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3  ドブ川は川なのか

普通河川



 「ドブ川」とは何であろうか。
 多摩川をドブ川と呼ぶ人はいないが、渋谷川をそう呼ぶ人はいる。
自宅の近所を古ぼけた水路が通っているとき、これは間違いなくドブ川といわれる。私たちはこれらをどういう基準で使い分けているのだろうか。

 ドブ川という言葉にははっきりした定義はないが、ぼんやりとしたイメージはある。それはだいたいこのようなものだろう。
  ・開放的で自然な感じの川→川
  ・閉鎖的で落ちたら怖い感じの川→ドブ川
  ・ドブ川の小さいもの→ドブ

 渋谷川がドブ川と呼ばれることがあるのはその形状が閉鎖的だからで、多摩川の場合は河原があって開放感があるためにそう呼ばれないのだと考えることができる。昔はドブは「溝」という字をあてていたことからも分かるように、「ドブ」とは人工的な溝を指し示しているものとみてよい。

 実際は、さらにここに「水の量と汚さ」という観点が加わる。
  ・きれいで水の量が多い→川
  ・汚くて水の量が多い→ドブ川
  ・水の量が少なくて清濁がわからない→ドブ

 人々はこれらの要素をフィーリングで判断して、「ドブ川」とか「ドブ」と呼び習わしていると考えられるが、このようにあいまいに捉えられていることがドブ川の実体を分かりにくくしているともいえる。ドブ川を訪ね歩く身としては、ここのところの定義をはっきりさせたい。
 そこで法律ではどう分類しているのか調べてみた。ドブ川は人工的な手がかなり入った川なので、法律でどのように分類されるかによって存在の仕方がまるっきり変わってしまうからである。水の流れている場所を法律別に分類するとこうなる。

  ①河川法に基づく「河川」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(一級河川、二級河川、準用河川)二級河川の看板(青野川)

  ②下水道法に基づく「下水路」扱いの川・・・・・・・・・・・・(都市下水路)
  ③農業用水条例や工業用水条例に基づく「用水路」・・(農業用水など=一種の上水道)
  ④道路法に基づく「側溝」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(道路のわきの側溝=道路の施設の一部)
  ⑤その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(普通河川など)

 こうしてみると川というものが縦割り行政で管理されていることがあからさまになってしまうのだが、ドブ川探索は縦割り管理の隙間を楽しむ行為なのでそれは別によい。それよりも困るのは①の考え方がややこしいことである。
 河川法は河川の法律といいながら、治水上重要な河川しか対象にしていない。つまり一級河川(国が管理する川)、二級河川(都道府県が管理する川)の2種類である。
 その他の川は河川法では管理しない川ということになるが、そこそこ大きくてほったらかしにできない川もあるので、そのような川を「準用河川」として市役所に管理させている。「準用」とは、「河川法では関知しないけど、準じて似たような感じで管理してくださいね」といったほどの意味である。

 さらにこの下に準用河川にもしてもらえなかった「普通河川」というものが存在する。前出の分類では⑤の「その他」にあたる。世間一般に「ドブ川」と呼ばれているものの多くはこのカテゴリーに入る。

*  *  *  *  *

 普通河川は名前は「普通」だが、実際は一級にも二級にも準用河川にもなれなかった最底辺の河川である。これは急行や準急が走る鉄道路線における「普通」、特上寿司や上寿司がある寿司屋における「並」寿司のポジションと同じとみてよい。
 普通河川はどの法律の分類からもこぼれ落ちてしまった隙間的な川であるが、川である限り水があふれたり護岸が壊れたりするので、そういう時は市役所が直す。たいてい幅が狭く、水は少なくて汚く、変な藻が生えている。くさいし子供が落ちたら危ないから、といった理由でフタをされて暗渠にされることも多い。

 ドブ川のエッセンスはこの普通河川にある。都会では下水道の普及もあって昔の目黒川のような真っ黒なドブ川にはなかなかめぐり合わないが、郊外の普通河川には昔ながらの古いドブ川が残されている。都会の親水公園化されたこぎれいな川とは対極をなす「古典派ドブ川」といえる。古典派ドブ川を探すコツは三つある。

①下水道普及率が低い
②水はけの悪い低地である
③昔からの古い住宅地である

 特に①は有力な手がかりになる。
 古典派ドブ川を探したいときは、その地域の市の下水道普及率を調べて、低い場所から順番に回るとよい。ちなみに国土交通省が発表する全国の河川の水質ワーストランキングなどを見てもまったく役に立たない。一級河川しか対象にしていないからである。国土交通省も私のような物好きのために水質ランキングを発表しているわけではないのであるが、古典派ドブ川を探したいのなら、下水道普及率を見るのが一番手っ取り早い。(4「ドブ川はなぜくさいのか」につづく)  

全国の下水道普及率(平成23年度末 日本下水道協会のページ)

(追記)
ドブ川雑記帳30 「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(上)」 普通河川について詳しく知りたい方はこちら。
ドブ川雑記帳48 「ドブ川の水源としての側溝」 この章で詳しく触れなかった道路の側溝とドブ川の関係について調べてみた。
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30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)

二ヶ領用水(普通河川区間)二ヶ領用水(普通河川区間)


 同じようなドブ川でも普通河川とか公共溝渠とかいろいろな種類があるということについては、第3章第10章に書いたし、自分でも分かったつもりであった。ところが、川崎市の河川の分類を調べているうちにまた分からなくなってしまった。ギモンは3つ。 
 
 ドブ川の主役たる普通河川は、「河川法の適用を受けない河川」である。普通河川は「引き算」の考え方に基づいた概念であるから、
  普通河川=全ての河川-1級河川-2級河川-準用河川
となり、したがって普通河川は路地裏の名もない無数のドブ川を包含することになる。

 ところが川崎市には「普通河川一覧表」というものがあり(※1)、ここに二ヶ領用水をはじめとして14河川が列挙されている。この14河川は市が指定したものだという。  
 ではそこからこぼれ落ちた有象無象のドブ川はどうなるのかというと、「水路」というさらに下位の区分が用意してあってそこに含まれている。
 この水路は普通河川(=河川法の適用を受けない河川)には当たらないのか?これがギモンその1。
 
 ギモンその1を解くために隣の東京を見てみると、ここはここでおかしい。
 東京都区部の下水道台帳には公共溝渠という名の水路が登場し、各区がそれを管理することになっているが、不思議なことにこの名は他の地域では見られない。大阪にも名古屋にもない。
 公共溝渠は東京都区部にしかない施設なのか?
 これがギモンその2「公共溝渠はなぜ東京にしかないのか?」である。
 
 これを解こうとするともう一つギモンが出てくる。
 東京都区部には一級河川(神田川など)や二級河川(渋谷川など)はあるが、準用河川と普通河川がほとんどない。他の都市では等級が下がるほど河川数が増える。これは細い川が合流を重ねて1本の大きな川になっていくという川の特性からすると当然である。
 しかるにどうして東京都区部の河川図には準用河川と普通河川がほとんどないのか?これがギモンその3。

 「普通河川」や「公共溝渠」や「水路」(以後これらを総称して「溝渠系」と呼ぶ)はドブ川としての見た目は似ているが、自治体によって定義がまちまちで謎が多い。辞書で引いても用語集で調べても、それぞれの用語間にどういう違いがあるのかという肝心なところが分からない。
 そんなことではドブ川探索に支障をきたすのでここで白黒はっきりさせたいと思う。普通河川と公共溝渠と水路はいかなる関係にあるのか?
 
 調べると自治体の溝渠系の取り扱い方は大体5つに分けられた。
  溝渠系は普通河川で統一する方式(小樽市、足利市、川越市、太宰府市など)
B1 溝渠系は公共溝渠で統一する方式(品川、江東を除く東京21区)
B2 溝渠系を公共溝渠+普通河川に分ける方式(東京都江東区)
B3 公共溝渠という概念をなくして「法定外公共物」(法律には役所が管理すべきとは書いていないけどみんなが使うので一応役所が管理しているモノ)というジャンルにまとめていこうとする方式(東京都品川区)
 溝渠系を普通河川+水路に分ける方式(札幌市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市など)

は溝渠系=普通河川、つまり河川法の考え方をそのまま受け入れた考え方。
B1は溝渠系=公共溝渠という東京独自の考え方。
B2B1方式を採りつつも「全部公共溝渠にするのも無理がある」という考え方に立って普通河川という区分を加えたもの。
B3B1の進化形で「公共溝渠なんて区分はなくしましょうよ」という考え方。
の「溝渠系=普通河川」方式を取り入れつつも「水が流れていれば全部河川、というのは無理がある」という考え方に立って水路という区分を加えたものである。
 
