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19 (ここから川崎編) 遊園のラビリント

 川崎市の下水道普及率は99.3%である。
 このような都市には、強烈なにおいを発するドブ川は存在し得ない。
 よってそういう川、私がよぶところの「古典派ドブ川」の生態を観察したい時にはもっと普及率の低い市に行く。だからそんな川崎市で古典派ドブ川に遭遇した時はとても驚いた。

 川崎の市域は多摩川沿いに細く広がっている。
 ここに多摩川低地という川沿いの細長い平野があって、この平野を貫流するように、つまり多摩川に並行するように二ヶ領用水という人工の用水路がある。これは上流で多摩川の水を取水して多摩川低地の水田を潤すためのもので、江戸時代に作られた。

 「水がほしければ、そばに流れている多摩川の水を横に引っ張ってきて使えばいいんじゃないか」
 
 私は長らくそう思っていたのだが、それは浅はかな考えというもので次のような事情でできなかったようである。
 
 ①多摩川下流部の水は満潮時に海水が混入するので農業用に使えない。特に海岸部の新田で使えない。
 ②川は平野の一番低いところを流れているので、そこから横に水を引こうと思っても水は流れない。
 
 よって江戸幕府は標高の高い多摩川の川上で取水してそこから高低差をコントロールしつつ、川下の川崎の隅々まで水を流す二ヶ領用水を作った。なるほど。
 
 川崎市内ではこの二ヶ領用水の支流が分岐して網の目のように発達したあげくに、それらが都市化で一気に不要になって、暗渠にされたり、開渠の水路として残されたりしている。
 このような現象は東京でも同じように起きたけれども、川崎の都市化は東京ほどシビアではなかったので、東京のように用水網が徹底的に抹消されることはなかった。東京で暗渠にされるような川でも川崎では開渠として残り、東京でアスファルト道路になってしまうような細流も、川崎ではフタをしただけの「ドブ板歩道」として痕跡を残した。
 したがって川崎市内には膨大な数の用水路の遺構があり、特に市街化の遅かった北部の多摩区に多く残されている。そのことをその方面に詳しい人(※)に教えてもらったので、私も見に行ってみた。

 二ヶ領用水路網
 二ヶ領用水路網(用水沿いの久地円筒分水に掲げられていた案内図の画像に加筆。クリックして拡大して下さい)

 ドブ板水路
 多摩区に多いタイプの用水路の遺構
 
 小田急線の向ヶ丘遊園駅を降りると、既に駅前にいくつものドブ板細道がある。まるでドブ板細道のラビリントである。
 適当にそのうちのひとつを選んで歩くと、水路にフタをしただけの1m幅くらいの路地が続き、しばらく行くと幅が広くなってフタの一部がグレーチング(金属製の格子)に変わり、そこから下水のにおいが立ち上ってくる。おやおや、と思う。
 
 現代の下水路は基本的に地下に密閉されている。言うまでもなく下水臭が漏れないようにするためで、メンテナンスはマンホールのフタを開けることによって行う。
 下水臭が地上に漂ったとしてもそれは設備の不具合による不測の事態であって、はじめから下水路のフタを通気性のあるグレーチングにするということはしない。通気性のあるフタを使うのは、雨水用の側溝や農業用水路などきれいな水が流れる水路だけである。
 
 不思議に思いつつ下流に向かって歩くと、フタは再びグレーチングのない密閉式に変わってにおいはしばし途絶えるが、しばらく行ったJR南武線の宿河原駅の近くでこの水路が突然開渠になる。その水質やいかに、と覗くと濁った水がベギアトアの繁茂する川底をゆっくりと流れ、硫化水素臭がしていた。川崎でこれを見るとは。

 この水路はその先で二ヶ領用水宿河原線という水路に合流しかかるが、二ヶ領用水宿河原線を流れている水は多摩川から取水したきれいな水なので、これに汚水を合流させるのは躊躇われたらしく、宿河原線の水路に並行する暗渠が作られて何キロか続き、その先の下流でこっそり合流していた。

 私はこの汚水が何者なのかまったく理解できなかった。下水道普及率99.3%というのは、発生する下水のほぼ全量が下水管を通るという意味であり、開渠の水路や側溝に下水が流れることはほぼないという数字のはずである。
 川崎市の下水道台帳を見ると、私が見たドブ板水路は下水路ではなく、下水路はドブ板水路の1mばかり横の地下に埋設されている。
 するとこのドブ板水路はやはり二ヶ領用水のネットワークを形成する農業用水路だろうか。下水管が横に埋まっているのに、そういう水路に汚水が流れたりするものなのだろうか。まだ信じがたい。

ベギアトアA
白濁した水路が二ヶ領用水に接近する場面(左が二ヶ領用水宿河原線、右が件の水路)
 
ドブ板水路模式図

 
 私がドブ板の上でモヤモヤ考えていると、ちょうど近くで下水工事をしているのが目に入った。その工事のおじさんに恐る恐る聞いてみたところ、次のようなことを教えてくれた。

 ①われわれは下水管を太くして敷き直す工事をしている。
 ②そこに蓋掛の水路(私が悩んでいた水路の至近にも別系統のドブ板水路があった)があるが、それは下水路ではなく、昔からの「水路」なのでそこには接続しない。
 ③下水管を敷くには深さ2mのその水路の下をくぐらせるために深さ5mの穴を掘らなければならないので結構大変である。
 
 ずばり解明とはいかなかったが、やはり遊園ラビリントのドブ板水路は下水路とは厳然と区別された水路だということはわかった。では何の「水路」か。

 二ヶ領用水沿いに歩いて行くと「二ヶ領せせらぎ館」という資料館があったのでそこで資料を見せてもらうと、ドブ板水路はやはり二ヶ領用水の支流の農業用水路であることがわかった。
 現代の二ヶ領用水には農業用の水利権はほとんど設定されていないのようなので、汚水が流れてもたぶん農業に支障が出るということはない。けれども、下水管と並行して汚水の流れる水路があるということはどういうことなのか。私のギモンは深まってゆくばかりなのであった。

(この章は平成22年冬の探索をもとに記述しています。「20 ボットン便所の終焉」 へつづく。)


※lotus62さんの「東京Peeling!」の二ヶ領用水レポートがきっかけとなり、庵魚堂さんの「世田谷の川探検隊」の二ヶ領用水のページで詳細を知りました。二ヶ領用水を扱った記事はほかにも多くの方がブログ等で扱われており、ここには全部を挙げられませんが、この場を借りて皆様にお礼申し上げます。

参考文献: 下水道経営のあらまし(川崎市上下水道局)ここの7ページに下水道普及率が載っている。
         川崎市公共下水道台帳施設平面図インターネット提供サービス(なかなか使いやすい)
おすすめ: 川崎市市民ミュージアム企画展「二ヶ領用水竣工400年記念 二ヶ領用水ものがたり」
       (企画展は終了したが展示図録は同ミュージアムのWEBショップで買える)
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20 ボットン便所の終焉

 下水道の普及した都市に住んでいる人がドブ川を見ると、「なんだいまだにこんなものがあるのか」と思うかもしれないが、下水道を敷いてドブ川を駆逐するというのは、住民にとっては結構大変な事業である。
 何がどう大変なのか。
 
 川崎市の下水道は平成バブル期に精力的に作られた。
 下水道普及率で見るとバブル前の昭和62年には57.0%だったものが、バブル崩壊後の平成3年には77.6%、平成6年には91.4%と急上昇する。普及は南部の川崎区から始まって、中部の中原区、北部の多摩区などへと進んでいった。
 
 これは数字で見ればすばらしい近代化だが、私は中原区の下水道普及の最終段階の頃(昭和50年代)に当地で小学生時代を過ごしたので、その頃のスッタモンダを少し覚えている。
 
 中原区は細長い川崎市の真ん中に位置している。
 武蔵小杉という近年急速に再開発された街を抱えているが、もともとは水田の広がる低地を昭和20年代に住宅地化したところなので、農業用水路の遺構だらけであった。
 用水路の遺構はたいてい幅1mくらいで、ガタガタするドブ板がはめられて人一人が通れるくらいの抜け道として使われる。ドブ板のすきまからはほんのり下水のにおいがしたが、フタをしているためかそんなにくさくはなかった。昭和50年代にもなると中原区もだいぶ下水道が整備されていたので、それほど多くの下水が流れなくなっていたのかもしれない。
 
 いっぽう、開渠のドブはくさかった。近所のアパートと寺の境内の間を流れるそのドブはいつも黒く澱んで蚊が多かった。この水はおそらく、生活排水というよりは雨水が滞留したようなものではなかったかと思う。アパートに住む友達は、時々ドブに消毒薬を撒くのだと言った。古地図を見るとこのドブも元は二ヶ領用水の支流の農業用水だったようである。
 
