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38 水質汚濁防止法

いつもきれいにしてくれてありがとう 千葉県松戸市内


 千葉県の九十九里町で、豆腐工場が排水を未処理で農業用水路に流していたので経営者が逮捕された、という事件が平成22年にあった。これは私にはギモンな事件であった。
 豆腐工場では大豆を煮てから豆腐製品になるまでにBODで平均約1200mg/lの排水を出すとされている。下水管を流れている下水はだいたい100~200mg/lであるから1200mg/lというのは結構濃い。この工場はそれを浄化処理せずに排水したので捕まった。

 九十九里町の下水道普及率は0%である。
 公表されている資料から推測すると、町内の排水はおおざっぱに見て約15%が集落排水処理施設(集落専用のミニ下水道)で、約35%が合併処理浄化槽で、残り約50%は単独浄化槽で浄化処理されているとみえる(※1)。
 しかし一番最後の単独浄化槽はトイレの水以外は処理できない。したがって、例えば単独浄化槽の家庭の台所で豆腐を作ろうとすると、大豆を煮た汁はそのまま水路や川に流れ出る。これは望ましいことではないが、とりあえず違法ではない。ところが豆腐工場がこれをやると違法になる。

 これはどういうことであろうか。記事をよく読むと「水質汚濁防止法違反の疑いで」とある。この法律がポイントらしいと気が付き、千葉県庁に尋ねてみると果たしてそうであった。
 水質汚濁防止法は昭和46年に施行された法律で、その名の通り海や川の水質汚濁を防ぐことを目的にしている。豆腐工場はこの法律の規制に従って、排水を浄化してから海や川に流さないといけない。
 しかしこの法律の対象は汚水を出しやすい業種の工場だけで、一般家庭は対象になっていない。工場排水による公害を食い止めることを主眼として制定されたものらしく、今に至るまでそれは変わらない。
 一方家庭排水については浄化槽法などで規制されているが、こちらは水質汚濁防止法よりも基準がずっと甘いので「家庭から出る未処理の豆腐排水は合法だが、豆腐工場のそれは違法」というような状態が生じる。(図1「排水という行為」)


 (図1)水質関係の規制は排水先、排水量、排出する物質の種類によって規制の有無が変わるので分かりにくい。
 豆腐工場にしても、排水量が50m3/日未満なら水質汚濁防止法の規制対象外、と思いきや、自治体によってはそれ以下でも規制対象にしていたりする。
水質汚濁防止法の立ち位置 水質汚濁防止法補足

 
 公害や事故など何かまずい社会現象が生じたときにその対策として作られるタイプの法律は、一番コントロールしやすくて効果が見込まれそうな対象物(この場合は工場)から手を付けていくので、どうしてもこういう矛盾を生んでしまうが、この手の法律はえてして個性的で面白い。
 
 水質汚濁防止法で一番面白いのは規制対象(「特定施設」という)を列挙した表(東京都HPにリンク)である。
 特定施設は特に汚水を出しやすい業種を列挙したもので、豆腐製造業もここに入っている。豆腐製造業の他にも水産加工品、しょうゆ、砂糖、飲料、油脂、でんぷん、めん類など各種の食品製造業、石けん製造業、印刷業、畜産業、ガラス製造業、セメント製造業など数々の業種が列挙されている。
 
 この表で私の目を引いたのはNo.71の自動式車両洗浄施設、つまり洗車機の項であった。「バスの車庫は川沿いに多い」という話を以前聞いたことを思い出したからである。誰からそんな話を聞いたのかというと、暗渠になった川を訪ね歩く人(※3)からである。
 彼らは、というか実は私も同類なのであるが、地下に埋もれた川を探す時に「川沿いによくある施設」を手掛かりにする。例えばある場所に銭湯やクリーニング店が集まっていればその近くには以前川が流れていた可能性が高い、とあたりをつける。いきおい、川沿いにどんな施設が多いのか詳しくなる。そんな彼らが「川沿いにはバスの車庫が多い」というのである。

 西武バスの車庫西武バスの車庫(さいたま市 ピンボケだが奥にバス、左に洗車機、手前に川)

