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57 上流都市

  富士吉田市 宮川(山梨県富士吉田市)

 注文した蕎麦とともに置かれた伝票に、何か説明が書かれている。
 蕎麦をすすりながらこれを読む。以下のようなことが書いてある。

  ①蕎麦は古来より大変縁起のよい食べ物とされています。
  ②栄養にも富んでいます。
  ③当店はこれを恵まれた白河水で調理するので大変おいしい蕎麦ができるのです。

 「恵まれた白河水」って何だ。
 
 この店は京都市街の鴨川より東側にあり、少し離れたところには白川という川がある。
 白川は京都の北東の山から流れてくる小河川であるが、途中で琵琶湖の水を京都市内に導水する琵琶湖疏水という用水路の水が合流するので、流量は安定する。水質もBODで1mg/L前後で、都市河川としては格段にきれいである。疎水が開通した明治の頃はもっと良質であったと思われ、そのまま上水道として使用しても差し支えなかったと察せられる。

 この蕎麦屋は老舗である。開業当初はこの水を使用していたであろう。
 蕎麦の調理では、茹でた蕎麦を水で洗い流すために大量の水を使う。私も自分で蕎麦を茹でるとこの水の多さに閉口するが、これを節約するとうまい蕎麦ができない。
 その点、この蕎麦屋では、白川から良質な水が豊富に供給されるので、蕎麦をたっぷりの水で洗うことができ、うまい蕎麦が出来る。
 蕎麦屋としては水質はもとより水量が確保できることも肝心であるから、伝票の文句の「恵まれた」はこの2つの要素に対しての往時の賛辞を今に紹介したものと言える。同時に、この店の歴史の長さが京都近代水道の変遷と重ねて実感されるという、うまい仕組みの宣伝文句である。(※)
 
 こういう「水の良さ」を称えるフレーズは、蕎麦屋のほかに、日本酒、ビールなどの酒造メーカーを筆頭に、酢、醤油、稲作に至るまで頻繁に目にする。○○盆地は△△山地の雪解け水がしみこんだ豊富な伏流水に恵まれ、××川の清冽な水で育った米を磨きぬかれた地下水を使用してうんうんかんぬん。
 
 これは本当だろうか。
 水の良さというのはそれほどまでに厳格に要求されるべき条件だろうか。本当にその水を使わなければその産品は作れないのであろうか。
 
 もちろん酒造のように、ミネラル分のバランスまで厳しく要求する業種もあろうけれども、この売り文句はある言いにくい事象を裏返した言葉ではないかと思う。すなわち、

 「この製品は、上流の下水が混入した河川水を原水とした水道水を使っていません」
という、本当に私は身も蓋もないことを言っているような気がするが、こう思ったのは群馬県高崎市のファミリーレストランに行ったときのことであった。
 この店は駅ビルの中にあり、何の変哲もないレストランだけれども出された水がうまかった。浄水器を使っているのかもしれないが妙にうまかった。料理が出される間、その理由を考えた。

 高崎市の水道はおそらく利根川水系から取水している。
 この近辺の水は特に名水として名高いわけではないが、高崎市が水道原水に使う水はおそらくおいしい。なぜなら高崎市は関東平野の山際にあり、上流側の市街地の下水があまり混入しない川の水を取水できると考えられるからである。どんな川の水も湧き出す時点では立派にきれいであり、下水さえ混入しなければ使う薬剤も少なくて済み、そこそこうまい水になるはずである。
 
 私はこの説を実証すべく、以後各地の飲食店で食事をする際に供される水をよく味わった。
 山梨県小淵沢市のほうとう店の水はミネラルウォーターのようで、富士吉田市のうどん店のもうまかった。長野県松本市内のホテルの水道水も神奈川県箱根町の公衆便所の洗面台の水もそのまま「おいしい水」として通用した。上流に大都市さえなければ水というものはそこそこうまいものなのだ。

  7201 富士吉田市内の歩道暗渠。中にはきれいな水が勢いよく流れている。

 
 私は自信を深め、今度は静岡県御殿場市に行った。御殿場市の上流には富士山しかないのでかなり期待できる。
 特急ロマンスカーあさぎり3号で御殿場入りした私は、大衆食堂でラーメンを食しつつ水を飲んだ。おいしい。大衆食堂の水でこのレベルとは御殿場おそるべし。
 次に商店街のお茶屋さんに入った。土産に緑茶を買うとお茶を試飲させてくれた。当然おいしい。
 ただし、私は「お茶がおいしいのは御殿場の水がいいからなんですね」ということにしたいのに対し、お茶屋さんのおばさんとしては「お茶がおいしいのは当店の茶葉がいいからなのよ」という点を主張しており、若干の見解の相違がみられた。 そこで意見交換を行い、「このお茶は水の良さと茶葉の良さのハーモニーである」という点で完全合意に達し、これを共同声明とすることとした。
 