  中原区の二ヶ領用水
  (参考)いつもながら二ヶ領用水円筒分水の案内図(クリックで拡大)


 我が家の一角にはまだ下水道が来ておらず、昭和33年築の我が家は昭和59年に引っ越すまでボットン便所(※)であった。この便所はとにかくくさく、目を刺すようであったが、ドブのにおいとは異なっていた。
 おそらくボットン便所の目を刺すようなにおいはアンモニア臭であり、ドブのにおいは硫化水素臭であったのだろう。
 便所以外の生活雑排水は家の裏の細いドブに垂れ流しで、宿題の水彩画を描いた絵の具の水を流すとその色の水が出た。ドブを覗き込むとイトミミズなどが見えたが、ドブ自体が幅20センチくらいの細いものだったのでくさいと思うことはなかった。その排水がどこに流れていたのかは知らない。かつての農業用水路や道路側溝を伝って二ヶ領用水や多摩川に流れていたのではないかと思う。

 近所の友達の家はほとんど水洗であった。
 風呂無しアパートであってもトイレは水洗だったし、小学校も昭和55年頃にはボットン便所がなくなった。下水管が延びてきたところから順次水洗化されていったのであろう。

   ボットン便所断面図 我が家のボットン便所断面図(筆者の記憶による)

 
 我が家のトイレを水洗にしようかという話が出たのは、昭和57年頃だったと思う。ようやく市の下水管が家の前まで延びてきたからである。
 ところがそのための工事費用が意外と高額であることが判明する。
 我が家が建ったのは昭和33年。便所が水洗になることなど想定していなかったそうで、配管スペースのとれない敷地の奥に便所がある。したがって工事費がかさむ。さらに便器の取替えや便所の改築、便槽の撤去の費用もかかる。そうやって高額の工事をしたとしても我が家は築24年でもう相当に古かった。
 
 そこで面倒になった私の親はニュータウンへの引越しを決めてしまう。
 コストを考えると、下水道への接続というのは正直あまりやる気の出ない設備投資なのであった。ボットン便所が水洗便所になるという劇的なメリットがついていてさえそうなのだから、現代の浄化槽付きで既に水洗になっている家がわざわざ下水道に接続したがらないのは、気持ちとしては分かる。
 
 昭和57年の川崎市の下水道人口普及率は44.6%。この時期を境に川崎市は、北部市域の下水整備に乗り出し、合流式(雨水と生活排水を混ぜて下水処理場に流す)から分流式(雨水は川に流し、生活排水だけを処理場に流す)に転換していった。
 
 30年経って、今それらの場所を歩くと次の点が変わっている。
  ・用水路遺構のドブ板細道のいくつかがアスファルト舗装されて、地下に下水管が埋まっている。
  ・私の住んでいた家の裏に下水管が通った。
  ・アパート裏の開渠のドブにフタがされた。
 いっぽう、他のドブ板細道は昔のまま放置されて残っていて、そのあたりの風景は昔と変わりがない。
 フタの隙間から中を覗くと、下水管は埋まっておらず、水が少したまって駄菓子の袋などが落ちている。おそらく雨天の時だけ水が流れているのであろう。
 こうしてみていくと、中原区内の水路は、

 ①二ヶ領用水の支流として農業用に利用(戦前まで)→②宅地の排水路として利用(昭和50年代まで)→③一部を下水路に転用してアスファルト舗装→④その他は雨水を流すドブ板細道として放置(現在)

 という変遷を辿っていることになる。この変遷パターンが遊園ラビリントの汚水のなぞを解く鍵になる。(つづく)


※水洗式でない汲み取り式便所の俗称。浄化槽付きの水洗便所を「汲み取り式」と呼ぶ人もいるので、ここでは俗称のボットン便所を使った。ボットン便所における最大の恐怖は、においでも巨大な穴でもなく害虫の存在であった。

参考文献:世田谷古地図(昭和4年当時)世田谷区都市整備部地域整備課が平成19年に発行して販売しているもの
       論説「都市経営への参加の一形態」 奥村□一(□は「直」の時の下に「心」)
      横浜国立大学学術情報リポジトリ所蔵(川崎市の下水道の普及の経緯が詳細に書かれている)

21 遊園にはなぜドブ板水路が残っているのか

 多摩区の遊園ラビリントと中原区の小杉あたりでは、同じ川崎市でも用水路遺構の風景が明らかに異なる。かつて二ヶ領用水の支流網が張り巡らされていたという点では同じだが、次の点が違う。

 ・遊園ラビリントでは、かつての用水路が蓋掛されただけで比較的原形をとどめている。
 ・中原区小杉では用水路の多くが下水路に転用されて地上部がアスファルト舗装の道路となり、蓋掛しただけのものはあまり残っていない。

 遊園ラビリントでは、ほとんどの用水路が「使われなくなった農業用水路」として蓋掛の状態で存置されている。これはひとつには、遊園のあたりでは近年まで農業が盛んだったから農業用水路も残されたが、中原区小杉は戦後すぐに農業が壊滅してしまったので下水路への転用がやりやすかった、ということを表わしている。

 昭和50年代、小杉では植木畑と竹やぶが少しあっただけで農地は皆無であった。
 遊園はというと、現在、向ヶ丘遊園の駅前こそ農地はないけれども、今でも少し駅から南に行くと梨畑が点在し、もっと先に行くと農地の区画整理が昭和37年に完了したことを示す碑がある。今は水田はなく、梨畑もそれほど水を使わないが、この碑から察すると昭和40年代頃までは水田用の水需要があったとみえる。

 二ヶ領用水分水開渠 わずかに開渠で残された分水もある。奥には古い水門も見える。


 しかしそうはいうものの、今の遊園ラビリントの用水網の充実ぶりは、農業の実態に比して過分に見える。
 昔はともかく現在は梨畑しかないのに、用水だけはちゃんと流れて機能している。個人的には「よくぞここまで水路を残してくれた」と思うが、「そんなに必要だったのか?」という感がないでもない。もうちょっと粗雑にアスファルト舗装などされていてもおかしくないのになあ。そんなことを思っているうちに私は、「ザリガニ田んぼ」のことを思い出した。

 私が中原区の小学校に通っていた頃、ザリガニ取りのできる水田というのがあった。その水田は学区の端のほうにあり、住宅に囲まれて小さな水田が一枚だけあった。この水田は学区唯一のザリガニ場として大変な希少価値で大人気だった。
 当時は知らなかったが、この水田はそばを流れる「井田掘」という二ヶ領用水の支流から取水していたという。その農家は住宅密集地を流れてくる井田掘の水質に大変気を遣っていた、とある本(※1)に記されている。
 この水田は今はもうないが、井田掘はなんとまだ当時の姿のまま蓋掛で残されている。

 農地の中で一番都市化に耐性があるのは、生産物の単価が高くて地価上昇に耐えられる植木畑や果樹園、次が花卉、蔬菜畑、一番耐性がないのが水田である。水田はきれいな水を供給する用水網と、余剰水を排水できる悪水網が維持できないと真っ先に消滅する(※2)。
 言い換えると、少しでも水田を維持しようとする農家がいる限り、用水路は死守されようとする。その時、水路にフタがされ始める。フタをする理由は、落ちると危ないとか、道が狭いので歩道にしたいとか、用水路にごみを捨てられたくないといったところだろう。

 さて、都市化がさらに進んで最後の水田がなくなっても用水路はすぐに撤去されない。   
水の流れる場所がいきなりなくなると困るし、構造が堅牢なのでそのまま歩道として使えるので撤去する必要がないというのもあるが、遊園の場合には次のような要因も考えられる。

・中原区小杉あたりでは用水路を密閉して下水道に転用し、汚水と雨水をそこに流す方式(合流式下水道)を採用したが、
・多摩区の遊園あたりでは汚水は密閉した汚水管、雨水は雨水管を作らずに、とりあえず既存の密閉しない蓋掛の用水路に流す方式(分流式下水道で汚水管だけ先行建設)を採用した。
 
 このような違いが生じたのは、中原区で下水道を敷設した時期は合流式が全盛だったが、遊園ラビリントで敷設した時期は分流式(の汚水管だけ建設)全盛の時代であったためである(※3)。

 まとめると、

 ・遊園ラビリントは水田がなくなる時期が遅かったために水路も廃止を逃れたうえ、
 ・下水道の敷設時期も遅かったが、
 ・それが下水道の敷設方式の変化とマッチし、
 ・雨水排水路の役割を与えられて撤去(密閉化)を免れた。

 そういう経過があったということが言えるのではないだろうか。
 しかしこれは水路が後年まで残るといううれしい成果を生む反面、それゆえの「望まなかった変質」を生む可能性もはらんでいる。 
   (「22 下水管とドブ板水路が併存する仕組み」につづく)


