スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)

二ヶ領用水(普通河川区間)二ヶ領用水(普通河川区間)


 同じようなドブ川でも普通河川とか公共溝渠とかいろいろな種類があるということについては、第3章第10章に書いたし、自分でも分かったつもりであった。ところが、川崎市の河川の分類を調べているうちにまた分からなくなってしまった。ギモンは3つ。 
 
 ドブ川の主役たる普通河川は、「河川法の適用を受けない河川」である。普通河川は「引き算」の考え方に基づいた概念であるから、
  普通河川=全ての河川-1級河川-2級河川-準用河川
となり、したがって普通河川は路地裏の名もない無数のドブ川を包含することになる。

 ところが川崎市には「普通河川一覧表」というものがあり(※1)、ここに二ヶ領用水をはじめとして14河川が列挙されている。この14河川は市が指定したものだという。  
 ではそこからこぼれ落ちた有象無象のドブ川はどうなるのかというと、「水路」というさらに下位の区分が用意してあってそこに含まれている。
 この水路は普通河川(=河川法の適用を受けない河川)には当たらないのか?これがギモンその1。
 
 ギモンその1を解くために隣の東京を見てみると、ここはここでおかしい。
 東京都区部の下水道台帳には公共溝渠という名の水路が登場し、各区がそれを管理することになっているが、不思議なことにこの名は他の地域では見られない。大阪にも名古屋にもない。
 公共溝渠は東京都区部にしかない施設なのか?
 これがギモンその2「公共溝渠はなぜ東京にしかないのか?」である。
 
 これを解こうとするともう一つギモンが出てくる。
 東京都区部には一級河川(神田川など)や二級河川(渋谷川など)はあるが、準用河川と普通河川がほとんどない。他の都市では等級が下がるほど河川数が増える。これは細い川が合流を重ねて1本の大きな川になっていくという川の特性からすると当然である。
 しかるにどうして東京都区部の河川図には準用河川と普通河川がほとんどないのか?これがギモンその3。

 「普通河川」や「公共溝渠」や「水路」(以後これらを総称して「溝渠系」と呼ぶ)はドブ川としての見た目は似ているが、自治体によって定義がまちまちで謎が多い。辞書で引いても用語集で調べても、それぞれの用語間にどういう違いがあるのかという肝心なところが分からない。
 そんなことではドブ川探索に支障をきたすのでここで白黒はっきりさせたいと思う。普通河川と公共溝渠と水路はいかなる関係にあるのか?
 
 調べると自治体の溝渠系の取り扱い方は大体5つに分けられた。
  溝渠系は普通河川で統一する方式(小樽市、足利市、川越市、太宰府市など)
B1 溝渠系は公共溝渠で統一する方式(品川、江東を除く東京21区)
B2 溝渠系を公共溝渠+普通河川に分ける方式(東京都江東区)
B3 公共溝渠という概念をなくして「法定外公共物」(法律には役所が管理すべきとは書いていないけどみんなが使うので一応役所が管理しているモノ)というジャンルにまとめていこうとする方式(東京都品川区)
 溝渠系を普通河川+水路に分ける方式(札幌市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市など)

は溝渠系=普通河川、つまり河川法の考え方をそのまま受け入れた考え方。
B1は溝渠系=公共溝渠という東京独自の考え方。
B2B1方式を採りつつも「全部公共溝渠にするのも無理がある」という考え方に立って普通河川という区分を加えたもの。
B3B1の進化形で「公共溝渠なんて区分はなくしましょうよ」という考え方。
の「溝渠系=普通河川」方式を取り入れつつも「水が流れていれば全部河川、というのは無理がある」という考え方に立って水路という区分を加えたものである。
 
 どうして同じようなドブ川なのにこのようにいろいろな用語が使われるのか。そこでそれぞれの制度ができた年代を調べてみる。
  溝渠系=普通河川とする方式・・・平成8年~18年ごろ
B1 溝渠系=公共溝渠で統一する方式・・・昭和28年
B2 溝渠系=公共溝渠+普通河川とする方式・・・溝渠が昭和28年、河川が56年
B3 溝渠系=公共溝渠という概念をなくしていく方式・・・平成22年
  溝渠系=普通河川+水路とする方式・・・平成8~12年に多いが大阪市は昭和32年、名古屋市は昭和38年

 B1から見ていただきたい。まず公共溝渠という妙な用語がどこから出てきたのかをまず調べたい。この言葉は前年の昭和27年に出された地方自治法施行令の附則というところに登場する。

「改正後の地方自治法第二百八十一条第二項各号に掲げる事務で左に掲げるものは昭和二十八年三月三十一日までに特別区に引き継がなければならない。(中略)公共溝渠の管理に関する事務」

 この条文は、「東京都が今まで担当していた公共溝渠の仕事はこれから特別区の仕事になるからちゃんと引継ぎしなさいね」と言っている。
 どうもこれは東京の特別区制度という特殊なしくみが絡んでいるらしい。なので、飯田橋にある特別区協議会資料室というところに行って調べてきた。まとめると次のとおり。

