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37 ヘドロ(後編)

戸田市内の状況 さいたま市から流れた川が戸田市内に入ったところ

「36 ヘドロ(前編)」から続く)

 人間は病原菌や有毒ガスを発する嫌気性分解(※)という現象をいかにコントロールするかに苦心してきた。嫌気性分解のうち無秩序で人間に害を及ぼしかねないものを「腐敗」と呼んでコントロールしてきた。

 まず自らの体内で行われる嫌気性分解の産物であるウンコを、便所という装置で隔離する。
 そのほかの腐敗は風呂、洗濯、掃除、調理という方法で遠ざける。
 その一方でヨーグルトを作る乳酸菌など、食生活に有用な特定の嫌気性細菌だけは集中培養して利用することにした。これを「発酵」と呼ぶ。
 腐敗を遠ざけ、発酵を味方に取り込んで嫌気性分解をコントロールすることは人類が長い歴史で培った叡智といえる。
 それなのにその現象が街中の川にひょっこり現れてしまうとは何事か、そういうことなのではないか。特に現代人はボットン便所を水洗トイレに進化させて嫌気性分解を完全制圧した気になっていただけに、なおさら受け入れがたいのではないか。ヘドロの追放は現代文明の沽券にかかわる問題といえる。
 
 とうまく解明できたつもりでいたら、寄生虫学の藤田紘一郎博士のエッセイでもっと切実な背景があったことが分かった。なぜここでタイミングよく寄生虫の本を読んだかというと、よく立ち寄る本屋の微生物学の棚の一角が寄生虫学のコーナーになっていたからである。
  『バカな研究を嗤うな』という題名のこの本によると、1950年代まで日本にはフィラリアという伝染病が蔓延していたという。フィラリアは人間のリンパ節の中に寄生虫が棲んで足が象のように太くなってしまったり陰嚢がバレーボールのように大きくなってしまったりする恐ろしい伝染病だそうで、感染者は働けなくなったり差別されたりした。
 ところがこの病気は戦後しばらくすると急速に撲滅されていく。その要因のひとつとして藤田博士は、下水道が整備されてドブ川が減ったことを挙げている。リンパ節に棲む寄生虫はイエカという蚊が媒介するが、イエカの幼虫つまりボウフラはドブ川に棲む。よってドブ川が減るとフィラリアも減っていく、ということであった。

 1950年代だとあまり下水道の普及は進んでいなかっただろうが、ドブ川の暗渠化は結構進んだはずだから、確かにそれは言えると思う。
 だとすればドブ川の暗渠化が景観美化や用地不足解消という動機から進められる前、伝染病対策として暗渠化が推進された時期があったのかもしれない。ヘドロを忌避するのはそういう切実な体験が強力に影響しているであろう。私はそんな切実さに思い及ばなかった自分のウッカリを恥じた。

 反省したところで次に移る。何しろヘドロは分からないことだらけなので先を急がなければならない。次のギモンは、
「ならば、ヘドロが溜まっていない川はどうして溜まらずに済んでいるのか」である。
 例えば東京の目黒川は流域の下水道普及率がほぼ100%なので水は汚くはないが、有機物や窒素化合物、リンはそれなりにある。特に窒素とリンが濃いであろう。これを栄養分にして繁殖した微生物の死骸が堆積すればヘドロになって溜まるはずである。しかしヘドロが溜まっているようには見えない。その原理が分からない。
 そこで目黒区の川の資料館に聞いてみた。なぜ目黒川にはヘドロが溜まっていないのですか。

「溜まっていますよ」

 聞くとこういうことであった。
 ①目黒川でも流れが緩やかになるポイントにヘドロが溜まって悪臭が出る。
 ②それでブルドーザーで定期的に掃除して産廃として捨てる。
 ③さらにこれ以上ヘドロを発生させないために底の水を吸い上げて高濃度の酸素を入れて底に戻すという実験を試みた。
 ④これでヘドロの発生は一応減った(ただし今はやっていない)。

目黒川その1 目黒川


 なんと人工的に取り除いているだけなのであった。この原理はこういうことであろう。
 まず次のような原理でヘドロが溜まる。
・目黒川の水は有機物は少ないが窒素分が多い
 →窒素分を植物プランクトンが摂取して増殖
 →植物プランクトンを動物プランクトンが摂取して増殖
 →動物プランクトンが酸素を消費し尽くす
 →酸欠で死んでヘドロになる。
・他にも、水源が下水処理水なので水中の酸素が少ない、河床がコンクリートなので虫や魚が棲みにくいという厳しい条件があってヘドロの増殖を助長する。
・東京湾の海水が遡上してくるので海水に含まれる硫酸イオンが硫化水素の原因物質になってにおいを出して不快感を増す。


