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46 しょうゆととんこつ(前編)

塩ラーメン ラーメン(塩)

 ラーメンは内容物の原価のわりに販売価格が高いのではないか、と言う人がいる。(※1)
 私もそう思う。麺とスープと具だけで700円くらいする。
 そのくらいの価格でこだわりの味を楽しめると考えれば安いが、こだわらないラーメンでも500円くらいはする。この価格は、もっと具が多いカレーや牛丼よりも高い。
 その一方で「ライスは無料」というサービスがある。無料でない店も100円程度で注文できる。あれはあれで不思議な安さである。
 
 とはいうものの、そのことに特に不満があるわけでもないので、私も人並みにラーメン屋に行く。そしてこの二つの違和感、すなわち「ラーメンの高さ」と「ライスの安さ」に潜むラーメン問題に気付いたのであった。
 
 冬のある日、ある田舎町のラーメン屋に行った。田舎はラーメン専業が少ないので、正確にはラーメンの提灯を掲げている中華料理屋である。
  ラーメン屋の前にショーウインドウがあり、メニューをじっくり見る。

「?」

 ドブのにおいを感じる。
 見ると私の足元にコンクリート製の蓋のかかった側溝があり、そこからにおいが出ている模様である。ただしそれほど強くはない。私の鼻が敏感だから感じるのであって、一般の人なら気にならない程度の臭気である。
 側溝は道路沿いに立ち並ぶ商店の前を貫かれている。
 そこでメニュー選びを中断して側溝に沿って歩いてみる。食料品店や事務所や住宅がちらほらする、閑散とした田舎の商店街である。特ににおいはなかった。しかしやはりラーメン屋の前に戻るとにおう。
 私はこのラーメン屋に興味を抱き、店内に入ってラーメンを注文した。
 
 ラーメンはうまかったが、油ギトギトのスープが残った。
 このスープも飲みたいが飲むわけにはいかない。ラーメンのスープには油と塩分と化学調味料が大量に入っている。麺は食ってもスープは飲むな、とラーメン通の友人からきつく教えられている。
 そこで未練がましくスープを数口啜っては眺めた。そして思った。
「このスープはどこへ行くのだろうか」
 
 この地域には下水道がない。となれば排水は浄化槽で処理することになる。
 問題はこの浄化槽が単独浄化槽(厨房排水を処理できない)か、合併浄化槽(処理できる)かであるが、店舗の建築が古そうなので単独浄化槽であろう。単独浄化槽は合併浄化槽に替えるべし、と法律には書いてあるが、費用がかなりかかるので建て替えでもしない限り強制はされない。ここもおそらくそうであろう。
 
 しかし飲食店の場合は、日量ベースで50m3以上の排水を出す場合は水質汚濁防止法が適用となり、BODで160mg/L未満(かつ一日平均で120mg/L未満)の水質に抑えなければならない。
 一般に河川の水質はBODで5mg/L程度をクリアできるかどうかというレベルが問題になっているので、160mg/Lという規制値は緩すぎるのであるが、水質汚濁防止法の適用対象になっていればとりあえずBOD値で160mg/L以上の排水は出せないことになっている。
 
 ところが全ての飲食店がこの法律の適用対象になるわけではない。
 水質汚濁防止法には「日量ベースで50m3以上の排水を出す場合」でないと適用対象にならないという条件があるからである。50m3とは50000L。これ未満の排水量だと対象外になる。50000Lというのは結構多い水量である。
 風呂洗濯トイレも含めた一般家庭の使用水量は一人一日あたり約300Lくらいとされるからその167倍。業務用ということを考えても多い。
 飲食店は小規模なものが多いから、したがって、もともと緩い水質汚濁防止法の基準さえも適用されない飲食店が多数存在するという構造が生まれてしまう。
 
 それはまずいということで、多くの都道府県ではこの「50m3」を20m3や30m3に引き下げて、水質汚濁防止法の適用対象施設を広げる条例を作っている。対象を広げる度合いは、湖や湾などの汚れやすい水域を抱えているかどうかで変わるようであるが、それでも日量ベースで排水量が20000Lや30000L以上ということであり、おそらくこのラーメン屋レベルの規模だと対象にならない。そういうことでは困る。
 
 ということで、ラーメン屋の床下には、グリストラップという装置を付けることになっている。
 グリスは油、トラップは捕集器、つまり「油捕集器」。油は水より軽いのでそっとしておくと上に浮かび、それが冷えると固まる。グリストラップはこの仕組みを利用して排水中の油を取り除く装置である。これがあればスープから油だけを取り除ける。
 
 しかしそれはきちんと掃除していればの話で、捕集された油をこまめに取り除かないとグリストラップが機能せずに油垂れ流しになってしまう。
 グリストラップの掃除は悪臭を発する汚泥と格闘する大変な作業なので、ついつい掃除を怠りがちになる。私が学生の時にバイトしていたハンバーガー店にもグリストラップがあったが、格闘したくないのでいつも逃げていた。件のラーメン屋前のドブのにおいは、おそらくその結果であろう。
 
 グリストラップの図解(さいたま市のHP) ※2
 
 私はラーメン屋の排水処理が急に気になりだした。そして下水道普及率の低い街のラーメン屋を食べ歩いた。
 変な食べ歩きであるが、これはわりと難しかった。ラーメン屋は都市の繁華街に多い。そういう場所には下水道がある。下水道のない街に行くなら田舎に行けばいいが、そういうところにはラーメン屋よりもスナックが多い。
 
 そんな中、ある街でとんこつラーメンの店に出くわした。
 とんこつは強敵である。一般にラーメンスープのBODは27000mg/Lくらい(※3)と言われるが、これはおそらくしょうゆラーメンの場合で、油こってりのとんこつスープはこれをかなり上回ると考えられる。このラーメン屋の地区は下水道がなく、しかもこの店は人気が高い、つまり排水量が多いので水質汚濁防止法のクリアが絶対条件となる。
 
 果たしてどうしているか観察すると、店の前に大きな駐車場があり、浄化槽のマンホールが見えた。駐車場の下に大型の浄化槽が埋め込んであるようだ。浄化槽の設置費は家庭用なら100万円台で済むが、業務用だと1000万円位は軽く超えてしまう。この規模の浄化槽を設置するのはさぞかし大変だっただろうと思いつつ、とんこつラーメンを注文する。750円と安くはなかったがうまかった。
 ここで冒頭の違和感の一つ、ラーメン価格の高さの理由に気づいたのである。
 