 声明を出した私は住宅街を適当に歩いた。御殿場という街は、もうとにかく小さな川がたくさんあり、それぞれに水が勢いよく流れている。
 御殿場市の下水道普及率は平成25年度末で34.6%、集落排水施設や合併浄化槽を含めた「汚水処理人口普及率」でも60%と低いが、河川の水が豊富なのと、傾斜地で流れがよいので古典派ドブ川は見かけない。
 歩いていると川沿いに銭湯を見つけたのでふらふらと入る。湯船に浸かる。この湯があのおいしい水だと思うと気分がいい。石けんで体を洗って流す。
 と、そのとき考えさせられたのである。

 「うーんそういう問題があったか」

 銭湯に限らず御殿場で入浴に使われた湯は、計算上その40%弱が未処理で市内の川に放流される。ここの川は流れ流れて、えーとどこに行くんだっけ。
 家に帰って地図を見ると、御殿場という街は静岡県沼津市に向かって流れる狩野川の支流の黄瀬川と、神奈川県小田原市に向かって流れる酒匂川の支流の鮎沢川との分水嶺にあるのであった。こういう立地の街は珍しい。

 しかし考えてみると、御殿場線という路線がそもそも東海道線の箱根越えを避けるために敷設されたのであり、それでも急になる勾配を上るために助っ人蒸気機関車を付けたり外したりするために御殿場駅を作り、その駅を中心に街が発展したのであるから当然と言える。そういうわけで御殿場駅はちょうど分水嶺のあたりに設置されている。

  gotenba  御殿場のポジション

 
 市内の排水は黄瀬川方面と鮎沢川方面の二手に分かれると考えられるが、黄瀬川に行けば裾野市を経て沼津市へ流れる。この川の水は水道原水としてはほとんど利用されない。裾野や沼津は富士山麓で良質な地下水が豊富だからである。
 問題は鮎沢川に行った場合である。鮎沢川は神奈川県境を越えて酒匂川に合流して小田原市に流れ、ここで大量に取水されて神奈川県内の水道原水として取水される。酒匂川の水は多くは丹沢山地から流れてくるのでこれで希釈されるが、御殿場市の低い汚水処理人口普及率を見ると、ちょっと考えてしまう構造である。今にして思うと、着いてすぐ食べたラーメンの残り汁なども気になる。
 
 しかし御殿場市は地形がいいので古典派ドブ川が発生することもなく、東京都心のように必死に下水道を作る動機は生まれにくい。これはもどかしい構造と言える。今までこの構造に気付かなかったわけではないが、きれいな湯の風呂に入ったら気になってきてしまった。
 これを解決するにはどうしたらいいんだ。余計なお世話であるが一応考えてみた。

 ①下流の都市は、下水道をこれ以上整備するのはやめて、上流の都市の下水道や合併処理浄化槽を集中的に整備する。
 ②下流の都市は、水道水においしさを求めることはやめて、おいしい水を飲みたければミネラルウォーターを買う。
 ③上流都市の下水が浄化されると下流都市の浄水コストが減って水がおいしくなるのなら、上流都市の下水コストを下流都市の水道料金でまかなえばよい。


 は、「そうは言っても都会の川もねえ……」というところだと思う。
 は、現在の実情に近い。
 は、これの変形バージョンがいくつかの県で実施されていて、例えば神奈川県では「水源環境保全税」というものが県民税に上乗せして徴収され、その税収の一部が上流の下水道や高度処理型合併浄化槽の設置に投入されている(※)。 
 
 このうちの仕組みは理屈としてはいいが、上流と下流が同じ県内にないと難しいのではないかと思う。

 例えば東京都でやろうとすると都民税が利根川上流の群馬や栃木に移転することになってしまう。都民税が都県境を越えることに対しては賛否両論ありそうである。埼玉県も荒川水系に関しては源流が県内で収まっているので問題ないが、利根川水系は同じ問題を抱える。
 対して神奈川県はそういう問題の少ない稀有な県で、相模川の上流が山梨に、酒匂川の上流が静岡に飛び出てしまうものの、利根川水系ほどの飛び出し方ではない。もしこの仕組みがうまくいったとすると、私のような思考回路の人間も心置きなく御殿場の湯船で足を伸ばせることになる。

 ……もっともこういうことを考えるのは趣味的にはいいとしても、行き過ぎると例えば温泉旅行は熱海や別府でなくてはならぬということになり、高原のホテルはやめて海水浴にしようなどという発想に発展し、実際にそれが原因で私は家族に嫌われているので、家内平和環境保全的にはそこのところにも注意が必要である。


※本章を書き上げた後にこの蕎麦屋に行ったところ、なんとこの宣伝文は削除されていた。蕎麦屋のおばちゃんに削除の理由を尋ねたところ、「今は白川の水を使うてないからウソになる」ということだった。味があって好きだったのに。