 これを聞いたときはバスの車庫と川とどういう関係があるのかよく分からなかったが、洗車機が特定施設になっていることを知って合点がいった。バスの車庫には洗車機があり、これが水質汚濁防止法の規制を受ける。
 洗車機は一見ひどい汚水を出すようには見えないが、乗用車を濡れ雑巾で拭くと雑巾が5枚くらい真っ黒になるから水質的に要注意の施設なのであろう。注意してドブ川を歩いてみると、タクシー車庫とコイン洗車場とガソリンスタンドも多かった。洗車機絡みの施設は川のそばにあると言えそうである。
 
 次に目を引いたのはNo.67の洗たく業、つまりクリーニング店である。洗剤混じりの排水とドライクリーニングの有機溶剤が警戒されているのであろう。クリーニング店も川沿いに多い。
 続いてNo.23-2の印刷業。文京区音羽には印刷工場が立ち並ぶエリアがあるがここには谷端川という川の暗渠が眠っている。No.66-2には旅館業がある。確かに旅館は川沿いに多い。田舎の旅館に泊まると玄関は街道沿いだが裏手は川に面していたりする。
 この表はひょっとして「使える」のではないか。特定施設の表を使えば川沿いにありそうな施設などたやすく特定できるのではないか。
 
 例えば暗渠に詳しいある人(※4)は「川沿いにはラムネ工場が多い」と書いているが、その理由もこの表を使えば解ける。表を見るとNo.10の項に飲料製造業がある。飲料工場の排水は糖分が濃くてBOD値が高すぎるので特殊な排水処理装置でないと処理できない。
 しかしラムネは昔の飲み物である。昔の飲料工場には高性能な処理装置は付けられなかったであろうから、「水処理に難あり」ということで排水しやすい川沿いに立地したであろう。
 
 しかしラムネは今はメジャーな飲み物ではないので、ラムネ工場はなくなってしまってもおかしくない。ところがうまい具合に「分野調整法」という法律があり、この法律が中小企業の多いラムネ製造部門への大企業の参入を制限している。この法律のおかげでラムネ業界では中小の工場が生き残りやすくなる。よって今あるラムネ工場は昔の生き残りである可能性が高い。つまり古い中小工場が昔の立地のまま残る。すると、

 ①ラムネが昔から飲まれた飲料であること、
 ②排水のBOD値が高いこと、
 ③大企業が参入できない


という3つの要素によってラムネ工場の川沿い立地の謎が解き明かされる。
 
 気をよくした私は次に病院がないかどうか調べてみた。
 私の見たところ、病院は川沿いに多い。確かに病院、特に手術を要するような診療科目は処理の難しい排水を出しそうである。現代の病院は使い捨ての医療器具と最新の浄化槽と下水道に頼ることができるが、昔はそうはいかない。感染リスクを押さえ込むには何でも洗い流して素早く排水することが不可欠であっただろう。果たして特定施設の表を見るとNo.68-2の項に病院がある。
 
 ところがここで対象になるのは病床数300以上の病院だけであった。
 300床というと結構な大病院である。これは私の感覚とは少し違う。川沿いに見かける病院は小さいものが多い。この表によれば小さい病院は水質汚濁防止法的には問題視されることはないはずなのに、川沿いに立地している。これはどういうことなのだろうか。
 
 しかも冷静に考えてみると、特定施設が川沿いに立地する理由というのもよく分からない。水質的に要注意の施設を川沿いに持ってきても排水がきれいになるわけではないからである。
 病院やバス車庫やラムネ工場やクリーニング店を川沿いに持ってきても、水はけが良くなって衛生的になるという利点があるくらいで排水自体はきれいにならない(※)。そうであれば水質汚濁防止法の特定施設になっていることとその施設が川沿いにあることの間に直接的な因果関係はない。いいツールを見つけたと思ったがだめだったか。
 