小杉と遊園


参考文献 
※1二ケ領用水400年 よみがえる水と緑 (神奈川新聞社刊)
 ザリガニ田んぼの所有者には小学生は迷惑だったことをこの本ではじめて知った。そうだろうなあ。
 この本は新刊は買えないようですが、川崎市立多摩図書館でも読めます。遊園ラビリント探索のついでにどうぞ。

※2「関東東山農業の動向と展望」農林省農林水産技術会議事務局(昭和39年刊)
 この書籍によると、関東には水田から水が抜けにくい排水不良田が多く、これが水稲の生産性を悪化させる、とあり、水田には給水よりも排水の方が重要であることがわかる。

※3川崎市公共下水道台帳施設平面図インターネット提供サービス
 川崎市の下水道が昭和60年(1985年)あたりを境に、また市域の真ん中あたりを境に合流式と分流式にくっきり分かれていることがわかる。
 また、昭和40年代であっても、宮前区や麻生区の丘陵部の新興住宅地では開発と同時に分流式の下水道を敷設する作戦を採っていたこともわかる。

22 下水管とドブ板水路が併存する仕組み

 (「21 遊園にはなぜドブ板水路が残っているのか」))からつづく

 遊園ラビリントに限らず、多摩区には農業用水路が豊富に残っている。
 遊園よりも上流にあたる中野島付近では石積み護岸の美しい流れがあり、ここが川崎だとは思えない。

  中野島の分水 中野島の分水

 しかしこれを5kmほど下流側に行くと、例のベギアトアの繁茂するドブ川の出現する場所(長いので以下「ベギアトア繁茂A地点」と略す)に出る。この間に何があるのか。
 
 厳密にいうと両者はダイレクトに繋がっているわけではけれども、二ヶ領用水系の水源は多摩川の流水(BODで2mg/lくらい)なので、単純に考えると多摩川よりも汚れた水が流れていたら、それは途中で何らかの要因で汚染されているといえる。
 
 この間にあるのは小田急線向ヶ丘遊園駅と登戸駅周辺の市街地である。
 昔を知る人に聞くと、ここに近年まで製紙工場があり、その排水がベギアトア繁茂A地点(まだ長いので「ベギA」と略す)まで流れていたという。
 平成10年頃のベギAの水質はBODで20mg/l。今のベギAの水質は10mg/lで、それでもけっこうドロドロだから、当時の汚染度が伺える。

 昔、製紙工場の排水が問題になったのは、硫黄混じりの大量の汚泥が含まれていたからである。
 製紙工場は、木材を砕いて薬品で溶かして繊維を取り出して紙に仕立てる。このときに繊維以外の大量の不純物と、硫黄化合物を含む薬品が排出され、これを未処理で排水すると硫化物混じりのヘドロを生む。
 昭和の高度成長期に静岡県の田子の浦が汚れたのはこのメカニズムによるものであった。遊園ラビリントにもこうした問題があったのであろう。

  参考:「製紙工場から出る臭い分子たち」(ちょっと長いがすごくよくわかる)

 しかしその工場は今はない。だとすると原因は製紙工場だけではない。
 下水のにおいのするドブ板水路を上流に遡ると、小田急線の向ヶ丘遊園駅のホーム先端をかすめて駅の北口に出た。このあたりも道路とドブ板水路が入り組むラビリントになっている。ただし、あちこちの区画が更地になって建設工事中になっている。
 
 このあたりは、狭い道路に家が建て込んでいるので、いったん全部更地にして道路を引き直す区画整理事業というものが進行している。その道路の下に下水管を敷いて完成の暁にはここに下水を流すことになっている。
 ところが区画整理はとかく時間がかかるもので、この地区も20年越しで取り組んでもまだ完成しない。

 取り組み始めたのはこのあたりに下水道が普及する前の時代である。その時代はどういう下水処理をしていたかというと、

 ・トイレは浄化槽付きの水洗(またはボットン便所)
 ・トイレ以外の生活排水は未処理で側溝に流す
という形である。これが向ヶ丘遊園から登戸にかけての区画整理区域ではまだ残っていることになる。

 排水の流れる側溝は北口のドブ板水路に繋がり、小田急の線路をくぐって南口ラビリントのドブ板水路に流れ着く。南口ラビリントには1980年代に下水管が開通しているので、水路を流れる排水をこれに繋いでしまえばドブ板水路もベギAも汚れずに済むが、そうはいかない。
 
 側溝は基本的に雨水を流すための設備であり、降雨時には大量に水が流れる。一方、南口ラビリントの下水管は分流式の汚水管といって生活排水だけを流すことを前提に細い管でできている。「雨はとりあえず側溝や用水路を流れてくれ」という思想のもとに作られた下水管である。
 だから側溝を下水管につなぐと雨の時に溢れる。よって下水管への接続は無理。このような事情で、生活排水は側溝に流れたが最後、用水路→川→海という経路で自然流下するしかなく、かくして汚水の流れる用水路と下水管が並行するという妙な風景が現れる。

 これがベギAを生む仕組みである。この仕組みが解消されるのは区画整理がいつか完成して下水道が整備された時ということになる。と思っていたのだが、平成23年にこの仕組みは意外な方法で解消する。(23 ドブ川の終焉につづく)

 

下水管とドブ板水路が並存する仕組み(イメージ)

下水道接続模式図 



参考文献:
「水質汚濁の現状と対策」(川崎市のHPのPDF資料)の8枚目(57ページ)

23 ドブ川の終焉

 (「22 下水管とドブ板水路が並存する仕組み)からつづく)
 
 平成23年にベギAは突如消滅した。
 水路は残っているが空堀になってベギアトアも汚水もきれいに消えている。彼らはどこへ行ったのか。
 水路を覗き込むと、水路の隅に小さな穴があけられていてそこに汚水が吸い込まれている。

ベギA消滅の現場 ベギA消滅の現場


 南口ラビリントの下水臭を発していたドブ板水路も同じような穴が開けられて吸い込まれ、そこから下流は空堀になっている。
 汚水を吸い込む穴があけられたところは新品のコンクリートますとグレーチングが取り付けられているので、何らかの工事がされたようである。以前私が目にした工事が関係しているのかもしれないが、その時は工事の内容のことは細かく聞かなかったので分からない。もっとよく聞いておくんだった。 
 一体どのような工事がされて汚水が消え去ってしまったのか。私はまたしてもギモンに包まれた。しかし考えられるのは二つの可能性しかない。
 
  ①ドブ板水路の流路を切り替えて、並行する既設の下水管(汚水用)に流れるように工事をした。
  ②ドブ板水路の流水を流すための何らかの暗渠管を新たに作る工事をした。
 

 このうち①の可能性は低い。理由は二つ。
 一つ目。前の章で触れたように、これをやると雨天のときに下水管が溢れる。
 二つ目。この方法だと下水料金を払っていない家から流された排水がドブ板水路と下水管を経由して下水処理場で処理できてしまうという矛盾が生じる。
 下水処理の費用は流した人が払う下水料金で賄うルールなので、下水料金を払っていない人の排水を処理するわけにはいかない。カタい話ではあるが、これがまかり通ると「なあんだ、じゃあうちもそうするから下水料金タダにしてよ」となって収拾がつかなくなる。
 
 ところがこのルールには例外がある。
 それは「雨水の処理費用は市が負担しましょう」というものである。これは当然の話で、住民は降った雨の処理費まで負担する義務はない。
 だから、生活排水と雨水が混ざって流れる合流式の下水道では雨の量に相当する分のコストを、分流式の下水道(多摩区など)では雨水管のコストをそれぞれ市が負担(といっても元は税金であるが)する仕組みになっているそうである。
 
 さて。
 私は全然知らなかったのだが、この遊園ラビリント周辺は浸水常襲地帯であった。
 多摩川に近い低地なのでもともと大雨が降ると浸水しやすいうえに、農地が宅地化したので降った雨が地面に浸み込まない。
 本来、「分流式」というからには汚水管のほかに雨水管もあってしかるべきではあるが、遊園ラビリントにはほとんどない。「雨はとりあえず側溝と用水路を流れてくれ」ということで、おそらく次の理由から雨水管建設が後回しにされてきたのではないだろうかと推測する。

  ・せっかく側溝や水路という流路があるのに、これを空堀にしてまで地下に管を新設する必要性がない。
  ・流れるのは汚水ではないので、焦って地下に隠す必要がない。
  ・雨水管は大雨の時を考えて巨大な管が必要になるので費用と時間がかかる。
  ・下水道普及率が低い段階では、まだ側溝に汚水が流れているのでこれを雨水として処理してしまうのは何か変。
  ・遊園あたりの用水路は断面が大きいから雨水管がなくても大丈夫だろうと考えた。