(参考にした文献とウェブサイト)
「日本における森林・水源環境税の経験と課題」 藤田 香 2009年 の表1
酒匂川上流の山北町のホームページ(高度処理型浄化槽設置から水源林の手入れまで対策は多岐に渡っている)

※ 2017.4.23追記 
 平成29年度から神奈川県は驚くべき政策に打って出た。
 いままで水源環境保全税では単独浄化槽を高度処理型合併浄化槽に転換するための補助金を出していたが、それはダムの上流側だけであった。つまり山の方だけ。
 ところが平成29年度からは「取水口の上流側」も補助することになった。
 相模川の取水口は下流の寒川町、酒匂川の取水口はやはり下流の小田原市にあるから、要するに神奈川県の西半分の単独浄化槽を一掃しようということになる。
 たしかにダムの上流がいくらきれいになっても、取水するのは下流だからその間の厚木や海老名の市街地から垂れ流し下水が流れ込めば意味がない。
 しかしこの発想は私にはなかった。いったいどうなるのか神奈川県。ドブ川は完全駆逐されてしまうのか!

 神奈川ドブを全滅させる攻勢に出た同県のキャラ「しずくちゃん」かながわしずくちゃん
 と、彼女の恐るべきたくらみ「第3期かながわ水源環境保全・再生5か年計画」(第2章の8にこっそり載っている)。

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58 古隅田川

  新河岸川 新河岸川(埼玉県川越市)

 隅田川は埼玉県川越市から流れてくる。
 私はそう思っていた。隅田川を東京湾から上流にたどっていくと、両国、浅草、北千住を経て赤羽付近の岩淵水門で荒川に一旦接した後、新河岸川に名前を変えて和光市、朝霞市を通り、川越に至る。
 川越から先も流れは続くけれどもぐっと細くなって野の川となる。
 江戸幕府の重要都市である川越と江戸を一本で結んでいるというロケーションの良さが買われて、隅田川は水運の動脈として発展した……と思っていたらこれがまるっきり違っていた。

  sumida1 図1 「隅田川=川越源流説」(私の最初のイメージ)
 
 まず、隅田川の流路は昔の荒川の流路である。
 隅田川は岩淵水門で荒川からの分水を受けるが、昔はこれが分水でなく荒川本流であった。したがって新河岸川は隅田川の上流部などでなく、一支流に過ぎない。
 ということは、隅田川という名前は、荒川の江戸市中における愛称にすぎないのであったか……と思っていたらなんとこれも違っていた。

  sumida2 図2 「隅田川=旧荒川下流部説」(私の2番目のイメージ)

 綾瀬川の流路を地図でたどっていたときのことである。
 綾瀬川は埼玉県東部、ポジション的には荒川と中川の間のエリアを流れてくる中規模の河川である。これが東京都足立区の綾瀬まで流れてくると、荒川左岸(=東岸)にぴたっと並行して流れ、さらにその東から合流してくる中川と合流して東京湾に注ぐ。
 
 この綾瀬川の綾瀬付近に向かって尺取虫のように激しく蛇行した支流が東側から接近する。尺取虫は常磐線の綾瀬駅あたりから発しているように見える。水色で記されているところを見ると開渠のようである。名前はと見ると「古隅田川」であった。「ふるすみだがわ」と読む。

  sumida3 図3 綾瀬川と古隅田川の位置関係  

 こういう名前の河川は結構ある。
 古利根川に元荒川、現存はしないが古鬼怒川に古多摩川などというものもある。これらは、現在の同名の河川がかつてたどっていた流路を指していう。
 大きな河川は長い年月の間には流路を変える。この変わり方はかなり突拍子のないもので、例えば現在の多摩川は武蔵野台地の南縁を流れているが、古多摩川は北縁を流れており、現在の相模川は相模湾に注いでいるが、古相模川は東京湾に注いでいた、といった具合である。
 流路が変わると元の広い流れは失われるけれども完全に無くなることはなく、細い流れになって残る。本流でなくなってしまった川なので流量も少なく、したがって洪水を起こす危険もあまりなく、治水工事でまっすぐに直されることもないので曲がりくねっている。古隅田川もこのたぐいの川であろう。
 私はこの川の激しい曲がりくねり具合に興味を覚え、8月のある日綾瀬駅に降り立った。

 綾瀬駅から東にしばらく歩くと妙な曲がり方をした道路があり、遊歩道風になったかと思うと親水せせらぎらしきものが現れる。古隅田川は暗渠化されて上部が親水せせらぎになっている模様である。
 このせせらぎは交差点を越え、住宅地の道路面スレスレに水をたたえながら道端を貫く。水面に糸を垂らしてザリガニを釣るおじさんや子供がいる。糸が絡まったと言ってけんかをしている兄弟がいる。
 