 どうして同じようなドブ川なのにこのようにいろいろな用語が使われるのか。そこでそれぞれの制度ができた年代を調べてみる。
  溝渠系=普通河川とする方式・・・平成8年~18年ごろ
B1 溝渠系=公共溝渠で統一する方式・・・昭和28年
B2 溝渠系=公共溝渠+普通河川とする方式・・・溝渠が昭和28年、河川が56年
B3 溝渠系=公共溝渠という概念をなくしていく方式・・・平成22年
  溝渠系=普通河川+水路とする方式・・・平成8~12年に多いが大阪市は昭和32年、名古屋市は昭和38年

 B1から見ていただきたい。まず公共溝渠という妙な用語がどこから出てきたのかをまず調べたい。この言葉は前年の昭和27年に出された地方自治法施行令の附則というところに登場する。

「改正後の地方自治法第二百八十一条第二項各号に掲げる事務で左に掲げるものは昭和二十八年三月三十一日までに特別区に引き継がなければならない。(中略)公共溝渠の管理に関する事務」

 この条文は、「東京都が今まで担当していた公共溝渠の仕事はこれから特別区の仕事になるからちゃんと引継ぎしなさいね」と言っている。
 どうもこれは東京の特別区制度という特殊なしくみが絡んでいるらしい。なので、飯田橋にある特別区協議会資料室というところに行って調べてきた。まとめると次のとおり。

(1) もともと戦前の東京市の各区は東京市の内部組織扱い(現代の政令指定都市の区と同じ)であった。
(2) 戦中に東京都が発足したが、やはり東京都の内部組織扱いであった(昭和18年)。
(3) 戦後は地方自治法ができて、各区は特別区といって市と同格の独立した自治体ということになった(昭和22年)。
(4) でもその後も実態は変わらず、各区は都に対し「もっと権限(と財源)をよこせ」という運動をした。
(5) アメリカのGHQのシャウプという人も「そこんとこ、ちゃんとやるように」と勧告した(昭和25年シャウプ勧告)。
(6) しかし東京の各区を市役所と同格にするのは無理があったので、妥協案としていくつかの権限(仕事)を区に与えるにとどめた(昭和27年地方自治法改正)。
(7) このとき与えられた仕事の一つが、上の「附則」に出てくる公共溝渠である。

 公共溝渠はこのスッタモンダの中で編み出された苦肉の策の産物である。
 なぜ苦肉かというと、河川と下水道は都の仕事ということになってしまっていたからである。「河川と下水道は広域でやらなければならないので都がやりますよ」ということで話が進んでいた。さて、溝渠系は河川か下水道か。
 溝渠系は、下水道が未発達だった当時は不衛生な排水路で害虫対策が必要で、ドブさらいや木製護岸の補修などの細かい修繕も多かったようである。これを河川や下水道だからと言って都の仕事にしてしまうと特別区はドブさらいさえできない。そのためか、これを河川でも下水道でもない公共溝渠と定義して特別区の仕事とした。昭和28年のことである。

 経緯は分かったが、これでは公共溝渠がどういうモノかが分からない。辞書や用語集を引けば定義は載っているが、肝心の「公共溝渠が河川に対して占めているポジション」が不明である。そこでさきの資料室で史料を漁ると区役所職員向けの書籍(※)に答えがあった。

31 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)につづく)

<修正>
※1 この表は現在は改良されて、「川崎市における河川:河川管理区分」という表にバージョンアップされている。これによれば川崎市は、普通河川を「おおむね流域面積2キロ平方メートル以上のもので、かつ河川本来の機能を保持させる必要があると認めるもの」と定義している。流域面積で区分するとはかなり斬新である。この川崎ドブ革命は全国に伝播するか?(H25.10.8追記)


<参考文献>
※2 『「特別区」事務の変遷-都区制度改革入門』(財)特別区制度改革協議会実施準備室
ちなみに特別区協議会資料室は誰でも入れる図書室で、新しくて快適でお宝資料も盛り沢山なのに無料というサービス満点の施設である。

31 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)

雨の日の公共溝渠 雨の日の公共溝渠(世田谷区野毛)


  (「30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)」からつづく)
 
 公共溝渠はもともと明治33年に成立した「汚物掃除法」(今の廃棄物清掃法の前身)で登場する用語であった。
 汚物掃除法はごみとし尿と汚水の処理について定めた法律で、成立までに結構モメて何度も法案が修正されたそうだが、明治30年の法案に以下の記述がある。
 (参考文献※1から引用。カタカナ表記は筆者がひらがなに改めた)

「溝渠とは汚水雨水疎通の用に供する露溝暗渠を云ふ」
「溝渠を分ちて公共溝渠と私用溝渠とす」
「公共溝渠とは排水系統中幹線若しくは主要なる支線たるへき位置を有し地方長官に於ひて公共溝渠線と認定したる溝渠を云ひ私用溝渠とは公共溝渠にあらさる溝渠を云ふ」 
 さらに、成立案の施行規則というところに、
「溝渠の汚水は之を公共溝渠又は適当の場所に排泄すへし」という条文がある。つまり、

 ・公共溝渠は戦前の汚物掃除法で編み出された概念であり、
 ・あくまで汚水を流す排水路として存在し、
 ・したがって普通河川などの河川とは別物である、


 ということがめでたく判明する。
 と書きたいところであるが、『大田区政十年』(昭和32年刊行)という別の本に出てくる次の分類法を見ると、もう一回ギモンに引き戻される。この分類法を要約すると以下のようになる。(カッコ内は大田区内で該当する河川)

・「河川法施行河川」(多摩川)でも「河川法準用河川」(呑川)でもない河川のうち、
(1)幅1.5m以上のものまたは1.5m未満でも重要なものを「普通河川」
 (旧呑川、呑川分流、女塚川、内川、内川支流、池尻川、中之島入江、その他)、
(2)幅1.5m未満のものを「公共溝渠」
 (開渠109883.4m、暗渠22214.6m)
とする。

 河川法は昭和40年に全面改正されているので、ここで出てきた普通河川は「旧河川法体制における普通河川」であって、現代の「新河川法体制における普通河川」とは微妙に異なるがそれは大した問題ではない。ギモンなのは公共溝渠と普通河川が川の幅で区分けされてしまっていることである。
 どうしてそういうことになったのかは資料がないのでよく分からない。
 けれども当時は普通河川にも汚水を流していたであろうし、公共溝渠にしてもほとんどが自然の水流のルートをトレースしているから両者を厳密に区分けすることはむしろ無理なのであって、このように便宜的に川幅で整理しようとした動機はなんとなく分かる。

 この後、この分類法の基礎になった旧河川法は全面改正され、この時に都区部の準用河川と普通河川はほとんどなくなった。どうも都区部では準用河川や普通河川になりそうなものは2級河川に格上げするか、公共溝渠に格下げするかして片付けてしまっているフシがある。
 通常、普通河川や準用河川は市が管理することになっている。これを都区部に残してしまうと管理するのが都なのか区なのか、モメる種を残すので最初からこのカテゴリーを一掃してしまったのではないかなどと思うのだが、これは私の勝手な推測である。

 さて、このように東京が戦前生まれの「公共溝渠」を今でも使う一方で、他の自治体ではこの用語を使わずに済ませている。これはなぜか。たとえば大阪市はなぜ方式になったか。

 東京と大阪の決定的な違いは、自治制度の激変を経験したかどうかにあったと思う。
 東京では「河川と下水は都の仕事で、その中間の溝渠系は特別区の仕事」というあいまいな棲み分けになったために、この河川と下水の中間の物体を何と呼ぶのかを戦後の早い時期に決める必要に迫られた。
「普通河川」や「水路」と呼んでしまうと川のニュアンスが強くなる。しかし河川は都の仕事。ならば下水路としてしまいたいが下水道も都の仕事。そこで公共溝渠という汚物掃除法の用語を引っ張り出してきたのではないか。
 しかしたとえば大阪市はそういう必要にも迫られなかったと思う。
 普通河川も水路も下水道も市の管轄なので、「下水路のような水路」を何と呼ぶかなどという面倒なことは考えなくてもよい。せいぜい溝渠系のうち「普通河川」と呼ぶには違和感のあるものを「水路」とする程度でよかったのではないか。
 
 普通河川と水路は実質的に同じものを指しているが、もとになる法律が違う。
 普通河川は河川法から見た用語で、「河川法の対象にならない末端の河川」を指す。
 いっぽう水路は国有財産の管理という視点から見た用語で、国の財産のうち、
 ・水が流れている土地、または流れていた土地であって、
 ・河川法や下水道法などの特定の法律で管理されていないもの(法定外公共物という)
を、水路と呼び習わしていた。

 どちらも「水が流れているが何かの法律で管理されているわけではない公共の場所」を指す点では同じで、その違いは「川を管理しよう」という視点で見ているか「国の財産を管理しよう」という視点で見ているかの違いに過ぎない。しかしこれは行政の人の発想であって、一般的な感覚からすれば両者の違いは「普通河川>水路」といった程度にすぎず、大阪市の分類も概ねそのようなことになっている。