(1) もともと戦前の東京市の各区は東京市の内部組織扱い(現代の政令指定都市の区と同じ)であった。
(2) 戦中に東京都が発足したが、やはり東京都の内部組織扱いであった(昭和18年)。
(3) 戦後は地方自治法ができて、各区は特別区といって市と同格の独立した自治体ということになった(昭和22年)。
(4) でもその後も実態は変わらず、各区は都に対し「もっと権限(と財源)をよこせ」という運動をした。
(5) アメリカのGHQのシャウプという人も「そこんとこ、ちゃんとやるように」と勧告した(昭和25年シャウプ勧告)。
(6) しかし東京の各区を市役所と同格にするのは無理があったので、妥協案としていくつかの権限(仕事)を区に与えるにとどめた(昭和27年地方自治法改正)。
(7) このとき与えられた仕事の一つが、上の「附則」に出てくる公共溝渠である。

 公共溝渠はこのスッタモンダの中で編み出された苦肉の策の産物である。
 なぜ苦肉かというと、河川と下水道は都の仕事ということになってしまっていたからである。「河川と下水道は広域でやらなければならないので都がやりますよ」ということで話が進んでいた。さて、溝渠系は河川か下水道か。
 溝渠系は、下水道が未発達だった当時は不衛生な排水路で害虫対策が必要で、ドブさらいや木製護岸の補修などの細かい修繕も多かったようである。これを河川や下水道だからと言って都の仕事にしてしまうと特別区はドブさらいさえできない。そのためか、これを河川でも下水道でもない公共溝渠と定義して特別区の仕事とした。昭和28年のことである。

 経緯は分かったが、これでは公共溝渠がどういうモノかが分からない。辞書や用語集を引けば定義は載っているが、肝心の「公共溝渠が河川に対して占めているポジション」が不明である。そこでさきの資料室で史料を漁ると区役所職員向けの書籍(※)に答えがあった。

31 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)につづく)

<修正>
※1 この表は現在は改良されて、「川崎市における河川:河川管理区分」という表にバージョンアップされている。これによれば川崎市は、普通河川を「おおむね流域面積2キロ平方メートル以上のもので、かつ河川本来の機能を保持させる必要があると認めるもの」と定義している。流域面積で区分するとはかなり斬新である。この川崎ドブ革命は全国に伝播するか?(H25.10.8追記)


<参考文献>
※2 『「特別区」事務の変遷-都区制度改革入門』(財)特別区制度改革協議会実施準備室
ちなみに特別区協議会資料室は誰でも入れる図書室で、新しくて快適でお宝資料も盛り沢山なのに無料というサービス満点の施設である。

コメント

非公開コメント

No title

面白い記事をありがとうございます。
※1の、川崎市の普通河川についての記述で「流域面積2km2以上・・」とあるのは、昭和48年の通達「河川と下水道との管理分担区分について」に由来するのではないでしょうか?

Re: 河川を食い物にする輩

トランプ様、コメントありがとうございます。
「区長委任管理河川」のことは存じませんでした。
都と特別区の関係の曖昧さや、「委任」という用語が付いていることからすると、
「水路は本来、市町村などの基礎自治体が管理すべきで、東京の場合それは『都』だけれども、規則などで特に区長に委任することにしていますよ」
ということを意味する用語のように見えます。

しかし、「あれ?じゃあ特別区は基礎自治体じゃなかったっけ?」と思って調べると、次のようなことが分かりました。

(1)昭和22年に特別区は市町村と同格の基礎自治体のポジションになった。
(2)しかし昭和27年に、特別区は都の内部組織扱いになり、基礎自治体の地位を失った。
(3)しかし平成12年に都区制度改革で、再び基礎自治体の地位が復活した。

すると「区長委任管理河川」は(2)の時代の用語ということが分かりました。
これは知りませんでした。貴重な情報をありがとうございました。

親水公園に関しては私も違和感を感じますが、世の中的にそういう改良の仕方を求める人は結構多いのではないかという気がしています。つまり、汚いドブを見えなくしたい人と、治水管理の面から大断面の四角い水路は地下に残しておきたい人と、清潔で安全に水遊びできれば生態系としてのあり方は比較的どうでもいい人と、それらを土木的に解決する手段として親水公園というものを開発した人です。
「それはなんか違う。ドブ川のほうが川としてのリアリティがある」という私のような人はかなり少数派なのだ、と痛感します。

でもトランプ様のコメントを頂いて、この「それはなんか違う」という感性はやはり持ち続けるべきだと思いました。
くさいドブ川を見て「うーん、これはどういうことなんだ!ごめんなドブ川。でもなんか面白いぞ」というところから不思議な活力が生まれるような気がします。

ブロとも申請フォーム

リンクとお知らせ
リンク、引用は自由です。連絡はご不要です。引用される場合は引用元として「ドブ川雑記帳」とお書きください。
最新記事
(もっと古い記事は目次のページからどうぞ)
プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
調べたいキーワードで検索
最新コメント
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。