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32 新藤兼人監督『どぶ』


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 本日5月30日、新藤兼人監督が亡くなられた。
 監督の作品『どぶ』に感銘を受けて書いたこの章だったが、悠長に書いていたのでついにご存命中に書き上げることができなかった。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


 * * * * *


 新藤兼人監督の『どぶ』は期待できるタイトルである。
 ドブという言葉は、もともと「金をドブに捨てるようなもの」のような比喩表現くらいにしか使ってもらえない言葉で、文学や映画でもタイトルくらいには使ってくれても、ドブそのものを主題に取り扱ってくれる作品にはお目にかかれない。しかし新藤監督の場合はずばり『どぶ』である。

 この映画の公開は昭和29年。若き日の乙羽信子の一風変わった演技で知られているそうであるが、私はなんといってもそのストレートなタイトルに惹きつけられた。逃げも隠れもしないこのタイトルならば、ドブは『どぶ』において内容的に枢要なポジションを占めているはずだ(このあたりややこしいな)。DVDを買って鑑賞してみた。

 この映画は終戦の混乱期を脱した京浜工業地帯の鶴見が舞台である。
 この頃になると人々はワイシャツを着て電車で通勤したりしている。戦後の復興から経済成長へとシフトしつつあったそんな時代、河童沼という沼のほとりにバラックを建てて住む人たちがいた。ここに乙羽信子演じる主人公が迷い込んでストーリーが進む。タイトルのどぶは河童沼のことである。はて、鶴見の沼とはどこであろう。

 映画が進んでいくと河童沼の場所はすぐに分かった。バラックの裏を築堤と鉄橋がカーブを描き、国鉄の蒸気機関車が貨車を曳くのが見えたからである。この築堤と鉄橋はJR東海道線が鶴見川を渡るあたりでオーバークロスする貨物線のものである。この築堤と鉄橋は今でも変わらない。してみると河童沼は鶴見川の氾濫原の湿地帯であろう。
 横浜市の昔の地図を見てみると、この場所に500m四方はあろうかと思われる広大な沼とも湿原ともつかない場所が広がっているのが見えた。これが河童沼であったか。こんなに大きいとは思わなかった。こんなに大きな沼が今の鶴見にあったらさぞ面白いと思う。

鶴見川を渡る貨物線 鶴見川を渡る貨物線

 とはいえ付録の解説を読むと、こういう風景はこの当時でも珍しいものであったことが分かる。
 監督がこの沼を見つけるのは湘南の逗子から勤務先の東銀座に向かう横須賀線の車中である。逗子・銀座・横須賀線という上品なルートの脇にある沼・バラックという構図が印象的だ。監督は沼のほとりに建つバラックのわびしさが戦後風景を象徴しているように思えて興味を覚え、この地を訪れたという。この当時、すでに河童沼のどぶは少しずつ過去の風景、平成の人にとっての昭和のような過ぎ去りつつある風景になっていたのかもしれない。
 映画ではバラックの住民に大金を与えて追い出し、沼を埋め立てて競輪場にしようとするセンセイが現れる。ここの大金が引き起こす喜劇と悲劇がこの映画のクライマックスである。こうした役に立たない沼が今にも埋め立てられようとする時代の雰囲気が伝わってくる。

 さて、現実の河童沼はどうかというと、競輪場にはならなかった。
 新藤監督を真似て河童沼の場所を歩いてみたら、横浜市の下水処理場になっていた。北部第一水処理センターという名称で、昭和43年に作られたという。川沿いの場所に下水処理場を作るというのはよくある話であるが、この場所にはもう少し切迫した事情があった。

 すぐ近くの鶴見図書館で小学校の昔の文集を読むと、洪水の話が実によく出てくる。
 洪水で1階が水浸しになった、船で登校した、ただでさえ汚いドブが多いのにそれが雨ですぐあふれる、もともと標高が低いのに周りの企業が工場用水をくみ上げるから地盤沈下して洪水がひどくなる、といった具合である。これを解消するためには低地に滞留する水を鶴見川に排出するポンプ場が必要であった。
 そのようなわけでこの下水処理場は下水処理機能に加えて、ポンプ場機能を併せ持って作られた。こうして鶴見は洪水に遭わずに済むようになったが、その代償としてかつての河童沼は下水処理場の四角い池の下に眠ることになったのであった。  

北部第一水処理センター北部第一水処理センター(左側が河童沼のあった北側部分。鶴見川河川敷から撮影)

 さて、河童沼が下水処理場に化ける過程をもう少し知りたいと思って『横浜下水道史』という本を読んでみると面白いことが分かった。
 この下水処理場は何回か拡張を重ねていて、最初にできたのは現在の処理場の南側の部分であったという。しかしもともと建設場所として考えていたのは北側の部分であった。この用地の取得が難航したのであきらめて南側に作ったが、結局後年、北側まで拡張したようである。この北側部分に関する記述が面白い。
 ここは「企業が廃棄物の捨て場として利用していた低湿地」であったという。この説明は新藤監督の解説とも符合していて、ロケで俳優たちを飛び込ませた沼はいろいろなものが捨てられていて危険だった、というエピソードがある。これが河童沼であろう。
 
 当時の河童沼はごみ捨て場なのであった。当時の人はなんともひどいことをしたものである、と言いたいが、現代人もむしろ平然と谷間の湿原を産廃処分場にするから偉そうなことは言えない。私は最初、河童「沼」を「どぶ」としたタイトル付けに違和感を持っていたが、もしかすると新藤監督はこの沼がごみ捨て場になっていたことをタイトルに含ませていたのかもしれない。

(参考)
『横浜下水道史』 横浜市下水道局 平成5年(横浜市立鶴見図書館などで閲覧可能)
『創立120周年記念 わたしたちの町 市場(第3版)』 横浜市立市場小学校 平成5年
『横浜市三千分一地形図 市場 昭和32年』横浜市都市計画課

<関連記事>
第33章 豊橋の下水処理場はなぜ全国4番目なのか(前編) 河童沼跡の下水処理場を調べているうちに、「横浜の下水道は外圧で渋々作らされたのではないか」という疑惑を抱き、それを調べているうちに珍説「名古屋便器都市説」を編み出すページ。
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Author:大石俊六
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雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

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・「恋とはどんなものかしら」
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その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
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