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31 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(後編)

雨の日の公共溝渠 雨の日の公共溝渠(世田谷区野毛)


  (「30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)」からつづく)
 
 公共溝渠はもともと明治33年に成立した「汚物掃除法」(今の廃棄物清掃法の前身)で登場する用語であった。
 汚物掃除法はごみとし尿と汚水の処理について定めた法律で、成立までに結構モメて何度も法案が修正されたそうだが、明治30年の法案に以下の記述がある。
 (参考文献※1から引用。カタカナ表記は筆者がひらがなに改めた)

「溝渠とは汚水雨水疎通の用に供する露溝暗渠を云ふ」
「溝渠を分ちて公共溝渠と私用溝渠とす」
「公共溝渠とは排水系統中幹線若しくは主要なる支線たるへき位置を有し地方長官に於ひて公共溝渠線と認定したる溝渠を云ひ私用溝渠とは公共溝渠にあらさる溝渠を云ふ」 
 さらに、成立案の施行規則というところに、
「溝渠の汚水は之を公共溝渠又は適当の場所に排泄すへし」という条文がある。つまり、

 ・公共溝渠は戦前の汚物掃除法で編み出された概念であり、
 ・あくまで汚水を流す排水路として存在し、
 ・したがって普通河川などの河川とは別物である、


 ということがめでたく判明する。
 と書きたいところであるが、『大田区政十年』(昭和32年刊行)という別の本に出てくる次の分類法を見ると、もう一回ギモンに引き戻される。この分類法を要約すると以下のようになる。(カッコ内は大田区内で該当する河川)

・「河川法施行河川」(多摩川)でも「河川法準用河川」(呑川)でもない河川のうち、
(1)幅1.5m以上のものまたは1.5m未満でも重要なものを「普通河川」
 (旧呑川、呑川分流、女塚川、内川、内川支流、池尻川、中之島入江、その他)、
(2)幅1.5m未満のものを「公共溝渠」
 (開渠109883.4m、暗渠22214.6m)
とする。

 河川法は昭和40年に全面改正されているので、ここで出てきた普通河川は「旧河川法体制における普通河川」であって、現代の「新河川法体制における普通河川」とは微妙に異なるがそれは大した問題ではない。ギモンなのは公共溝渠と普通河川が川の幅で区分けされてしまっていることである。
 どうしてそういうことになったのかは資料がないのでよく分からない。
 けれども当時は普通河川にも汚水を流していたであろうし、公共溝渠にしてもほとんどが自然の水流のルートをトレースしているから両者を厳密に区分けすることはむしろ無理なのであって、このように便宜的に川幅で整理しようとした動機はなんとなく分かる。

 この後、この分類法の基礎になった旧河川法は全面改正され、この時に都区部の準用河川と普通河川はほとんどなくなった。どうも都区部では準用河川や普通河川になりそうなものは2級河川に格上げするか、公共溝渠に格下げするかして片付けてしまっているフシがある。
 通常、普通河川や準用河川は市が管理することになっている。これを都区部に残してしまうと管理するのが都なのか区なのか、モメる種を残すので最初からこのカテゴリーを一掃してしまったのではないかなどと思うのだが、これは私の勝手な推測である。

 さて、このように東京が戦前生まれの「公共溝渠」を今でも使う一方で、他の自治体ではこの用語を使わずに済ませている。これはなぜか。たとえば大阪市はなぜ方式になったか。

 東京と大阪の決定的な違いは、自治制度の激変を経験したかどうかにあったと思う。
 東京では「河川と下水は都の仕事で、その中間の溝渠系は特別区の仕事」というあいまいな棲み分けになったために、この河川と下水の中間の物体を何と呼ぶのかを戦後の早い時期に決める必要に迫られた。
「普通河川」や「水路」と呼んでしまうと川のニュアンスが強くなる。しかし河川は都の仕事。ならば下水路としてしまいたいが下水道も都の仕事。そこで公共溝渠という汚物掃除法の用語を引っ張り出してきたのではないか。
 しかしたとえば大阪市はそういう必要にも迫られなかったと思う。
 普通河川も水路も下水道も市の管轄なので、「下水路のような水路」を何と呼ぶかなどという面倒なことは考えなくてもよい。せいぜい溝渠系のうち「普通河川」と呼ぶには違和感のあるものを「水路」とする程度でよかったのではないか。
 
 普通河川と水路は実質的に同じものを指しているが、もとになる法律が違う。
 普通河川は河川法から見た用語で、「河川法の対象にならない末端の河川」を指す。
 いっぽう水路は国有財産の管理という視点から見た用語で、国の財産のうち、
 ・水が流れている土地、または流れていた土地であって、
 ・河川法や下水道法などの特定の法律で管理されていないもの(法定外公共物という)
を、水路と呼び習わしていた。

 どちらも「水が流れているが何かの法律で管理されているわけではない公共の場所」を指す点では同じで、その違いは「川を管理しよう」という視点で見ているか「国の財産を管理しよう」という視点で見ているかの違いに過ぎない。しかしこれは行政の人の発想であって、一般的な感覚からすれば両者の違いは「普通河川>水路」といった程度にすぎず、大阪市の分類も概ねそのようなことになっている。