 ラーメンの価格は排水処理コストを含んでいるのではないか。
 排水処理コストとは、
  ①浄化槽やグリストラップの設置費用
  ②浄化槽に空気や水を送り続けるポンプの電気代
  ③点検代
  ④発生する汚泥・廃油の処理費用
  ⑤浄化槽のポンプやファンベルトなどの修理代

の合計である。特に①と④の費用が高い。
 
 これを商品価格で回収しなければならないからラーメンは高くなるのではないか。
 飲食業は食事を提供して対価を得る商売である。だから排水処理コストがメニューの価格を左右するなどという現象は本来おかしいのであるが、ラーメンに限ってはこれが成立する気がする。
 
 なぜならラーメンは他のそれにはない特徴、すなわちスープを残すことを前提に作られるという珍しい仕組みを持った食品だからである。
 スープを伴う料理はいろいろあるが、例えばコンソメスープはそれ自体が食べ物なので食後に残らない。ちゃんこ鍋はスープは残るがおじやにして食べることができる。そばやうどんは汁が大量に残るが、脂分はないのでひどいことにはならない。

 かけそば かけそば
 
 しかしラーメンはそうはいかない。しかも作るほうからして、飲まれないことを前提として塩分と油たっぷりに作る。それがほとんど残されて捨てられる。それを、浄化槽や下水処理場で膨大なエネルギーをたっぷり使って分解する。下水に流す前に一部はグリストラップで捕らえられるかもしれないが、回収された油は廃棄物になる。ラーメンはこの繰り返しを前提にしている。
 
 これは率直に言ってもったいない構造である。お金を出して購入したスープを捨てて、お金を掛けて処理するという点が決定的にもったいない。しかもこのラーメン構造は、今まで特にギモンに思われることもなく日本の食習慣と一体接合している。これでいいのか。
 
 ということで私はラーメン排水について調べることにした。まずもっとも基本的かつ難しい問題すなわち、
「なぜ油を流しに流してはいけないのか」
から取り掛かる。
 
 このことは下水道局もよくPRしていて、油を下水管に流すと内部にこびりつく、BOD値が高いので処理に手間がかかる、というのが彼らの言い分であるが、それ以上のことはパンフレットにはない。
 すなわち、「なぜ油が固まりやすくてBODが高いのか」を説明してくれない。こういうことでは困る。ここをよく説明してもらわないと正しいラーメン排水探求方針を立てることができない。
 
 ということで本を買ってきて調べた。分かりやすさを優先して書くので学問的には多少不正確な記述になるがお許しいただきたい。
 まず、油は正式には脂質という。脂質は炭素(C)と水素(H)と酸素(O)の複雑な結合で成り立っている。炭素と水素と酸素が複雑に結合していると言う点では糖質(砂糖など)も同じであるが、脂質は次の3つの点が違う。
 ①水に溶けない
 ②分子中に炭化水素(CH)を多量に含む
 ③燃焼(酸化)させると糖類よりも多量のエネルギーを生む
 
 
 ①②③は互いに関連していて、
  ・水に溶けない(①)のは、脂肪酸という水に溶けにくい物質を含むからで、
  ・その脂肪酸は炭化水素(CH)を大量に含む(②)
  ・炭化水素(CH)は酸素(O)を含まないので、多くの酸素と結合(酸化≒燃焼)することができ、COやHOを発しながら多くのエネルギーを生む(③)
 
 よって脂肪は少ない量でもカロリーが高い。人間の細胞膜は脂質を多く含むが、これは①の水に溶けない性質を利用したものであり、ガソリンが自動車の燃料として使われたり、人間が体内に脂肪を溜め込むのは③の性質を利用したものである。
 
 しかし、これを川に流すとすべてが裏目に出る。
 水に溶けないのでどこかにこびりついて取れにくく、分解(酸化)するのに大量の酸素が必要なので、例えば好気性の微生物が脂肪を食べて水や二酸化炭素に分解されるまでに多くの酸素を消費する。
 分解するのに多くの酸素が必要という点では糖類も同じであるが、脂肪は分子中に酸素を少ししか含まないので、外から取り入れるべき酸素量が桁外れに多い。
 
 そのようなわけで、油混じりの排水を流すと、水中の好気性微生物はすべての油を分解しきる前に水中の酸素を消費しきってしまい、酸欠状態となる。すると代わりに嫌気性細菌が台頭して硫化水素(HS)などを発する。硫化水素を構成する水素(H)と硫黄(S)のうち、硫黄は脂肪には含まれないが、タンパク質には含まれることが多いので硫化水素は簡単に発生し、ドブ川誕生となる。
 
 あろうことかこれがうっかり流されやすい。
 なぜ油がうっかり流されやすいかというと、ひとつには、その分解の困難さと人間側の衛生観念にズレがあるからだと思う。例えばトイレ排水とラーメンスープを比べたとき、汚く感じるのはもちろんトイレ排水である。
 しかしそれは、人体に有害な病原菌がいるかどうかという観点からのものであって、分解の困難さから言えばラーメン排水のほうがはるかに困難である。
 トイレ排水に含まれるウンコは人間の体内で酸化燃焼や大腸内での嫌気性分解を経ているから分解がかなり済んでいるのに対し、ラーメンスープは分解のスタートラインにも立っていない。よってラーメンスープはトイレ排水よりもたちが悪いはずなのであるが、ラーメンスープは病原菌を含まないので本能的に汚いとは感じない。
 ラーメン排水はこの錯覚の中で放置されているといえる。錯覚を解くためにはラーメン排水の分解の困難さを調べる必要がある。(「47 しょうゆととんこつ(後編)」につづく)


<参考にした書籍>
生物を知るための生化学 池北雅彦 榎並勲 辻勉 丸善2005年
ブックオフで売られていたこの書籍は、大学1~2年生向けのテキストとして使われていたように見受けられる。この本は「タンパク質とは何か?」「どうして生命に水は必要か?」、「生命にとって金属元素はなぜ必要か?」など次々に易しく解明していく。医学の基礎としてはもちろん、ラーメンスープの研究や効率的なダイエット方法の探求にも使える、かなりお値打ちな書籍といえる。

<参考にしたウェブサイト>
※1 apalog 
本章のきっかけになったブログ。「ラーメンは高い」という記述に共感して読み始めたが、その高価格戦略をアパレル業界に応用しようとする発想に刺激されて、私もラーメン価格からドブ川を考えてみた。