 
 ところがこの方式は、やがてうまくいかなくなる。原因は宅地化の進行と最近多いゲリラ豪雨である。「雨は側溝と用水路を流れてくれ」方式では容量が足りなくなって溢れるようになった。

 そこで市は②の方法、すなわち道路の地下に巨大な暗渠の雨水管を作ることにした。
 暗渠の雨水管は多摩区の低地部を貫流して最後は多摩川にそのまま放流される。雨水だから未処理で川に流してしまっても問題ない。(※1、2)
 
 雨水管はどこから雨水を集めるかというと、南口ラビリントのドブ板水路である。
 雨が流れ込んで溢れて浸水被害を起こすのはドブ板水路なのだから、ここに穴を開けて一部を雨水管に流し、多摩川にバイパスして放流してしまえばいい。
 この前見たときは狼狽していたので気付かなかったが、改めて汚水の吸い込まれたますの周りを見回すと、さりげなく雨水管用のマンホール(※3)が新設されていた。ゲリラ豪雨の時は農業用水路と新設雨水管のダブル体制で雨水を多摩川に押し流す仕組みなのだろう。

 ところが、当然ながらこの穴は流量の少ない晴れた日でも開いているので、用水路の汚水は全部暗渠の雨水管に吸い込まれる。かくして古典派ドブ川のベギAは空堀になって汚水もベギアトアもヘドロも一網打尽と相成る。 

 私としては貴重な観察対象が一つ減ることになったが、このあたりに住む人にとっては浸水と悪臭を解消できる一石二鳥のグッドアイデアであったろう。放流先が多摩川という点が気になるが、もともとベギAも二ヶ領用水に混ざって結局多摩川に流れていたので結果は同じといえる。
 どんな水が出てくるのかと多摩川への放流口に行ってみると、予想に反して澄んでいる。
 川底の段差で水が攪拌されると下水処理場のようなにおいが少し漂い、洗剤とおぼしき泡がわずかに浮かぶ。指で掬って舐めてみると少し苦いような気がした。


雨水管模式図


雨水マンホール 後日現場で発見した雨水マンホール



※1実際は排気ガスのススや地面のほこりなどが溶けて結構汚いが、それは一応無視する

※2参考:川崎市議会の議事録 (浸水対策として暗渠の雨水管を作る旨が説明されている)

※3 川崎市の雨水用のマンホールと汚水用のそれを見分けるのは難しい。花や葉の模様の中に小さな傘マークが一つあれば雨水用、いくら探しても傘マークがなければ汚水用である。まるでわざと見分けにくくしているかのようであるが、新しく作られた下水管はすぐにはネット上の下水道台帳には載らないそうなので、それまではこの識別が唯一の手がかりになる。
川崎市マンホール蓋仕様書のページ(PDF)

(その他参考文献)
※(日経コンストラクション,2003年12月26日号「ズームアップ下水道 登戸雨水幹線下水管埋設工事」
(密集住宅地に巨大な雨水管を埋設する工事を解説。この記事は残念ながら有料だが、図解で結構面白い。)

24 ベランダ洗濯機

 しつこいが、川崎市の下水道普及率は99.3%である。
 しかし本当にそうだろうか。どうも私はこの数字が信じられない。下水道普及率がこんなに高かったら、二ヶ領用水や平瀬川、矢上川といった川崎の川はもっときれいになっているような気がする。

 下水道普及率とは、正式には「下水道人口普及率」といい、「下水道に接続しようと思えばできる人口」が、その市の人口の何%にあたるかを表す数字だそうである。
 だから下水管は近くまで通ったけれども自宅との接続工事をしていない人や、下水管が自宅より高い場所にあって接続が難しい人がいても関係なく普及率に含まれる。したがって川崎市の99.3%の人が下水道に接続して生活しているわけではない。
 
 では実際に接続している人は何%なのか。
 それを表す数字は「水洗化率」という。水洗化率とは「下水道に接続してボットン便所を水洗便所にすることのできた人の数」のことで、これが川崎市は98.91%。

 川崎市の水洗化率(クリックすると環境省のページからエクセルファイルのダウンロードが始まります)

 ここで疑問なのは「水洗便所というものは下水道がなくても浄化槽があれば設置できてしまうのではないか」ということで、「水洗トイレの排水は浄化槽処理、生活雑排水(炊事・風呂・洗濯)は垂れ流し」というパターンの家はけっこうある。
 しかし川崎市ではこれは「水洗化した」とは定義しないという。
 だから、「水洗化率=実際に下水道に接続している人の割合」になる、という理屈らしいのだが、ややこしくてだんだん分からなくなってきたので整理してみた。(※)

  A  水洗トイレ排水も生活雑排水も下水道に接続している家・・・98.91%
  B1 水洗トイレ排水と生活雑排水を浄化槽で処理して側溝へ流す家(「合併浄化槽」という。)・・・0.16%
  B2 水洗トイレの水だけ浄化槽で処理して側溝へ、他の雑排水はそのまま側溝へ流す家(「単独浄化槽」という)・・・0.58%
  C  下水道も浄化槽もなく、トイレはボットン便所の家・・・0.35%


 A(98.91%)は川崎市の実質的な下水道普及率である。
 AとB1を足した数(99.07%)は「汚水処理人口普及率」といい、何らかの形で排水を全量浄化している人の割合である。
 これが100%になれば川はきれいになる。よってB2とCを駆逐することがドブ川追放に向けての目標となるが、川崎市の場合はその手段としてA(下水道)の100%普及を選択しているので、B1(合併浄化槽)も駆逐の対象となる。


 A類型とB2類型の図
    (下水道接続済みの家)とB2(単独浄化槽の家)の模式図(第22章の図を流用)。
    ・B2の台所風呂洗濯排水が浄化槽で処理されるとB1になり、
    ・B2の水洗トイレをボットン便所にして、単独浄化槽をなくすとになる。


 ここで分かるのは川崎市の場合は、どの数字をとったとしても99%前後の高率になるということで、ここまで高ければ川の汚染を云々するレベルではない。

 これがどうも実感と合わない。
 よく下水道のパンフレットに、「雨水と家庭排水を一緒に処理する形の旧式の合流式下水道では、大雨になると処理場で処理しきれないので、その分を処理せずに川に流すので川が汚れるのです」という説明を読むことがあるが、そういう問題以前に晴れた日でも妙な水が川に流れるのを見ることがある。
 
 以前、杉並区の神田川沿いを歩いていたときのことである。
 川に近いところで家の改築工事をしていた左官屋さんが、やおらセメント色をした水の入った巨大バケツに手をかけるや側溝にジャー、と流した。おおこういう風にして川は汚れるのか。
  そのほかにも熱湯の汚水を側溝に捨てるクリーニング屋の主人や、変な色をした水を側溝に流す塗装屋さんなど、いろいろな人がいろいろな汚水を側溝に捨てているのを発見した。そういえば私も飲み飽きたコーラを側溝に流したり、道路で洗車したことがある。
 
 そしてある日ついに決定打と思えるものに遭遇したのである。
 ある日私は川崎市の多摩区でドブ探検をしていた。すると二ヶ領用水の支流に注ぐ側溝の排水口の下で洗剤の泡が立っているのが見える。
「むむ。」
 私は側溝を遡って辿った。側溝の雨水ますから中を覗くと、ますの中も泡立っている。この泡はどこから立ったものか。泡の見えるますを追って歩く。ヘンゼルとグレーテルのパンくずの話に似てきた。


  ヘンゼルの泡 水路に立つ下水の泡のイメージ(これは本文とは別の場所の二ヶ領用水)

 
 私の目に入ってきたのは、アパートの玄関脇やベランダに置いてある洗濯機であった。
 今時のアパートは室内に洗濯機置き場があるが、昔は洗濯機は外に置いていた。私の生家も一戸建てだったが屋外に置いていた。
 しかし下水道の汚水管は室内にしかつながっていないので、屋外の洗濯機の排水は雨水と同じく側溝や雨水管を通じてそのまま未処理で川に行く。ベランダも同じである。ベランダに洗濯機を置くと排水は全部雨水管に流れる。 
 洗濯の排水はBODで表すとだいたい50~100mg/lくらい。これは洗いからすすぎまでに流す水をすべて平均するとそのくらいということで、洗剤だらけの洗いの水はもっとBODが高く、逆にすすぎの水は低い。
 この値を分かりやすい例と比べるとどうなるか。
 