 さて、ここで引っかかるのは、東京に遅れることわずか4年の昭和32年にこの問題に手をつけた大阪市がさりげなく「水路」という用語を使っていることである。
 大阪市はなぜ「公共溝渠」という用語を使わなかったのだろうか。
 大阪市は確かに河川と下水道の中間の物体を定義する必要には迫られなかったけれども、公共溝渠自体は大阪をはじめ全国にあったはずだから、この用語を完全無視しているのは違和感がある。大阪の公共溝渠はどこに消えたのか。
 
 調べるとこれは汚物掃除法が昭和29年に廃止されたことと関係があるらしかった。
 昭和28年に東京に公共溝渠という区分をもたらした汚物掃除法は、なんとその翌年に廃止されてしまっている。よって、昭和32年施行の大阪市普通河川管理条例にはこの用語は登場しない。
 一方で東京にはタッチの差で公共溝渠というカテゴリーが生まれ、残り続けた。
 それどころかその後昭和45年に作られた水質汚濁防止法にも「東京都区部の溝渠系」を指す概念としてこの用語が登場し、これがさらに全国の自治体の水質関係の条例に引用されて増殖している。明治生まれの公共溝渠はすんでのところで消滅を免れ、法律の上で生き延び続けた形になる。
 ちなみに平成23年は公共溝渠が汚物掃除法に登場して111年目。公共溝渠誕生120周年となる平成32年には独りひそかに祝いたいと思う。
 
 話が逸れたが、要するに東京以外の都市では、水質の問題は別にして制度的にはこの問題をそっとしておいても問題なかった。
 これをそっとしておけなくなったのが平成10年代。戦後の長い年月の間に溝渠系には大きな問題が生じていた。溝渠系は河川と同じく本来国有の施設であるにもかかわらず、それを管理するのが誰なのかを決めた法律がない。
 
 溝渠系はもともと江戸時代の小河川を明治時代に官有地にしたのが始まりとされる。
 この作業を地租改正という。地租改正は「どの土地に税金をかけるか」という視点で行われたので、村人みんなで管理していた小河川などは税金をかけなかった。その代わりに官有地(通称「青地」または「青線」という)とした。
 この作業は「どの土地に税金をかけるか」という視点でやったので、「どう管理するか」は後回しにされた。「管理しなければならない大河川は(旧)河川法でやってくれ」という考え方で、これは現代の「河川法引き算方式」にも通じる。
 しかしたとえば溝渠系が壊れたりヘドロが溜まったりすると住民の苦情は市役所に向かう。そこで市が費用を出して事実上管理するようになる。「それおかしいんじゃないの?」ということで、平成に入って通称「地方分権一括法」という法律ができて次のような改革が行われた。

(1)これからは普通河川(=溝渠系)は市町村の所有ということにして譲りますよ。
(2)なので、管理や修理は名実ともに市町村のお仕事になりましたのでよろしく。
(3)それにかかる費用の財源は国から市町村に譲りますので。
(4)ところで廃川になって水がないところは、管理する必要がないでしょうから国有のままにしますよ。


 これでこの問題はすっきりしたが市町村は溝渠系を管理するための決まりを作る必要に迫られ、ここで溝渠系をどう定義するかという問題に直面する。これが平成10年代の動きである。
 このとき、河川法の用語である「普通河川」やその下位の概念の「水路」という用語が使われた。
 河川法の考え方では普通河川は水路も含む概念なので、普通河川と水路を分けるのは厳密に言えばおかしいのであるが、一般的な感覚からすれば路地裏のドブを河川と呼ぶのは違和感があるし、国としても「地方分権ということで細かいことは言いませんから」ということだったのかもしれない。
 
 どうも推測ばかりで申し訳ないが、そういうわけで派と派が生まれる。見たところは小都市、は大都市が多いようである。一方で(東京特別区)はこの問題は昭和28年に解決済みであったが、B2B3のように独自の工夫をしている区もある。
 結局、公共溝渠という用語が東京にしかなかったり、普通河川より下位の区分として「水路」があるのは、

・溝渠系の定義をはっきりさせた時期の差
・溝渠系はそれを何と呼ぼうが自治体としてはどちらでもいい程度の存在であったこと


によるものだということができる。溝渠系は見た目はしょぼくれたドブ川であるが、これを調べると明治以来の地方自治や大都市制度の問題点がイモヅル式に掘り返されるしくみになっているのであった。

(H24.1.27追記)
 この章は「公共溝渠と普通河川の違い」に気をとられるあまり「普通河川と水路の違い」をまったく解明していなかったので、その点について加筆した(大阪市の水路のくだり)。

(H26.5.20追記)
 国有財産における水路の説明が誤っていたので訂正した。このことは、荒川の源流に関する別のギモンを調べている過程で判明した。法律用語の説明という基本的なところで誤りがあったことについてお詫びします。
 訂正前は、
「国の財産のうち公共用財産(道路法とか河川法といった特定の法律で管理されているモノ)でないものを普通財産といい」
と記していたが、正しくは、
「国の財産のうち行政財産でないものを普通財産という。」であった。
 行政財産の中に「公共用財産」というカテゴリーがあり、河川はここに入る。
 また、その前段で
「いっぽう水路は国有財産法から見た用語で、」
と記していたが、
「水路」という用語は、国有財産の管理についての解説などには頻繁に出てくるが、なんと当の国有財産法には水路という用語は単独で出てこない。
 よってこれらの箇所を書き改めた。
 すると、「水路も公共用財産なのか?」というギモンが出てくるが、それについては大変面白いことになっているので、荒川のことと併せて、後日章を改めて記したい。

 調べた結果はこちら→第60章「法定外公共物にただよう情趣について考える」


(参考文献)
※1 明治日本のごみ対策 溝入 茂
 汚物掃除法がモメにモメて成立した過程を解説。ここで引用した法令や法案も完全収録している史料的価値のある一冊。し尿処理についても記載してあって、軍人の家庭のし尿が、庶民の家庭のし尿よりも高い単価で農家に引き取られたというくだりが面白い。洋食する軍人のし尿の方が、和食の庶民のし尿よりも肥料的価値が高かったとか。

※2 大田区政十年(昭和32年 大田区役所刊 特別区協議会資料室(入場自由)で閲覧可能)

※3 「東京の河川に係わる管理体制と改修計画の経緯」石原成幸 平成22年東京都土木技術支援・人材育成センター年報 この論文では、公共溝渠のほかにも「改良下水」や「在来下水」、「改良下水の施行地域の普通河川」を指す用語としての「水路」などの解説もあり、東京の川の歴史がよく分かる。(とはいうものの難しくて半分くらいしか理解できなかった) 

※4 春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6) 田原光泰 戦前から戦後にかけての渋谷の下水路の変遷を徹底的に調査している。「川がくさかったからフタをして下水道にした」という単純な図式では語れない暗渠の歴史を丁寧に解説してある。

38 水質汚濁防止法

いつもきれいにしてくれてありがとう 千葉県松戸市内


 千葉県の九十九里町で、豆腐工場が排水を未処理で農業用水路に流していたので経営者が逮捕された、という事件が平成22年にあった。これは私にはギモンな事件であった。
 豆腐工場では大豆を煮てから豆腐製品になるまでにBODで平均約1200mg/lの排水を出すとされている。下水管を流れている下水はだいたい100~200mg/lであるから1200mg/lというのは結構濃い。この工場はそれを浄化処理せずに排水したので捕まった。

 九十九里町の下水道普及率は0%である。
 公表されている資料から推測すると、町内の排水はおおざっぱに見て約15%が集落排水処理施設(集落専用のミニ下水道)で、約35%が合併処理浄化槽で、残り約50%は単独浄化槽で浄化処理されているとみえる(※1)。
 しかし一番最後の単独浄化槽はトイレの水以外は処理できない。したがって、例えば単独浄化槽の家庭の台所で豆腐を作ろうとすると、大豆を煮た汁はそのまま水路や川に流れ出る。これは望ましいことではないが、とりあえず違法ではない。ところが豆腐工場がこれをやると違法になる。

 これはどういうことであろうか。記事をよく読むと「水質汚濁防止法違反の疑いで」とある。この法律がポイントらしいと気が付き、千葉県庁に尋ねてみると果たしてそうであった。
 水質汚濁防止法は昭和46年に施行された法律で、その名の通り海や川の水質汚濁を防ぐことを目的にしている。豆腐工場はこの法律の規制に従って、排水を浄化してから海や川に流さないといけない。
 しかしこの法律の対象は汚水を出しやすい業種の工場だけで、一般家庭は対象になっていない。工場排水による公害を食い止めることを主眼として制定されたものらしく、今に至るまでそれは変わらない。
 一方家庭排水については浄化槽法などで規制されているが、こちらは水質汚濁防止法よりも基準がずっと甘いので「家庭から出る未処理の豆腐排水は合法だが、豆腐工場のそれは違法」というような状態が生じる。(図1「排水という行為」)


 (図1)水質関係の規制は排水先、排水量、排出する物質の種類によって規制の有無が変わるので分かりにくい。
 豆腐工場にしても、排水量が50m3/日未満なら水質汚濁防止法の規制対象外、と思いきや、自治体によってはそれ以下でも規制対象にしていたりする。
水質汚濁防止法の立ち位置 水質汚濁防止法補足