 さて、ここで引っかかるのは、東京に遅れることわずか4年の昭和32年にこの問題に手をつけた大阪市がさりげなく「水路」という用語を使っていることである。
 大阪市はなぜ「公共溝渠」という用語を使わなかったのだろうか。
 大阪市は確かに河川と下水道の中間の物体を定義する必要には迫られなかったけれども、公共溝渠自体は大阪をはじめ全国にあったはずだから、この用語を完全無視しているのは違和感がある。大阪の公共溝渠はどこに消えたのか。
 
 調べるとこれは汚物掃除法が昭和29年に廃止されたことと関係があるらしかった。
 昭和28年に東京に公共溝渠という区分をもたらした汚物掃除法は、なんとその翌年に廃止されてしまっている。よって、昭和32年施行の大阪市普通河川管理条例にはこの用語は登場しない。
 一方で東京にはタッチの差で公共溝渠というカテゴリーが生まれ、残り続けた。
 それどころかその後昭和45年に作られた水質汚濁防止法にも「東京都区部の溝渠系」を指す概念としてこの用語が登場し、これがさらに全国の自治体の水質関係の条例に引用されて増殖している。明治生まれの公共溝渠はすんでのところで消滅を免れ、法律の上で生き延び続けた形になる。
 ちなみに平成23年は公共溝渠が汚物掃除法に登場して111年目。公共溝渠誕生120周年となる平成32年には独りひそかに祝いたいと思う。
 
 話が逸れたが、要するに東京以外の都市では、水質の問題は別にして制度的にはこの問題をそっとしておいても問題なかった。
 これをそっとしておけなくなったのが平成10年代。戦後の長い年月の間に溝渠系には大きな問題が生じていた。溝渠系は河川と同じく本来国有の施設であるにもかかわらず、それを管理するのが誰なのかを決めた法律がない。
 
 溝渠系はもともと江戸時代の小河川を明治時代に官有地にしたのが始まりとされる。
 この作業を地租改正という。地租改正は「どの土地に税金をかけるか」という視点で行われたので、村人みんなで管理していた小河川などは税金をかけなかった。その代わりに官有地(通称「青地」または「青線」という)とした。
 この作業は「どの土地に税金をかけるか」という視点でやったので、「どう管理するか」は後回しにされた。「管理しなければならない大河川は(旧)河川法でやってくれ」という考え方で、これは現代の「河川法引き算方式」にも通じる。
 しかしたとえば溝渠系が壊れたりヘドロが溜まったりすると住民の苦情は市役所に向かう。そこで市が費用を出して事実上管理するようになる。「それおかしいんじゃないの?」ということで、平成に入って通称「地方分権一括法」という法律ができて次のような改革が行われた。

(1)これからは普通河川(=溝渠系)は市町村の所有ということにして譲りますよ。
(2)なので、管理や修理は名実ともに市町村のお仕事になりましたのでよろしく。
(3)それにかかる費用の財源は国から市町村に譲りますので。
(4)ところで廃川になって水がないところは、管理する必要がないでしょうから国有のままにしますよ。


 これでこの問題はすっきりしたが市町村は溝渠系を管理するための決まりを作る必要に迫られ、ここで溝渠系をどう定義するかという問題に直面する。これが平成10年代の動きである。
 このとき、河川法の用語である「普通河川」やその下位の概念の「水路」という用語が使われた。
 河川法の考え方では普通河川は水路も含む概念なので、普通河川と水路を分けるのは厳密に言えばおかしいのであるが、一般的な感覚からすれば路地裏のドブを河川と呼ぶのは違和感があるし、国としても「地方分権ということで細かいことは言いませんから」ということだったのかもしれない。
 
 どうも推測ばかりで申し訳ないが、そういうわけで派と派が生まれる。見たところは小都市、は大都市が多いようである。一方で(東京特別区)はこの問題は昭和28年に解決済みであったが、B2B3のように独自の工夫をしている区もある。
 結局、公共溝渠という用語が東京にしかなかったり、普通河川より下位の区分として「水路」があるのは、

・溝渠系の定義をはっきりさせた時期の差
・溝渠系はそれを何と呼ぼうが自治体としてはどちらでもいい程度の存在であったこと


によるものだということができる。溝渠系は見た目はしょぼくれたドブ川であるが、これを調べると明治以来の地方自治や大都市制度の問題点がイモヅル式に掘り返されるしくみになっているのであった。

(H24.1.27追記)
 この章は「公共溝渠と普通河川の違い」に気をとられるあまり「普通河川と水路の違い」をまったく解明していなかったので、その点について加筆した(大阪市の水路のくだり)。

