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17 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(前編)

開渠で残されている古川(東京都港区)古川 東京都港区)

 東京都区部は、日本で最もドブ川の暗渠化が進んだ地域の一つである。汚れたドブ川は徹底的に暗渠にして下水路に転用されていった。
 ところがそんな東京でも開渠で残っている川は結構ある。隅田川は幅が広いので当然だとしても、神田川や石神井川などはそれほど幅の広い河川ではないのに水源から河口までほぼ完全に開渠で残っている。また、渋谷川、目黒川、呑川、立会川などの中小河川は上流部は暗渠化されても下流部は今でも水面を見せている。これらの川はなぜ開渠で残されているのだろうか。

 東京の川が暗渠化されていったのは、一つにはくさいドブ川にフタをして悪臭から逃れたいという住民のニーズが、下水道に転用したい行政の思惑とマッチした結果といえる。実際フタの威力は絶大なもので、夏場にドブ川沿いを歩くと、どんなに強烈なドブ川でもフタをしている場所だけはにおいがシャットアウトされる。だから私にはドブ川を暗渠にしたいと願った当時の人の気持ちがよく分かる。
 しかしそれならばなぜフタをした川としていない川があるのだろうか。フタをしていない渋谷川の下流部や神田川はくさくなかったのだろうか。どうもそうは思えない。私は東京の暗渠の歴史を調べることにした。

 戦前から東京には下水道の計画があるにはあった。しかし費用がかかるのでわずかしか進まず、戦争が始まると完全にストップした。戦争が終わると東京は瓦礫の山である。戦後はこの瓦礫を中小河川に捨てて埋め立て、その土地を売却して瓦礫処理に充てるということが行なわれた。

 昭和30年代になると人口が急増したので、排水で川がドブ川化した。現在の都内の川の水質をBODという汚染度を表す数値で表すと、「汚いなあ」と思う川でも5mg/lくらいの値に収まっている。しかしこれが昭和36年の隅田川だと38mg/l、日本橋川で92mg/lというから、当時はわれわれの想像を超えた汚染だったことが分かる。
 この状況を打開するために東京都は4つの方針を立てた。昭和36年のことである。
       *   *   *
  ・源頭水源を有しない14河川の一部または全部を暗渠化し、下水道幹線として利用する。
  ・下水幹線化する以外の区間についても、舟運上などの理由から特に必要のない場合をのぞき、覆蓋化する。
  ・覆蓋化された上部についてはできるだけ公共的な利用を図ることとする。
  ・暗渠、覆蓋化にあたっては、狩野川台風並みの降雨でも氾濫しない能力を与えることを原則とする。
       *   *   *
 要するに、ドブ川化した中小河川を下水路に転用して暗渠にし、上部を緑道などにしようというのである。対象になった14河川を水系別に整理するとこうなる。

  ①呑川のグループ・・・・・・・呑川 九品仏川(支流)
  ②立会川
  ③目黒川のグループ・・・・・・目黒川 北沢川(支流) 烏山川(支流) 蛇崩川(支流)  
  ④渋谷川のグループ・・・・・・渋谷川(上流部) 古川(下流部)

  ⑤神田川の支流の桃園川
  ⑥石神井川の支流の田柄川

  ⑦江戸川の分流の長島川
  ⑧中川の支流のグループ・・・前堰川 小松川境川東支川


 大まかに言って、①~④は東京の西南部(いわゆる城南)、⑤⑥は西北部(いわゆる武蔵野)、⑦⑧は東部(いわゆる下町低地)に位置する。   
 ここで興味深いのは、東京の西南部の河川(①~④)がことごとく暗渠化されていることである。
 ①~④の河川を暗渠にすると、東京西南部にはほとんど開渠の川が残らない。⑤⑥を暗渠化しても神田川や石神井川が健在な西北部や、⑦⑧を暗渠化しても荒川など大きな川の残る東部地域とは対照的である。なぜ東京西南部の河川は徹底的に暗渠化されたのか。
 