 病院やクリーニング店などが昔、排水をどのように処理していたかという資料はなかなか見つからない。
 専門書にも業界紙にも載っていないし、当事者にも尋ね難い。失礼な感じがするし、相手も聞かれたくないであろう。失礼を承知で訊くと彼ら自身も分からなかったりする。私の母親は長らく病院勤めをしていたが、排水のことは全く知らなかった。では保健所なら知っているかと思って訊くとそうでもない。
 
 なので自分がクリーニング店の経営者になったつもりで考えてみた。
 もし川から遠く離れた場所にクリーニング店を作ったらどうなるか。下水道がなかった時代は、排水は家々の前の側溝をダクダクと流れ去ることになる。その側溝は現代のコンクリート流し込み仕上げの暗渠ではなく、はめ込み式の蓋暗渠でもなく、開渠である。これは目立つ。
 流されるほうも何が混じっているか分からない排水が家の前を通れば苦情も言いたくなる。だから川沿いに病院やクリーニング店を作るのは水質の解決にはならないが、苦情対策にはなるであろう。
 明治13年に神奈川県が制定した「温泉及び洗場営業規則」にはこのような条文がある(※6)。

「第5条 浴場下水ハ大下水ニ連続セシメ大下水ナキ場合ハ溜桝ヲ設置スヘシ」

 大下水とは、今で言う下水幹線のことで、要するに浴場下水を側溝に放流することを禁じて下水幹線に直結するよう定めている。当時は下水幹線のある都市はわずかしかなく、下水幹線はあっても下水処理場がないから海に垂れ流しであるが、少なくとも往来の人に触れないようにする効果はある。

 するとこれは煙突と同じ発想なのかもしれない。
 高い煙突を作ることは大気汚染の解決にはならないが、低い煙突で煙が地上を這うよりはマシである。実際高い煙突を作ることは100年くらい前は優れた公害対策であった(※5)。ドブ川は下水道普及前夜における「水の煙突」なのではないか。
 川沿いでよく見かける銭湯と美容室も水質汚濁防止法で規制されてはいないが、「水の煙突」理論で見れば納得である。お湯やパーマ液混じりの水を流すので苦情対策はぜひとも必要である。こうしてみると、次のようなことが分かる。
 
 ・浄化槽法の規制も甘いが、水質汚濁防止法も結構甘い。
 ・したがって法律で規制されていなくても、苦情対策的に「水の煙突」が必要な施設はあって自主的に川沿いに立地した。
 ・現在川沿いにある特定施設は下水道普及前のそのような立地を引きずっている。

 
 ドブ川を「水の煙突」と考えると、コンクリート三面張りの構造も非常に納得がいくし、上部に蓋をして四方を囲った暗渠にしてしまうという発想も違和感がない。


(参考)
(※1)九十九里町汚水適正処理構想 平成22年度 九十九里町 
・7ページの表によると、同町のうち人口比で15.0%の地域は農業集落排水設備(ミニ下水道)が整備済みである。
・一方その他の地域には合併浄化槽が2500基設置されているのでこれを世帯数7116で割ると35.1%。
・よって両方ともない世帯(=単独浄化槽しかない世帯)の比率は、100-15.0-35.1=49.9%と計算される。
・ただし母数にした世帯数の時点が異なっていたり、工場や事業所の扱いを考慮していないのであくまで目安程度の計算である。

(※2)飲食店(ラーメン・中華)の排水等に関する調査結果 千葉県環境研究センター年報 
放流水のBODが平均2100mg/lという調査結果は衝撃的である。

(※3)東京peeling! 暗渠周辺の施設を解析して「ANGLE」システムを構築し、解析を観光化するという未知の領域に踏み込みつつあるサイト。

(※4)
暗渠さんぽ いつも暗渠のそばの食堂にふらふら入ってしまいながらも視点が鋭いサイト。

(※5)『ある町の高い煙突 (文春文庫 112-15)』新田次郎 明治時代の茨城県日立市がモデル。銅の精錬で出る排煙で被害を被った地元で、ある青年が公害防止のために奔走する。新田次郎は自然破壊をテーマにした作品がいくつかあるが、重いテーマながらどれもストーリーが面白い。