 しばらく歩くと親水せせらぎは終わり、地下から幅10mほどの無骨な古典派ドブ川が顔を出す。水路内には背の高い草がびっしり生えている。この川はクネクネと曲がるというよりは、まっすぐに進むと突如直角に曲がり、しばらくするとまた脈絡もなく直角に曲がるということを繰り返す。

  古隅田川(開渠区間) 古隅田川(親水緑道でない区間)

 この曲がり方は地図上で見ると異様に見えるが、現物を見ると全く違和感を覚えない。川というものは曲がっているほうが自然なのだと思う。護岸もまっ平らでなく、地肌の凸凹がそのまま反映するモルタル・コンクリートの吹付になっている。水質はさほど悪く見えないが、これぞ正調ドブ川である。
 そのようにして1kmほど進み、ポンプ場に吸い込まれる。ポンプ場の先は綾瀬川の高いカミソリ護岸であった。
 古隅田川沿いには由来を解説した説明板がいくつもあり、その内容を要約するとこうであった。
 
 ・昔、利根川はこの流路を流れて隅田川を経て東京湾に注いでいたが、
 ・長年の治水工事で東方へ流路が移り変わるうちに、ここを流れる水は少なくなり、
 ・古隅田川として細い痕跡を留めて今に至る。
 
 なんと。
 この川は隅田川に繋がっていたのであった。名前からすれば容易に推測できそうなことではあるが、古隅田川と現隅田川の間には荒川の広大な河川敷が横たわっているので、感覚的に結びつかなかった。
 
 しかし現在の広大な荒川下流部は、大正時代に洪水対策の放水路として人工的に開削された「荒川放水路」である。このことは永井荷風が『放水路』という随筆に書いている。
 すると、荒川放水路は昔からここにあった隅田川の流路を分断して開削された可能性がある。
 つまり隅田川はもともと、江戸の北東、葛飾方面から東京湾に向かって流れてくる川の名称であり、北西から流れてくる荒川の旧下流部の愛称などではない、ということが言えそうである。
 
 放水路によって分断される前の隅田川がいかなるものであったか。私はそのことに興味を覚え、『放水路』を読み直した。
 荷風は荒川放水路の荒涼とした景色がよほど気に入ったらしく、足繁く通って昭和11年にこの随筆を書いている。ちなみに荷風はその名もずばり『すみだ川』という小説も書いているが、明治42年作のこの小説には浅草あたりの隅田川しか登場してくれないので参考にならない。

 荷風は足立区の千住曙町、駅でいうと東武線の堀切駅付近で荒川放水路から隅田川に向かって水路(原文では「掘割」)が通じているのを発見し、これを「綾瀬川の名残であろう」と推察する。なかなかするどい。
 現在の古隅田川の水は、ポンプ場によって綾瀬川に排水され、綾瀬川はその600m下流で荒川放水路に接近する。この場所に綾瀬川から荒川放水路に連絡する短い水路があり、その400m下流に今度は荒川放水路から隅田川に連絡する荷風推察の水路がある。

  sumida4 図4  綾瀬川~荒川放水路~隅田川連絡水路

 これは確かに、荒川放水路によって分断される前の旧綾瀬川の流路にあたる。しかし荷風がこれを「隅田川の名残であろう」と言わずに、「綾瀬川の名残であろう」としているところが引っかかる。
 この水路の上流には古隅田川が合流していて、下流には隅田川があるのだから、ここを「隅田川の名残り」としてもいいはずなのに、「綾瀬川の名残り」という表現を用いている。

 荷風は浅草や玉ノ井といった下町に足繁く通ったが、それは「隅田川沿いの下町」である。当然隅田川には慣れ親しんでいるわけで、あえてそこに埼玉から足立区、葛飾区に流れ来る綾瀬川の名を持ち出してくることが少々不自然に思える。
 そこで荒川放水路完成前の大正10年の地図を見る。すると当時の地図上では次のような区分で名づけられていたことが分かった。

 ①荒川: 埼玉県から流れてきて、現在岩淵水門になっている付近で新河岸川と合流し、千住曙町で綾瀬川に合流するまで
 ②綾瀬川: 埼玉県から流れてきて、古隅田川を合して荒川放水路予定地を横切り、千住曙町で荒川に合流するまで
 ③隅田川: 千住曙町でが合流して東京湾に至るまで
 ④古隅田川: 地図に名称が載らないほどの細流で不明

  sumida5 図5 大正10年地図での区分

 これを踏まえると、荷風の時代においては、
 ・隅田川とは東京湾から千住曙町までのことであり、
 ・その上流は荒川または綾瀬川であり、
 ・綾瀬川の下流部が隅田川の旧流路であるという認識は一般的でなかった。
 
