域で下水をまとめて処理しているので一つ一つの規模が大きい。


(参考にしたウェブサイト)
フカダソフト「中川のページ一覧」
中川全川を網羅するだけでなく歴史まで掘り下げていてとても分かりやすい。

中川・綾瀬川ブロック河川整備計画 (県管理区間)平成18年4月 埼玉県
埼玉県内区間では水質汚濁対策と浸水対策に悩まされていることがわかる。

中 川・綾 瀬 川 圏 域 河 川 整 備 計 画 (東京都管理区間)平成18年3月
都内区間は高潮対策に重きを置いている。

埼玉県水辺再生100プランのウェブサイト
かなり本気である。中には汚濁がひどかったのか、暗渠化して上部を親水せせらぎにした河川もある。春日部市の件の川はここにはないが、市議会のウェブサイトによると下水道整備とともに一部暗渠化される運命のようである。

平成25年全国一級河川の水質現況(国土交通省 平成26年7月22日公表)
ワーストランキングはなくなってしまったが、第3章の「5.全調査地点の水質」で中川と大和川の測定データを較べると現況が推測できる。この新しいスタイルのレポートは、ダイオキシンや環境ホルモンの量、「ごみが少なくて川に親しみやすいか」といった評価項目など、BOD値だけで表れない多様な指標で川を評価していこうという方向性のようである。また、地域の取り組みを紹介するなど、「地元が頑張るところから支援しましょう」という新機軸も垣間見える。
「川にレッテルを張ることよりも、望ましい姿のデザインを」という前向きさに繋がる反面、「来年こそワースト脱却しようぜ」的な分かりやすい動機が生まれにくくなってしまった感もある。

(参考にした書籍)
『利根川の水利』 新沢芽嘉統 岡本雅美 著 岩波書店 昭和60年6月

江戸の川・東京の川
 鈴木理生 平成元年 平成書院
東京東部河川の分類法はこの本17ページの解説「下町低地の河川」を読んで習得したが、難しすぎて実はまだ全部覚えていない。

(参考にした展示施設)
中川船番所資料館
「中川川の駅」の前にあり、中川が江戸の物資輸送の要衝であったことがよく分かる展示になっている。この資料館は船番所跡地に建てられており、最寄り駅は都営新宿線東大島駅だが、亀戸駅からも3kmほどと近い。
 亀戸には東武亀戸線が乗り入れている。亀戸線に乗って終点の曳舟で東武伊勢崎線に乗り換えてずっと下ると春日部を通って羽生に着く。つまり東武線は中川に寄り添って走っている。
 東武鉄道は私鉄の中では開業が古く、かつ貨物輸送が盛んであったが、その狙いは中川水運の需要を鉄道にシフトさせることだったのでは!とすると、東武伊勢崎線の愛称は「東武スカイツリーライン」ではなく、「東武ミッドリバーライン」であるべきなのでは!!などと妄想することもできる楽しい施設。

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62 中川ウェットランド(後編)

  中川をきれいに 中川(埼玉県三郷市)


「61 中川ウェットランド(前編)」から続く)

 中川は基本的には各地の排水を引き受ける河川で、上水道利用は想定していない。
 これは取水堰や海水の遡上を防ぐ河口堰がないことからも分かる。
 しかしそうでありながら東京都は毎秒5.33㎥、千葉県は1.46㎥の水利権を確保していて、普段水道原水として使用している江戸川の流量が少なくなると、緊急避難的に中川の水を使用できるようにしている。
 これが保有水源に占める割合は東京都の場合で7%。このように少なからずの水を中川から取水できるようにしているのは、夏季の水不足に備えてのことと思われる。その仕組みはこうなっている(※1)。

 ・三郷市西部の中川から取水して三郷市東部の江戸川に放流する「中江戸緊急暫定導水路」(以下「中江戸」という)を作る(※2)。
 ・中江戸の江戸川側の放流口の下流に東京都三郷浄水場と埼玉県新三郷浄水場の取水口があり、ここで取水する。