(※6)横浜下水道史 横浜市下水道局 平成5年

水質汚濁防止法特定施設(東京都環境局のホームページ)
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39 続・渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか

渋谷川の河口 渋谷川(古川)河口付近
 
 以前、『渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか』という章を書いた。暗渠の下水幹線に転用されるのが当たり前の東京の中小河川で、開渠区間が残されている理由について考えてみたものである。
 
 その章では、開渠区間が残っているのは「大雨の時の雨水排水バイパスとして残す必要があったからではないか」と締めくくった。
 これはこれで今でもそうだと思っているが、この章は推測の部分が多い。私が「そうなるはずだ」と言っているだけでウラを取っていない。
 そこで本当のところはどうなのか確かめてみたいと思い、目黒区川の資料館(現在閉館)に行って尋ねてみた。すると見せていただけたのは『36答申における都市河川廃止までの経緯とその思想』(中村晋一郎・沖大幹 2009年2月)という論文であった。
 
 こんな論文があったとは。
 これは平成20年の土木学会の水工学論文集に掲載され、ウェブサイトでも閲覧できるが今まで読む機会はなかった。しかし36答申という言葉は今まで何回も遭遇し、都内のドブ川にとって重要な意味を持つ文書だということは知っていた。
 昭和36年に出されたから通称36答申(サブロクトウシン)。
 この答申は、オリンピック直前の東京で、河川の汚染対策と下水道整備を急いで進めるために出された。36答申は字面こそ「答申」とソフトだがこれによって「都内のドブ川→下水道に転用」というその後の方向性が決定的なものとなる。要するにドブ川の敵である。
 
 私はこの論文をこわごわ読んでみた。果たして以前の私の推測は正しかったのか?
 採点表は以下のとおりとなった。

  推測①「暗渠化は悪臭から逃れたい住民と下水道を整備したい行政の思惑が一致した結果でろう」→
  推測②「暗渠化された河川は戦後急速に開発された地域の河川で水が汚れやすかったであろう。」→当たり前のことなので言及なし
  推測③「暗渠化された河川は池などの水量豊富な水源がなく、水が汚れやすかったであろう」→(ただしそのことはもともと答申に書いてある) 
  推測④「暗渠化された河川は東京湾に直接注ぐ独立した中小河川だったので暗渠化の決断が素早くできたのであろう」→言及なし
  推測⑤「暗渠化はオリンピック施設と羽田空港に挟まれたエリアが特に選ばれているのではないか」→言及なし
  推測⑥「大雨の時には雨水も下水管に流れて溢れるので、雨水排水バイパスとして開渠区間を残す必要があったのではないか」→
 
 論文のテーマと私の関心にズレがあるのでうまく検証しにくいが、思いもしなかった新発見がいくつかあった。それは推測①③⑥の箇所である。
 
 まず推測①
 私は暗渠化が36答申で編み出された手法のように書いているが、中小河川を下水転用する構想は昭和25年からあったという。しかしそれがなかなか実現しなかったので河川は河川として整備が進んでしまい、下水道サイドとの調整が必要になったそうである。
 「いずれ下水転用する予定の川をそんなにきちんと整備していったいどうするのかね?」ということであろう。 つまり36答申の役割は河川を下水転用する手法を編み出すことではなく、河川の下水転用作戦が頓挫しそうになるのを立て直すことであったといえる。
 
 次に推測③
 これは一見単純そうに見えるが暗渠化の核心を突く理念が隠されていた。論文は36答申の委員会での発言を紹介している。かいつまんで書くとこういう内容である。

  ・水源がない中小河川の流域を下水道整備すれば河川に流れる水はなくなるはずで、
  ・にもかかわらず中小河川が必要だとすれば下水計画に欠点があるということだから、
  ・そのような「河川か下水道かわけの分からぬような存在」は残したくない。
 