 
 公害や事故など何かまずい社会現象が生じたときにその対策として作られるタイプの法律は、一番コントロールしやすくて効果が見込まれそうな対象物(この場合は工場)から手を付けていくので、どうしてもこういう矛盾を生んでしまうが、この手の法律はえてして個性的で面白い。
 
 水質汚濁防止法で一番面白いのは規制対象(「特定施設」という)を列挙した表(東京都HPにリンク)である。
 特定施設は特に汚水を出しやすい業種を列挙したもので、豆腐製造業もここに入っている。豆腐製造業の他にも水産加工品、しょうゆ、砂糖、飲料、油脂、でんぷん、めん類など各種の食品製造業、石けん製造業、印刷業、畜産業、ガラス製造業、セメント製造業など数々の業種が列挙されている。
 
 この表で私の目を引いたのはNo.71の自動式車両洗浄施設、つまり洗車機の項であった。「バスの車庫は川沿いに多い」という話を以前聞いたことを思い出したからである。誰からそんな話を聞いたのかというと、暗渠になった川を訪ね歩く人(※3)からである。
 彼らは、というか実は私も同類なのであるが、地下に埋もれた川を探す時に「川沿いによくある施設」を手掛かりにする。例えばある場所に銭湯やクリーニング店が集まっていればその近くには以前川が流れていた可能性が高い、とあたりをつける。いきおい、川沿いにどんな施設が多いのか詳しくなる。そんな彼らが「川沿いにはバスの車庫が多い」というのである。

 西武バスの車庫西武バスの車庫(さいたま市 ピンボケだが奥にバス、左に洗車機、手前に川)

 これを聞いたときはバスの車庫と川とどういう関係があるのかよく分からなかったが、洗車機が特定施設になっていることを知って合点がいった。バスの車庫には洗車機があり、これが水質汚濁防止法の規制を受ける。
 洗車機は一見ひどい汚水を出すようには見えないが、乗用車を濡れ雑巾で拭くと雑巾が5枚くらい真っ黒になるから水質的に要注意の施設なのであろう。注意してドブ川を歩いてみると、タクシー車庫とコイン洗車場とガソリンスタンドも多かった。洗車機絡みの施設は川のそばにあると言えそうである。
 
 次に目を引いたのはNo.67の洗たく業、つまりクリーニング店である。洗剤混じりの排水とドライクリーニングの有機溶剤が警戒されているのであろう。クリーニング店も川沿いに多い。
 続いてNo.23-2の印刷業。文京区音羽には印刷工場が立ち並ぶエリアがあるがここには谷端川という川の暗渠が眠っている。No.66-2には旅館業がある。確かに旅館は川沿いに多い。田舎の旅館に泊まると玄関は街道沿いだが裏手は川に面していたりする。
 この表はひょっとして「使える」のではないか。特定施設の表を使えば川沿いにありそうな施設などたやすく特定できるのではないか。
 
 例えば暗渠に詳しいある人(※4)は「川沿いにはラムネ工場が多い」と書いているが、その理由もこの表を使えば解ける。表を見るとNo.10の項に飲料製造業がある。飲料工場の排水は糖分が濃くてBOD値が高すぎるので特殊な排水処理装置でないと処理できない。
 しかしラムネは昔の飲み物である。昔の飲料工場には高性能な処理装置は付けられなかったであろうから、「水処理に難あり」ということで排水しやすい川沿いに立地したであろう。
 
 しかしラムネは今はメジャーな飲み物ではないので、ラムネ工場はなくなってしまってもおかしくない。ところがうまい具合に「分野調整法」という法律があり、この法律が中小企業の多いラムネ製造部門への大企業の参入を制限している。この法律のおかげでラムネ業界では中小の工場が生き残りやすくなる。よって今あるラムネ工場は昔の生き残りである可能性が高い。つまり古い中小工場が昔の立地のまま残る。すると、

 ①ラムネが昔から飲まれた飲料であること、
 ②排水のBOD値が高いこと、
 ③大企業が参入できない


という3つの要素によってラムネ工場の川沿い立地の謎が解き明かされる。
 
 気をよくした私は次に病院がないかどうか調べてみた。
 私の見たところ、病院は川沿いに多い。確かに病院、特に手術を要するような診療科目は処理の難しい排水を出しそうである。現代の病院は使い捨ての医療器具と最新の浄化槽と下水道に頼ることができるが、昔はそうはいかない。感染リスクを押さえ込むには何でも洗い流して素早く排水することが不可欠であっただろう。果たして特定施設の表を見るとNo.68-2の項に病院がある。
 
 ところがここで対象になるのは病床数300以上の病院だけであった。
 300床というと結構な大病院である。これは私の感覚とは少し違う。川沿いに見かける病院は小さいものが多い。この表によれば小さい病院は水質汚濁防止法的には問題視されることはないはずなのに、川沿いに立地している。これはどういうことなのだろうか。
 
 しかも冷静に考えてみると、特定施設が川沿いに立地する理由というのもよく分からない。水質的に要注意の施設を川沿いに持ってきても排水がきれいになるわけではないからである。
 病院やバス車庫やラムネ工場やクリーニング店を川沿いに持ってきても、水はけが良くなって衛生的になるという利点があるくらいで排水自体はきれいにならない(※)。そうであれば水質汚濁防止法の特定施設になっていることとその施設が川沿いにあることの間に直接的な因果関係はない。いいツールを見つけたと思ったがだめだったか。
 
 病院やクリーニング店などが昔、排水をどのように処理していたかという資料はなかなか見つからない。
 専門書にも業界紙にも載っていないし、当事者にも尋ね難い。失礼な感じがするし、相手も聞かれたくないであろう。失礼を承知で訊くと彼ら自身も分からなかったりする。私の母親は長らく病院勤めをしていたが、排水のことは全く知らなかった。では保健所なら知っているかと思って訊くとそうでもない。
 
 なので自分がクリーニング店の経営者になったつもりで考えてみた。
 もし川から遠く離れた場所にクリーニング店を作ったらどうなるか。下水道がなかった時代は、排水は家々の前の側溝をダクダクと流れ去ることになる。その側溝は現代のコンクリート流し込み仕上げの暗渠ではなく、はめ込み式の蓋暗渠でもなく、開渠である。これは目立つ。
 流されるほうも何が混じっているか分からない排水が家の前を通れば苦情も言いたくなる。だから川沿いに病院やクリーニング店を作るのは水質の解決にはならないが、苦情対策にはなるであろう。
 明治13年に神奈川県が制定した「温泉及び洗場営業規則」にはこのような条文がある(※6)。

「第5条 浴場下水ハ大下水ニ連続セシメ大下水ナキ場合ハ溜桝ヲ設置スヘシ」

 大下水とは、今で言う下水幹線のことで、要するに浴場下水を側溝に放流することを禁じて下水幹線に直結するよう定めている。当時は下水幹線のある都市はわずかしかなく、下水幹線はあっても下水処理場がないから海に垂れ流しであるが、少なくとも往来の人に触れないようにする効果はある。

 するとこれは煙突と同じ発想なのかもしれない。
 高い煙突を作ることは大気汚染の解決にはならないが、低い煙突で煙が地上を這うよりはマシである。実際高い煙突を作ることは100年くらい前は優れた公害対策であった(※5)。ドブ川は下水道普及前夜における「水の煙突」なのではないか。
 川沿いでよく見かける銭湯と美容室も水質汚濁防止法で規制されてはいないが、「水の煙突」理論で見れば納得である。お湯やパーマ液混じりの水を流すので苦情対策はぜひとも必要である。こうしてみると、次のようなことが分かる。
 
 ・浄化槽法の規制も甘いが、水質汚濁防止法も結構甘い。
 ・したがって法律で規制されていなくても、苦情対策的に「水の煙突」が必要な施設はあって自主的に川沿いに立地した。
 ・現在川沿いにある特定施設は下水道普及前のそのような立地を引きずっている。

 
 ドブ川を「水の煙突」と考えると、コンクリート三面張りの構造も非常に納得がいくし、上部に蓋をして四方を囲った暗渠にしてしまうという発想も違和感がない。


(参考)
(※1)九十九里町汚水適正処理構想 平成22年度 九十九里町 
・7ページの表によると、同町のうち人口比で15.0%の地域は農業集落排水設備(ミニ下水道)が整備済みである。
・一方その他の地域には合併浄化槽が2500基設置されているのでこれを世帯数7116で割ると35.1%。
・よって両方ともない世帯(=単独浄化槽しかない世帯)の比率は、100-15.0-35.1=49.9%と計算される。
・ただし母数にした世帯数の時点が異なっていたり、工場や事業所の扱いを考慮していないのであくまで目安程度の計算である。