 下水処理場から放流される水のBODは5mg/lくらい、石神井川下流のような濁り気味の都市河川の水がだいたい7mg/lくらい、昭和40年代の真っ黒な隅田川の水質が35mg/l、下水管を流れる生の下水が約200mg/lであるから、洗濯排水は昔の隅田川の2倍くらい汚い水といえる。
 家庭の排水で一番「濃い」のは台所とトイレで、洗濯排水は「薄い」排水の部類に入るが、量が多く屋外に流されやすいという点では危険な伏兵といえる。


  ベランダ洗濯機B類型(アパートの玄関脇) 
  アパートに多いベランダ洗濯機のパターン
  (これはベランダではなく「ローカ洗濯機」であるが、細分化するのも面倒なのでベランダとしておく。亜種として「ニワノノキシタ洗濯機」もある。)
 
 これが実質的な下水道普及率を押し下げている元凶ではないか。
 私は街を歩くと玄関脇とベランダに洗濯機がないかキョロキョロ見るようになってしまった。どうも不審者のようで気が引けるが、おかげで実態が分かった。

 ① 川崎市内でベランダや玄関脇に洗濯機を置いている家は、100軒に1軒くらいの割合で出現する。
 これはかなりおおざっぱな目視で、「10軒に1軒まではいかないが、1000軒に1軒はゆうに超えるだろう」という聞いてあきれるアバウトさであるが、これによれば多摩区10万世帯のうち1000世帯がベランダ洗濯機であろうということになる。
 遊園駅近辺を15分も歩くと30基くらいのベランダ洗濯機を確認できるから、当たらずとも遠からずと思う。
 ② 川崎市は新興住宅地でも古いアパートや住宅がけっこうあるので、①の出現比率は区を問わず適用できると考えられる。
 ③ ただし、合流式下水道のエリア(市域のだいたい半分=川崎区+幸区+中原区の南半分)ではベランダの排水も下水処理場に行くのでこの問題は関係ない。
 ④ 洗濯排水は汚れのウェイトとしては家から出る排水の10%くらいを占める。

 このきわめていい加減な調査結果をもとに、「ベランダ洗濯機の公式」を組み立てて計算してみる。
ベランダ洗濯機による実質的な下水道普及率の押し下げ率=出現割合0.01×分流エリアの割合0.5×汚れのウェイト0.1=0.0005。
 つまりベランダ洗濯機は下水道普及率を0.05%押し下げるだけの影響しかない。

 これでは水質汚濁の主因とはいえない。
 そもそも洗濯機は誰でも屋内に置きたいものであって、あえて屋外に置くのは家屋がものすごく古くて屋内に置けない場合である。さらに、そういう家には下水道は来ていないことが多い。
 下水道が来ていないのであれば洗濯機が屋内でも屋外でも結果は同じで、これを加味すると前出の数値はもっと低くなる。
 それでいいということにはならないが、下水道普及率とのギャップとの関係は薄いといえる。川の汚れの原因はほかにありそうである。


※参考  「生活排水対策」(沖縄県庁のHP。洗濯排水の汚れがどのくらいのウェイトを占めているかが一発で分かる)

      「ベランダに洗濯機を置いている方へ」(徳島県藍住町のHP)

      大手量販店によるベランダ洗濯機の説明の例

25 雨の日の生下水

 ここまで書いた内容を見ると、まるで市の広報紙の「下水道局からのお願い」のようになってしまっているが、私の関心はあくまで、「どうしたら効率的に古典派ドブ川のサンプルを見つけることができるか」であって、「どうしたら川はきれいになるか」はその裏返しに過ぎない。と原点を再確認したところで川の汚濁要因の探求を続ける。ドブ川のモトは何か。

 ベランダ洗濯機のような小さな要因を除くと、川の汚染の要因は次の3つくらいになる。
  ①大雨の時に未処理の下水が川に流れる問題
  ②浄化槽の性能の問題
  ③窒素分の問題

 ①は、戦後の早い時期に下水道が普及した大都市に特有の問題で、川崎では川崎区から中原区にかけての地域でこの問題を抱えている。
 大都市では人口が急に増えて川が急にドブ川化したので、急いでしかも格安に下水道を作る必要があった。そのために生活排水と雨水を一緒の管で流す合流式下水道を作った。雨水は本来下水処理する必要はないのだが、生活排水と雨水を分けて流そうとすると下水管を2本造らなければならないので合流させて一本で済ませた。

 雨水は当然のことながら晴れた日と雨天時の流量の差が激しい。
 なので、合流式の下水管は晴れた日はスカスカで、豪雨の日は溢れる。最初から巨大な管を作っておけば安心だが、晴れた日に流量が少なくて滞留すると硫化水素発生の元になるので中途半端な太さの下水管を敷く。それで案の定、晴天時には硫化水素が少し発生し、雨天時にはたまに溢れる。

 晴天時の硫化水素はとりあえず下水管に密閉しておくとして、問題は雨天時の溢水である。
 これを防ぐために豪雨の時には合流式下水管の下水を未処理でそのまま海や川に流す。
 溢れて浸水を招くよりはよかろうという考え方であるが、これが水質汚染の原因になる。中小河川の護岸には雨の時だけふたが開く排水口があって、大雨の時に見に行くとそこから茶色の水が吐き出されるのが見える。ただ、大雨の時はもともと水は濁っているものだし、私にはそれがそんなにまずいことなのかどうかよく分からない。

(合流式下水道の欠点)
合流式下水道の欠点


 しかし数字で見ると、やはりこれがまずいことだということがわかる。
 普通、下水管を流れる汚水のBODは100~200mg/lくらい。だから大雨の時に未処理で流すとそれがそのまま流れ出る。大雨で少し薄まるかもしれないが、汚れの量が減るわけではない。
 下水処理場というところがいつもBOD5mg/l近辺の水質を維持するのに神経を使っていることを考えると、これは桁違いにまずい。
 有明海の海苔の養殖地を抱える福岡県大牟田市の処理場では、工夫を重ねて「おおざっぱにしか処理できなくてもいいからなるべく多くの汚水を処理する」という方針で頑張っているそうだが、それでもBODで60mg/lくらいの水は海に流れ出てしまう。そういえば以前、雨の日の海で波乗りをしているといつもより海がくさいような気がしたが、それは気のせいではなかったのだ。
 
 この問題が水質汚濁の一番の問題で、下水処理場に見学に行くと一番強調して説明される。
 しかも汚水を河川に吐く時に下水管にこびり付いた汚泥混じりのスカム(汚泥と油分が混じって固まった黒い物体)が剥がれて流れ出てしまうという問題も抱えている。
 実際に合流式を採用している東京都心部の中小河川の下流部に行くと、雨天時に合流下水管から吐き出されたと思われるスカムがプカプカ浮いているのが見える。

 東京都心部の川はBODの数値上はそれほど汚れていないが、スカムが浮いていると視覚的にものすごく汚く見える。人間の視覚は不思議なもので、同じ汚れでも一様に汚れているものよりも、異物が混じりながらまだら模様に汚れているものをより汚く感じるようである。
 たとえば私たちは、ミカンの食べかすだけが入っているごみ袋よりもミカンの食べかすとリンゴの食べかすとスイカの食べかすがごちゃ混ぜになったごみ袋のほうを汚く感じる。汚さという点ではほとんど差がないのに妙なことである。
 これは「汚染とは何か」という深遠なテーマを引っ張り出してしまいそうな気がするのでここではあまり考察しないことにするが、スカムに関していえばこれがあると確実にドブ川感がアップする、そのように言えると思う。

 しかしこんなことを言うのは不謹慎だが、合流式下水の吐水は豪雨時の一時的な現象で、しかも一気に海に流れてしまうから古典派ドブ川の生成とはたぶんあまり関係がない。スカムにしても下流部の感潮域だと海に流れずに滞留するが、水に溶けにくいので水質にダイレクトに影響してこない。私が注目しているのは②の「浄化槽の性能の問題」のほうである。

下水吐にたまったスカム 下水管から河川に未処理下水を放出した際に吐き出されたスカム(東京都港区の古川)

参考文献
マニュアルにはない水質管理 ~お金をかけずに求められる水を~
古賀みな子著 環境新聞社刊 
この著者(下水処理場の元所長)は①雨の時に下水を少量受け入れて完璧に処理しつつ、大量に未処理下水を出すのと、②できるだけたくさんの下水をざっくりとでいいから処理するのとどっちがいいか悩んで職員と実験している。この人は所長なのに何でもかんでも実験するところが面白い。

26 単独浄化槽の問題

 浄化槽で水がきれいになる原理は下水処理場とほぼ同じなので、家庭の浄化槽でも下水処理場並みに排水を浄化することはできる。
 だから下水道がなくても浄化槽があればドブ川化を防ぐこともできる。しかしそれにもかかわらず私が古典派ドブ川を観察したい時に下水道普及率の低い街に行くのは、次のような特徴があるからである。

