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10 公共溝渠

公共溝渠についてはこちらもどうぞ。→30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)
公共溝渠図面
                (東京都下水道台帳図より)

 東京の区部には巨大なコンクリート水路のような都市河川はあるが、郊外にあるような幅2mくらいのドブ川はほとんどない。
 土地が過密に利用される東京では、川として残すべきところと下水道に転用するべきところを厳然と区別して、あいまいな開渠のドブ川が存在し得ないようになっている。

 しかしその中にあって天然記念物的に開渠のドブ川が残されている場所もある。
 東京都世田谷区奥沢三丁目。ここに500mほども続くドブ川がある。幅、深さともに2mほどで、水は少なく、においもなく、途中で暗渠の下水路に合流して呑川という川へと至っている。都会の住宅地とドブ川のミスマッチが素晴らしい。

  公共溝渠(開渠)

 このドブ川には名前がない。正式な河川ではないので東京都の河川図には載っておらず、下水道台帳図を見ると「公共溝渠・開渠」とだけ記されている。公共溝渠とは一体何であるか。
 「溝渠」とは水を通すための溝のことであるから、字面を追えばさしあたり「公共の水路」ということになる。その意味では農業用水路も運河も「公共の水路」であるが、下水道台帳図で見る限り、この名称は雨水や染み出した地下水を流すドブ川に与えられているようである。
 昔は川として流れていたものが生活排水路のドブ川となり、やがて下水道が整備されて用済みの空堀になり、廃止を免れた空堀にこの名が付けられた、そのように見受けられる。その出自を表すかのように、公共溝渠はたいてい古ぼけたコンクリートでできている。

 そんな懐かしい空気を漂わせる公共溝渠であるが、見つけるのはなかなか難しい。
 下水道台帳図を見ると公共溝渠と書かれた箇所を見つけることができるが、その数はとても少ないうえに、それらがすべて開渠のドブ川とは限らないからである。公共溝渠には次の3つのタイプがある。
 ・開渠のもの
 ・蓋掛のもの
 ・暗渠のもの
 開渠はいわゆるドブ川の状態、蓋掛はコンクリートの蓋をして事実上道路になっているもの、暗渠はアスファルトで舗装されて同じく道路になっているものである。

 この中でドブ川としての体裁をなしているのは開渠のものだけである。
 開渠の公共溝渠は本当に少なく、私も世田谷区内でいくつかを発見できたに過ぎない。開渠だったところもいつの間にか暗渠にされてしまったりすることもあるから油断ならない。
 しかし「蓋掛」や「暗渠」がつまらないかというとそんなことはなく、ドブ川が絶滅危惧種になってしまっている東京においては、ドブ板を渡しただけの「蓋掛」やコケの生えた薄い舗装でマンホールの密集する「暗渠」は、それだけで十分ドブ川の痕跡を関知することのできる重要なしるべとなる。
 「蓋掛」と「暗渠」は要するに道路になってしまっているのであるが、それをあえて溝渠と言い張るところに水辺の記憶を消し去ることのできない人間の不思議さを感じることができるし、かつてのドブ川が多様な構造物に化けている姿を観察する楽しみがある。東京の川は、ほかにもそんな摩訶不思議にあふれている。

 例えば下水道台帳図を見ると、「水路敷(区道扱い)」と書かれた細道を見ることがある。
 かつて川が流れていたところに蓋をして歩行者用の区道にしているものである。これも事実上道路なのであるが、登記簿の上では水路のままになっている。
 水路でありながら事実上は道路ということになると、前述の暗渠の公共溝渠と同じスタイルではないかと思うのだが、なぜか下水道台帳では扱いを分けて一ジャンルを形成している。「水路敷(区道扱い)」と「公共溝渠(暗渠)」はどう違うのかということを考えながらドブ川跡を歩くのだが、いまだに解明できない。

 摩訶不思議の極みは目黒区にある蛇崩川遊歩道である。
 ここは蛇崩川というドブ川に蓋をして、蛇崩川幹線という下水道に転用したときに作ったもので、東京によくあるタイプの遊歩道である。ちなみにここは「遊歩道」とは呼ぶものの道路ではない。法律上は公園の一種ということになっていて、そのアリバイのように遊具やベンチが置かれている。