 ということが言えそうである。
 古隅田川はもともと、利根川→古利根川(現中川の上流部)→中川→亀有付近→古隅田川→小菅付近→綾瀬川→千住曙町付近の水路→現在の隅田川→東京湾という流れていたルートの一部である(※)。
 しかしこのルートは曲がりくねっていて水害が多発していたことから、亀有付近から東京湾へショートカットする川(現在の中川)を開削し、隅田川方面に水が流れないようにした。
 その結果、古隅田川の広い流路は干上がることとなり、この土地を新田開発に用い、残った流路は排水路として用いた、このような変遷を経ている。
 この流路変更が行われたのは江戸時代の享保年間。すると明治の頃の古隅田川は、名も無き水田の排水路として定着していたものと思われる。

  sumida6 図6 江戸時代以前の古隅田川

 こうしてみると『放水路』における「綾瀬川の名残りであろう」という記述は納得がいく。永井荷風は、古隅田川が利根川の旧流路であったことが忘れられ、それに代わって綾瀬川が燦然と隅田川に直通していた時代の作家であり、それを読んでいる私は、その綾瀬川が荒川放水路の東に追いやられて久しい時代にやってきた人間なのであった。
 当時の隅田川はすでに工場排水で汚染され、名物だった蜆は綾瀬産の養殖物に取って代わられていた、と田山花袋の随筆にある。

※ ややこしいことに古隅田川は埼玉県岩槻市にもある。しかしこの川は「大落古利根川」を経て中川に合するから、かつては都内の古隅田川と一連の流れであったものと思われる。古隅田川(埼玉県のHP)

(参考文献)
荷風随筆集 上 日和下駄 (岩波文庫 緑 41-7)
『放水路』を収録。ドブ川の小橋に惹かれる心理を描いた『日和下駄』も収録。

評伝 技師 青山士―その精神の軌跡 万象ニ天意ヲ覚ル者ハ… 高崎哲郎/著 鹿島出版会 平成20年
荒川放水路の建設を指揮したのはこの人である。工事にあたっては、地盤の軟弱さ、宿場町の千住を避ける必要があったこと、工事中に関東大震災があったこと、岩淵水門の設計が難しかったなどの困難があったとある。注目すべきはこの人の人格の高潔さで、自ら渡航してパナマ運河開削工事に携わった後、帰国して内務省に入り、「私はこの世を私が生まれてきたときよりも、より良くして残したい」と言って信濃川や鬼怒川の改修など数々の難工事を指揮し、真面目で芸者が嫌いでおまけに永井荷風と同世代である。荷風より1年早く生まれて4年遅く亡くなっている。いろいろな生き方があると言える。

川の地図辞典 江戸・東京/23区編 補訂版』 菅原健二/著 之潮 

『明治・大正・昭和・平成の4代120余年の歴史が読める 地図で見る東京の変遷(平成版)』 (日本地図センター 平成4年)に収録の大正10年5万分の一地形図 (絶版)


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59 一級河川荒川起点の碑

  arakawa1 荒川(埼玉県寄居町)

 川の博物館は埼玉県寄居町、荒川のほとりにある。
 その名のとおり河川、特に荒川をテーマにした県立博物館である。聞くと「荒川を切り口に自然科学や人文科学を捉える総合博物館」というスタンスの施設のようである。
 この博物館の庭に、荒川全体を1000分の1に縮小した立体模型がある。荒川は全長173kmなので模型の荒川の延長は173m。山や谷も正確に1000分の1でできているので、身長170cmの人は1700m上空からの風景を眺めることになる。

 秩父の山岳地帯から東京湾まで荒川が流れる様を俯瞰するとなかなか壮観である。秩父の山々はなかなかに険しく、下流の下町低地はなかなかに広い。
 中流の埼玉県平野部は平凡な風景であるが、実はここがキモで、元々利根川と合流していた荒川を分離したり、その荒川を入間川と合流させたり、その合流地点で水害が起こらないように二本の河川を何kmも並行させたり、と芸の細かいことをやっている。それはすべて下流の江戸や東京が水害に遭わないようにするためと、低湿地帯を米作地帯にして江戸に供給するためであった、というようなことを博物館のガイドの人が説明してくれる。
 
 ガイドは模型の上流部、秩父の山奥のあたりの黄色い印の付いた点を指して、「ここが一級河川としての荒川の起点です」と教えてくれる。
 山中の沢と沢が合流する地点にそれはあり、そこからが荒川なのだそうである。しかしそのまた上流にも水流は続き、「源流点」というものが別にあるという。模型を見ると確かに「起点」の上流にも流れはあり、赤い印の付いた源流点まで続いている。
 
 その部分の水流はナニモノなのか。
 
  源流点から一級河川起点まで
   (源流点と一級河川基点の位置関係 川の博物館の荒川大模型173を撮影し加筆

 荒川は国や埼玉県が管理する一級河川であるが、それは治水と利水管理の必要からであって、その必要性が低い区間は一級河川にする必要がない。
 これは他の川も同じで、例えば一級河川多摩川に注ぐ川崎市の平瀬川は途中までは一級河川に指定されているが、そこから上流は普通河川に「格下げ」される。その区間が「ドブ川」と呼ばれやすく、そのあいまいな態様は以前触れたとおりであるが、それは上流部が市街地に収まっている場合の話である。
 
 山の中の場合は事情が異なるような気がする。
 市街地のようにコンクリート製の水路構造物が無いだろうし、水流の始まりが木の根元だったりして曖昧な気もする。そういう水流も普通河川と呼ぶのだろうか。
 「普通河川=ドブ川」という観念がある私にはどうも違和感がある。しかし普通河川でないなら何なのか。沢か、渓谷かそれとも他の用語があるのか?
 