※2 「飲食店の皆様へ」(さいたま市のHP)
人間はこんなにもアブラを流しているのであるか、と絶句するページ。汚泥のキャラのイラストにさいたま市の本気度が表れている。

※3 静岡県の環境学習用HP 
ラーメンスープのBOD値は測定者によってまちまちであるが、おおむねこの前後ではないかと思う。


 <目次にもどる>
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45 広河原のオゾントイレ

広河原の野呂川 広河原の野呂川(山梨県南アルプス市)

 ドブ川は面白いが、川はきれいなほうがいい。渓谷の清流で遊ぶと気分がいい。透明な水、透明な泡、せせらぎの音。顔をつけても大丈夫。
 しかししばらくするとやっかいな問題に直面する。トイレである。

 山の中でも観光地ならトイレはある。しかし下水道はない。したがってトイレの排水は浄化槽で処理されるであろう。
 浄化後の排水基準は、旧式の単独浄化槽ならBOD90mg/L、現行の浄化槽でも20mg/L未満である。市街地の川に流すならこれでもよいが、流す先の清流はおそらくBOD1mg/L未満。これはいたたまれない。
 以前の私ならそのようなことは気にしなかったが、ドブ川のメカニズムを知ってしまった今となっては、どうもこれが気になってしまう。だからトイレに行きたくなったらなるべく市街地のコンビニに立ち寄るまで我慢する。

 しかし山奥まで入ってしまったときはこの手も使えない。
 山梨県の甲府から車で1時間、バスに乗り換えて崖沿いの道を30分。南アルプスの山中にほんの少し開けた広河原という河原に着く。ここに北岳のあたりから発する野呂川が流れている。さすがにきれいな水である。
 ここで川遊びをしていると用を足したくなった。広河原は環境省のインフォメーションセンターがあるくらいなのでトイレはある。しかし用を足した後のものが浄化槽を通ってこの清流に流れ込むことに変わりはない。
 とは言うものの、理屈をこねて尿意が消えるわけではないので、このトイレのお世話になることにする。すると。

 トイレはピカピカの新品であったが、手洗い場に水道がない。その代わりにアルコールの消毒スプレーが置いてある。どうも様子が違う。小便器は普通のものとあまり変わらないが、大便器の個室を見てみると、トイレットペーパーは便器に流さずにくずかごに入れてください、とある。何か特別な装置のついたトイレであるらしい。
 察するに、川に排水しなくても済むような工夫のされた仕組みのトイレと思われる。仕組みはよく分からないが安心して用を足すことにする。小用であったが面白いので大便器を使ってみる。簡易水洗のようなトイレであるがにおいはしない。これはどのような仕組みのトイレであるか。

 帰ってから調べるとこれはオゾンで有機物の分解を行うトイレであることがわかった。尿は浄化槽で処理した後にオゾン処理で酸化分解され、再び洗浄水に使う。大便は汚泥として沈殿させて汲み取って凝縮して運ぶ。洗浄水混じりの汚水は尿と同じ仕組みで浄化して再使用する。

 このトイレのポイントは、
  ・なるべく水を使わない
  ・汚水を再使用するためにオゾン処理する
  ・トイレットペーパーの処理は難しいので最初から水に流さないことにする

だといえる。

 この方式だとオゾンを発生させなければならないので電気代はかさむが、排水の問題はない。かしこい。
 トイレットペーパーを流さないという発想も斬新である。トイレットペーパーは排水再生過程の支障になりやすいから、ということのようであるが、何もあんなものを水に流せるようにする必要はない。
 このトイレで一番面白いと思ったのは、トイレを超節水型にしつつ、水を再利用できるようにして、排水が出ないようにするという設計思想である。

 私もかねて思っていたのである。
「この0.2L足らずの液体のために、6Lの清浄な水を犠牲にする仕組みを何とかできないものか」

 しかし水洗トイレは、し尿を大量の水道水で押し流そうとするから下水処理の問題が出てくるのであって、押し流す水の循環をトイレ内で完結させれば問題は少なくなる。
 大便はそもそもそれほど分解できないのだし、尿のアンモニアは下水に含まれる窒素分のかなりの割合を占めるのだから、これらを下水に流さないで隔離すれば改善の余地はある。
 
 下水に流すアンモニアが多くなろうと少なくなろうと、トイレの所有者には関係のないことであるが、この種の改善は水道料金と下水道料金の節減という副産物が見込めるらしく、高速道路会社のサービスエリアのトイレでは採用が進んでいる。
 例えば、神奈川県横浜市にある第三京浜道路都筑パーキングエリアのトイレは、清潔で快適なトイレであるが、洗浄水がほんの少し黄色い。

 都筑PAトイレ 都筑PAのトイレ

 トイレ内には「再生水を利用しています」という表示があるので、建物の横に回りこんでみると浄化槽がある。ここは横浜市内なので下水道が開通しているはずであるが、エリア内では排水を浄化槽で処理して再使用している模様である。
 NEXCO東日本は、下水道がある地域でもコスト的にメリットがあればこの方式を採用する、としている。これは希望の持てる取り組みといえる。
 
 しかし当然のことではあるが、その反対の驚きを体験することも多い。
 私は、家族と海水浴場に行った。海水浴シーズンの海は混雑しているので泳ぐには適していないが、海の家がたくさんあって海水浴気分が盛り上がるのがよいところである。海の家にはシャワーもあり、まことに便利である。海から上がると、私は着替えとせっけんを持ってシャワー室に入った。ここでギモンが生じた。

「このシャワーの排水はどこへ行くのであるか?」
 この海岸のある市は下水道普及率が100%近いが、さすがに砂浜に下水管はないと思われる。仮設の水道管を引くくらいはできても下水管の仮設は難易度が高い。

 しかしこのギモンは2秒くらいで解明した。足元を見ると「すのこ」があり、「すのこ」の下が砂地になっていて、そこに水がしみこむのが見えたからである。砂の吸収力は抜群で、シャワーの排水をどんどん吸い取る。おぉ。

「ということは、ここでせっけんを使うとどうなるのであるか?」
 このギモンも2秒くらいで解決した。隣のシャワー室から「すのこ」を伝ってシャンプーの泡が大量に流れてきて、砂にみるみる吸い込まれていったからである。砂は泡もどんどん吸い取る。
 私はせっけんを使うのを止めることにした。でも興味本位で顔だけせっけんで洗ってみた。泡はやはり砂に吸い込まれていった。