①家庭の浄化槽はメンテナンスがおろそかになりがちで十分に浄化されないことがある。
②トイレ以外の生活雑排水を垂れ流しにしてしまう単独浄化槽が多く残っている。

 まず①。下水道がない地域に住んでいる人と話していて驚くのが、「浄化槽の点検代がもったいないから点検をやめちゃった」という話である。浄化槽で排水がきれいになる仕組みはこうだ。

・排水を溜める空気(酸素)を送り込む微生物が水中の汚れを食べて分解してくれるそれが死んで汚泥(微生物の死骸=ヘドロ)として沈殿する上澄みは微生物のおかげできれいになる塩素で消毒する側溝に流す。


 この仕組みだと汚泥が少しずつ溜まっていく。
 汚泥が浄化槽いっぱいになると排水を浄化できなくてそのまま汚れた水が側溝に流れる。さらに塩素がなくなっているのに気付かないと、消毒されない細菌だらけの排水が側溝に流れる。これを予防するのがバキュームカーによる汚泥の掃除と点検である。
 このうち、点検を省く人が少なからずいるらしい。
 さらに汚泥を溜めっぱなしにしたり、浄化槽の電源を切ってしまったり(!)する人がいるらしい。もし下水処理場でそのようなことをしたら大事件であるが、家庭の浄化槽ならこっそり省こうとする人がいてもおかしくはない。
 そのようなわけで浄化槽は汚水垂れ流しになるリスクをいつもはらんでいる。これがドブ川発生の可能性を高める。
 
 次は②で、これが私が最重要視する要因である。
 浄化槽には単独浄化槽と合併浄化槽の二種類がある。
 単独浄化槽は水洗トイレの排水だけを浄化するもので、その他の生活雑排水は浄化できないのでそのまま側溝に流す。確かにトイレの排水はBODも高いし、病原菌も入っているのでこの浄化が最優先であることは間違いない。
 ところがこれだと生活雑排水(台所、洗濯、風呂、掃除)の排水が浄化できない。これらの汚れがばかにならないのである。特に台所排水が一番危ない。
 風呂や洗濯はBOD100mg/l近辺で安定しているが、台所から出る排水のBODはラーメンスープ2万、味噌汁3万5千、牛乳7万8千、しょうゆ15万、食用油の100万と強豪揃いである(※1)。

 私もこの数値を知ってからは恐ろしくなって、カレーを食べた後の皿をペロペロ舐めるという変な習慣がついた。遊園ラビリントのドブ板脇にはうまいラーメン屋があるのだが、ここで注文するのもあまりスープを残さずに済むつけメンにした。
 話が逸れたが、そのような排水を垂れ流しにするのはまずいということでできたのが合併浄化槽である。トイレから台所、洗濯、風呂、掃除まで、家庭の排水は全部浄化できる。
 これを使えば下水処理場と同じレベルの浄化ができる。同じレベルと言っても、「BODで20mg/l未満にすればいい」という、結構甘いレベルなのだが一応きれいにはなる。

 さらに「単独浄化槽はもはや浄化槽と呼ぶに値しません」ということで、新規設置が禁止された。
 今使っている単独浄化槽は使ってはいけないわけではないが、合併浄化槽に取り替えるよう努力すべし、と法律には書いてある。だがこの取替えが進まない。
 単独浄化槽を合併浄化槽に取り替えようとすると100万円以上の費用がかかる。市から半分くらい補助金が出ることもあるが、それでも50万円以上の自己負担になる。
 たとえば川崎市でまだ浄化槽を使っている人のうち、合併浄化槽を使っている人はたったの22%で、残り78%は単独浄化槽。
 単独浄化槽は割合としては結構多いのである。そこから強豪揃いの生活雑排水が放たれる。でもトイレ排水のほうは浄化されるから安心だあと思っていると、これがびっくりする。 
 
 単独浄化槽の放流基準はBODで90mg/l。
 90mg/l未満まで浄化すればいいですよ、という程度の浄化槽なのであった。(※2)
 ベギアトアが繁殖してヘドロだらけでくさくてたまらないというドブ川がだいたいBODで10mg/l以上であるから、単独浄化槽が1基残っているだけで強力なドブ川製造効果を発揮する。こうして単独浄化槽だらけの街には古典派ドブ川が生まれる。
一方で川崎のように下水道の普及が進んだ街でも、高い普及率とは裏腹に次のような現象が起こる。  

 ・単独浄化槽の家から放たれた濃い排水は最初は細い側溝を流れる。
 ・しかし下水道が敷設されていると、下水道に接続している家が結構あるので側溝の流量は少なくなっている。
 ・よって流れがよくない。側溝の排水は滞留気味になる。
 ・BODの高い水が滞留すると水中が酸欠で嫌気性細菌が繁殖してドブのにおいが発生する。
 ・これが流入する中小河川も下水道の普及で流量が少なくなっているので、「濃い排水」は下水道普及率で表される以上の存在感を発揮する。

 
 これが下水道普及率が高いはずの川崎で、古典派ドブ川が目に付いたり、川がなんとなくどんよりしている要因のひとつといえる。こうなると東京の渋谷川のように高い建設費をかけて下水処理水を送水して環境用水として放流するといったことが必要になる。
 川崎でそれをやっている場所は私の知るところ中原区の1河川しかないが、農業用水の役割を終えた二ヶ領用水が今でも多摩川から取水しているのは、これを低コストで実現するためなのではないかと思う。


※1この数字は面白いので、他の排水についても紹介したい(単位はBODでmg/l)。
米のとぎ汁3千、濃い目の清涼飲料水1万、おでんの汁7万4千、梅干を漬けた液10万~30万、日本酒20万、マヨネーズ120万、ビール工場の排水1千~3千、豆腐工場の排水1千2百、ヒトのオシッコ1万、牛のオシッコ1万2千。ちなみに乳牛が一日に出すオシッコの量は豚の4.5倍、ウンコの量は豚の25倍とある。牛は量で勝負なのだ。 

※2 しかしながら水をきれいにするために下水道が最善かという点で考えるとこれは結構難しい。下水道の最大の欠点は巨額の建設費がかかることで、例えば川崎市は平成20年度現在で、まだ返せていない建設費が4000億円ある。
 また、人口密集地で条件的には恵まれているにもかかわらず、下水道料金だけでは処理費用を賄えない。平成20年度で見ると汚水処理分として年間24億円、雨水処理分として年間131億円を税金から投入している。雨水処理の131億円は山と田畑を切り拓いて市街地にしてしまった都市部特有のコストであるが、これを見るとこれから下水管を敷かなければならないところや過疎地の下水道はコスト的にはかなり厳しいことが分かる。

参考文献:
用水・排水の産業別処理技術 (ポイント解説) 和田洋六著 東京電機大学出版局
(いろいろな業種から出るいろいろな排水のBODと浄化方法を完全解説。これを読めば排出源からドブ川を探し出すという逆検索が可能になるという便利な一冊。)

静岡県下水道公社のHP「食品の汚れってどのくらい?」恐るべし食品のBOD。

「平成23年度川崎市下水道事業会計決算概況」の3ページ目(川崎市のHP) 川崎市はこれでもかなりマシな部類である。
(資料が古くなってリンク切れしていたので、新しいものにリンクし直した。それによれば平成23年度は「効率化に努め」て4.3億円の黒字。やったぜ川崎市。しかしよく見ると「一般会計繰入金」(=税金投入額)が137億円。だめじゃん川崎市。要因は「雨水処理負担金費の増」とある。これを「都市開発に必然のコスト」と見るかどうか。)

27 窒素の問題(前編)

 二ヶ領用水の水は多摩川から取水している。取水口は多摩区南部の宿河原と北部の上河原の2箇所である。
 ところがそのうちの宿河原の取水口に行くと妙なにおいがする。下水処理場のにおいが薄まったようなほのかなにおいがする。
 においの元はどこかと見回すと、川の中に巨大な堰があって、そこで川の水が滝のように落ちて飛沫が散り、流水のほのかなにおいが空気中に出ているもようである。
 でも近づいて見れば多摩川の水が汚れているということはない。多摩川は下流域でもBOD2mg/lくらいのきれいな河川である。

宿河原堰宿河原堰
 
 昔の多摩川は汚かった。
 「水が真っ黒」ということはなかったが、東急東横線の鉄橋下にある調布取水堰(田園調布付近)では合成洗剤の泡がモコモコと立って乱れ飛んでいた。当時の東横線は多摩川鉄橋直後の急カーブのために25km/hに徐行していたので、電車からこの光景がよく見えたものである。
 もちろん今はそんなことはないし、サケが戻ってきた、アユが戻ってきたとポジティブなニュースが取り上げられることが多い。ここより川上の市の下水道普及率も、立川市、小平市、府中市の100%を筆頭に、90%以上がずらりと並ぶ。こんなに優秀な川は珍しい。(※1)
 
