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13 ウンコ問題

お米

 ドブ川雑記帳はドブ川の話であって下水道の話ではないのだが、下水道の仕組みがわかるとドブ川探索がさらに面白くなるので、少々脇道に逸れることを許してほしい。

 下水道は子供の社会科見学にうってつけのテーマらしく、下水道資料館などに行くと小学生向けのパンフレットが山ほど用意してある。ドブ川好きの大人のためのパンフレットなどというものはないので仕方なくそれを読むと、そこにはたいていこういうことが書いてある。

「コップ一杯のコメのとぎ汁を薄めて魚が棲めるようにするには、ふろ桶2杯分の水が必要です。コメのとぎ汁は庭にまいて肥料にしましょう」

 同様に牛乳コップ一杯はふろ桶11杯が必要で、マヨネーズ大さじ一杯は13杯必要などといったことも書いてある。これを読むと「これからはコメをといだ水は植木鉢に撒こう」などと思うのだが、私にはどうも引っかかるところがあった。そこである下水処理場の人に質問をぶつけてみた。

「ウンコやオシッコのことはどうして書かないのですか」
 下水の主成分はいうまでもなく人間の排泄物である。だからこれに触れずにコメのとぎ汁あたりを論じたところで、周辺部分をつついているに過ぎないのではないかと思ったのである。
 するとこういう答えが返ってきた。

「そういったものは確かに「多く」て「濃い」のですが、まず努力できるところから、ということでして・・・・・・」
 住民に対して「ウンコやオシッコをするな」とは言えない、ということであるらしく、言われてみれば当然の話ではある。しかし話を聞いていると、下水処理場の敵はウンコではないらしいことも分かった。下水処理場はもともとウンコを浄化するための施設なので、それらがいくら流れて来ても問題ない。敵は別の方角にあった。

「油をよく使う飲食店が多い地域はね、すごいんですよ」
油をよく使う飲食店とは中華料理や油ギトギトのラーメン店などであろうか。
 そういえば横浜などでは中華街の排水が流れる下水管は詰まりやすいという話を読んだことがある。下水管に油分が入るとコレステロールのように付着して詰らせた挙句にはがれて、巨大なごみとなって浮遊するという。
 下水道の真の敵は一にも二にも油で、だから下水のパンフレットにはしつこく「油を流しに捨てないで」と書いてあるのだ。ほかにも洗髪で流れてきた髪の毛もものすごい量なのだという。
 これからはラーメンの汁が残ったら野菜炒めの味付けにでも使って、風呂場の排水口には髪の毛取りの網を付けることにしよう。
 
 もう一つ聞いてみた。
「下水処理場から放流される水は微妙なにおいがありますよね。あれは薬品のにおいなのですか」
 下水処理場で浄化された水は海や川に放流する前に殺菌しなければならないので、消毒薬として塩素を投入する。しかしそれは放流水のにおいの要因としてはわずかなもので、大部分は取りきれなかったウンコやオシッコのにおいなのだそうだ。なんだそうだったのか。

 しかしこの問題は根深い問題を感じさせる。それは、取りきれないのはにおいばかりではないからだ。人間のオシッコの中には「尿酸」と呼ばれる物質が大量に含まれていて、対外に放出されるとアンモニアに変わる。悪臭成分の原因物質としてあまりに有名なこの物質はさらに下水中で「硝酸態窒素(NO3-)」という物質に変化する。これが普通の下水処理では除去しきれない。

(オシッコの仕組み)
オシッコの中の尿酸 →体外でアンモニアに変化 →下水中で硝酸態窒素に変化 →除去しきれずに海中へ →プランクトンの餌になる →大増殖して赤潮になる →海中が酸欠になる →プランクトン死滅 →嫌気性細菌が登場する →硫化水素発生