 探ってみると東京西南部には、暗渠化されやすい4つの要因が見つかった。
 一つは、戦後急速に開発された地域であること。下水の未整備で川の汚染がひどかったと察せられる。しかし他の地域でも事情は同じだからこれは決定的な要因とは言えない。
 二つ目は、湧水に乏しいこと。たとえば⑤⑥のある東京西北部の川は井の頭池や石神井池などの大きな池を水源としていて、豊富な湧水が源頭にある。東京西南部にはそれがあまりない。湧水が乏しいと流れる水は下水主体になりやすい。
 
善福寺池善福寺川(神田川支流)水源の善福寺池の看板。風致地区として保全されている。

 三つ目は、①~④の河川のいずれもが、直接東京湾に注ぐ独立した水系になっていること。例えば東京の西北部にあって暗渠化の対象にならなかった神田川や石神井川は隅田川の支流である。その隅田川は荒川の支流で、荒川は国が管理する一級河川。したがって神田川や石神井川を改修しようとする時は、「荒川水系」のなかで考えなければならない仕組みになる。ところが西南部を流れる①~④の河川は、直接東京湾に注いでいるのでその川のことだけを考えればよい。そんな事情から、これらの河川では当時のニーズをすばやく反映して暗渠にしてしまったというような事情が推測できる。
 四つ目はオリンピックである。昭和36年といえば東京オリンピックの3年前。そのなかでも渋谷区はオリンピック施設が密集するので、外国人の集まるこの地域のトイレを水洗化することが急務であった。この地域を貫流する渋谷川が真っ先に暗渠の下水幹線にされたのはこうした事情が絡んでいそうであるが、当初は日本の玄関口となる羽田空港から代々木にかけての地域の下水道をまとめて整備しようという構想があったという。地図を見るとこのライン上にあるのが①~④の河川である。

 四番目は根拠薄弱のきらいがあるが、こんな風に考えると当時の河川の暗渠化がどんな基準で進められたのかが見えてくる。しかしまだ疑問は残る。
 暗渠化の急先鋒となった①~④の川は、なぜかその下流部だけが開渠のまま温存されているからである。

  ・渋谷川水系:渋谷駅前から下流7.3kmが開渠
  ・目黒川水系:目黒区大橋の国道246号線より下流7.8kmが開渠
  ・呑川水系 :目黒区奥沢の東急目黒線より下流約10kmが開渠
  ・立会川水系:品川区大井のJR東海道線より下流0.8kmが開渠

 なぜなのだろうか。渋谷川、目黒川や呑川は下流部が舟運に使われていた歴史があるので分からなくはないが、中流部が開渠で残っている理由が分からない。さらに、開渠の区間が川によって長短まちまちなのも分からない。しかしこの疑問はじきに解けた。(「18 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(後編)」につづく)

<参考にした書籍・文献・論文>
川の地図辞典(之潮)
「特別展「春の小川」の流れた街・渋谷」(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)
この展示図録はもう在庫切れだそうですが、もっと詳細な書籍がこちらで出ています。
春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

東京都河川図
目黒区総合治水対策基本計画素案
東京都の中小河川の都市計画に関する歴史的経緯 石原成幸 (H21都土木技術支援・人材育成センター年報)
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16 川底のベギアトア

 白い川面のドブ川はいつ見てもぎょっとする。
 緑色や黒色のドブ川はメカニズムが分かっているのでもう驚かないが、白いのはいつ見てもびびってしまう。
 ドブ川が白くなる状態には二つある。
 一つは水自体が白い場合。牛乳でもせっけん水でもそうだが、水が白くなるというのは、ある物質が水に溶けずに非常に微細な粒子で浮遊している状態である。だから白いドブ川はたとえば洗濯排水のせっけん分や、汚泥の分解で生じた硫黄の粒子などが細かく浮遊しているのだろうと考えられる。

白濁したドブ川水自体が白いドブ川(縮小掲載しています。拡大したい人はクリックしてください)

 二つ目は、これが問題なのだが、水は透明なのに底に白いスライムのような物体が広がっている場合である。  以前「モヤモヤ藻」の章で珪藻のことを調べたが、珪藻は灰褐色で、あまりにおいのしないドブ川に出現するのに対して、このスライムは真っ白で強烈なにおいのドブ川に発生する。この気味の悪い物体は何なのか。