 こうすると中川の水を東京や埼玉の水道原水として利用できる。江戸川の水量が減って中川の水量が増えるのは夏。
 江戸川上流の利根川で農業用水が大量に取水され、水田を通って中川に排出されるからである。
 すると中川の水質は少しマシになる。このマシになったタイミングを捕えて夏の水不足を解消しようというアイデアと思われる。
 これは前編冒頭の水利権研究者のアイデアと似ているが、実はこの提案が書かれた昭和60年には既に中江戸の取水は実行されている。この研究者の提案は、中江戸の存在を踏まえて中川からの最大取水量をさらに毎秒25.76㎥増加させようというものであった。

  edo_winter 冬の状況(水不足なし)

  edo_summer 夏の状況(水不足)


  nakaedo_before 中江戸による融通


 さて、中江戸の問題点とはこうである。

 ・中江戸の中川側取水口の下流に下水処理場の放流口がある。
 ・ところで中川下流には堰がないので東京湾の干満の影響で、川の水が逆流する時間帯がある。
 ・すると下水処理水も逆流し、上流の中江戸取水口に入り込む。
 ・これが江戸川側放流口を経て三郷浄水場の取水口に到達する。
 ・中江戸の江戸川側放流口と三郷浄水場取水口が離れていれば江戸川の大量の水で薄まるけれども、近すぎるので下水処理水があまり希釈されないまま水道原水として取水される。   


  nakaedo2 中江戸の問題点


 夏場の一時しのぎとはいえこれはまずい。ということで次のような改造工事が行われた。

 ・中江戸の江戸川側放流口を三郷浄水場取水口の下流に移設する。
 ・江戸川は河口に堰があるので、中川のように川が逆流する心配はない。
 ・したがって三郷浄水場は中江戸の水を取水しなくても済むようになり、
 ・それでいて江戸川には中川の水がちゃんと補給される。


  nakaedo_after 中江戸の解決策

 こうしてこの問題はクリアされたが、この顛末を知って私の中に新たなギモンが浮上した。
 ギモン4「下水処理場の処理水はそれほどまでに汚いのか」である。
 川を歩いていると、下水処理場の放流口に釣り人が集まっているのをよく見る。実際そういう場所はよく釣れるらしく、魚の姿もよく見る。下水処理場の処理水はBOD値で2~6mg/Lくらい。水道原水にするには少しきついが、魚が棲める程度のきれいさは確保できているはずで、原水への混入を断固阻止すべきほどのものだとは思えない。

 私はまず、中川の中江戸取水口を見に行った。
 ここの水質は悪くはない。次に下流側の下水処理水放流地点に行った。案の定ここも釣りスポットになっている。
 通常、こういう場所は水が勢いよく吐き出されて分解されない界面活性剤が泡立ったりしているものだが、ここはそういう気配はない。ただし放流口から黒い帯が出ている。放流口の水が黒く見えるのは周りの水が薄茶色だからで、周りの水が薄茶色なのは放流水で巻き上げられた底土が光を反射しているからであった。

  4163 左側が下流、手前は三郷市、奥は対岸の八潮市。

 私が見に行った日は、大潮で、時刻は東京湾が干潮から満潮に向かう頃合であったが、黒い帯は逆流することなく下流に流れていた。(※3)
 しかしにおいはいただけない。いただけないと言っても普通の処理水の酸っぱいにおいなのであるが、酸っぱいにおいの成分が問題である。まことに尾籠ながら私の独自実験によると、

 ①閉め切った部屋の中でシークヮーサージュースを飲みながら、
 ②おならをすると、

このにおいが再現できるということが分かっている。
 ①はシークヮーサーのクエン酸が下水処理水に含まれる有機酸のにおいを疑似再現し、
 ②は硫化水素やアンモニアを再現している
と言えるので、下水処理水にもこれらの物質が溶けていることが推測される。
 このこと自体は下水処理水として異常でも何でもないが、これが水道原水に入ってしまうのは確かに都合が悪いと思われた。水溶性なので、ごみや藻屑と違って取り除くのが難しいからである。資料ではアンモニウムイオンの濃さが問題視されている。