 しかしこのにおいは、それがゆえに多摩川が川上の下水処理水を多分に含んでいて、そこに取りきれなかった成分が溶けていることを示唆しているような気がする。
 これについては以前の章(第13章「ウンコ問題」)で少し調べたことがあったが、ある研究結果(※2)によるとこのにおいの正体は、硫化水素、硫黄系(メチルメルカプタンなど)、アルデヒド系(一番有名なアルデヒドは、お酒が体内で分解されて二日酔いの原因になるアセトアルデヒド)、有機酸系(一番有名な有機酸は酢酸)の混合臭であることを突き止めている。
 多摩川の水はデータ上の水質のよさの割に、実はあまりきれいでないのではないだろうか。だから分流の二ヶ領用水も割と簡単に汚れやすいのではないだろうか。このあたりを突っ込んで調べたい。
 
 日本の大都市はたいてい海沿いにあるので、水道用の水はたいてい川の下流で取水する。
 ダムは上流にあるが、下流まで太い導水管を敷くのは難しいので、ダムでは水量の管理だけをして取水は下流でする(※3)。ところがダムと取水口の間にも都市はある。そこから下水が流れる。下水は下水処理されているところもあれば垂れ流しのところもある。
 
 分かりやすい例として大阪の淀川で考えてみる。
 淀川は単純にいうと琵琶湖から大阪湾まで流れる川である。途中で滋賀、京都、大阪の3府県を通る。そのうち一番下流の大阪の水道は淀川から取水している。しかしその上流に京都という大都市があり、京都の下水処理場で浄化された水が大阪の取水口の上流に放流されている。その京都の水源は琵琶湖である。琵琶湖には滋賀の下水が流れ込んでいる。
 上流の下水を下流の水道原水として使わざるを得ない構造がどうしてもでてしまう。滋賀県民が琵琶湖の水質浄化に気を使ったり、京都市民が京都盆地の地下水をありがたがったり、大阪市が浄水技術の向上に必死なのはこういう構造のせいといえる。(※4)

 (淀川のしくみの概念図。「下水」には浄化後のものも含む)
 淀川のしくみ


 関東の多摩川にはこういう問題はない。
 宿河原あたりでにおいがするといっても、それが飲み水になるわけではない。宿河原近辺(=多摩川の中・下流域)の水の使い方はこうなっている。
  ・川崎市はここより3km上流の上河原で取水しているが、それは工業用水用。
  ・東京都はここより10km下流の田園調布で取水しているが、これも工業用水用。
  ・川崎市は上水道用には、川の近くに掘った井戸から伏流水を取水している。
  ・東京都も上水道用には、川の近くに掘った井戸から伏流水を取水している。
 東京都は上水道用に多摩川の表流水も取るが、取水場所は30km上流の羽村町である。羽村より上流には青梅や奥多摩といった小都市しかないので下水の混入は少なく、多摩川水系の水はおいしいといわれる。

 (多摩川のしくみの概念図。「下水」には浄化後のものも含む。)
多摩川のしくみ

 だから都民や川崎市民は宿河原あたりの多摩川にあまり厳しい視線を向ける必要がない。したがってシビアな水質調査もされにくいし、下水と上水の深刻な関係が見えにくい。これを知りたいのなら東京の反対側の端の江戸川に行くべきである。
 なぜ江戸川に行くべきなのかというと、東京都は東西に細長いので、東西に流れる多摩川はほぼ全流域が都の「領土」となり、したがって上流から取水できるのに対し、南北に流れる江戸川は下流域しか「領土」に引っかからず、下流の水を取水する羽目になっているからである。

 江戸川は旧関宿町(埼玉の大宮と栃木の小山の中間くらいにある町。現野田市)で利根川から分流する一級河川である。野田、流山、松戸と流れて東京都と千葉県の県境を下ったあと、浦安方面と市川方面の二手に分かれて東京湾に注ぐ。
 上流の野田はしょうゆの名産地として江戸時代から名が知られた。
 野田がしょうゆ産地として栄えたのは江戸川の水運が盛んだったことによる。しょうゆの醸造は大豆や小麦、塩といった多種の原料が必要だが、昔は江戸で消費する米や大豆や小麦を東北→太平洋→銚子→利根川→江戸川→下町の運河→江戸という水運ルートで運んでいたので、原料供給にも商品配送にも適していたという。
 
 この江戸川と水戸街道の交点にあたるところに松戸という街があり、やはり水運で栄えた。この松戸の市街地を貫流するように坂川という中小河川がある。水運都市松戸を支えた川だが、25年ほど前は汚いドブ川として有名だった。
 私も昭和63年当時の坂川を取り上げた雑誌(※5)を買って写真を見たことがある。油まみれのオイルフェンス、茶色い泡、黒いスカムの塊。こんなに汚い川が松戸にはあるのか、当時でさえそう思った。
 この頃の坂川のBODは場所にもよるが20mg/l前後。当時その程度のドブ川はほかにもいくらでもあったが、坂川が雑誌に取り上げられるほど有名だったのには理由があった。
 
  月刊Weeks表紙 坂川をレポートした『月刊Weeks』1988年8月号(日本放送出版協会 現在休刊)


 松戸の対岸に東京都葛飾区金町という街があり、ここに東京都民250万人に水道水を供給する金町浄水場がある。当時はここの浄水場の水はかび臭くてまずいと有名だった。   
 浄水場取水口のすぐ上流の対岸で坂川の汚水が江戸川に合流していて、そのためにどんなに浄水場が頑張ってもまずい水しか作れなかったのである。
 
 そこで金町浄水場は汚名を返上しようと必死に努力した。
 おかげで今はまずい水だとは言われなくなった。金町の水がまずくなくなったのは、一つには坂川の問題が改善されたこと、二つ目は高度な浄水技術が開発されたことである。
 私の関心はもちろん一つ目のほうである。坂川はいかにしてドブ川から脱してしまったのか、いや脱することができたのか。ところが実際に松戸に行ってみてみると、坂川はドブ川を脱していなかったのである。(28 窒素の問題(中編)につづく
 

※1こうした市でも下水道に接続していない家屋はあって、例えば普及率が名目上100%の小平市では2.8%(1769戸)が単独浄化槽かボットン便所のままなので、それらの家のトイレ以外の生活雑排水が全量側溝に流れて川に行く。
小平市HP「下水道を取り巻く現状と課題」の3ページ

※2 「多摩川河川水の下水処理水臭の原因としてのアルデヒド系臭気」 浦瀬太郎(東京工科大学 応用生物学教授)(とうきゅう環境財団HP)
この論文では、下水処理場の高度処理でも取りきれないアルデヒド系物質が水温の上昇や堰での攪拌で揮発して下水処理臭を発するのではないかという分析をしている。しかし結論は、いろいろな化学物質の混合臭が「下水処理水のにおい」ではないかというものであった。この論文では、下水処理場で分解できなかったアルデヒドが川の中の生物によって分解されることや、下水処理場で取りきれると思われていた硫化水素が実は取れていないことなど、興奮の新事実が次々に明らかになる。


※3横浜や横須賀のように、上流から長距離の導水管を引いている市もある。両市は開国まもない明治の初期に貿易港や軍港に水を供給しなければならなかった点で共通している。

※4 京都市は一部の下水処理場にオゾン処理という高度な技術を使っている。オゾン処理は酸化力が大変強く、たいていの有機物は分解してしまえるが、膨大な電力を使う。大阪の浄水場もオゾンを使っているが、下水処理にオゾンを使う京都の対応は破格といえる。しかし京都市中心部の下水はオゾン処理されない系統なので、観光でホテルに泊まる時は洗面台に変なものを流さないようにしたい。

※5 日本放送協会「月刊Weeks」1988年8月号
 この号でも大阪の水道水と金町浄水場の問題を取り上げており、両者は昔から有名だった。水道水の発ガン物質が騒がれ、オゾン処理が取り入れ始めたころの時代で、「薬くさくてドブくさい水」に悩まされる大阪府枚方市民、水質の苦情に「胃が痛くなるなんてもんじゃない」と悲鳴を上げる東京都水道局、「週1回の坂川のごみさらいをもっと増やしてくれ」という葛飾区民の要望に「作業するほうの身にもなってくれ」とゲンナリする松戸市職員の様子などがレポートされている。

28 窒素の問題(中編)

 7月6日午後3時、千葉県松戸市の天気は晴れ、気温摂氏30.3度、湿度61%、降水量0mm、東南東の風、風力3m/sであった。坂川はデータ上は昔より劇的にきれいになった。平成2年でBODで20mg/lだったのが、平成21年では5mg/l未満に抑え込んでいる。この間、松戸市は下水道と合併浄化槽の普及に努めた。しかし。

