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11 お歯黒どぶ

墨東奇譚

 永井荷風の『濹東綺譚』は大正時代の東京の玉の井、いまでいう墨田区東向島あたりにあった私娼街を舞台にした小説である。私娼街とは政府非公認の遊郭のようなもので、昭和33年に法律で禁止されるまではそういうエリアが日本の各地にあったという。
 玉の井には「お歯黒どぶ」というドブが流れており、小説では夏の暑い夜に立ち込めるドブの臭気や蚊のうなる声が活写されている。「お歯黒どぶ」とは妙な名前であるが、ドブの水がお歯黒のように真っ黒だったことから付けられた名前のようである。
 水が真っ黒ということは、ドブの中で嫌気性細菌が硫化水素を発して真っ黒な硫化鉄混じりのヘドロを産出している状態だから、相当に汚染された状態といえる。私はこの「お歯黒どぶ」が気になった。

 気になったのは、同じ名前のドブが隅田川の川向こうにある吉原遊郭にもあったからである。
 吉原遊郭は江戸初期の1657年、幕府の許可を得て浅草寺の北方に設置された。広さは約9ha、長方形の独立した街区で、周囲を堀で巡らしてある。この堀が吉原の「お歯黒どぶ」で、いまは暗渠になっているがドブの護岸の跡などはわずかに見ることができる。

 なぜ遊郭(と私娼街)にはお歯黒どぶがあるのであろうか。
 私が吉原のお歯黒どぶを知るきっかけとなった時代小説からは、風紀上の理由から遊郭を周囲の街と切り離して管理するためといったような事情が窺えたが、それがどうして真っ黒なドブでないといけないのだろうか。例えば高い塀を巡らすといったことも考えられたはずだし、堀を作るにしても水を真っ黒にする必要はない。
 もしかするとお歯黒どぶは意図的に作られたのではなく、もともと遊郭というものが真っ黒なドブが生じてしまう地形的な要因を抱えているのではないか、私はそう考えた。

 濹東綺譚に出てくる玉の井は、隅田川東岸の水田地帯を埋め立てた歓楽街で、お歯黒どぶは水田の小川の成れの果てと考えられる。
 一方、吉原は浅草寺の北の湿地帯を埋め立てて作ったもので、吉原とは「葦の原」に通じる。遊郭は湿地帯に作られることが多く、吉原ができる前はいまの中央区日本橋人形町の低湿地帯にやはり吉原という遊郭があった。日本橋の吉原が浅草寺の北に移転したのは、江戸の市街地が拡大して日本橋が江戸の真ん中になってしまったからである。

 遊郭が低湿地帯にできるのは、次のような要因があると考えられる。
 ・風紀上、都心から離れた場所につくりたい。
 ・まとまった土地が必要である。
 ・住宅地から離れ、かつ住宅地に向かない土地でないと確保できない。
 これらを満たすのが低湿地帯を埋め立てた土地ということになる。
 湿地帯を埋め立てると、そこを流れていた水流を整理して排水路に仕立てる。しかしそれは地形的な要因でさらさらと流れずに澱み、ドブ川化する、このようなことではないだろうか。

 濹東綺譚の舞台となったあたりを歩くとドブ川こそないものの、路地裏をすりぬけて流れていたドブ川の跡を今でもあちこちで目にすることができる。ドブ川を暗渠にして作られた路地は、密集した古い住宅地をすり抜けて続き、この町に迷宮のような魅力を添えている。ドブ川が遊郭に付き物であることを荷風は知って頻繁に小説に登場させたのだろう。

(参考)
濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

図説 永井荷風 (ふくろうの本/日本の文化) 表紙裏の詳細な「玉の井概要図」で当時の様子が分かる。

コメント

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Re: 語源

お歯黒ドブはドブの中でも抜きんでてくさかったことが分かって興味深いです。
お歯黒の液というのも一回においをかいでみたいです。
お歯黒は変装の一種で、抜歯を以って変装していたのを、それでは大変だからということでお歯黒で「歯がないですよ、別人ですよ」として簡略化したという説があるようです。

語源

英語教師で諧謔作家の佐々木邦の短編「一年の計」に主人公が泥酔の挙句はまった溝を警官が「臭いな」というと俥屋が「お歯黒どぶですからな」という一節があり、検索しました。
遊女がお歯黒の液を捨てるのでそういう名がついたとも言いますね。