 中江戸の場合は、江戸川側放流口を下流に移すことでこの問題を解決しているが、これで解決するのは三郷浄水場だけで、下流には東京都金町浄水場の取水口があるからこの問題は本質的には解決しない。
 そこで金町浄水場は巨額の費用をかけてオゾンと活性炭を使った高度処理を行うと同時に、件の下水処理場でも窒素とリンを除去できる高度処理方式の設備を一部導入している。つまり巨額の費用をかけて下水処理と浄水場の両方で高度処理を行わないとまともな水循環にならない、ということになっている。
 他の川ならばこのことはウヤムヤにされて水に流されてしまうところだが、中川の場合は

  ・もともと水質がイマイチの川であったのに、 
  ・なまじ夏場の水不足時の水源という役割を背負わされている

という特殊な要因のために、この問題が露見してしまっている。
 こう書くと悪いことのようだが、私はここが中川の面白いところだと思っている。これは生活排水の本当の処理コストが見えるということであり、視点を変えればこのコストをかければ東京都の必要水量の7%を「使える水源」として立ち直らすことができる、ということでもある。コストが高いか低いかは別として、それを見えるようにした意義は大きい。
 しかも中川は、川として決定的に大切なものを失くさずに持っている。ここを最後に強調しておきたい。
 
 それは三郷市あたりの区間に細長く存在する干潟の存在である。
 中川は水道利用を前提としていないので東京湾の海水遡上を防ぐ堰がなく、潮の干満の影響を受ける。そのため、干潮時に干潟が露出する。幅は狭いが距離は相当に長く、水際のヨシ原と複雑に入り組んで生物の生息地を生み出している。
 しかもこの干潟は、埋め立てで多くの干潟を失った東京湾の最奥部のポジションを占めている。堰のある荒川や江戸川にはできない芸当で、水源河川の重責を担わない中川だけが持ち得る美点といえる。

  4164

 この細長く続く干潟とヨシ原で窒素やリンが消費されているところが面白い。干潟の微生物がエビやカニに食べられて魚に食べられて鳥に食べられるという循環を充実させれば、水質浄化策として結構いい線いくんじゃないか、などと思う。
 もちろんそういうレベルで消化しきれないから中江戸の問題が発生するのかもしれないが、たとえ機能的に下水処理場の高度処理や河川浄化装置にはかなわないのだとしても、こういう仕組みが川に残されているということが希望を感じさせる。電気代も機器メンテナンスも汚泥処分費も要らないというところもいい。 (おわり この章で一旦終了)


(注釈)
※1
利根川および荒川水系における水資源開発基本計画(埼玉県)
東京都水道局 事業概要平成26年版の第2章第1
「健全な水循環系構築のための計画づくりに向けて」(国交省)の第7章「モデル調査における技術的検討事例(1)」
による。

※2
 中江戸のすぐ南には三郷放水路という開渠の水路があるが、これは大雨のときに中川の水を江戸川に逃がす役目を負った水路で、中江戸とは別物である。
 また、三郷浄水場は東京都のものであるが、所在地は埼玉県内である。もちろん都の浄水場は都内にあるほうが望ましく、東京都も下流の23区内に建設を検討したのであるが、適地がなく三郷市内になった。この際少しでも運営を効率化するため、埼玉県が近隣に計画していた新三郷浄水場と取水口を合同にしたという。

※3
別の日の満潮から干潮に向かう時間帯に行ったら見事に逆流していた。どうやら東京湾の干満が時間差を伴って影響してくるようである。

(参考にした書籍)
『利根川の水利』 新沢芽嘉統 岡本雅美 著 岩波書店 昭和60年6月
この著者の主張は、「利根川上流の八ツ場ダムができる見込みがない以上、東京向けの都市用水は(水質の問題はあるが)中川からとるべき」というものであったが、それから30年を経てみると今度は八ツ場ダムと中川周辺の浄水場の高度処理施設が同時に完備されつつあるという世になっている。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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