(※2)飲食店(ラーメン・中華)の排水等に関する調査結果 千葉県環境研究センター年報 
放流水のBODが平均2100mg/lという調査結果は衝撃的である。

(※3)東京peeling! 暗渠周辺の施設を解析して「ANGLE」システムを構築し、解析を観光化するという未知の領域に踏み込みつつあるサイト。

(※4)
暗渠さんぽ いつも暗渠のそばの食堂にふらふら入ってしまいながらも視点が鋭いサイト。

(※5)『ある町の高い煙突 (文春文庫 112-15)』新田次郎 明治時代の茨城県日立市がモデル。銅の精錬で出る排煙で被害を被った地元で、ある青年が公害防止のために奔走する。新田次郎は自然破壊をテーマにした作品がいくつかあるが、重いテーマながらどれもストーリーが面白い。

(※6)横浜下水道史 横浜市下水道局 平成5年

水質汚濁防止法特定施設(東京都環境局のホームページ)

48 ドブ川の水源としての側溝

ravin_bois (京都府宮津市)

 ドブ川の水源をたどると、最終的に住宅地の道路側溝に化けることが多い。
 開渠のドブ川→暗渠の開口部→水路敷地が明確な暗渠→道路と一体化してマンホールだけが存在を主張する暗渠→道路側溝しかなくなる
 という形で化ける(※1)。
 側溝は道路のある限りあちこち張り巡らされているから、どれが水源なのかは正確には分からない。そこで一番標高が低い位置を通る側溝を見て、「これが水源であろうな」と推定する。私のドブ川探索はそこで終わりである。

 側溝は正式には河川でも水路でもなく、道路の構造物の一部ということになっている。
 したがって私も側溝は「ドブ川」として捉えてはこなかった。
 
 自然河川(河川敷のある河川)>ドブ川(主に準用・普通河川・水路・公共溝渠)>側溝

 という序列が私の中にあり、「側溝とドブ川は違う」という区別をしてきたためでもある。
 しかし水の流れは継続しているし、例えば大きな側溝と細い水路の間には機能的な差異はほとんどない。そのうえ側溝はドブ川の最上流部を担っていることが多いので、だんだん気になってくる。
 そのようなわけで私は側溝に興味を抱くようになった。すると妙なことに気付いたのである。
 
 道路は雨のときにしっかり排水できないとスリップ事故の元になるので、それを防止する目的で側溝を設ける。道路の側溝は本来このためにある。
 したがって、側溝には住宅の下水を流してはいけないことになっている。
 道路の技術資料を読んでも、雨量の計算については詳しく書かれているのに、下水の流入量の計算については一切触れられていない(※2)。下水の流入はあってはならない事態であり、したがって想定してはいけないことになっていると見える。
 では、晴れた日に側溝を流れる泡だらけの水は何なのか?
 
 この妙な現象の原因は調べるとすぐに分かった。
 側溝に排水を流すことを全面禁止にすると、下水道のない地域では河川か水路に面したところにしか家を建てられないことになる。

 それでは困るので生活道路の市道などは「やむを得ない場合に限って」流してよいとする特例がある。側溝を流れる水はこの特例に基づいて滴下されるもののようである(※3 ※4)。
 調べた限り、この特例は市道には多く設けられ、県道にはあまりなく、国道はほとんどないように見受けられた。回りくどいことであるが、こうしないと収拾が付かなくなるのであろう。
 
 側溝の形態は、昔は開渠が多かったが、落ちると危ないのでやがて蓋掛が多くなり、しかし蓋掛は車重で破損しやすいということで、現在は暗渠の埋設管が主流になっている。暗渠はドブさらいができないのが難点だが、今は集水桝からバキュームで吸い出す機械があるので問題ない。
 
 設置場所は多くのパターンがある。

A車道と歩道が縁石で分かれていない道路の場合
A1道路の端に側溝(開渠)を設けるパターン
     ravin_a1 (埼玉県白岡市)

A2道路の端に側溝(蓋掛)を設けるパターン
     ravin_a2-1 (兵庫県豊岡市)

A3道路の端に側溝(暗渠)を設けるパターン
     ravin_a3 ravin_a3-dd
     (左:通常型(愛媛県宇和島市)、右:開渠の下に暗渠を配したダブルデッカータイプ(大阪市淀川区))

B車道と歩道が縁石で分かれている道路の場合
B1 車道の端(エプロンという)の直下と歩道の端に側溝を通すパターン。車道部分は暗渠、歩道部分は蓋掛にする場合が多い。 
     ravin_b1 (愛媛県宇和島市)

B2 エプロン直下だけに側溝(暗渠)を通し、歩道には設けないパターン
     ravin_b2(東京都中央区)

B3 歩道の直下だけに側溝(蓋掛)を設けて、車道に降った水はエプロンに設けた集水桝で経由で歩道直下の側溝(蓋掛)に流し込むパターン
     ravin_b3-1 ravin_b3_dessine
(左:通常型(岐阜県中津川市)、右:歩道拡幅のために敢えて歩道のマンホール暗渠に雨水排水を統合したタイプ(エプロンの四角いグレーチングで集水する。車道のマンホールは汚水用。 神戸市中央区))

Cその他
C1 どちらにも設けないパターン
     ravin_c1 (東京都渋谷区 写真の道路は正確には区道扱いの水路敷地である)

C2 側溝はないが、道路の横に水路(開渠)が並行しているパターン
     ravin_c2 (京都府宮津市)
  
C3 側溝はないが、道路の横に水路(蓋掛)が並行しているパターン(水田地帯が住宅地になったところに多い)。
     ravin_c3 (埼玉県戸田市)


 このように、側溝の設置形態は主なものだけで9パターンもある。
 この中で私が面白いと思うのは、C2C3である。側溝は水路ではない建前であるが、実際には両者はウヤムヤな補完関係にある。
 
 例えばC2の水路が農業用水路であった場合、道路に降った雨は水路にも流れ込んでしまうから、事実上道路の側溝を兼ねることになる。また、水路沿いの家が排水口を設けたりするので排水路化する。
 この状態が進むと、水路が農業用水路としての機能を失って排水路になり、くさいし危ないから、と蓋をする。
 するとC3になる。この状態になると、水路は道路側溝・兼歩道・兼排水路といった性格を帯びるようになる。
 
 このように側溝と水路の関係は、成り行き任せのウヤムヤである。
 このウヤムヤは大変興味深い。ドブ川自体が下水路か河川か判別し難いウヤムヤな存在だからである。その源流がウヤムヤな側溝であるというのは、成り行きとしてありそうな話である。このウヤムヤにドブ川を解く鍵がありそうでもある。
 しかし私はそのまま放置しておいた。「だからどうだ」ということでもあるし、漠然とした話で取っ掛かりが掴めなかったからである。しかしある日、その鍵を発見した。
 
 東京都台東区上野公園。
 不忍池のほとりに下町風俗資料館という施設がある。ここでは大正時代から戦前くらいまでの東京の下町の街並みを保存している。ここに大正時代のドブのレプリカの展示がある。
 狭い路地の中央を木の蓋の掛けられたドブが走り、各戸の炊事場から流れ出る下水を受け止めている。ドブの幅は30cm程度と狭い。

 下町風俗資料館の昔のドブ(資料館HPにリンク) 

 このドブは路面の雨水排水と住宅排水を引き受けているのであるが、現代人の私から見ると、これがウヤムヤな処理だという感じはしない。当時の水源は長屋の端の井戸であり、使用水量も少なく、便所は汲み取り式で別系統、風呂も銭湯で別系統、路地も狭いから処理する雨水も少なく、と全体的にコンパクトに納まっているからである。
 このコンパクトさは井戸という上水インフラの貧弱さのおかげともいえる。
 
 ドブのコンパクトさが上水インフラの貧弱さに起因しているということは、文京区にある東京都水道歴史館に行くとよく分かる。ここは近代水道ができる前、つまり江戸時代の上水道の仕組みを展示しているが、この展示を見ると上水とドブの関係が系統的に分かる。

 ①多摩川から玉川上水を経由して、上水が江戸市中に引き込まれる。
 ②引き込まれた上水は、木製の堅牢な水道管で長屋の路地まで引き込まれる。
 ③路地の広場に上水を溜めておく「上水井戸」という地下タンクがあり、人々はそこで水を汲む。
 ④井戸水を汲む場所の端には、こぼれた水を集める排水口があり、そのままドブに流れるようになっている。
 ⑤ドブは下町風俗資料館のものと同じで、長屋の排水を集めながら木製の蓋の下を流れる。
 

 上水→井戸→ドブ。明快である。
 しかしこの単純で美しい関係は、近代水道の開通と水洗便所の普及で崩れていく。
 近代水道の最大の功績は、鉄管とポンプの組み合わせで各家庭への個別給水を可能にしたことである。
 ポンプの導入は、元はと言えば横浜の外国人が消防用に猛烈に要望したためであったが、この便利さを背景に、水道付きの台所を備えた文化住宅というものが大正時代に登場する。  
 さらに戦後になると水洗便所が普及し、下水の水量と汚濁物質を飛躍的に増やす。こうなると木製のドブではどうにもならない。再編成が必要である。