 
 なるほど。「河川か下水かあいまいなものは残すべきではない」というのがこの答申の基本思想なのであった。そういうあいまいなものを残すと空堀になった川がごみ捨て場になってしまうであろうという懸念も当時はあったようである。
 論文でも触れられているが、私もこれはこれで当時の精一杯の見識であったと思う。とかくあいまいになりがちな行政が、河川か下水か白黒はっきりさせる決断をしたわけである。
 川からは悪臭がのぼり、その解決策は下水道くらいしかなく、川にごみを捨てる習慣も残っていた時代である。この決断で東京の川の多くが失われたわけだから50年経った現代では正当な見識であったとは言い辛いが、白黒はっきりさせようとした努力は認めざるを得ない。よって私の関心は別のところにある。
 
 「現在正当だと思われている見識が50年後にも正当であり続けるのは相当難しいことなのではないか?」
 例えばダム建設や干潟の干拓や海岸の埋め立ては50年前は間違いなく正しかった。今これを間違っていたと言うのは簡単だが、では現在行われている洪水防止のための巨大な地下貯留槽の建設が50年後も正しいと思われるか。 下水幹線上の人工せせらぎはどうか。これも50年後には「こんなメンテナンスのかかる電動水流を作っちゃって」などと言われているかもしれない。もし間違いだったと気づいた時に修正が利く仕組みがあったらいいのにと思う。
 
 最後に推測⑥
 開渠区間が大雨時の雨水排水バイパスになっているという点は正しかったが、もう一つ要因があったことを知った。
 36答申の委員の発言によれば、下水幹線に転用された川の下流部に開渠区間があるのは、下水処理場の位置と関係があるというのである。例えば渋谷川流域の下水は品川駅近くの芝水処理センターで処理される。だから渋谷川を浜松町の河口まで暗渠の下水幹線にして東京湾岸まで流下させてしまうと、品川まで自然に流れないという問題が出るということのようである。したがって途中の渋谷で分岐させて品川方面に向かわせる。

渋谷川並木橋以北 当初暗渠化されるはずだった渋谷川開渠最上流部
 
 しかし目黒川についてはこれでは説明がつかない。
 目黒川流域の下水は羽田空港近くの森ヶ崎水処理センターで処理される。
 だから目黒川を東品川の河口まで暗渠の下水幹線にして流下させてしまうと東品川から先が困るので中目黒で分岐させて……と思いきや、下水の「目黒川幹線」は河口直前の大崎まで目黒川に寄り添って敷設されている。
 また、神田川についても説明できない。神田川流域の下水は新宿区の神田川沿岸にある落合水処理センターに運ばれる。そうであれば落合水処理センターより上流の神田川は暗渠にして下水幹線にしてしまってもよさそうであるがそうはしていない。
 
 この点については論文では委員発言の引用という形でしか触れられておらず、真相は分からない。
 もしかしたら以前私が推測した「流域が広いほど雨水排水バイパスとしての開渠区間を長く取る必要があった」がそのまま正しいのかもしれないが、この論文を読むと別の考えも出てくる。
「昭和25年の下水道転用構想と36答申の11年のブランクが「河川か下水かあいまいな開渠区間を現状追認の河川として生き残させたのではないか」

 戦後の混乱期直後と、高度成長期前夜では時代が違う。その11年の間にドブ川の性格が変わってしまったとしてもおかしくはない。ドブ川がどのようにして暗渠化を免れたのかの検証は引き続き宿題として取っておこうと思う。


(おすすめ)
ミツカン水の文化センター 第4回里川文化塾『春の小川』をめぐるフィールドワークの報告 
渋谷川を題材に「じゃあ都市河川はどういう形に再生されるのが望ましいの?」ということが討論されている。論文の執筆者のうちの一人と、『春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』の著者が講演しているので、この報告を読むと理解度倍増である。

(参考)
東京都河川図
東京都下水道台帳

40 アユとコイ(前編)

 コイ コイ

 牛乳コップ1杯分を魚が棲めるレベルまで薄めるには風呂桶11杯の水が必要です、と下水処理場のパンフレットに書いてある、と以前書いた。ここで登場する「魚」とは何の魚か。
 牛乳(BOD78000mg/L)のコップ1杯(0.2L)を風呂桶11杯(3300L)で薄めると、
 78000×0.2÷3300=4.7
ということでBOD4.7mg/Lの水になる。
 BODが5mg/L未満になるとコイやフナなどが棲める。よってこの魚はコイ・フナということになる。