 「これがBOD5mg/l未満の川かなあ」というのが正直な感想であった。
 油とスカムが浮き、緑色に濁って底が見えない。悪臭はほとんどないしコイが何匹も泳いでいるのでBODが10mg/lを超えるということはなさそうだったが、せいぜい7か8くらいの感じである。
 私は水質測定の専門的なことは分からないし、BODといってもいろいろ種類があるし、まして目で見ただけで正確なことはいえないが、これは5mg/lには収まってないだろうというレベルの水質ではある。
 しかも23年前に雑誌で見たオイルフェンスが今も同じようにあって、大量のごみが堰き止められている。23年の歳月が一気に逆戻りして、なんだか懐かしい。これはごみを金町浄水場に流すまいという坂川特有の配慮なのだと23年間思い込んでいたのだが、実は坂川では油が流出する事故がたまにあり、それを防ぐためのものであるらしい。

 「水遊び できる坂川 ぼくの夢」という看板が頻繁に立つ川沿いを歩き回ると珍しいものが現れた。六色のドブ川である。
 坂川の左岸に水門があり、そこに東掘という支流が注ぎ込んでいる。一般にドブ川は本流よりも支流のほうが汚れていることが多い。流量が少なくて汚染物質がダイレクトに水質に反映してしまうからである。
 そこで東掘を遡って歩くとそのまた支流(支流Bと呼ぶ)が勢いよく注ぎ込んでいる場所が現れ、その川底に白い房のような藻がびっしり生えている。これは藻のように見えるが糸状性細菌と呼ばれる細菌の仲間である。
 正式な名前を本で調べると、
 ・「スファエロティルス」(有機物が多く酸素が少ない水中で発生する細菌)か、
 ・「Type 021N」(硫化物イオンと低級有機酸を食べる細菌)もしくは
 ・「チオスリックス」(硫化物イオンだけを食べる細菌)
のどれからしいということが分かったが、残念ながら顕微鏡がないと特定はできないのでとりあえず「白い房」と呼んでおく。この白い房のびっしり生えた支流Bへ向かう。

  (坂川と東掘と支流Bの位置関係) 
  affluent B

 支流Bの水路は1m幅くらいの開渠で工業団地の中へ入って行く。開渠の梁の鉄筋コンクリートがボロボロに朽ちている。
 コンクリートがボロボロになっているということは硫化水素が発生しているのであろう。硫化水素をエサにして硫酸を生む細菌がいて、アルカリ性のコンクリートを酸で溶かしていく。
 遡ってすぐに流速が遅くなり、川底を覆っていた白い房が消える。白い房は流れが速い場所でないと生きられないようだ。替わって白いベギアトア、次いで茶色い藻が広がる。その次に藻が何も生えていない黒い泥だけが見える川底になり、硫化水素のにおいがしてくる。
 ここに2匹のカルガモがいて、カルガモが泳ぐと黒い泥が舞い上がる。なぜ彼らはこんなところを選んで棲んでいるのであろうか。眺めていると彼らは水路が道路をくぐるために暗渠になったところにもぐりこんでしまった。彼らにとっては水質よりも隠れ場所があることのほうが重要なようである。

 さらに遡ると水が滞留するようになって、灰緑色になる。その次に水田にあるような黄緑色の浮き草が水面を多い尽くし、最後はそれもなくなってオレンジ色の水に変わる。オレンジ色は鉄分の色であろうか。ここで支流Bは終点で、その向こうに新坂川という大きなドブ川があったが繋がってはいなかった。白、黒、茶、灰緑、黄緑、オレンジで六色。よく中国では川の汚染が激しくて七色のドブ川が流れていると聞くが、それはこんな感じの配色なのかもしれないな、と思う。 
blanc白 brun茶 noir黒 gris vert灰緑 vert jaune黄緑 orangeオレンジ canardカルガモ


 支流BのBODが一体どのくらいなのかはデータがないのでわからないが、支流Bの放流先の東掘の水質データは松戸市が毎年して発表している。これが平成21年で35mg/l。
 このレベルのドブ川の水質を公共機関が堂々と水質測定して正直に公表することは珍しい。このデータは「このくらいの汚れだとBOD35mg/lなのだ」ということが分かる貴重なサンプルであった。
 東堀はこのあたりにある工業団地からの排水を一手に引き受ける役割を担っているらしく、300メートルほど川上では澄んでいるのに工場団地からの排水が合流するごとに濁りを増す。
 松戸市の資料を読むと、坂川の汚染源は生活排水がメインだと書いてあるが、例えば住宅街と商店街を貫流する中堀という水路は、それほど悪い水質には見えない。おそらく最近急速に住宅地の下水整備が進んで、工場排水のそれを追い抜いてしまったのではないだろうか。だから工場排水系がきれいになれば、「魚の泳ぐ きれいな坂川 みんなの夢」が実現するはずである。しかしあろうことか、その工場排水の合流口に魚が大集結しているのであった。
 
 別の日にここを通ると合流口を観察しているおばさんがいたので、聞いてみるといろいろ教えてくれた。ちなみにこのおばさんはドブ川が大好きで見ているのではなく、ただ魚を見るのが好きという至極まともな方であった。おばさん曰く、
  ①いつもここには鯉が集まっている。
  ②工場排水に向かって遡上しようとするのもいる。
  ③昔はもっとくさくて汚れた川だったが魚はもっといた。
  ④ただしコンクリート三面護岸ではなく草ぼうぼうの土の護岸で流れも悪かった。
  ⑤もうこのにおいには慣れちゃった。
 行政の論理だと、「汚れた坂川魚もいない→下水道整備で水質改善→魚も増える→きれいな坂川水辺のふれあい」、なのであるが、おばさんの論理は予想外のものであった。

「工場団地に巨大なパン工場があるのでそこからおいしい水が流れて鯉が集まってくるのではないかしら。」

 おばさんの分析はかなり興味深かったが、しかし東掘がとんでもない汚れ方をしていることに変わりはなく、この水が坂川と江戸川を通じて都民の水道水源に混じるのはやはり尋常な事態ではないと思われた。
 しかしそれにもかかわらず坂川の問題はある意味解決した。この解決の仕方が面白い。

 まず坂川水系から汚い水が流れて本川に集まる。昔はこれを江戸川に合流させていたが、今は合流口の水門を閉鎖して支流を使って浄化施設に送水する。この浄化施設は川の水を浄化するという珍しい施設で、毎秒2500リットルの速さで浄化できる。浄化した水のうち毎秒400リットルは坂川に戻されて汚れを薄めるための水として放流される。
 残りの2100リットルは坂川が江戸川に合流していた地点より下流側に新設した水路に流され、金町浄水場取水口よりも下流で江戸川に合流させる。

  それを分かりやすく図解したページ(国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所のHPのPDFファイル。最終ページ目に図がある。また、2枚目には流れ方を反転させた仕組みや、昔より水質が改善されたことなども分かる。(H25.3.20リンク変更)) 
 
 こうして都民は坂川の水を飲まずに済むようになった。
 この仕組みを考えた人も偉いが、かかる費用もえらい額である。毎秒2500リットルとは1日に2.2億リットル。一人一日400リットル使うとして54万人分の使用水量にあたる。浄化方法は空気を吹き込みながら砂利の間に水を通すというものなので高度な処理ではないが、空気を送ったり川に戻したりするポンプの電気代は相当なものだと思う。
 やっていることは下水処理場と同じだが、下水料金を取るわけにもいかないから税金で賄っているのだろう。もっとも、こういう施設も松戸市の下水が全て下水処理場なり合併浄化槽なりで処理されるようになれば不要になる。
 ところがこんなに頑張っているのに、金町浄水場の水質問題は平成23年現在でも解決していないのであった。坂川の水が混ざらなくなれば水はおいしくなるのではなかったのか。
29 窒素の問題(後編)に続く

参考文献 
・国土交通省江戸川河川事務所のホームページ(坂川関係の資料は、以前は松戸市のホームページに掲載されていたが、最近は同事務所のページに集約されている。昔に比べれば坂川の水質は改善されているので、件の浄化施設の稼動も縮小傾向に向かっているようである。(H25.3.20修正))

「水環境と微生物」ミズムシさんのHP ドブ川に出現するいろいろな色の生物もここを見れば一発解明というすごいページ。

マニュアルにはない水質管理 ~お金をかけずに求められる水を~ 古賀みな子著 環境新聞社刊 
 下水処理場に発生する生物を完全解説したこの本はドブ川の生物(ただし微生物に限る)も完全網羅。現場経験者ならではの突っ込んだ説明が秀逸。

・月刊Weeks1988年8月号(現在休刊)
                        月刊Weeks表紙

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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