<参考にしたウェブサイト>
自然地域トイレし尿処理ハンドブック 環境省HP 
いろいろなタイプの山岳トイレのメカニズムを紹介している。この分野にはかなり手間とお金がかかっていることが分かる)

南アルプス野呂川広河原インフォメーションセンターのHP 
ピカピカの快適すぎるインフォメーションセンターである。ここに限らず国立公園内には多種多様の「エコトイレ」が設置されている。例えば国道1号線の箱根峠エコパーキングのトイレは、洗浄水は再生水かつ節水タイプ、トイレットペーパーは流して可、となっている。「秘境でもない箱根でトレペ流し去り不可はさすがに理解を得られないと踏んだか?」はたまた「このトイレの反省を生かして広河原で理想形に走ったか?」などと各地の個室で設計思想を沈思黙考するのも面白い。

山岳環境保全対策支援事業(環境省国立公園のページ) 
尿と大便を分離する新型トイレの写真や、富士山に投棄された使用済みトイレットペーパーの写真など。

NEXCO東日本HP
NEXCO東日本のプレスリリース

Surfrider Foundation Japanのホームページ
海の家は水質汚濁防止法の適用対象外だそうである。シャワーはシャンプーせっけん禁止、飲食排水は油回収装置を設けるなどすれば幾分マシになる気もする。


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44 夏のドブ川(後編)

  ベギアトア型ドブ川(クリックすると拡大します) ベギアトアのいるドブ(クリックすると拡大します)

第43章 夏のドブ川(前編)からつづく)

 5月の連休が過ぎ、暦の上では立夏の頃、ドブ川はにおい始める。
 側溝の集水桝からにおいが湧き上がることも多くなる。
 そのようなドブ川の底には、たいていベギアトアが広がっている。
 
 ベギアトアは汚れたドブ川の川底に繁殖する白い膜のような細菌で、冬でも生息しているけれども、やはり夏になると盛大に繁殖する。時にはレースのカーテンのように、時にはだらしなく伸びたガムのように。この細菌はヘドロから発生する硫化水素をエネルギー源として生きている。
 硫化水素を酸素で酸化する時、エネルギーが発生する。ベギアトアはこのエネルギーを使って水中の有機物を消化し、体を成長させていく。つまりベギアトアは、くさくて有害な硫化水素を消費してくれていて、その結果、硫化水素が陸上動物の世界に漏れ出さないようにバリアを張る役割を果たしている。このように生態系は絶妙な調和を保っている。

 と、以前第16章(「川底のベギアトア」)で絶賛したのであったが、よく考えるとこれはおかしい。
 なぜならばそのような絶妙な細菌がいるのに、ドブ川からは硫化水素のにおいが漂っているからである。硫化水素のにおいが漂ってしまうというのは、ベギアトアが硫化水素をしっかりキャッチできていないということではないのか。ベギアトアは実のところへっぽこキャッチャーであり、生態系はそれほど絶妙ではないのではないか。

  まだら模様のベギアトア 分布にムラのあるベギアトア(クリックすると拡大します)


 この疑惑(勝手に持ち上げて勝手に疑っている気もするが)を解くためにロシアの学者の力を借りることにする(※1、2)。
 ロシアの微生物学者にヴィノグラドスキーという人がいた。この学者はベギアトアを熱心に研究したという奇特な学者で、したがって彼の研究成果は私のドブ川探索に多いに役立っている。個人的に「近代ドブ川研究の父」と呼びたいくらい感謝している。

 ベギアトアの研究者であったヴィノグラドスキーは最初、「この細菌は二酸化炭素から有機物を合成できる生物ではないか」と考えた。硫化水素を含んだ純粋な水をベギアトアに流し続ける実験をしたら、ベギアトアは生き続けることができたからである。

 純粋な水には有機物、つまり炭素を含んだ化合物は含まれていない。しかしベギアトアの細胞は有機物でできている。
 ではベギアトアは生存に必要な有機物をどこから得ているのか。彼は次のような仮説を立てた。
 「植物が太陽のエネルギーを用いて二酸化炭素から有機物を合成するように、ベギアトアは硫黄のエネルギーを用いて二酸化炭素から有機物を合成しているのではないか」

 しかしこの仮説は間違っていたということが後年判明する。
 ベギアトアはとてもわずかな有機物だけで生きられるという特技を持っていて、実験用の「純粋な水」にさえ含まれるほんのわずかな有機物を捕らえていたのだそうである。

 硫化水素(2H2S)+酸素(O) → 硫黄(2S)+水(2HO)+熱(エネルギー)
  ・硫黄(2S)は、さらに酸化されて硫酸(HSO)になる。
  ・熱(エネルギー)は、水中の有機物の消化(分解)のために使われる。

 
 ベギアトアは上の反応式の結果、硫酸を生成するが、この反応は非常にゆっくりで、生成する硫酸の量もごくわずかであるという。であれば、必要とする酸素も硫化水素もごくわずかであろう。
 
この話を読んで私は次のように思った。

 ・ベギアトアが必要とする酸素も硫化水素も、おそらくごくわずかな量であろう。
 ・つまりベギアトアはドブ川の中の「資源」をほんの一部しか利用していない。
 ・したがってベギアトアはやる気になればもっと繁茂できるのではないか。
 ・しかしベギアトアは植物のように垂直に伸びることができず、ヘドロの表面に水平に広がることしかできない ので、狭いドブ川では「原料は豊富だが生産ラインはもういっぱい」状態になり、硫化水素の取りこぼしが多量に生じて空気中に放散されることになるのではないか。

 
 もったいない。
 ベギアトアはベール状のコロニーをウエハース状に多層構造にするとか、ウニのように放射状に伸びるとか、もっと頭を使うべきである。
 
 しかしそれは私が、大量の有機物を大量の酸素で酸化するという過激な仕組みを持ったヒトという生物だからそう思うだけで、ベギアトアにとっては何か理由があるのかもしれない。
 私はドブ川のベギアトアになったつもりで考えた。なぜベギアトアは硫化水素を全部使い切らないのか?
 