 残念ながら私にはこの物体を採取する勇気がなく、分析するための器具もないので例によって専門家が調べたものをあたることにした。
 この分野を扱う学問は微生物学といい、細菌や単細胞生物を顕微鏡で分析するミクロの世界である。一方で、下水中の微生物をどのように排除するか、または利用するかということは下水処理の技術者にとっても重大な関心事であるらしく、彼ら向けの技術書にも詳しい。

 白いスライムの正体はベギアトアという細菌であった。澱んだ水路に生息し、酸素のある水中とその下の酸素のないヘドロの境目に薄い綿のように平たく広がるという。意外なことにこの細菌は水中に酸素がないと生きられないのであった。正体がわかったところでじっくり観察するべく、よく晴れた9月のある日、ベギアトアの生息するドブ川に行ってみた。

ベギアトアの繁殖したドブ川ベギアトアの生息するドブ川(縮小掲載しています。拡大したい人はクリックしてください)


 ドブ川はいつものように力いっぱい硫化水素を発していて、白いベギアトアがびっしり繁殖していた。薄い膜のように広がってはいるが、ところどころに穴が開いてちぎれたりしている。穴の下には黒いヘドロが見える。ベギアトアはこんなところでどうやって生きているのか。
 酸素の少ないドブ川では、水中の硫酸塩が嫌気性細菌によって分解されて硫化水素が出る。これは前に調べたとおりである。このとき、硫化水素と水中のわずかな酸素を反応させてエネルギーを得る生物が出現する。それがベギアトアで、化学式で表すとこうなる。

硫化水素(2HS)+酸素(O)=硫黄(2S)+水(2HO)+熱(エネルギー)

 底の黒いヘドロの中に硫化水素を発する嫌気性細菌がいて、ベギアトアはそれらを覆うように広がって、ヘドロから発生する硫化水素をキャッチしつつ、頭上を流れる汚水から酸素を取り込む。
 こうしてベギアトアに取り込まれた硫化水素と酸素は硫黄に変わる。この時熱が発生し、ベギアトアはこの熱をエネルギー源にして汚水中の有機物を別の有機物に合成し直して成長していく。
この過程は、人間でいうとカロリーのある食べ物を食べて熱を発生させ、その熱をエネルギー源にして肉や魚を消化していく過程に相当し、硫黄と水を排出する過程は人間でいうところの大便と小便に相当するといったところか。

 ベギアトアは硫化水素をエネルギー源にできるという画期的なメカニズムを持っているといえるが、同時に酸素や有機物もないと生きていけないという点ではわれわれ動物と大差ないメカニズムだともいえる。私はベギアトアのこの中途半端さが気になった。
 例えばヘドロの中の嫌気性微生物は、酸素がなくても硫化物があれば生きることができ、酸素があると死んでしまう。逆に人間は酸素がなかったり硫化水素がありすぎると死んでしまう。ベギアトアはこの中間的な環境で生きている。なぜこのような中途半端な生き方を選んだのであろうか。

 地球の歴史を見ると、酸素を呼吸して生きる生物が登場するのはごく最近のことで、植物が出す酸素が地球上に蓄積してからのことである。それ以前は酸素がなくても生きられる生物、つまりヘドロの中の嫌気性細菌のような生物の世界であったと考えることができる。
 その後植物が登場し、大気中に酸素が蓄積されると、酸素に触れると死んでしまう嫌気性細菌はどんどん追いやられた。今では陸上は酸素で覆われて嫌気性細菌の出る幕は少ないが、ドブ川やごみ捨て場など限られた場所には彼らの生きる小宇宙が存在しうる。この小宇宙を包み込んで彼らの世界に侵入してくる酸素を跳ね返してくれるのがベギアトアなのではないだろうか。あるいは小宇宙から漏れ出る硫化水素が陸上生物に有害な影響をもたらさないように、無害な硫黄に変えてくれる役割を果たしているのではないだろうか。
 白いスライム上のベギアトアは、酸素の豊富なわれわれの世界と無酸素で硫化水素が充満する小宇宙との臨界を司る門番のような生命体のように思える。


参考文献:
 
スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち
ジョン・ポストゲート著 シュプリンガー・フェアラーク東京㈱刊
 ドブ川や火山噴火口のような極限環境に生きる微生物の生態を網羅的を分かりやすく解説。ドブ川から化学微生物学の世界に導いてくれる入門書。