 下町風俗資料館の説明書きによると、戦後「下水」の敷設が進んだ、とある。
 この「下水」は、現在あるような下水処理場に続く下水幹線ではなく、単にドブを暗渠化した下水路であるという。水量と汚濁物質が飛躍的に増加してしまった東京の下水を捌くために、そのようなものが取り急ぎ作られたようである。つまりこういう変遷が見える。

少量で汚濁度も低い排水の流路としての側溝→大量で汚濁度も高い排水の流路としての暗渠下水→その後の合流式下水道の素地になる

 側溝を下水路に変質させた因子は「水の使用量と用途の拡大」、ということができる。
 しかしこの因子が全てではない。
 東京の下町は住宅密集地だからこのあたりの物事が早回しで展開するが、郊外ではもっと緩慢に進むので他の事情もあることが分かる。

 郊外は人口密度が低いので東京の暗渠のような贅沢な施設を作れない。では近傍の水路に排水しようかということになるが、水路はたいてい農業用水路を兼ねている。ここに流すわけにはいかない。ではどうしていたか。
 昔の農家で育った人に訊くと、昔の郊外の排水処理はこうだという。この人の実家の農家は神奈川県横浜市の郊外にあり、家の前を川が流れていた。

・住宅の排水は庭の手掘りの水路に流す。
・電気洗濯機も水洗便所もなく、排水量が少ないので、しばらく流れると土に浸み込んでしまい、川には流れない。

 
 単純である。
 しかし電気洗濯機や水洗便所を使うようになるとこの方式は行き詰まり、排水先が必要になる。どこに排水してたんですか?

「その頃には実家を出ちゃったからよく分からない」

 仕方ないので昔の農業用水路の仕組みを調べることにする。渋谷や品川辺りであれば農村時代の史料が豊富に残っているので好都合である。仕組みはこう。

  ①多摩川の水が、玉川上水や枝分かれした上水経由で農業用水が流れてくる。
  ②用水路は人工的に掘られ、広範囲の給水を可能にするために台地の尾根を繋いで高いところを流れてくる。
  ③枝分かれした水路で水田に供給される。
  ④水田は収穫前に水を落とす必要があるので、排水用に設けた水路(登記上の用語で「用悪水路」という)に流す。
  ⑤用悪水路はいらない水を流す機能だけがあればいいので、農村の低いところを自然流下する。
  ⑥よって農村にはきれいな用水路と、用済みの水を流す用悪水路の2つのネットワークが並存する。用悪水路のルートは自然河川の流路と一致し、きれいな用水路は用悪水路よりも一段高い場所を並行して流れる。(※5)
 
 
 このことから次のようなことが推測される。

・地形的要因から、家庭の排水の受け入れ先は用悪水路となるであろう。
・これも地形的な要因から、用悪水路は「水はけの悪いドブ」になりやすいであろう。
・その用悪水路の水を引き受ける自然河川はドブ川化する宿命にある。


 このあり方は現代の道路側溝に似ている。「用悪水路=水田の落とし水の排水先」という本来の機能がありながら、なし崩し的に生活排水の排水先になってしまうというポジションが似ている。
 しかも供給用のきれいな農業用水路も、水田の宅地化が進んで不要になってしまえば生活雑排水の受け皿に化けるというドブ川予備軍的な立場にある。これは以前、川崎の二ヶ領用水で見たとおりである。
 ドブ川のウヤムヤは、稲作の衰退と、家庭の水使用の増加と、下水処理の難しさの隙間を埋めるという役割に端を発していて、その程度の強弱で化け方が変わるという態様がウヤムヤに輪を掛けているといえる。


<参考にした施設>
下町風俗資料館(東京都台東区上野公園内)昔のドブの写真あり 
東京都水道歴史館(東京都文京区)水道局の施設らしく高台の給水所の隣にある。

<参考にした書籍>
※1 地形を楽しむ東京「暗渠」散歩 平成24年 本田創・編 洋泉社
開渠の川が暗渠になった後のことについてはこの書籍におまかせである。
※5 春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6) 平成23年 田原光泰 (株)之潮
農村だった渋谷から農業用水路網が失われ、側溝が新設される過程が詳細に載っている。

<参考にしたウェブサイト>
※2 「岐阜県道路設計要領 第4章 排水」(岐阜県のHP)
※3 「合併浄化槽処理水の市道側溝への放流に係る道路占用の取り扱いについて」(栃木県下野市のHP)
※4 「雨水排水等の県管理道路側溝への接続にかかる取り扱いについて(通知)」(三重県のHP)


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55 この水は飲料水として使用できます

  この水は飲料水に使用できます

 ビジネスホテルの洗面台の蛇口に、「この水は飲料水として使用できます」というプレートが貼ってあるのを見かける。頻度はそう高くないが、建築年代の古そうなホテルではしばしば目にする。

 ビジネスホテルには大抵湯沸し用のポットがあるが、そこに入れる水を供給できる場所はユニットバスの洗面台しかない。洗面台の水も上水道であることに変わりはないからここで汲んでも問題ないけれども、ここは歯を磨く場所であって飲み水を汲むには多少不潔な感じがする。この抵抗感を払拭させるためにプレートが貼られているものと思われる。

 とはいうものの、このプレートは少しくどいのではないかと思う。
 洗面所の水道が上水道であることは誰でも知っていることであり、そのようなことをいちいち表明するのはホテルにありがちな過剰な丁寧さの表れではないか、そう思っていたのである。

 ところがこのプレートはそのためにあるのではないらしいことに気付いた。
 私はある温泉地で銭湯に入っていた。この温泉地には温泉を使った銭湯があり、銭湯料金で温泉に入れる。
 お得なことだと満喫しつつ浸かっていると、洗い場にいる子供が「のどが渇いた」といい、蛇口の水を飲もうとした。すると番台のおじさんが飛んできて、それは飲んじゃいかん、あっちの水道のを飲めという。「あっち」には「飲用水」と描かれた蛇口があった。
 
 あっちの蛇口とこっちの蛇口はどう違うのか。
 
 温泉を引いた銭湯の蛇口から出る水は温泉水である。
 温泉水には微量の砒素が入っていることが多い。砒素は毒性のある物質として知られている。(※)
 人間の体は微量の砒素であればダメージを受けずに済むようにできているので、温泉水に含まれている程度の砒素を飲んでも問題になることはあまりないと思うが、それでも水道法の基準値を超える砒素くらいは入っている。日常的な飲用に適さないのは確かで、よって水道水の蛇口を別に設けているのであろう。
 
 しかしこれが温泉水でなかったらどうか。例えば東京都心の銭湯ならどうか。
 都心の銭湯は褐色の鉱泉水を用いているところもあるが、そうでないところでも井戸水を使っているところは少なからずある。井戸水は温泉水のような問題はなさそうであるが、衛生上の問題で飲用に適しないものもあるから、結論として銭湯の蛇口の水は飲用には適さないということになる。
 
 では旅館の浴場はどうか。
 旅館もわりと井戸水を使う業種である。当然浴室には井戸水を使いたいであろう。旅館の設備に関する規程は自治体によって微妙に異なるので一概に言えないが、厚生労働省の「旅館業における衛生等管理要領」によれば、おおむね次のようになっている。

   6511 旅館

  ・浴室の水が衛生的であることは求めているが、飲用可能であることまでは求めていない。
  ・ただし、共同浴室には「1箇所以上の飲用水の供給設備の設置」を求めている。
  ・また、旅館の設備としては、飲料水を衛生的で十分に供給し得る設備を「適切に配置」することを求めている。
  ・この要領はホテル(=宿泊の態様が洋風であるような様式の構造及び設備を主とする施設)についても適用される。


 この要領の基準を満たせばよいとするなら、「ホテル客室のトイレや浴室にはなるべく井戸水を使用し、飲料水用には上水道を一本引いて済ませればいいのではないか」という考えが出てくるであろう。水道代を節約しようとすれば当然こういう発想はあり得る。
 
 例えば、数年前には東京都内のホテルが井戸水の使用量を過少申告して下水道料金を逃れた、というニュースが報じられた。
 ホテルの用水に井戸水を使った場合、上水道料金はかからないが、排水は下水道に流すから下水道料金を支払う必要がある。下水道料金は上水道がある場所では上水道の使用量に比例して課せられるが、井戸水の場合は配管にメーターを付けておき、この計測値で下水道料金が決まることになっている。しかしメーターを迂回するバイパス配管を作れば井戸水の使用量を過少申告できるという理屈である。
 
 このニュースから読み取れるのは、こういうことが起きることの前提として上水道料金を節約するための井戸水利用がある、ということである。
 東京都の記者発表資料によれば、このホテルは、3年2ヶ月の間に約50,000㎥の水を過少申告していたようである。
 したがって井戸水の供給能力は少なくともこの水量以上ということになる。これを1日あたりに換算すると約43㎥つまり43000リットル。
 ホテルの客室で使用する水量はツイン1室1日あたり500リットルとして86室分。このホテルが井戸水をどう使っていたかは分からないが、客室トイレや浴室の水源として十分使用しうる供給水量だとは言える。
 