 もしも硫化水素を効率よく全部使い切ってしまえば、ベギアトアの上部には硫化水素のない世界が展開する。
 硫化水素は酸素で呼吸する好気性の生物にとっては有害だから、それがなくなれば好気性の生物の侵入を許すことになる。

  硫化水素の多い川 硫化水素の多そうな川(神奈川県箱根町)

 酸素呼吸は、ベギアトアが使っている硫化水素酸化方式よりはるかにエネルギー効率がいいから、ベギアトアは好気性生物に太刀打ちできない。そこでベギアトアは考えた。
 「まわりに硫化水素を漂わせて『やつら』を追っ払ってしまえ」

 ベキアトアが取りこぼす硫化水素は、好気性生物を近づけないための緩衝地帯として機能しているのではないか。どうもそんな気がしてきた。
 ベギアトア自体、硫化水素を発する嫌気性細菌の巣-つまりヘドロ-の外縁に位置する緩衝地帯の役割を果たしているが、ベギアトアも生活がかかっている以上、「緩衝地帯を守る緩衝地帯」というものが必要なのかもしれない。奥深いことである。
 と思いつつ、ベギアトアを眺めていると、何匹もの小さな魚がその上を泳いでいる。
 
 ドブ川の生態系は私の思考を超えた構造であるらしい。 


<参考にした書籍> 
※1 スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち ジョン・ポストゲート シュプリンガー・フェアラーク東京 1995年8月 
もちろんヴィノグラドスキーの研究も解説してくれる。

※2 微生物を探る (新潮選書)  服部 勉 新潮選書 1998年1月 
ヴィノグラドスキーだけでなく、その後新種の微生物を発見した研究者のことも網羅している。


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43 夏のドブ川(前編)

  夏のドブ川 

 ドブ川は夏にくさく、冬はあまりにおわない。
 これは誰でも経験上知っている。
 しかしドブ川に流す排水の質は夏も冬もあまり変わらない。
 なぜ排水の質が変わらないのに夏だけくさくなるのかというと、夏は水温が高いので好気性微生物の活動が活発になって酸欠気味になり、酸素を使わない嫌気性細菌が活躍するからであろう。

 嫌気性細菌が酸素を使わずに有機物を分解すると、メタン、硫化水素、メチルメルカプタン、ジメチルサルファイドといったガスが出る。このうちメタン(CH)は無臭だが、その他のガスはイオウ(S)を含むことが多く、イオウを含むガスはくさい。
 なぜイオウを含むガスがくさいのかは私もよく知らないが、イオウの化合物は人間の体に不可欠な反面、関与の仕方を間違えると生命に危険を及ぼすから、そんなイオウ化合物のガスのにおいを不快に感じて避けるという能力は人間の生き残りに一役買っている、ということは言えると思う。
 ともあれ、これらの悪臭ガスを出す嫌気性細菌の活躍が、夏には顕著になり、冬は沈静化する。別な言い方をすると水温が高いとドブ川の有機物は積極的に分解され、低いとあまり分解されないまま海に流れる。

  初夏のドブ川(河口近く) 初夏のドブ川(見やすい画像に差し替えました。H25.8.11)

 ではなぜ、水温が高くなるとなぜ嫌気性細菌や好気性微生物の活動が活発化するのか?
 このことは残念ながら生物学の本ではなかなか触れてくれない。
 水温が高くなりすぎると細菌は死んでしまうということは書いてある。細菌の細胞を構成しているタンパク質は48℃以上に熱すると破壊されてしまうからである。一部の好熱性の細菌以外はこの温度を超えると生きることが難しくなる。
 しかしこれでは、例えばなぜ水温が5℃の水よりも水温25℃の水のほうが細菌が繁殖しやすいのかが分からない。生物学はこの重要で基本的な仕組みを説明することに対して、かなり消極的である。なぜ消極的かというと、おそらくこの問題は生物学の知識だけでは解けないからだと思う。生物学者はそれでいいかもしれないが、私は困る。
 そこで調べると次のようなことが分かった。

  ①生命を維持するには体の器官を動かす必要がある。
  ②器官を動かすにはエネルギーが必要である。
  ③生物は、食べ物という「炭素の化合物」を摂取し、次に酸素を摂取し、次に酸素で食べ物を燃やし(酸化)、エネルギーを得て、アデノシン3リン酸という「すぐにエネルギーに変えることのできる物質」を得るという化学反応を行う。
  ④これを呼吸という。
  ⑤つまり呼吸は化学反応によって成り立っている。
  
  ⑥化学反応は、温度が高いと活発化し、温度が低いと沈静化する。
  ⑦よって、温度が高ければ生物の呼吸活動は活発になる。
  ⑧嫌気性細菌は呼吸でなく発酵を行うことでエネルギーを得ているが、発酵の仕組みも基本的には呼吸と同じである。
  ⑨よって、水温が高くなると細菌の活動が活発になる。

 
 はフランスの化学者ラボアジエが、はスウェーデンの物理化学者アレニウスが、はフランスの細菌学者パストゥールが発見した。このようにこの問題は生物学と化学と物理学にまたがっている(※1,2,3)。
 しかしこれではまだ納得できない。どこが納得できないかというとのところである。なぜ温度が高いと化学反応は活発化するのか。
 
 アレニウスの説によればこうである。
 
  (1)化学反応が起きるには分子と分子が衝突することが必要である。
  (2)温度が高いと分子の運動が活発になる。
  (3)つまり温度が高いと化学反応が起きやすくなる。
 このうちの(2)のところが分からない。なぜ温度が高いと分子の運動が活発になるのか。
 
 この問題を解くには物理学のうちの熱力学という学問を当たればよいであろう。
 しかし困ったことに熱力学の入門書はいつも、「物質Aと物質Cが熱平衡にあり、物質Bと物質Cも熱平衡にあるとき、物質Aと物質Cは熱平衡にある」という理解不能な解説から始まり、次いで難解な微分方程式の解説に突入してしまう。
「なぜ温度が高いと分子の活動が活発になるのか」という観点は熱力学にはない。
「なぜ分子の活動が活発になるのか」というギモンの前に、「なぜ熱力学は温度と分子の活動の関係を説明してくれないのか」というギモンが立ちはだかってきた。
 
 この問題を解決するにはもっとやさしい本、すなわち1ページ目に平気で微分方程式を載せたりしない本を読まなければならない。そこで分かったことをまとめると以下のとおり(※4)。

・「温度」に関する概念は、一般人と熱力学者ではかなりかけ離れている。
・一般人の感覚は、触って温かければ「温度が高い」、冷たければ「温度が低い」である。
・しかし熱力学の世界では、分子の運動が活発な状態を「温度が高い」といい、活発でない状態を「温度が低い」という。

・ここで重要なのは、「分子の運動が活発になった結果として、『温度が高く』なった」のではなく、「分子の運動が活発な状態を、『温度が高い』と言うことにした」という点である。
・逆も真なりで、「温度が高い」から「分子の運動が活発になる」のではなく、「温度が高い」と「分子の運動が活発である」は同じことを言っている。
・つまり温度は分子の運動の活発さを客観的に計測する単位に過ぎない。