マニュアルにはない水質管理 ~お金をかけずに求められる水を~
古賀みな子著 環境新聞社刊
福岡県大牟田市の下水処理場の職員が書いた実戦用解説書。ドブにいるような正体不明の生物や不思議な現象をほぼ網羅しているので、ドブの謎を解くのに好適。

 「水環境と微生物」(ミズムシさんのHP)
 水路やドブ川を丹念に観察して詳細に解説。ドブ川観察に最適。

(追記)
修正用雑記帳その3:ベギアトアとは違うが、風呂場の排水溝の白いヌルヌルと格闘してにおいを嗅いだの巻。風呂場が下水くさいときの掃除にも役立つ、かも。

15 ビーチリバー

ビーチリバー全景A

 国道134号線は神奈川県の湘南海岸をなぞるように走る。
 海沿いのドライブコースとしてあまりに有名なこの道路の本当の見どころは、この国道が渡る無数の川にある。河原があるような大河川は相模川くらいしかないが、小さな川は数え切れないほど渡る。走っている車から小さな川を捕捉するのは難しいけれども、幸いなことにこの国道はよく渋滞する。この渋滞を利用すると車に乗りながらじっくり川を観察するという不精なことができる。

 例えば鎌倉の小動岬と稲村ガ崎という二つの岬の間にある七里ガ浜という砂浜海岸では、約3kmの間に7本の川を渡る。このうち4本はありふれた小河川であるが、残りの3本が不思議なことになっている。
 国道の海側を見ると砂浜を細々と流れる姿が見えるのだが、山側を見ると川がない。川があるはずのところは路地になっている。砂浜を流れる水はどこからやってきたものなのだろうか。
 そこで降車して海岸に下りてみると、道路の法面下に大きな排水口があってそこから水が流れ落ちているのが見える。流れ落ちた水の色を見てみると、汚水ではないようだ。ただし量が少ないので砂浜のうえを曲がりくねって流れて力尽き、砂に浸み込んで消えている。

ビーチリバー源頭部

 道路を渡って山側に回ってみる。
 川があるべき場所には路地が川幅くらいの細さで50mくらい続き、別の道に突き当たって消息が知れなくなる。小さな川なので暗渠にしたものの、国道よりも海側の砂浜の部分まではさすがにフタをできなくて流れが地上に出ている、ということのようである。
 市役所に聞いてみるとそれらの川には名前はなく、染み出た水や雨水などを集めて流れているということであった。水の流れがある部分は砂浜上だけなので、それらはつまり川ではなくて海岸の一部ということになるようだ。海岸上を雨水が流れているだけ、さしずめそういう解釈になるのだろうか。なんだかかわいそうなので、私はこの砂浜上だけの川に、「ビーチリバー」という名を付けることにした。

 砂浜上のビーチリバーは湿った砂を蛇行して侵食し、ミニチュアの崖やミニチュアの河原、ミニチュアの中洲などを作り、徐々に砂に浸み込みつつ消えて行くが、ミニチュアのラグーンを作って海に細々と流れ込むものもある。川の模型のようだ。

ビーチリバー渓谷

 ビーチリバーをみると、なぜ川は蛇行するのだろうかと思う。大きな川も小さな川も同じように蛇行する。そしてこの現象については、水は少しでも標高の低い場所を求めるので曲がりくねって流れるのだ、という説明が一般的にされている。本当にそうだろうか。

 例えば平らで滑らかなプラスチックの板に水道の水を細く流してみると、平坦な板の上でさえも水流は蛇行して流れ、一刻一刻その蛇行のパターンを変える。これはどう説明したらいいのだろうか。もう少し詳しく観察してみると以下のようなことが分かった。

①傷のついたステンレス流しでは、水は平べったく板の上に広がってしまい、蛇行を形成しない。
②プラスチックのような完全につるつるの板では、水に表面張力が発生して明確な流れを作り出して蛇行し、一刻一刻蛇行のパターンを変える。
③蛇行は、水量がごく少ないときに発生し、多すぎると一気にまっすぐ流れる。
④蛇行は何秒かのサイクルで同じパターンが繰り返される。