 水質と魚の関係

 コイやフナはBOD5mg/Lにすれば棲めるがアユやサケは3mg/Lくらいまで薄めないと棲めないとされる。つまり下水処理場のパンフレットはハードルの低い魚を指標に選んでいる。
 実際ドブ川で出会う魚も汽水域でなければ大体コイであるし、コイでも、と言っては失礼だが魚には違いなく、コイとフナは「魚の棲める川」を標榜する最後の砦の魚種といえる。
 しかしこれがサケやアユとなると違う。「○○川にアユが戻ってきた」というのは事実上の清流復活宣言で、「昔は汚かったのによくぞここまで持ち直した」となる。しかし落ち着いて考えると、ここが分からない。
 
 なぜコイとフナは汚い川でも棲めるのだろうか。
 なぜアユやサケは汚い川では棲めないのか。 

 アユの群れ アユ

 
 このギモンは簡単そうでいて実はあまりよく解説されていない。
 水族館の展示を見ても魚の図鑑にもなぜかこのことを書いていない。私は今までアユがなぜ汚い川で棲めないのかも分からないのに、アユが川に戻ったと聞くと川がすごくきれいになったような気がしてしまっていたのである。くやしい。
 
 「汚い川」はおよそ3つの要素で成り立っている。
  要素①BODが高い(有機物が多い≒濁っている)
  要素②水中の溶存酸素量が少ない(酸欠状態)
  要素③澱んでいる 
 

 このことからコイ・フナは次の能力を持っていると推測できる。
  推測①濁っている状態でもエサを探せる。もしくは濁り(有機物)自体がエサになる。
  推測②酸素が少なくても呼吸できる特殊な仕組みを持っている。
  推測③水が澱んでいても平気、または流れがあると不利。
 
 
 この推測を持って水族館に行くことにする。一般に水族館というと派手なイルカショーなどのできる海水魚の水族館が多いが、わずかに淡水魚専門の水族館もあるのでそちらを選んで行く。
 一つ目は「相模川ふれあい科学館(H26.3リニューアルオープン)」、二つ目は「さいたま水族館」である。
 
 「相模川」の方は相模川の河岸段丘の谷底、水郷田名と呼ばれる地味な名所にあり、かつてアユ漁で有名だった相模川の淡水魚を前面に押し出して展示している。ちなみにここが「科学館」を名乗っているのは、ついでに相模川の水力発電もPRしてしまおうとしているためと邪推する。
 「さいたま」の方は羽生市の荒川沿いの広大な湿地を保全しながら水族館も作ったという風情で、「博物館付き巨大ビオトープ」的な迫力がある。
 周りの水田や湿地は無秩序に埋め立てられて結構うらぶれた風景になっているので、こういう形で保全されたことはよかったなあ、と思える風景である。

 さいたま水族館に隣接する湿地 さいたま水族館に隣接する広大な湿地(食虫植物ムジナモが自生している)
 
 両館ともに共通するすばらしい点は入場料が安いことであるが、共通する残念な点は「コイ・フナはなぜ汚い川でも棲めるのか」が解説されていないことである。そこで飼育係の人に上の推測①~③について質問する。
 この問題は専門家にとっても答え難そうであったが、実際に飼育しての体験も踏まえながら分かりやすく教えてもらえた。両館で教えてもらった回答を混合して上の推察①~③にあてはめると次のようになる。(カッコ内は私の見解)

回答①(BOD関係)
 コイ・フナは雑食性なのでBODの高い水の植物プランクトンは確かにエサになる。
 アユは幼魚のときは雑食性であったのが、成魚は石に付いた珪藻を食べるというように変わる。(よってBODの高い川ではアユが成魚になったときに、他の魚に勝つ優位性を保てないのではないか)