 すると件のプレートは丁寧さの現れではなく、そのような使用形態のホテルにおいて飲料用に引いた上水道の所在を明らかにする役割を担っていると言える。
 となると、プレートの張ってあるホテルでは現地の井戸水と水道水の飲み比べができることになる。
 
 これは便利なシステムである。箱根や日光などの山間部では両者の違いはないかもしれないが、東京や名古屋など低地の大都市部では顕著な違いがあるかもしれない。プレートを見つけるのが楽しみになってきた。

(追記)
 その後いい物件に遭遇したので、冒頭の写真をその時のものに差し替えた。
 詳しくはこちら。修正用雑記帳その15「この水は飲料水として使用できます」関連


(参考にした書籍とウェブサイト)
場外乱闘はこれからだ (文春文庫 (334‐1)) 椎名誠 1984年 
この中の「大鼎談・この際だからホテルの疑惑について徹底追及するのだ」で「飲料水」の表記についてするどく追及しており、この当時から存在するシステムであることが窺える。

秋田市のホテル営業等構造設備の基準
この表は分かりやすい。

※ 愛知県衛生研究所の砒素に関する解説ページ
砒素は化学形態の理解が難しい元素ながら、このページの説明はわりと平易に書かれていて理解しやすい。


<目次にもどる>

59 一級河川荒川起点の碑

  arakawa1 荒川(埼玉県寄居町)

 川の博物館は埼玉県寄居町、荒川のほとりにある。
 その名のとおり河川、特に荒川をテーマにした県立博物館である。聞くと「荒川を切り口に自然科学や人文科学を捉える総合博物館」というスタンスの施設のようである。
 この博物館の庭に、荒川全体を1000分の1に縮小した立体模型がある。荒川は全長173kmなので模型の荒川の延長は173m。山や谷も正確に1000分の1でできているので、身長170cmの人は1700m上空からの風景を眺めることになる。

 秩父の山岳地帯から東京湾まで荒川が流れる様を俯瞰するとなかなか壮観である。秩父の山々はなかなかに険しく、下流の下町低地はなかなかに広い。
 中流の埼玉県平野部は平凡な風景であるが、実はここがキモで、元々利根川と合流していた荒川を分離したり、その荒川を入間川と合流させたり、その合流地点で水害が起こらないように二本の河川を何kmも並行させたり、と芸の細かいことをやっている。それはすべて下流の江戸や東京が水害に遭わないようにするためと、低湿地帯を米作地帯にして江戸に供給するためであった、というようなことを博物館のガイドの人が説明してくれる。
 
 ガイドは模型の上流部、秩父の山奥のあたりの黄色い印の付いた点を指して、「ここが一級河川としての荒川の起点です」と教えてくれる。
 山中の沢と沢が合流する地点にそれはあり、そこからが荒川なのだそうである。しかしそのまた上流にも水流は続き、「源流点」というものが別にあるという。模型を見ると確かに「起点」の上流にも流れはあり、赤い印の付いた源流点まで続いている。
 
 その部分の水流はナニモノなのか。
 
  源流点から一級河川起点まで
   (源流点と一級河川基点の位置関係 川の博物館の荒川大模型173を撮影し加筆

 荒川は国や埼玉県が管理する一級河川であるが、それは治水と利水管理の必要からであって、その必要性が低い区間は一級河川にする必要がない。
 これは他の川も同じで、例えば一級河川多摩川に注ぐ川崎市の平瀬川は途中までは一級河川に指定されているが、そこから上流は普通河川に「格下げ」される。その区間が「ドブ川」と呼ばれやすく、そのあいまいな態様は以前触れたとおりであるが、それは上流部が市街地に収まっている場合の話である。
 
 山の中の場合は事情が異なるような気がする。
 市街地のようにコンクリート製の水路構造物が無いだろうし、水流の始まりが木の根元だったりして曖昧な気もする。そういう水流も普通河川と呼ぶのだろうか。
 「普通河川=ドブ川」という観念がある私にはどうも違和感がある。しかし普通河川でないなら何なのか。沢か、渓谷かそれとも他の用語があるのか?
 
 荒川のこの起点は、埼玉県秩父市大滝の「東京大学付属秩父演習林内27林班地先(左岸の場合。右岸は22林班地先)」というところにある。
 ハイキング客には結構有名らしく、多くのウェブサイトで起点の石碑を見に行ったという旅行記を見ることができるが、当然ながら多くの人はその上流の水流が法的に何なのかには興味が無いので、その点について触れたものはない。
 私としても、それが分からなくても特に差し支えないのであるが、「河川法で指定されていない水流=ドブ川」という観念が身についてしまっているので、「河川法で指定されていないけれどドブ川でない川」が何者なのかが気になる。
 「ドブ川でない川」は、それがむしろ川の本来あるべき姿なのであって、それを何と呼ぶのかなどとギモンに思うのは少し屈折しているように思うが、面白そうなので解明してみる。
 
 起点の碑より下流部が一級河川に指定されているのは、河川法という法律で治水管理しないと収拾が付かなくなるからである。では源流点から起点の碑に至るまでの水流は何の管理をしなくても収拾が付くのか?
 おそらくそんなことはない。
 源流部は源流部で土砂が流れ出るのを食い止めなければならない。ならばそのための法律が、山中の水流のことを何らかの用語で定義しているはずである。調べるとこれは「土石流危険渓流」という用語で、次のようなことになっていた。
 
 ・「渓流」のうち、勾配が15度以上で、「人家のある『土石流危険区域』に流入する渓流」「土石流危険渓流」に指定される。
 ・土石流危険区域とは「想定される最大規模の土石流が発生した場合、土砂の氾濫が予想される区域」のことである。 

 渓流。河川の上流端の先は渓流と呼ぶのであったか。してみると渓流とは何か。
 
 ・渓流とは、「山麓における扇状の地形の地域に流入する地点より上流の部分の勾配が急な河川(当該上流の流域面積が五平方キロメートル以下であるものに限る)」
のことのようである。
 
 これは「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律施行令」というところにひっそり載っている。川が山から平地に流れ出てドバーっと扇状地を形成するあたりより上流が渓流だと言っている。

  渓流模式図
   (荒川大模型173の秩父盆地付近によるイメージ。ただし現地の指定状況は正確に反映していない。) 

 
 ここで注目すべきは「勾配が急な河川」という表現である。なんと渓流は河川なのであった。
 河川の上流端の先は渓流だと思っていたが、そこも河川であるという。私は渓流にかなり期待を寄せていたのである
が、振り出しに戻ってしまった。
 そこで別の角度から調べてみた。渓流と河川はいかなる関係にあるのか?

  ・土石流危険渓流は、川の最上流部に多く、ある程度の川幅になっている箇所は土石流危険渓流に指定されていない。
  ・しかし一級河川であっても最上流部になると土石流危険渓流に指定されていたりする。
  ・普通河川で土石流危険渓流に指定されているものもある。
  ・それらの普通河川の多くには「○○沢」という名が付いている。名前は沢でも普通河川である。

 土石流危険渓流という用語は「土石流を防がなければならない水流かどうか」という視点だけで水流を捉えているので、それが「治水や利水管理しなければならない河川かどうか」は念頭にないようである。したがって土石流危険「渓流」でありながら普通河川であったり、まれに一級河川であったりする。クロスジャンルなのである。
 
 山間部の水流においては、「土石流を防ぐ」という行為と「治水する」という行為は似ているので、このような区分の仕方は分かりにくい気もするが、山を下って河川の幅が広くなればそれは土石流対策というよりはやはり治水であり、山を上って狭くなれば逆に土石流対策を超えて「治山」ということになってくることは間違いない。
 おそらくそういうような事情で法律で縦割りにして、「オーバーラップする部分があっても仕方なし」という便法が取られているものと見える。
 オーバーラップを容認しないと例えば、「国有林の中の一級河川の細流は森林法が適用されるからそこだけは一級河川でなくなってしまう」というような別の方面の問題が発生するようである。言われてみれば確かにそうである。
 
 ということで話を戻すと、さきの荒川の問いの答えは、
「一級河川荒川の基点より上流の水流は普通河川である。」
となる。
 普通河川、すなわち「ただの川」である。山中の水流もただの川、市街地のドブ川もただの川。



埼玉県立川の博物館のHPはこちら 荒川の模型はどうやら水を流すこともできるようである。

(参考にしたウェブサイトと文献)
①「市町村水道等の水利権取得状況」(埼玉県HP掲載 PDFファイル) 
 荒川源流域の水流の状況が分かる。

②秩父市地域防災計画 (秩父市HP掲載 PDFファイル)
 262ページに土石流危険渓流一覧表があり、①と照らし合わせると、「一級河川で土石流危険渓流」であるものや「普通河川で土石流危険渓流」であるものなどがあぶりだされる。