 荒川のこの起点は、埼玉県秩父市大滝の「東京大学付属秩父演習林内27林班地先(左岸の場合。右岸は22林班地先)」というところにある。
 ハイキング客には結構有名らしく、多くのウェブサイトで起点の石碑を見に行ったという旅行記を見ることができるが、当然ながら多くの人はその上流の水流が法的に何なのかには興味が無いので、その点について触れたものはない。
 私としても、それが分からなくても特に差し支えないのであるが、「河川法で指定されていない水流=ドブ川」という観念が身についてしまっているので、「河川法で指定されていないけれどドブ川でない川」が何者なのかが気になる。
 「ドブ川でない川」は、それがむしろ川の本来あるべき姿なのであって、それを何と呼ぶのかなどとギモンに思うのは少し屈折しているように思うが、面白そうなので解明してみる。
 
 起点の碑より下流部が一級河川に指定されているのは、河川法という法律で治水管理しないと収拾が付かなくなるからである。では源流点から起点の碑に至るまでの水流は何の管理をしなくても収拾が付くのか?
 おそらくそんなことはない。
 源流部は源流部で土砂が流れ出るのを食い止めなければならない。ならばそのための法律が、山中の水流のことを何らかの用語で定義しているはずである。調べるとこれは「土石流危険渓流」という用語で、次のようなことになっていた。
 
 ・「渓流」のうち、勾配が15度以上で、「人家のある『土石流危険区域』に流入する渓流」「土石流危険渓流」に指定される。
 ・土石流危険区域とは「想定される最大規模の土石流が発生した場合、土砂の氾濫が予想される区域」のことである。 

 渓流。河川の上流端の先は渓流と呼ぶのであったか。してみると渓流とは何か。
 
 ・渓流とは、「山麓における扇状の地形の地域に流入する地点より上流の部分の勾配が急な河川(当該上流の流域面積が五平方キロメートル以下であるものに限る)」
のことのようである。
 
 これは「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律施行令」というところにひっそり載っている。川が山から平地に流れ出てドバーっと扇状地を形成するあたりより上流が渓流だと言っている。

  渓流模式図
   (荒川大模型173の秩父盆地付近によるイメージ。ただし現地の指定状況は正確に反映していない。) 

 
 ここで注目すべきは「勾配が急な河川」という表現である。なんと渓流は河川なのであった。
 河川の上流端の先は渓流だと思っていたが、そこも河川であるという。私は渓流にかなり期待を寄せていたのである
が、振り出しに戻ってしまった。
 そこで別の角度から調べてみた。渓流と河川はいかなる関係にあるのか?

  ・土石流危険渓流は、川の最上流部に多く、ある程度の川幅になっている箇所は土石流危険渓流に指定されていない。
  ・しかし一級河川であっても最上流部になると土石流危険渓流に指定されていたりする。
  ・普通河川で土石流危険渓流に指定されているものもある。
  ・それらの普通河川の多くには「○○沢」という名が付いている。名前は沢でも普通河川である。

 土石流危険渓流という用語は「土石流を防がなければならない水流かどうか」という視点だけで水流を捉えているので、それが「治水や利水管理しなければならない河川かどうか」は念頭にないようである。したがって土石流危険「渓流」でありながら普通河川であったり、まれに一級河川であったりする。クロスジャンルなのである。
 
 山間部の水流においては、「土石流を防ぐ」という行為と「治水する」という行為は似ているので、このような区分の仕方は分かりにくい気もするが、山を下って河川の幅が広くなればそれは土石流対策というよりはやはり治水であり、山を上って狭くなれば逆に土石流対策を超えて「治山」ということになってくることは間違いない。
 おそらくそういうような事情で法律で縦割りにして、「オーバーラップする部分があっても仕方なし」という便法が取られているものと見える。
 オーバーラップを容認しないと例えば、「国有林の中の一級河川の細流は森林法が適用されるからそこだけは一級河川でなくなってしまう」というような別の方面の問題が発生するようである。言われてみれば確かにそうである。
 
 ということで話を戻すと、さきの荒川の問いの答えは、
「一級河川荒川の基点より上流の水流は普通河川である。」
となる。
 普通河川、すなわち「ただの川」である。山中の水流もただの川、市街地のドブ川もただの川。