・ところで、「温度が高い物体」(分子の運動が活発な物体)が「温度が低い物体」(分子の運動が活発でない物体)に触れると、その活発さが伝わる。それを伝えている何者かのことを「熱」という。
・例えば、100℃のヤカンを37℃の手で触ると熱い。このときヤカンの金属分子の活動は、手のひらの細胞の分子よりも運動が活発である。ヤカンから手のひらに「活発さ」が伝わること、それが「熱」を感じるということである。100℃のヤカンを触わると活発さが伝わりすぎて手のひらが急激な酸化反応を起こす。つまりやけどする。

・このように「温度が高い状態」(=分子の運動が活発な状態)は、熱を介して「温度が低い状態」(=分子の運動が活発でない状態)のものに伝達する。これを熱伝導という。
・つまり水温が高くなる(水分子の運動が活発になる)と、水中の細菌は熱を介して水分子から活発さを伝達してもらえる。よって細菌を構成する分子の化学反応が活発になり、呼吸が活発になる。
 
 
 熱力学には「『分子の運動が活発であること』を『温度が高い』と呼ぶことにする」という前提があり、その前提を踏み台にして応用問題を解く学問であるから、誰も前提自体には触れようとしないだけなのであった。
 私は熱力学がこのような奇想天外な前提で運用されているとは思わなかった。要するに私のギモンは、
「なぜスピードの速い車が目的地に早く着くのかを自動車教習所は教えてくれない!」
と嘆いているのと同じなのであった。恥ずかしい。

 しかしながら、この前提も昔からあったわけではなく、アメリカ出身の物理学者ランフォード伯によって発見されたものに過ぎない。それよりも以前は「温度が高いというのは「熱素」という物質が充満している状態のことである」と思われていたのであるから、私のギモンもまんざら赤っ恥ではない。
 ともあれ、物理学と化学と生物学と4人の科学者の理論によって夏のドブ川はくさくなる。大変勉強になるのである。 (第44章 夏のドブ川(後編)につづく)


<参考にした書籍とウェブサイト>
※1 パストゥール (1967年) (岩波新書) 川喜多愛郎 
パストゥールはワインの発酵からビールの醸造、狂犬病まで多岐にわたる研究成果を残したが、私が一番面白いと思ったのはカイコの病気の研究である。1840年代からフランスではカイコの病気が大流行し、これがトルコ経由でアジア方面に蔓延した結果、日本の生糸が大量にフランスに輸入されるようになる。開国直後の日本でなぜかいきなり製糸業が盛んになったり、官営富岡製糸場(群馬県)の創設にフランス人技師が絡んでいたのは、どうもこういう背景があったようである。本国フランスでは1870年、パストゥールが「蚕の病気に関する研究、その防除と再発の実際的方法」を発表して解決を見るが、日本人は例によって苛烈をきわめた勤勉さで製糸業を発展させ、日本の殖産興業に資していく。

※2 『ラヴォアジェ傳』 エドアール・グリモー・著 江上不二夫・訳 白水社 1941年7月 
徴税官でもあったラヴォアジエはフランス革命後の混乱期、「フランス国民に対する不当徴税」の廉(かど)により断頭台で処刑された。その101年後に亡くなり、国葬されたルイ・パストゥールとはあまりに異なる最期であった。

※3 『反応速度はじめの一歩-化学反応の速度とは何か-』(徳島大学工学部橋本研究室のHP)

※4 理系のためのはじめて学ぶ物理[熱力学] 野田学 ナツメ社 2008年1月 
 ランフォード伯はミュンヘンの兵器工場で大砲製造の監督をしていた時に、砲身を削ると大量の熱が発するのを見て、熱の本性が運動であることを発見した、とある。私も材木を切る時にノコギリが熱くなって困ることがあるが、そのようなことまで想いが至らなかった。これからは材木を切る時もボケっとしないようにしたい。


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42 オレンジと油

   蛇崩川オレンジ (蛇崩川合流点 東京都目黒区)
 
 
 変な色のドブ川は変なにおいがするものだが、例外もある。例えばオレンジ色のドブ川は変なにおいがしない。
 東京都目黒区、東急東横線の中目黒駅近くで、暗渠の蛇崩川が少しだけ顔を出して、開渠の目黒川に注ぎ込んでいる。幅5m、深さ4mほどの大きな開渠だが水量は少なく、コンクリートの川底を水が浅く流れている。この川底が一面オレンジ色になっている。これは一体何であるか。
 
 蛇崩川流域は合流式の下水道が完備しているので、蛇崩川に流れる下水はない。
 ただし雨水用の下水管が接続されているので雨や染み出した水などが少しだけ流れる。これらは水質的にはきれいなはずだから汚染の原因になるようなものは含んでいないはず。この場所は異臭もない。
 
 ではあのオレンジの正体は何か。
 オレンジ色のドブ川は関東の各地で目にする。川の水がオレンジになるのではなく、川底の一部分だけにオレンジ色の藻のようなものがモコモコと広がる。色があまりに鮮やかなのでぎょっとするが、においはしない。

   オレンジのモコモコ モコモコ型オレンジ(千葉県松戸市)


 調べるとこれは鉄酸化細菌の仕業によるもので、こういう順序で生じるようである。

  ①沼沢地の土壌には鉄分が豊富に含まれている
  ②それが水に溶ける。

  ③ところで鉄は、他の元素と結合するための「フック」を2個にしたり、3個にできるという変わった性質を持っている。「フック2個状態」で他の元素(酸素など)と結合している鉄化合物を「第一鉄塩」、「フック3個状態」で結合している鉄化合物を「第二鉄塩」という。
  ④第一鉄塩を酸化すると第二鉄塩に変わる。この時エネルギーが生じる。
  ⑤このエネルギーを利用する細菌、「鉄酸化細菌」が存在する。鉄酸化細菌の仕組みは次のとおり。

  ⑥鉄分の豊富な土壌から浸み出した水の中に溶けている第一鉄塩(酸に溶けた鉄など)をキャッチする。
  ⑦それを酸化してエネルギーを受け取る。それを空気中の二酸化炭素(CO2)から有機物(Cの化合物)を生成するための原動力として使う。
  ⑧できあがった第二鉄塩は不要なので水中に排出するが、化学的に不安定なので排出された途端にすぐにまた分解される。
  ⑨第二鉄の酸化物と水酸化物の混合物である鉄さびを生じる。
  ⑩その結果、鉄酸化細菌の周りには鉄さび(酸化第二鉄)が集積する。これがオレンジの正体である。
 