 しかし、水中の酸素を多くしてやれば次の原理でヘドロが減る。

・窒素分を植物プランクトンが摂取
 →それを動物プランクトンが摂取
 →普通ならここで酸欠になるところだが人工的に酸素を供給するので魚が生息できてそれを摂取
 →魚を鳥が摂取
 →すなわち食物連鎖が機能する
 →生物が死んで腐敗する前に別の生物の食料として消費できる
 →その過程で魚もウンコをしたりするが、多くは活動するためのエネルギーとして酸化分解されるので総ウンコ量はかなり減量される
 →川底に溜まるヘドロとウンコも少なくて済む。
・そこで③の作業を行うことによってこれを人工的に実現する。

 
 目黒川はわりあいに条件が厳しいので苦労しているが、裏返すとそのような厳しい条件さえなければヘドロは溜まらないともいえる。すなわち、有機物や窒素、リンが多すぎず、海水が混入せず、水中の酸素が多く、魚や虫や鳥が棲める環境があればよい。きれいな川はこの環境があるのでヘドロが溜まらずに済んでいるのであろう。
 この点、さいたま市のドブ川はどうだろうか。

・有機物と窒素については、生下水なのでかなり厳しく、
・目黒川同様、東京湾の干満による水の滞留の問題もあるが、
・海水の硫酸イオンの心配は目黒川ほどシビアではなさそうで、
・河床に関してはヘドロでできた中洲にヨシが生い茂って天然ビオトープを形成しているので、わりと恵まれている、そのようなところかと思う。
 中洲にヨシが茂るなど都心の川では真似のできない風流な芸当である。しかも茂みの中からウシガエルの声がする。ウシガエルは生態系を破壊する外来種だそうなのでこれは何とかしないといけないが、それを差し引いても川の中に緑があると生きている感じがする。

戸田市内ウシガエル中州



(補足)
※嫌気性分解や腐敗という用語を便宜的に用いたが、これらは微生物学的には正確でない。しかし微生物学はこの点に関して実に不親切な説明しかしてくれないので、微生物学の入門書を読んで得た私なりの解釈を記したい。

・生物が生きるためにはエネルギーが必要で、エネルギーを得る方法は3つある。
A光合成(植物が葉を通して光のエネルギーを吸収する)
B呼吸(体外から摂取した物質(酸素や硫酸イオンなど)で、やはり体外から摂取した有機物を酸化してエネルギーを発生させる)
C発酵(有機物(例えば牛乳)を、細菌(例えば乳酸菌)が外部のものを使わずに閉鎖的な環境で分解・反応を完結させてエネルギーを発生させる。その結果別の有機物(例えばヨーグルト)ができる)

・このうち「呼吸」には好気呼吸(B1)嫌気呼吸(B2)の2種類がある。
・酸素を使う呼吸を好気呼吸といい、酸素で有機物を酸化してエネルギーを得る呼吸法である。悪臭は出ない。
・酸素を使わない呼吸を嫌気呼吸といい、酸素の代わりに硫酸イオンなどを使って有機物を酸化してエネルギーを得る呼吸法である。悪臭が出ることが多い。 
・また「発酵」は便宜的に発酵(C1)腐敗(C2)の2種類に分かれる。
・ヨーグルトの発酵など人間に利益をもたらすものをそのまま「発酵」(C1)と呼び、それ以外の発酵は「腐敗」(C2)と呼ぶ。
・しかしながら、発酵(C1)・腐敗(C2)はたいてい酸素のない場所で行われるので、嫌気呼吸(B2)と同じ場所で行われがちで両者の見分けがつきにくい。
・しかも普通の人は微生物学上の観点ではなく、「悪臭が出るか出ないか」という観点から分類するので、B2C2を同類項で括って「腐敗」と呼ぶ。
・また、ミカンが傷んでハエがたかるのは微生物学的には好気呼吸(B1)であるが、普通の人的には「腐敗」となる。
・「腐敗した政治」を「発酵した政治」と言わないのもこの感覚によるものといえる。
・なお、本稿では「嫌気性分解」=嫌気呼吸(B2)発酵(C1)腐敗(C2)ということにしたい。

(参考文献など)
目黒区川の資料館(現在閉館)
バカな研究を嗤うな ~寄生虫博士の90%おかしな人生力 (tanQブックス) 藤田紘一郎 技術評論社 平成24年 風変わりな学者の軽いエッセイだが、やることが無茶苦茶すぎて笑える。
おいしい微生物たち 野尾正昭 集英社 平成10年(腐敗と発酵の歴史について分かりやすく、かつある程度専門的に解説してくれる)
微生物生態工学―環境問題解決の原理と実例 大森俊雄・編著 昭晃堂 平成15年(腐敗と発酵と嫌気呼吸の違いを一番明快に解説してくれたのはこの本であった。)

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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