埼玉県立川の博物館のHPはこちら 荒川の模型はどうやら水を流すこともできるようである。

(参考にしたウェブサイトと文献)
①「市町村水道等の水利権取得状況」(埼玉県HP掲載 PDFファイル) 
 荒川源流域の水流の状況が分かる。

②秩父市地域防災計画 (秩父市HP掲載 PDFファイル)
 262ページに土石流危険渓流一覧表があり、①と照らし合わせると、「一級河川で土石流危険渓流」であるものや「普通河川で土石流危険渓流」であるものなどがあぶりだされる。

③「水法論序説 -特に国有林野上の普通河川をめぐって-」黒木三郎 (早稲田大学リポジトリに掲載 PDFファイル)
 「国有林内にある一級河川は農林水産省のものなのか国土交通省のものなのか?」という争いがかつてあったらしく、それについて述べた論文。
 結論は「農林水産省のものとして扱っていいけど、河川の管理は国土交通省とよく話し合ってくださいね」といったようなものである。
 この論文は「それは分かったけど、じゃあ河川法の絡まない普通河川はどうなんですか?地下水はどうなんですか?」という点について論じている。
 なお、この論文が書かれたのは昭和61年で、その後の平成11年の地方分権一括法によって普通河川の扱いはかなり変わったから注意が必要であるが、国有林内の普通河川に関しては引き続き農林水産省のもの、ということで変わりがないようである。そのことについては④の文書で説明されている。

④「法定外公共物に係る国有財産の扱いについて」平成11年7月16日 大蔵省理財局長


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60 法定外公共物にただよう情趣について考える

 maizuru1 水路(京都府舞鶴市)

 第31章「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」で、日頃私がドブ川と呼んでいる水路や普通河川(以下「水路」という)が法定外公共物とよばれるカテゴリーに入るということを述べた。この時に「公共用財産」や「普通財産」といったカテゴリーの定義を間違えた。
 
 この間違いは私の不勉強によるものであったが、せっかくなので「なぜこのような間違え方をしたのか?」を掘り下げてみると興味深いことに気が付いた。この間違いはおそらく、ドブ川が法的に中途半端な存在であることが関係している。
 自分のミスを法律のせいにしようとしているわけであるが、それも兼ねて少々眠たい分野ながらこの点の解明にチャレンジしたい。ただし私はこの分野の専門家ではないので、これから書くことは「ドブ川行政法学習ノート」くらいに捉えていただければ幸いである。
 
 水路は法律的には国有財産法というところから入る。
 正確には、平成11年以降は零細な水路はほとんど県や市に譲られたので「国有」財産ではないが、ここでは話を簡単にするために国有であった時代の仕組みで考えることにする。
 
 まず、国有財産は
①行政財産
②普通財産
に分けられる。
 両者の違いは「行政目的に供せられているかそうでないか」という点である。行政目的つまり、「行政機関がやっている仕事に使われているかどうか」で分ける。例えば、

・河川敷は「川の水を流す」という行政目的に供せられているので①行政財産であるが、
・流路が変わってそういう目的に供せられなくなった区間の土地は②普通財産になる。

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 次に①行政財産は①a公用財産と①b公共用財産と①c皇室用財産と①d森林経営用財産に分けられる。
 ①a公用財産は、河川の水門の管理事務所など役所が直接使っているもの
 ①b公共用財産は、河川本体のように誰でも自由に使えるもの
である。誰でも川に水を流してよいし、河川敷で遊んでよい。①cと①dはここでは割愛する。

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 このうちドブ川にかかわりの深いのは①b公共用財産である。これがさらに「法定公共用財産」「法定外公共用財産」に分かれる。
 法定の「法」とは、道路法や河川法や海岸法など、道路や川や海を管理しようとする専門の法律のことである。川の場合は、

・河川法が適用・準用される一級・二級・準用河川の土地は「法定公共用財産」
・河川法が適用されない水路(普通河川・公共溝渠)の土地は「法定外公共用財産」

となる。

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 しかしここで困ったことが起こる。「財産」とはこの場合、水が流れている土地のことを指す。しかし河川は土地だけで成立するものではなく、その上を流れる水があってはじめて河川である。しかし水は土地と違って不動産や動産ではないので、財産とは言えない。これらをまとめて何と呼んだらよいか。
 そこで、財産(ここでは河川の土地)とその上にある公物(ここでは水)の総体(ここでは河川)を「公共物」と呼ぶことにした。つまりこうなる。

 ・公共用財産(土地)+公物(水)=公共物(河川)