 鉄が細菌の働きで集められているのであった。
 しかしどこでもよいというのではなく、やはり鉄分を多く含む水のある場所でないとこの細菌は働けない。
 よって、沼沢地など鉄分を含む水が豊富なところに繁殖し、その結果生成される酸化鉄の塊を沼鉄鉱というのだそうである。沼鉄鉱は鉄器時代から中世までの間、純度の高い鉄資源として採掘されていた、と微生物学者の本(※1)に書いてある。沼から鉄が出てくるなんて面白い。
 
 ここでギモンなのは、「なぜ沼の水には鉄分が多く含まれているのか」である。なぜ川の水よりも、地下水よりも、伏流水よりも沼の水に鉄分が多いのか。
 ここのところは微生物学の本には書いていない。
 そこで地学や金属化学の本をあたると、そちらも書かれていない。
 鉄器時代に採掘されていた、ということで古代の製鉄を研究した書籍(※2)を当たるが、こちらにもない。
 微生物学者は「沼鉄鉱が昔採掘されていた」と書いているのに、古代の製鉄を研究している人はこのことをスルーしている。あやしい。

 なぜ古代の製鉄を研究する人は沼鉄鉱をスルーしてしまうのか。
 この疑惑を解くために横浜の馬車道にある神奈川県立歴史博物館に行くことにする。
 この博物館のすばらしいところは付属の資料室の書籍がわりあいに充実していることである。一般に博物館は見栄えのいい展示物を作ることに力を入れるが、深く調べるには資料室が充実していることの方が重要である。
 そのようなわけで沼鉄鉱の問題もここで調べると分かる。理由は二つあった。

 一つ目。沼鉄鉱は製鉄の原料としては不純物が多すぎて、未熟な古代の製鉄方法では対応できなかった。沼鉄鉱は正式には褐鉄鉱といい、700℃くらいの低い温度でも加工できるという長所を持つが、炉の中で崩壊してへばりついてしまうという短所があるという(※3)。したがって、微生物学者が沼鉄鉱を「純度の高い鉄資源」と言っているのは、僭越ながら誤りだと考えられる。

 二つ目は、日本には砂鉄という高品位の製鉄原料がいくらでもあったからである。砂鉄は正式には磁鉄鉱といい、1100℃程度の高温でないと製鉄できないが、鉄の純度が高い。火山の多い地域に多く産出し、したがって日本には砂鉄が多く出る。だから日本の製鉄の歴史の本には、砂鉄で日本刀を鍛造した話(たたら製鉄という)がよく出てくる一方で、沼鉄鉱で製鉄をした話は出てこない。
 では砂鉄を使う前は何から鉄を作っていたかというと、大陸から輸入されたとされている。
 これは考古学の本の弥生時代の項に書いてある。ただしそれしか書いていない。考古学はどうも鉄器の研究が苦手なようで、土器や銅器は熱心に研究するわりに鉄器に関してはかなり及び腰である。なぜかというと鉄器は土器や銅器と違って錆びて消えてしまうからということのようである。
 
 では大陸の人はどうやって鉄の原料を入手していたのか。
 まずは隕石なのだそうである。隕石には鉄が8割程度を占める鉄の塊のような種類もあり、これを使うと簡単に製鉄できる。
 そのような都合のいい石があるものか、と思うが、これは神奈川県の小田原にある「生命の星・地球博物館」というところに展示されている。この博物館は先ほどの歴史博物館とワンセットになっていて、人文科学系を歴史博物館で、自然科学系をこちらで受け持っている。
 
 隕石は黒光りしていて重さは2.5トン。含有物はほとんど鉄とニッケルであるという。興味深いことにこの組成は地球の組成と似ている。地球の内部もほとんど鉄とニッケルである。地表は炭素や珪素などの軽い化合物だが、内部はドロドロに溶けた鉄である。
 このように地球は重いので、メタンでできた土星のように太陽系の遠くまで飛ばされることもなく、金星と火星の間のベストポジションにとどまり、温暖な生命の星となった。うまくまとまった。

 ただし隕石には2つの短所がある。すなわち
   ①たまにしか降ってこない
   ②いつどこに降るか分からない

ということであり、これをあてにしていては製鉄はできない。

 そこで古代の人が次に使ったのは鉄鉱石であった。鉄鉱石は、次のようなプロセスで生成される。
  地球に分子状の酸素が少なかった時代には鉄は水の中に溶けていた
  植物が登場して二酸化炭素から酸素が生成される
  分子状の酸素が増える
  酸素と水中の鉄が結合して酸化鉄になる
  海底に沈殿する
  固まる
  海底が隆起する
  鉄鉱石として発掘される。

 酸化鉄である鉄鉱石を使って製鉄するには、酸化鉄(Fe)から酸素(O)を取り除いてただの鉄(Fe)にすればよい。
 そこで、木炭や石炭で一酸化炭素(CO)を発生させ、酸化鉄(Fe)の酸素(O)と結合させて二酸化炭素(CO)にして飛ばす。すると後には鉄(Fe)が残る。この原理は今も使われている。
 しかしながらその製法ゆえに現代の製鉄業は二酸化炭素を大量排出する産業となり、地球温暖化対策では厳しい立場に立たされる。なるほど。(※4)

 しかしそれは話としては面白いが、肝心の沼の鉄分のギモンが解けていない。仕方ないので沼に行くことにする。
 行き先は埼玉県蓮田市の上沼である。関東地方の場合、利根川や荒川沿いの水田地帯に行くと沼はいくらでもある。蓮田市に行ったのは市の名前がいかにも沼っぽくて期待できるからである。こんなことを書くと妙な名前の市名に改称されそうだが、地形を反映する地名を維持できるのはその地域の文化の表れだと私は思っている。

   上沼 上沼(埼玉県蓮田市)

 上沼は水田地帯の中で保全された灌漑用の沼で、分かったことは、
  ・岸辺はぬかるみで、
  ・水辺には葦が密生しつつ、それが枯れて倒れてぐちゃぐちゃになっていて、
  ・水は濁り気味で、
  ・泥は黒く、においはせず、
  ・泥がオレンジの場所は見当たらない、


