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21 遊園にはなぜドブ板水路が残っているのか

 多摩区の遊園ラビリントと中原区の小杉あたりでは、同じ川崎市でも用水路遺構の風景が明らかに異なる。かつて二ヶ領用水の支流網が張り巡らされていたという点では同じだが、次の点が違う。

 ・遊園ラビリントでは、かつての用水路が蓋掛されただけで比較的原形をとどめている。
 ・中原区小杉では用水路の多くが下水路に転用されて地上部がアスファルト舗装の道路となり、蓋掛しただけのものはあまり残っていない。

 遊園ラビリントでは、ほとんどの用水路が「使われなくなった農業用水路」として蓋掛の状態で存置されている。これはひとつには、遊園のあたりでは近年まで農業が盛んだったから農業用水路も残されたが、中原区小杉は戦後すぐに農業が壊滅してしまったので下水路への転用がやりやすかった、ということを表わしている。

 昭和50年代、小杉では植木畑と竹やぶが少しあっただけで農地は皆無であった。
 遊園はというと、現在、向ヶ丘遊園の駅前こそ農地はないけれども、今でも少し駅から南に行くと梨畑が点在し、もっと先に行くと農地の区画整理が昭和37年に完了したことを示す碑がある。今は水田はなく、梨畑もそれほど水を使わないが、この碑から察すると昭和40年代頃までは水田用の水需要があったとみえる。

 二ヶ領用水分水開渠 わずかに開渠で残された分水もある。奥には古い水門も見える。


 しかしそうはいうものの、今の遊園ラビリントの用水網の充実ぶりは、農業の実態に比して過分に見える。
 昔はともかく現在は梨畑しかないのに、用水だけはちゃんと流れて機能している。個人的には「よくぞここまで水路を残してくれた」と思うが、「そんなに必要だったのか?」という感がないでもない。もうちょっと粗雑にアスファルト舗装などされていてもおかしくないのになあ。そんなことを思っているうちに私は、「ザリガニ田んぼ」のことを思い出した。

 私が中原区の小学校に通っていた頃、ザリガニ取りのできる水田というのがあった。その水田は学区の端のほうにあり、住宅に囲まれて小さな水田が一枚だけあった。この水田は学区唯一のザリガニ場として大変な希少価値で大人気だった。
 当時は知らなかったが、この水田はそばを流れる「井田掘」という二ヶ領用水の支流から取水していたという。その農家は住宅密集地を流れてくる井田掘の水質に大変気を遣っていた、とある本(※1)に記されている。
 この水田は今はもうないが、井田掘はなんとまだ当時の姿のまま蓋掛で残されている。

 農地の中で一番都市化に耐性があるのは、生産物の単価が高くて地価上昇に耐えられる植木畑や果樹園、次が花卉、蔬菜畑、一番耐性がないのが水田である。水田はきれいな水を供給する用水網と、余剰水を排水できる悪水網が維持できないと真っ先に消滅する(※2)。
 言い換えると、少しでも水田を維持しようとする農家がいる限り、用水路は死守されようとする。その時、水路にフタがされ始める。フタをする理由は、落ちると危ないとか、道が狭いので歩道にしたいとか、用水路にごみを捨てられたくないといったところだろう。

 さて、都市化がさらに進んで最後の水田がなくなっても用水路はすぐに撤去されない。   
水の流れる場所がいきなりなくなると困るし、構造が堅牢なのでそのまま歩道として使えるので撤去する必要がないというのもあるが、遊園の場合には次のような要因も考えられる。

・中原区小杉あたりでは用水路を密閉して下水道に転用し、汚水と雨水をそこに流す方式(合流式下水道)を採用したが、
・多摩区の遊園あたりでは汚水は密閉した汚水管、雨水は雨水管を作らずに、とりあえず既存の密閉しない蓋掛の用水路に流す方式(分流式下水道で汚水管だけ先行建設)を採用した。
 
 このような違いが生じたのは、中原区で下水道を敷設した時期は合流式が全盛だったが、遊園ラビリントで敷設した時期は分流式(の汚水管だけ建設)全盛の時代であったためである(※3)。

 まとめると、

 ・遊園ラビリントは水田がなくなる時期が遅かったために水路も廃止を逃れたうえ、
 ・下水道の敷設時期も遅かったが、
 ・それが下水道の敷設方式の変化とマッチし、
 ・雨水排水路の役割を与えられて撤去(密閉化)を免れた。

 そういう経過があったということが言えるのではないだろうか。
 しかしこれは水路が後年まで残るといううれしい成果を生む反面、それゆえの「望まなかった変質」を生む可能性もはらんでいる。 
   (「22 下水管とドブ板水路が併存する仕組み」につづく)


小杉と遊園


参考文献 
※1二ケ領用水400年 よみがえる水と緑 (神奈川新聞社刊)
 ザリガニ田んぼの所有者には小学生は迷惑だったことをこの本ではじめて知った。そうだろうなあ。
 この本は新刊は買えないようですが、川崎市立多摩図書館でも読めます。遊園ラビリント探索のついでにどうぞ。

※2「関東東山農業の動向と展望」農林省農林水産技術会議事務局(昭和39年刊)
 この書籍によると、関東には水田から水が抜けにくい排水不良田が多く、これが水稲の生産性を悪化させる、とあり、水田には給水よりも排水の方が重要であることがわかる。

※3川崎市公共下水道台帳施設平面図インターネット提供サービス
 川崎市の下水道が昭和60年(1985年)あたりを境に、また市域の真ん中あたりを境に合流式と分流式にくっきり分かれていることがわかる。
 また、昭和40年代であっても、宮前区や麻生区の丘陵部の新興住宅地では開発と同時に分流式の下水道を敷設する作戦を採っていたこともわかる。

コメント

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Re: No title

おっ「水的難易度に言及」って書くと、一気にカシコイことしてる感じになりますね!
でも農業が自然の力に縛られていたのは昭和のころまでで、今は品種改良と土木とポンプの力でどうにでもなっちゃうんでつまんないですね。
「ここでブドウが採れるのは、やはり扇状地で水はけがいいからですか?」とか聞くと、
「いやー単価高いし出荷の立地がいいからブドウ作ることにしたんです」なんて答えが返ってきますもんね。

暗渠ハンティングも、住居の給排水が地形に縛られていた古き佳き時代のインフラをめぐる旅、つまり
都市の水インフラの水的難易度的時代変遷的生活文化的三次元解析ということになるのです!(ちょっと言葉の使い方まちがってるかな)

No title

はあー!!!なるほど!
川崎を分断する下水処理方式の違いがこの絶景を生んだのですね。
おかげさまでとてもよく理解できました!
それと、
>水田はきれいな水を供給する用水網と、余剰水を排水できる悪水網が維持できないと真っ先に消滅する(※2)。
これも、水田を他の農作物と比べてその水的難易度に言及する、というところが大変勉強になりましたー。

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大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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