蛇行する水

 水の蛇行は単純に地形的な要因だけではなく、水自体の物理的な性質が関係しているようだ。  
 これを解明する学問は水理学といって、複雑な微分方程式の知識が必要らしいので、難しくて私には分からない。また、水理学者の関心は「洪水を防ぐにはどういう形で川をコンクリートで固めたらよいか」というところにあるので、「なぜ水は蛇行するのか」という単純なテーマはあまり研究されていないようである。
 ただ感覚的な言い方をすると、水というものは丸くなりたがる性質を持っているのではないかと思う。水は川のように線形になっている状態よりも、水滴や池の水のように丸く固まっているほうが好きなのではないだろうか。人間は水が勢いよくまっすぐに流れている状態を好むが、水にとっては迷惑千万で、早くしかるべき窪地に流れて澱んで丸くなりたいから急いでいるだけなのだ。しかし行けども行けども安息の地には到達しない。早く丸くなりたい。そこで水は考えた。
「流れながら丸くなればいいのではないか」
この答えが「蛇行する流れ」である。だとすれば水という奴も脳細胞がないわりになかなか賢いところがある。

 ビーチリバーは同じく国道134号線の三浦海岸でも頻繁に見られる。
 川を暗渠にしなければならないほど海岸沿いに住宅が密集し、しかし海岸までは埋め立てられておらず、合流できるような大きな川が周りにない、という3条件を満たすときにビーチリバーは現れるようだ。人間による埋め立てという圧力と、自然による河川の合流という圧力にさいなまれながらも砂浜という真空地帯でニッチに生き残る独立河川。
 
 しかしよく観察すると、ささやかに生きるこのビーチリバーを脅かす構造物があることが分かった。それはビーチリバーをすっぽりと覆うように砂浜に埋設されたコンクリート管である。
 ビーチリバーは、流れは細いが蛇行しているので横切ろうとしても一跨ぎというわけにはいかない。砂浜を散歩する人が横切ろうとすると砂の中に足を突っ込んで足がどろどろの砂だらけになる。
 このコンクリート管はそういうことを防止するために作られたものと考えられるのだが、陸上で暗渠にされ、砂浜上でも暗渠にされたビーチリバーは、波打ち際でわずかに排出口を見せるに過ぎない。やっと活路を見出したのに、全区間暗闇生活を強いられるビーチリバーの心情はいかばかりであろうか。私はこのコンクリート管を「ビーチリバーキラー」と名づけることにした。

14 ドブと温泉とゆで卵とメタン

隅田川(浅草付近)

「メタン沸騰する隅田川」。
 昔の資料を読んでいると、こんなタイトルの新聞記事が出てきた。
昭和40年代の隅田川は、水面にメタンガスが沸騰しているように見えるほど汚染がひどく、目が痛くなるほどだったという記事である。
今でもドブ川からメタンガスが微量に出ているのを見ることがあるが、隅田川級の大きな川でメタンガスがボコボコと噴き出てきてしまったらそのにおいは相当なものだろう、そう思った。

 ところでメタンガスはどのようなにおいのガスなのだろう。ヘドロや豚のフンのようなにおいだろうか。あるいは人間のオナラ、あれもメタンガスのかたまりだからあのようなにおいに近いのだろうか、まあそんなところだろう。そう思って調べてみるとメタンガスは無臭なのであった。
 
 われわれの生活のなかで最も身近なメタンガスは都市ガスである。
 都市ガスは漏れると悪臭がするが、これは漏れた時にすぐ分かるように人工的ににおいを付けているだけで、都市ガスのメタンはもともと無臭である。
 メタンが無臭ならオナラも無臭、ドブ川も無臭のはずではないか。私がメタンのにおいと思っていたドブ川のにおいは何なのか。逆上してある下水道局に尋ねてみた。どうも私のドブ川探求は各地の下水道局の仕事の邪魔ばかりして心苦しいが、逆上しているので仕方がない。

「それは硫化水素のにおいです。あと排泄物に含まれるメチルメルカプタンといった物質も悪臭を放ちます。」
 
落ち着いて考えれば確かにそうだ。ドブ川はメタンのほかにも硫化水素を出していて、私もさんざんそのことを書いている。硫化水素は腐った卵のにおい、メチルメルカプタンは腐ったキャベツのにおいの有毒ガスである。ドブ川のにおいの成分はそれらであって、メタンは関係していないというのである。
 でもメタンってくさいガスだと思われていますよね?