たんぼ

お返事ありがとうございました。
拙ブログにもお越しいただいていたとのこと、ありがとうございます。

「たんぼ」ですか。そのように呼ばれているのは知りませんでした。
たしかに、吉原や元吉原は脇に川は流れてはいたけれども、
水が順調に流れそうな高低差はあまり感じない気がします。
このテーマ、面白そうですね。
わたしは大石さまのように遠くの遊郭跡などには
しばらく行けそうにないですが、都内でほそぼそみてみます。
わりとだだっぴろい低湿地帯、川底のV字谷のところ、
埋立地・・・、いくつかカテゴライズできるかもしれないですね。
といっても暗渠を主軸にしたいので、花街についてきっと
情報不足のまま行っちゃいそうですが・・・、ぜひ、いろいろと教えてくださいませ。

ところで、掲載予定に終了とありますが、すでに終了予定があるのですか?
もっともっと、拝見していたい気がします。。

Re: はじめまして。

はじめまして。といってもnamaさまのブログ、大変面白いので拝見して、各現場への旅情を催しております。
私も暗渠好きなのですが、暗渠前夜ともいえるドブ川状態に興味が移行してこのような探索をしております。

「お歯黒どぶ」は暗渠系と花街系のクロスオーバーですから、かなり面白いですね。
吉原はむしろそういう考察系の訪問者の方が多いんじゃないのかなんて思っちゃたりします。
namaさまの考察理由の①②③、ともに大きな要因としてあると思います。
要因としてはそちらの方がウェイトが大きいのではないかとも思います。

一方で、低湿地説を抱くようになったのは、きっかけがあります。
それは、数年前、東京都の町田駅裏の通称「たんぼ」と呼ばれる地域で、その方面の営業者が摘発されるというニュースを新聞で読んでからです。なぜその方面の営業地が「田んぼ」なのか?
ということに疑問を抱きクドクド考えたり、その後静岡県の吉原という駅前のドブを訪れているうちにこの説に行き着き、ここに書くようになった次第であります。

ところで吉原大門にある柳は、京都の島原遊郭の見返り柳を模したものといわれていますが、
京都の島原には暗渠はありませんでした。うーん何で無いんだぁ。
全国の遊郭跡の暗渠探しなんて面白いかもしれませんね。
リベンジ報告楽しみにしています。

はじめまして。

初めてコメントいたします。わたしは暗渠のブログを書いている者ですが、
仲間づたいにこちらを見に来させていただいて、そして大変興味深いので
何度も読ませていただきました。

暗渠と、ドブ川は、興味の対象としてとても近いものを感じますが、
”ドブ川”という切り口にされている所がとても新鮮です。

また、今回のお歯黒どぶの記事には、いてもたってもいられなくなりました。
わたしも、お歯黒どぶにはかなり興味があり、吉原の方は去年見に行きました。
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/08/post-d291.html

このとき、微妙にお歯黒どぶの位置を勘違いしていたので、
今年中にはリベンジしてもう一記事書きたいと思っていたところでした。

なぜ、お歯黒どぶが真っ黒などぶなのか。
わたしの現時点での考えは、
①実際に遊女のお歯黒を流していたため
②人口密度の高い、活気ある遊郭なので排水も多いため
③遊女が逃げる際に少しでも妨げとなるように
です。。
大石さまの仰るように、高い塀で囲っても良かったのかもしれません。
しかし、排水路を巡らせば一石二鳥でしょうし、①②の混合により
とても足を入れる気にはならないような汚い水路になれば(=③)、
余程の勇気が無いと逃げる気にはならなくなるでしょう。
(&すぐに逃げたことを気づかれてしまうでしょう。)

しかしそんなお歯黒どぶを越えてまで、逃げて恋する人のもとに
行こうとした遊女の絵を見たときには、胸にずしんと来ました・・・。

と、わたしの考えはほぼ新しい視点が無いのですが、
大石さまの”湿地帯→澱んでしまう”という地形からの考察、
なるほど!と思いました。
近いうちにまたお歯黒どぶに行こうと思うので、
その際にはその観点も入れて、見てこようと思います。
長々失礼いたしました。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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