 下水処理場はおおざっぱな言い方をすれば、有機物で濁った水を透明にするための施設であって、水に溶け込んだ無機物、例えば食塩水の塩分とか医薬品成分とか硝酸態窒素といったものを除去するのは得意ではない。
 下水処理場に流れてくる下水はBOD100mg/l以上という猛烈に汚い水(※)だが、下水処理場はこれを5mg/lくらいまで浄化する能力をもっている。BODとは、「ある水の中に含まれている有機物を、生物が分解するとしたらどれだけの酸素が必要か」という尺度で表す単位で、つまり下水処理場は有機物を取り除く能力がとても高い。
 その一方で、硝酸態窒素に関しては50%くらいしか取り除けない。ハイテクを駆使した最新型下水処理場でも70%取り除ければ優秀なほうである。
 
 ところがオシッコが昔肥料として使われていたことからわかるように、硝酸態窒素は栄養分に富んでいる。

(オシッコが肥料になる仕組み)
オシッコの中の尿酸(生物にとって無毒)→体外でアンモニアに変化(有毒)→肥溜めで発酵させて硝酸態窒素(無毒)に変化させる→畑に撒く→根から吸収(→しかし撒き過ぎると地下水に溶けて有毒に)
 

 これを例えば東京湾に流すと、プランクトンの格好のえさになって彼らが大繁殖し、いわゆる赤潮状態になる。プランクトンは酸素を消費して生きているので、大発生すると海中に溶けている酸素が不足して魚が死に、プランクトンも共倒れで死ぬ。
 
 その後に登場するのが酸素を使わなくても生きられる「嫌気性細菌」で、彼らが出す硫化水素で悪臭発生と相成る。さらに悪いことに、東京湾は埋立てすぎて水の流れが悪くなったりして、環境を浄化する自然のシステムに欠けている。例えばここに自然の干潟があれば、嫌気性細菌を繁殖させずに有機物を分解することができるのだが、東京湾にはそれがほとんどない。

 このことは夏場に東京湾の遊覧船に乗ると実感できる。下水処理場のようなにおいが濃縮されて潮風に乗って鼻腔をノックアウトする。田舎のドブ川は、その場を離れればにおいを嗅がずに済むが、東京湾の場合は面的な広がりで襲ってくる (と言っても自分で乗船券まで買って近づいているのだが)。

  夏の東京湾(日の出桟橋)
  夏の東京湾(日の出桟橋)

 東京の下水処理場は、ハイテクを駆使して必死に浄化しているようだけれども、やはり1000万人のオシッコの硝酸態窒素の半分(ややこしいな)を取り除けずに海に流しているという事実は重い。かといって私たちはオシッコをしないわけにもいかない。一体どうしたらいいんだ。
 
 このように考えると暗くなるが、これを逆に考えてみると面白い。
 ①アンモニア(硝酸態窒素)は赤潮プランクトンを増殖させるが、同じ原理で畑の野菜も成長させる。
 ②そのため、昔から硫酸アンモニウムという物質が肥料として作られている。
 ③硫酸アンモニウムは硫酸とアンモニアから作る。
 ④硫酸は、下水管のなかで発生した硫化水素がある細菌に分解されたときにできる物質である。
 ⑤アンモニアと硫酸が下水から発生するのなら、それを使って肥料を作って一儲けできるのではないか。
 
 私はこの天才的なアイデアに興奮したが、結論からいうと下水から硫酸を取り出すのは難しいらしく、こういう製法での肥料は作っていないようであった。
 しかしアンモニアを取り出すのは技術的に可能で、愛知県豊橋市の処理場では、下水の処理過程で出る硝酸態窒素から肥料を作っていた。しかも一儲けしないで無料で配っているという。オシッコはちゃんと肥料になっていたのであった。いつの間にかウンコ問題がオシッコ問題になってしまったが、とりあえずよかった。

(H22.9.25 アンモニアに関する記述が間違っていたので修正しました。)

※昭和36年の隅田川の水質がBOD38mg/l。BOD100mg/lを超える川は、小河川などで局地的にはあったようである。

参考ページ
東京都水再生センターのページ(各センターをクリックすると流入する下水の水質と処理後の水質が分かるようになっている)

横浜市のHP(微生物の作用で、アンモニア→硝酸→窒素という手順で下水中のアンモニアを除去する仕組みを解説)

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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