 これをもとに、

 ・一級・二級・準用河川=法定公共用財産+公物=「法定公共物」
 ・水路(普通河川・公共溝渠)=法定外公共用財産+公物=「法定外公共物」

といった具合にカテゴリーが作られた。

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 このうち後者の「法定外公共物」はドブ川について調べていると各地の市役所のホームページに頻繁に出てくるので、少し馴染みのある用語である。
 法定外公共物は明治以来平成11年まで国有財産であったが、「そういう各地の細かい水路は地方自治体に譲りますよ」ということで、現在は主に市町村の「公有財産」になり、根拠になる法律も地方自治法ということになっている。市役所のホームページに頻繁に出てくるのはそのためである。

 各地の市役所には「家と水路の敷地境界を調べたい」とか「家の前を流れている水路に橋を架けたい」とか、「水路の敷地を買いたい」といった要望が寄せられるらしく、それらに関するQ&Aがホームページに書かれている。
 そこには、「水路に橋を架ける」くらいは許可を得ればできなくはないが、「水路の土地を買いたい」はダメだと書いてある。
 なぜダメかというと、水路は水を流すという公共機能を持つ「公共物」だからである。

 ・水路は治水上さほど重要でないから河川法で管理されていない(=法定外)だけで、
 ・公共的な機能を担っていることに変わりはなく(=公共物)、
 ・したがってその敷地は公共用財産であり、
 ・するとこれは①行政財産ということになり、
 ・そこで地方自治法を見ると「行政財産は売り払ってはならない」と書いてあるから、
 ・水路の敷地を売るのは無理。

というロジックである。これはなかなか分かりにくい構造である。

 ・水路は河川法で管理されないので「法定外」ではあるが、「行政財産」でなくなるわけではないという点と、
 ・「法定外」の「法」に国有財産法や地方自治法が含まれない

という点が分かりにくい。
 しかしこの分かりにくさの中にポイントがある。なぜならこれを裏返すと、
 
 ・水路は、公共物(つまり行政財産)なので売り払うことはできないが、
 ・水を流すという機能が失われて正式に廃止する手続きを経れば、
 ・公共物でなくなり、
 ・行政財産でない、ということになり、
 ・つまり普通財産となって売り払えるようになるし、
 ・しかも平成11年からは水路の敷地は市町村に譲り渡されていることが多いので、この手続きが市役所の中だけで完結する。(※)
 
 という仕組みが用意されているからである。
 これは敷地が国有である一級・二級・準用河川などにはない水路・普通河川独特の仕組みである。
 するとこういう二層構造が見えてくる。

 A 一級・二級・準用河川=法定公共物。公共物であり、河川法で管理されてもいる二重に縛られた本命行政財産。
 B 水路・普通河川
=法定外公共物。公共物ではあるが、河川法では管理されてはいないという、ゆるめの行政財産。水を流すという機能がなくなれば行政財産でなくなるので「普通財産一歩手前の行政財産」とも言える。
 実際にはこの下に
C かつて河川や水路であったが今はそうでない「旧法定外公共物」というものがあり、これは公共物ではなく、したがって行政財産ではなく、普通財産とされ、売り払い自由、というものもあるので三層構造である。

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 A→B→Cの順に管理の度合いは緩くなり、水を流すという機能が薄れていく。法律にはそのようなことは書いていないが、事実上そうなっている。
 ここで注目したいのはBである。Bの顔ぶれは、河川名が付いて滔々と水が流れてAに負けず劣らずのものから、無名で水が枯れてC寸前のものまで多種多様であるが、基調としては、「Aの予備軍である一方で、Cに格下げされる地ならしの場」としての性格を持つようになる。このようなあいまいな性格付けの結果、Bのカテゴリーには悪く言えばうらぶれて管理不明瞭、よく言えば情趣が漂うようになる。護岸に盆栽を並べられたりして、路地裏のごとき生活感をまとうようになる。私がドブ川に感じている親しみやすさの源はこの辺りにある。  



※詳しくはこちら。第31章 「公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)」

(参考にした文献とウェブサイト)
公共用財産管理の手引―いわゆる法定外公共物 建設大臣官房会計課/監修 平成7年
 役所の人向けの業務用参考書と思われるが、わりと分かりやすく書いてあるので法律を全く知らなくてもさほど難しくない。少し古いが、難解なドブ川行政法を解くには絶好の解説書。東京都立中央図書館などで閲覧可能。

「法定外公共物に係る国有財産の取り扱いについて」 平成11年7月16日 大蔵省理財局長   

「法定外公共物(里道・水路)に関する取り扱いが変わりました!!」 香川県東かがわ市のHP

国有財産法 この地味なタイトルの法律の第3条に国有財産の分類の仕方が書いてある。

地方自治法 この法律の第238条というところに、ドブ川の法的なポジションが書かれている。この法律は299条まである長い法律なので238条以外は全く読む気がしないが、まれに「市になるには人口5万人以上で、全戸数の6割以上が中心の市街地になければならなくて、商工業従事者世帯の人口が全人口の6割以上なければならない(第8条)」というような面白いことも書いてある。


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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