「メタンは、日常生活では硫化水素やメチルメルカプタンなどと一緒に発生する場面が多いので、それらの悪臭と混同されてくさいイメージがあるのでしょう」

 メタンのえん罪が晴れたところで、私は面白いことに気が付いた。
 悪臭の原因として名指しされた硫化水素( HS )も、メチルメルカプタン( CHS )も、その分子中に硫黄(S)を含んでいるということである。また、にんにくやたまねぎに硫黄の化合物が入っていることは前に述べたが、それらを素手で触ると後でいくら手を洗ってもなかなかにおいが落ちない経験をしたことのある人はいると思う。硫化水素を豊富に含むヘドロに足を突っ込んでしまったときなどもそのにおいがなかなか取れない。
 どうも硫黄が絡むと危険でくさいガスが発生する上に、そのにおいがなかなか取れないという共通現象があるようである。硫黄は生命の維持に必要不可欠な反面、危険でしつこい側面を持っていてなかなか興味深い。なのでまたひとつ気になることが出てきた。それは、

 「硫化水素は腐った卵のにおいというが、では腐った卵は硫化水素を発しているのか」

ということである。どんどん脇道に逸れるが、こういうことは気になったときに解明しておかないといけない。
 私は卵を腐らせたことがないので実際に腐らせてみたかったが、そうすると家族に叱られるので他人が調べたものを参照した。まとめるとこういうことである。
 ・腐った卵は硫化水素を出している。卵の中の「含硫アミノ酸」という物質が硫化水素を生む。
 ・ゆで卵も硫化水素を出している。含流アミノ酸に熱が加わって硫化水素を生む。
 ・生卵は、それほど熱が加わっていないので硫化水素が発生しない。だから生卵は卵のにおいがしない。
 ・しかし硫黄自体は無臭の物質である。 

 なんと、腐った卵だけでなく腐っていないゆで卵も硫化水素を出しているのであった。
 実際に卵を20分くらい茹でてみるとそれらしいにおいが出る。食べてみると黄身は無臭で、硫化水素のにおいのするのは白身のほうであった。白身のほうに含硫アミノ酸が含まれていて、硫化水素を発するようである。一方、黄身のほうは鉄分を豊富に含むのでそれが硫化水素と反応して硫化鉄とおぼしき黒ずみを生じている。

  ゆでたまご

 こうしてみると硫化水素はわりと身近に充満している物質といえる。
 温泉街の「硫黄のようなにおい」も硫化水素だし、おならも硫化水素。毒性のある怖いガスだと思われているが、低濃度のものは温泉の有効成分になっているくらいで、ドブ川のにおい程度の濃度であれば健康に影響はなさそうでもある。
 それにしてもドブ川とゆで卵と温泉のにおいが同じだというところが面白い。興味深くて確かめたい仮説がまだまだあるので、最後にそれらを列挙したい。

 仮説1 温泉街にドブ川があってもにおいを感じないはずである。
 仮説2 温泉旅館でゆで卵を食べてもにおいを感じないはずである。
 仮説3 温泉街で放屁してもばれないはずである。

 ばかばかしくて呆れられると困るので生活に役立つ仮説も挙げたい。
 仮説4 硫化水素は銅や銀と反応しやすい。ということは、皮膚にこびりついたニンニクやヘドロのにおいは、銅(10円玉など)をこすり付けて化学反応させてしまえば取れるはずである。

参考:
東京湾環境情報センターの資料(昭和36年の都内の河川の水質マップやごみに埋もれた当時の川の写真を掲載)
雑学解剖研究所のHP(身近な科学を分かりやすく解説)

(おすすめ参考書籍)
社会微生物学―人類と微生物との調和生存 共立出版1992年 ジョン・ポストゲート著、関 文威 訳
以前の章でも紹介したが、硫黄が腐敗や植物の成長を通して地球を循環していることを分かりやすく説明してくれる一冊。ベニスのゴンドラが黒いのは汚濁した運河の硫化水素のせい、などといった話も面白い。

(追記)
修正用雑記帳その2:仮説3を実証した。

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リンクとお知らせ
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最新記事
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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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