回答②(溶存酸素量の関係)
 コイやフナはエラの筋肉が発達している上にエラ自体の表面積も大きい。
 口をいつもパクパクさせてたくさん水を吸い込んでいる。
 これらの作用で溶存酸素の少ない水からも積極的に酸素を吸収することができる。
 逆にマグロのような魚は、速く泳ぐことでエラに大量の水を供給して酸素を得る。マグロが速く泳がないと死んでしまうのはそのためである。
 コイはアユよりも酸素の消費量が少なくて済む。
 コイとアユが要求する溶存酸素量は5.0mg/l(前出の表参照)と同じであるが、BODの高い水のほうが当然ながら酸欠になりやすいとは言える(有機物の分解のために酸素が消費されてしまう可能性をはらんでいる。したがって同じ溶存酸素量でもBODが高ければ、コイ有利・アユ不利となり得る)

回答③(水の澱みの関係)
 コイやフナは流れのゆるい場所(止水域という)でないと生きられない。
 コイとイワナを一緒の水槽に入れるとコイの稚魚が肉食性で動きの速いイワナに食べられてしまったりする。(コイ・フナは動きは鈍くても生きていけるように、高機能なエラと口パクを武器に競争相手の及ばないドブ川に活路を見出しているのではないか。動きが鈍いということは余計な酸素を消費しないということでもあるから、酸欠気味の澱んだ川ではコイ・フナ有利、となるのではないか)

コイ(拡大版) コイ(拡大版)


 いろいろな要因が絡み合っているので難しいが、私には回答③を理解することが今回の「アユ・コイ問題」を解くにあたって一番重要な要素と思われた。そう思ったのはその後、父親に九州の柳川にドジョウ鍋を食べに行こうという話をした時のことである。

「ドジョウ鍋はいやだ」
泥臭いから?
「子供のときにドジョウで遊んだからとても食べる気になれない」
戦前生まれの父は田んぼの水路でドジョウ取りをして遊んだという。ドジョウは友達であり、友達を食べる気になどなれないそうである。
「コイやフナやナマズとも遊んだからだめだ」

ということはウナギもだめか?
「ウナギはいい。蒲焼になっているから」
どうもよく分からない理屈である。アユはどうか?
「アユも食える。アユは水路にはいなかった。」

 どうもコイ・フナとアユ・サケは生息する場所が違うようである。
 確かにコイは神社の池に、フナは釣堀などで飼われているが、アユやサケは川を遡っていく魚である。遡っていく過程でコイ・フナの棲んでいる下流域も通り過ぎるものの、成長すれば下流域を卒業して中流域へ向かってしまう。コイ・フナは生涯澱んで温かい水を好むが、アユ・サケは成長すると流れがある冷水を好むらしく、要するにそういう根本的な違いを知らなかったので混乱していただけなのであった。
 よって、先のギモンの答えは、「コイ・フナの棲む川をきれいにしたとしても、その先に遡上していくべき冷たく速い流れがないとサケ・アユは棲まない」となる。  (41 アユとコイ(後編)につづく)

(修正)
相模川ふれあい科学館は、休館期間が終わって平成26年3月26日にリニューアルオープンした。

41 アユとコイ(後編)

40 アユとコイ(前編)からつづく) 

 魚と水質の表をよくみると、あることに気がついた。
 最も汚れに強いと思っていたコイ・フナのさらにその下にドジョウという項目がある。

  水質と魚の関係


 ドジョウの生命力は驚異的でBOD10ml/L、溶存酸素も2mg/Lで生きられるという。コイ・フナのさらに上をいく。父の証言によれば、田んぼのドジョウは収穫前に水を抜くと泥の中に潜って生き延びるという。どんなハイテクを使うと泥の中で生きられるのか。
 これも前章の要素①~③にあてはめて整理してみる。

 要素①(BODの問題)
 ドジョウはコイ・フナよりも格段に高いBOD値でも大丈夫。 
 要素②(溶存酸素量の問題)
 ドジョウはコイ・フナよりも格段に少ない溶存酸素量でも大丈夫。 
 要素③(澱みの問題)
 ドジョウは澱んだ水どころか泥の中でも大丈夫。

 これに対する推測はちょっと思い浮かばない。よって図鑑や他の人の研究成果を借りることにした。このうち、大分県の三重総合高校自然科学部の研究結果はなかなか秀逸で、いっぺんに謎が解けた。