であった。オレンジの泥がないのであれば鉄酸化細菌は沼の鉄分の多さには関与していない。
 では何が沼に鉄分を呼んでいるのか。
 沼から帰ってもう一回微生物学の本を読んで、得た結論は次のとおり。

  ①関東の土壌は火山灰の影響で鉄分がもともと多い(※5)。鉄は地球を構成する主要な元素であるから、火山のマグマとして地球の奥深くから噴出されれば鉄も大量に出る。
  ②鉄はイオンの形で水にも容易に溶ける。
  ③その水が沼に流れてくる。
  
  ④沼は川に比べて水が滞留しやすく、植物が密生しやすい。
  ⑤密生した植物が枯れて腐敗して厚い泥を形成する。
  ⑥泥の中は嫌気性細菌が繁殖する。これが黒い泥である。
  
  ⑦嫌気性細菌の中には鉄還元細菌という細菌があり、これが水中にイオンの形で含まれる鉄分を引きずり出してくる(キレート化)。キレート化には酸が必要であるが、沼の中は有機物の腐敗で生じる酢酸や乳酸が豊富なので問題ない(※6)。
  ⑧このとき、鉄は第一鉄塩の形で引きずり出される。
  ⑨この第一鉄塩を含んだ酸性の水が外に流れ出す。
  
  ⑩流れ出た先に石灰石を含んだもの(コンクリートなど)があると中和されて中性になる。
  ⑪そういうところに鉄酸化細菌が待ち受けていて、第一鉄塩を第二鉄塩に酸化してエネルギーを得る。
  ⑫鉄酸化細菌が沼の中に入らずに外で待ち受けるのは、この細菌は二酸化炭素を得られる環境、すなわち好気的な環境でないと生きられないことと、酸が豊富な環境中では生きられないからである。
  
  ⑬このような仕組みがあるものの、沼は総体的にはいろいろな物質を溜め込んでしまう場所であり、鉄分もあまり流れ出ずに沼の中に溜まっていく。
  ⑭つまり、沼に鉄を溜め込んでいるのは鉄酸化細菌ではなく鉄還元細菌で、それを可能にしているのは酸欠気味の沼の泥である。


 このストーリーが正しいとすると、オレンジ色が出ているところは昔沼沢地だったところ、ということになる。 確かにオレンジ色が出ている場所はそういうところが多い。住宅地になっていても、水田を埋め立てたと思しき住宅地の水路にはオレンジが多い。松戸や浦和の住宅地でも見かけるし、世田谷区の奥沢のような古い住宅地でも見る。中目黒もかなり都市化されているが、本質的にはそうなのだろう。
 
 オレンジは解明したが、もう一つ分からない現象がある。それはドブ川に浮かぶ油膜である。澱んだドブ川の隅には時々油のようなものが浮いて光っている。水田にもよく浮いている。私は昔、田植えの手伝いをしたとき、「トラクターの油をこぼしちゃったか」と思っていたのであるが、これも鉄酸化細菌の仕業なのだそうである。

油膜状のもの 植物の生い茂った水路の「油膜」。その下にオレンジ。(茨城県土浦市)

 鉄酸化細菌が第一鉄塩を第二鉄塩に酸化するとき、鉄の酸化皮膜が生成される。これが水面に浮かんで油膜のように見えるが、油ではないので心配ない、とこれもいろいろなウェブサイトに書いてある。
 心配ないのは分かったが、ではいったいこれは何なのか。
 福岡県のホームページの論文(※7)によると、これは鉄が浮遊物質の形で存在しているものだという。水に浮かんでいるときは白く見えるが採取してよく見ると褐色で、再度水に入れると沈む。成分としてはやはり油(ノルマルヘキサン)ではなく、鉄の含有率が高いということであった。
 この論文ではそれ以上のことを書いていないが、現物を観察すると「油膜」の部分が鉄酸化細菌の本体で、その産出物がオレンジであるように見える。鉄酸化細菌は二酸化炭素を必要とするので油膜のように空気に触れ続ける必要があると思われるからである。
 この「油膜」は水田の土壌に微量に含まれる砒素が稲に吸収されるのを防ぐバリアの役割もしているという(※8)。砒素を吸着できるということは他の金属も吸着できるかもしれない。興味深いことである。



<参考にした書籍・論文> 
※1 スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち ジョン・ポストゲート シュプリンガー・フェアラーク東京 1995年8月
ドブ川解明のバイブル。

※2 鉄の文明史 窪田蔵郎 雄山閣出版 1991年7月 
 他の書籍でも沼鉄鉱のことはほとんど触れられていない。

※3  生業・生産と技術 (日本考古学論集) 斉藤忠 編 (株)吉川弘文館 昭和61年

※4 The CLIMATE EDGE((公財)地球環境戦略研究機関 気候変動グループのニュースレター) 
 これによれば、2010年に鉄鋼産業が出したCO2は電力消費などの間接排出を含めると、1990年の日本の温室効果ガスの約13%分に相当する。結構多い。このデータは「原発に依存せずに2030年の温室効果ガス排出量を1990年比29.6%削減する」ためのシミュレーションの中で出てくるもので、このシミュレーション自体も興味深い。

※5 東京の自然史 (講談社学術文庫) 貝塚爽平 講談社 2011年11月 
 埃っぽい関東ローム層のおかげで東京では靴が汚れやすく、大阪に比べて靴磨き屋が多い、という話や、洗濯屋も多いのではないかという考察が面白い。私が持っているのは紀伊国屋書店版(1979年3月)だが、名著のため文庫で復刊されたようである。

※6 微生物を探る (新潮選書)  服部 勉 新潮選書 1998年1月 
平凡なタイトルだが、微生物が発見されてきた経緯を幅広く、それなりに詳しくバランスよく説明した好著である。

※7 福岡県保健環境研究所年報第39号

※8 「水田土壌とイネの根周辺のヒ素の化学形態」(独)農業環境技術研究所 山口紀子


<参考にした施設>
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の弥生時代のコーナー 
 展示物の充実度はさすがである。

神奈川県立歴史博物館
 横浜の馬車道から山下公園にかけては開港資料館や都市発展記念館など、歴史関係の施設が充実していて地味に便利である。

神奈川県立生命の星・地球博物館
 この博物館は箱根への入り口にあるが、箱根自体が火山や地質的変化に富んだ博物館のような場所である。近年これが「箱根ジオパーク」として認定されて観光PRされているが、私にとってもさまざまな泉質の温泉や、そこに生息する微生物、硫化水素や科学博物館までそろった便利なラボであり、「箱根ドブパーク」として重宝している。


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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