③「水法論序説 -特に国有林野上の普通河川をめぐって-」黒木三郎 (早稲田大学リポジトリに掲載 PDFファイル)
 「国有林内にある一級河川は農林水産省のものなのか国土交通省のものなのか?」という争いがかつてあったらしく、それについて述べた論文。
 結論は「農林水産省のものとして扱っていいけど、河川の管理は国土交通省とよく話し合ってくださいね」といったようなものである。
 この論文は「それは分かったけど、じゃあ河川法の絡まない普通河川はどうなんですか?地下水はどうなんですか?」という点について論じている。
 なお、この論文が書かれたのは昭和61年で、その後の平成11年の地方分権一括法によって普通河川の扱いはかなり変わったから注意が必要であるが、国有林内の普通河川に関しては引き続き農林水産省のもの、ということで変わりがないようである。そのことについては④の文書で説明されている。

④「法定外公共物に係る国有財産の扱いについて」平成11年7月16日 大蔵省理財局長


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60 法定外公共物にただよう情趣について考える

 maizuru1 水路(京都府舞鶴市)

 第31章「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」で、日頃私がドブ川と呼んでいる水路や普通河川(以下「水路」という)が法定外公共物とよばれるカテゴリーに入るということを述べた。この時に「公共用財産」や「普通財産」といったカテゴリーの定義を間違えた。
 
 この間違いは私の不勉強によるものであったが、せっかくなので「なぜこのような間違え方をしたのか?」を掘り下げてみると興味深いことに気が付いた。この間違いはおそらく、ドブ川が法的に中途半端な存在であることが関係している。
 自分のミスを法律のせいにしようとしているわけであるが、それも兼ねて少々眠たい分野ながらこの点の解明にチャレンジしたい。ただし私はこの分野の専門家ではないので、これから書くことは「ドブ川行政法学習ノート」くらいに捉えていただければ幸いである。
 
 水路は法律的には国有財産法というところから入る。
 正確には、平成11年以降は零細な水路はほとんど県や市に譲られたので「国有」財産ではないが、ここでは話を簡単にするために国有であった時代の仕組みで考えることにする。
 
 まず、国有財産は
①行政財産
②普通財産
に分けられる。
 両者の違いは「行政目的に供せられているかそうでないか」という点である。行政目的つまり、「行政機関がやっている仕事に使われているかどうか」で分ける。例えば、

・河川敷は「川の水を流す」という行政目的に供せられているので①行政財産であるが、
・流路が変わってそういう目的に供せられなくなった区間の土地は②普通財産になる。

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 次に①行政財産は①a公用財産と①b公共用財産と①c皇室用財産と①d森林経営用財産に分けられる。
 ①a公用財産は、河川の水門の管理事務所など役所が直接使っているもの
 ①b公共用財産は、河川本体のように誰でも自由に使えるもの
である。誰でも川に水を流してよいし、河川敷で遊んでよい。①cと①dはここでは割愛する。

  doblaw2

 このうちドブ川にかかわりの深いのは①b公共用財産である。これがさらに「法定公共用財産」「法定外公共用財産」に分かれる。
 法定の「法」とは、道路法や河川法や海岸法など、道路や川や海を管理しようとする専門の法律のことである。川の場合は、

・河川法が適用・準用される一級・二級・準用河川の土地は「法定公共用財産」
・河川法が適用されない水路(普通河川・公共溝渠)の土地は「法定外公共用財産」

となる。

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 しかしここで困ったことが起こる。「財産」とはこの場合、水が流れている土地のことを指す。しかし河川は土地だけで成立するものではなく、その上を流れる水があってはじめて河川である。しかし水は土地と違って不動産や動産ではないので、財産とは言えない。これらをまとめて何と呼んだらよいか。
 そこで、財産(ここでは河川の土地)とその上にある公物(ここでは水)の総体(ここでは河川)を「公共物」と呼ぶことにした。つまりこうなる。

 ・公共用財産(土地)+公物(水)=公共物(河川)

 これをもとに、

 ・一級・二級・準用河川=法定公共用財産+公物=「法定公共物」
 ・水路(普通河川・公共溝渠)=法定外公共用財産+公物=「法定外公共物」

といった具合にカテゴリーが作られた。

  doblaw4

 このうち後者の「法定外公共物」はドブ川について調べていると各地の市役所のホームページに頻繁に出てくるので、少し馴染みのある用語である。
 法定外公共物は明治以来平成11年まで国有財産であったが、「そういう各地の細かい水路は地方自治体に譲りますよ」ということで、現在は主に市町村の「公有財産」になり、根拠になる法律も地方自治法ということになっている。市役所のホームページに頻繁に出てくるのはそのためである。

 各地の市役所には「家と水路の敷地境界を調べたい」とか「家の前を流れている水路に橋を架けたい」とか、「水路の敷地を買いたい」といった要望が寄せられるらしく、それらに関するQ&Aがホームページに書かれている。
 そこには、「水路に橋を架ける」くらいは許可を得ればできなくはないが、「水路の土地を買いたい」はダメだと書いてある。
 なぜダメかというと、水路は水を流すという公共機能を持つ「公共物」だからである。

 ・水路は治水上さほど重要でないから河川法で管理されていない(=法定外)だけで、
 ・公共的な機能を担っていることに変わりはなく(=公共物)、
 ・したがってその敷地は公共用財産であり、
 ・するとこれは①行政財産ということになり、
 ・そこで地方自治法を見ると「行政財産は売り払ってはならない」と書いてあるから、
 ・水路の敷地を売るのは無理。

というロジックである。これはなかなか分かりにくい構造である。

 ・水路は河川法で管理されないので「法定外」ではあるが、「行政財産」でなくなるわけではないという点と、
 ・「法定外」の「法」に国有財産法や地方自治法が含まれない

という点が分かりにくい。
 しかしこの分かりにくさの中にポイントがある。なぜならこれを裏返すと、
 
 ・水路は、公共物(つまり行政財産)なので売り払うことはできないが、
 ・水を流すという機能が失われて正式に廃止する手続きを経れば、
 ・公共物でなくなり、
 ・行政財産でない、ということになり、
 ・つまり普通財産となって売り払えるようになるし、
 ・しかも平成11年からは水路の敷地は市町村に譲り渡されていることが多いので、この手続きが市役所の中だけで完結する。(※)
 
 という仕組みが用意されているからである。
 これは敷地が国有である一級・二級・準用河川などにはない水路・普通河川独特の仕組みである。
 するとこういう二層構造が見えてくる。

 A 一級・二級・準用河川=法定公共物。公共物であり、河川法で管理されてもいる二重に縛られた本命行政財産。
 B 水路・普通河川
=法定外公共物。公共物ではあるが、河川法では管理されてはいないという、ゆるめの行政財産。水を流すという機能がなくなれば行政財産でなくなるので「普通財産一歩手前の行政財産」とも言える。
 実際にはこの下に
C かつて河川や水路であったが今はそうでない「旧法定外公共物」というものがあり、これは公共物ではなく、したがって行政財産ではなく、普通財産とされ、売り払い自由、というものもあるので三層構造である。

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 A→B→Cの順に管理の度合いは緩くなり、水を流すという機能が薄れていく。法律にはそのようなことは書いていないが、事実上そうなっている。
 ここで注目したいのはBである。Bの顔ぶれは、河川名が付いて滔々と水が流れてAに負けず劣らずのものから、無名で水が枯れてC寸前のものまで多種多様であるが、基調としては、「Aの予備軍である一方で、Cに格下げされる地ならしの場」としての性格を持つようになる。このようなあいまいな性格付けの結果、Bのカテゴリーには悪く言えばうらぶれて管理不明瞭、よく言えば情趣が漂うようになる。護岸に盆栽を並べられたりして、路地裏のごとき生活感をまとうようになる。私がドブ川に感じている親しみやすさの源はこの辺りにある。  



※詳しくはこちら。第31章 「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」

(参考にした文献とウェブサイト)
公共用財産管理の手引―いわゆる法定外公共物 建設大臣官房会計課/監修 平成7年
 役所の人向けの業務用参考書と思われるが、わりと分かりやすく書いてあるので法律を全く知らなくてもさほど難しくない。少し古いが、難解なドブ川行政法を解くには絶好の解説書。東京都立中央図書館などで閲覧可能。

「法定外公共物に係る国有財産の取り扱いについて」 平成11年7月16日 大蔵省理財局長   

「法定外公共物(里道・水路)に関する取り扱いが変わりました!!」 香川県東かがわ市のHP

国有財産法 この地味なタイトルの法律の第3条に国有財産の分類の仕方が書いてある。

地方自治法 この法律の第238条というところに、ドブ川の法的なポジションが書かれている。この法律は299条まである長い法律なので238条以外は全く読む気がしないが、まれに「市になるには人口5万人以上で、全戸数の6割以上が中心の市街地になければならなくて、商工業従事者世帯の人口が全人口の6割以上なければならない(第8条)」というような面白いことも書いてある。


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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