  蛇崩川遊歩道
   蛇崩川遊歩道

 では蛇崩川は下水道に転用されてなくなってしまったのかというと、これがいまだに河川法上の二級河川として登録されていて、東京都の河川図には蛇崩川がきちんと載っているのである。地上は遊歩道、地下は下水路になっているにもかかわらず、である。
 その仕組みは複雑で、川に蓋をして地上を公園として貸して、地下は下水道に貸しているが、川はなくなったわけではない、ということになっている。この話を聞いたとき、私はその理解を超えたロジックに感心してしまった。

 川とは流れる水のことにあらず、流れる空間のことにもあらず、水が流れうる空間が連続して存在し続ける事象のことなり。なぜか突然インチキ格言風になってしまったが、蛇崩川は「川とは何か」という根源的な問いを突きつけてくる。東京にはそういう川がほかにもいくつかある。

コメント

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lotus62さま

lotus62さま、こんばんは。はじめまして。

こちらにお返事を書こうか、直接lotus62さまのブログに書こうか迷いましたが、せっかくこちらに書き込んでいただいたので、お返事をさせていただくことにしました。
(俊六さま、申し訳ございませんが、この場をお借りしたいです)

東京荏原歴史物語資料館については、現在休止中であることから、管理上の問題もありコメントを非表示とさせていただいております。申し訳ございません。ただ、私の拙い暗渠めぐりがお役に立てたようで、嬉しく思います。また、流路の先の情報もいただき、興味深く拝見しました。

東京Peeling!、少しずつ拝見しております。
呑川沿いに育ち、小学校の頃に源流から河口まで自転車で踏破しようと企んだ私ですから、川については、暗渠・開渠を問わず興味があり、流路を追うことにはわくわくします。

それにしても、俊六さまもlotus62さまも、探求することの楽しさを改めて教えてくださるような、本当に本当に楽しいブログをお持ちですね。私も、これを機に東京荏原歴史物語資料館を再開しようかとひそかに考えております。

お二方とも、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

レィルウェイライフさま

レィルウェイライフさま
(俊六さんのブログなのに、ごめんなさい、上記のレィルウェイライフ様のブログはすでに書き込みができなくなっていたので、ここでさせて頂いてよろしいですか?)
弁天様やお稲荷様などを軸に水、湧水を語られている点に大変興味を覚えました。
特に、「小山厳島神社」、
http://ebarahist.exblog.jp/6669213/
これは全く知りませんでした、こんなところに橋跡まであったなんて!!
情報感謝いたします。
ところで小山7丁目交差点まで追われた水の行く先ですが…。
以前洗足池につながるいくつかの谷筋を上流に追ったことがあり、
そのひとつが「貉窪」という谷でした。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-3974.html
私はこの谷を洗足池駅近く・環7の外側まで追ってそのあと見失い、
後日改めての現地調査で
環7内側20mくらいまではわずかな窪みが伸びているのを確認しました。
たぶん、その窪みとこの厳島神社からの湧水がつながっているのですね!
先ほど「東京地形図」で付近の地形を見てみましたが、
十分あり得ることだと思いました。
どうもありがとうございました。こんどまた機会があったら現地に出向いてみたいと思います。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

Re: 奥沢の公共溝渠

これですこの溝渠です。うーんいいですね。というか、ここに目をつけるレイルウェイライフさんもさすがです。
こういう溝渠を路面電車なんかが一跨ぎで渡ってくれると、またいい感じなんですけどねー。
昭和25年にはすでに水が汚れていたというくだり、私としては気になるところです。

東京荏原歴史物語資料館は以前ちらっと読ませていただいたような気がしますが、神社や水辺のことなど、とても興味深いですね。改めてじっくり楽しませていただきます。

奥沢の公共溝渠

こんばんは。度々失礼いたします。

奥沢三丁目のドブ川、ということでピンと来ました。

実は、私にはもう一つブログがありまして、今は手が回らなくて休止状態なのですが、そのブログでかつてこの奥沢の公共溝渠を扱ったことがあります。

観点はまったく異なるのですが、よかったらご覧ください。
http://ebarahist.exblog.jp/6652637/

この小さな流れに興味のある方がいらっしゃって、大変嬉しく思いました。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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