(H26.5.20追記)
 国有財産における水路の説明が誤っていたので訂正した。このことは、荒川の源流に関する別のギモンを調べている過程で判明した。法律用語の説明という基本的なところで誤りがあったことについてお詫びします。
 訂正前は、
「国の財産のうち公共用財産(道路法とか河川法といった特定の法律で管理されているモノ)でないものを普通財産といい」
と記していたが、正しくは、
「国の財産のうち行政財産でないものを普通財産という。」であった。
 行政財産の中に「公共用財産」というカテゴリーがあり、河川はここに入る。
 また、その前段で
「いっぽう水路は国有財産法から見た用語で、」
と記していたが、
「水路」という用語は、国有財産の管理についての解説などには頻繁に出てくるが、なんと当の国有財産法には水路という用語は単独で出てこない。
 よってこれらの箇所を書き改めた。
 すると、「水路も公共用財産なのか?」というギモンが出てくるが、それについては大変面白いことになっているので、荒川のことと併せて、後日章を改めて記したい。

 調べた結果はこちら→第60章「法定外公共物にただよう情趣について考える」


(参考文献)
※1 明治日本のごみ対策 溝入 茂
 汚物掃除法がモメにモメて成立した過程を解説。ここで引用した法令や法案も完全収録している史料的価値のある一冊。し尿処理についても記載してあって、軍人の家庭のし尿が、庶民の家庭のし尿よりも高い単価で農家に引き取られたというくだりが面白い。洋食する軍人のし尿の方が、和食の庶民のし尿よりも肥料的価値が高かったとか。

※2 大田区政十年(昭和32年 大田区役所刊 特別区協議会資料室(入場自由)で閲覧可能)

※3 「東京の河川に係わる管理体制と改修計画の経緯」石原成幸 平成22年東京都土木技術支援・人材育成センター年報 この論文では、公共溝渠のほかにも「改良下水」や「在来下水」、「改良下水の施行地域の普通河川」を指す用語としての「水路」などの解説もあり、東京の川の歴史がよく分かる。(とはいうものの難しくて半分くらいしか理解できなかった) 

※4 春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6) 田原光泰 戦前から戦後にかけての渋谷の下水路の変遷を徹底的に調査している。「川がくさかったからフタをして下水道にした」という単純な図式では語れない暗渠の歴史を丁寧に解説してある。

コメント

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Re: 諸星さん情報

lotus62さま
うぉう。すばらしい情報をありがとうございます。早速手に入れます!
私も諸星大二郎に出会ってから古事記を読むべきか平家物語を読むべきか悩んでいたのですが、この前は鎌倉の蛭子神社に行ってまいりました。川沿いでした。
諸星大二郎の漫画に描いてあることは、その後の作家による書籍やアニメのモチーフの下敷きにもなっていて、そういう意味でも面白いです。
年末年始は諸星さまさ読むだ!

諸星さん情報

全然関係なくて恐縮です。
こんな本出ていたの、ご存知でした?
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309977638
やっと最近知って入手しました。まさにこれから読むのですが、かなり面白そうですよー。

Re: こんばんは

レイルウェイライフ様、ようこそお越しくださいました。

そうなんです!一つのことを、それも見てみぬふりをされるような日陰のドブ川を探求するのはとても楽しく、発見が多いのです。これはレイルウェイライフさんの写真や文章を見ても感じることです。
レイルウェイライフさんがドブ川にズンズン引き込まれているということで、そこが唯一心配(?)なんですが、これからもよろしくお願いいたします。
レイルウェイライフさんと私の交点はまるで鉄道の小鉄橋のようだなあと思います。
こないだ西鉄特急で柳川を通りまして、「こーんなに水路だらけの鉄橋だらけの贅沢な路線があるんだなあ」って思いましたけど、水路と鉄道ってよく似合うんですよね。いやほんと。

こんばんは

俊六さま、こんばんは。

この度は拙ブログにコメントをいただき、大変ありがたく、また大変嬉しく思いました。

だいぶ時間がかかってしまいましたが、1から順に、じっくりと拝見しました。
一つのことを探求することの面白さ、また、一つのことをさまざまな角度から調べていくことの大切さを、改めて知る想いでした。

そして、このドブ川の世界にズンズンと引き込まれていく自分が、何より楽しかったです。ユーモアも交えた俊六さまの文章は、本当に面白く、惹き付けられました。最近は街を歩いていても、ここの下水はどうなっているのだろう、と気にするようになりました。そして、呑川や渋谷川など、身近な開渠部分をじっくりと眺めてみたい気持ちで今はいっぱいです。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

Re: No title

掘り返して調べたらなーんかすごいものが出てきちゃったなあ、って感じです。
でもこれで安心して公共溝渠を訪れることができるようになりました。
ここまで判明したのも暗渠ハンターlotusさんがいろいろなレポートをアップして下さるおかげです。
これからも諸星大二郎先生(はまりそう)の著作などを読んで精進いたします!

No title

うーん、読み応えがありました。
明治以降の法改正と密接な関係にあったんですね。しかもごく最近の平成に入ってまでとは。
管理主体によって今の暗渠や開渠の現れ方が違ってくるでしょうから、これは大変重要な「川跡のバックグラウンド」を教えていただきました。
それにしても俊六さんの好奇心と探究心にはいつも感服です。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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