 回答①(BODの問題)
 ドジョウはアカムシを好んで食べるが、これをにおいで探している。コイ・フナも嗅覚が発達しているがドジョウの嗅覚はもっと発達している。
 回答②(溶存酸素量の問題)
 ドジョウはエラ呼吸もするが、腸でも呼吸できる。酸欠になると水面に顔を出して空気を吸い、腸で酸素を吸収する。
 回答③(水の澱みの問題)
 ドジョウは寒さと外敵からの回避のために、濁った水や泥を積極的に利用している。腸で呼吸するので泥の中の穴でも呼吸できる。
 
 ドジョウが腸で呼吸していたとは知らなかった。「ドジョウが出てきてこんにちは」という童謡のドジョウは、坊ちゃんに挨拶しているのではなくて酸欠で腸呼吸していたのか。
 腸呼吸の原理は知らないが、肺呼吸にしてもエラ呼吸にしても「二酸化炭素だらけになった血液の流れる毛細血管を酸素にさらして酸化する」という仕組みは同じなので、それが腸でできたとしてもおかしくはない。
 したがってドジョウは空気中でもしばらく生きられるという。これは魚類にあるまじき斬新な呼吸法である。ドジョウの腸呼吸は、陸上生活する両生類や昆虫の呼吸法につながる革命的な進化のように思える。
 
 ここまできたらもうひとつ確かめたい生物がある。ボウフラである。
 水中の溶存酸素量が2mg/Lを切るとドジョウでも生きられない。その先はボウフラや嫌気性細菌の世界になる。 
 嫌気性細菌はわかるとして、ボウフラは酸素呼吸する高等生物である。
 よく知られているとおり蚊の幼虫で、水の中に棲む。沼や水たまり、竹の切り株にも生息できる。近縁にあたるハエが水洗便所の普及で激減したのに対し、蚊は下水ますの溜まり水という現代インフラへの適応で圧倒的な勢力を維持する。
 ボウフラはなぜ窒息しないのだろうか。ボウフラはドジョウの腸呼吸以上に高性能な呼吸システムを持っているのだろうか。
 これを解明するのは厄介である。魚は水族館というものがあるが、虫の博物館はあまりない。図鑑を見ても蚊に割かれているページはあまりに少ない。人気者のチョウやカブトムシにページを奪われている。
 
 しかし世の中には害虫を専門に研究する奇特な研究者もいて、数少ないそうした人の著作を読むと以下のことが分かった。

 ・ボウフラのうち、エラで呼吸をするのはユスリカの幼虫のボウフラだけである。
 ・ユスリカのボウフラはエラと高性能な赤血球を持っているが、コイ・フナが棲める程度にきれいな水でないと生きられない。
 ・成虫のユスリカは人を刺さないが、蚊柱を作るので嫌われて駆除の対象になる。
 ・ユスリカでないその他大勢の蚊のボウフラはお尻に呼吸器があって水面上に突き出して空気中から酸素をとっている。

 
 ボウフラは空気中から呼吸しているのであった。
 これなら汚水の有機物だけいただいて呼吸は空気中から、といういいとこ取りが可能になる。すばらしい。できれば成虫も人間の血など吸わずに汚水を吸って自活してほしい。
 こうしてみるとまるで生物の進化を見るようだ。汚れた水が水中の生物の陸上生活化を促したようにも見える。もしかすると魚も棲めない腐水域が陸上生物のゆりかごだったのではないかとさえ思える。仮にそうであるならば、私がドブ川を覗き込むのも祖先のゆりかごの神秘に近づきたいという崇高な意識の表れといえる。
 きっとそうにちがいない。 (おわり)


(参考文献)
川の魚』 末広恭雄 ベースボールマガジン社 平成7年 淡水魚の本は「川をきれいにしましょう」というメッセージを盛り込みたいあまりに、肝心の生物学的解説が不十分なことが多いが、この本は満足のいく内容である。

虫たちの生き残り戦略 (中公新書)』 安富和夫 中央公論新社 平成14年


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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