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35 東急百貨店東横店のトイレ

東急百貨店東横店
(東急百貨店東横店東館は平成25年3月をもって閉館しました。渋谷川の考察に大きなヒントを与えてくださった同館にお礼申し上げます。なお、西館と南館は継続します。)

  * * *

 渋谷駅の東急百貨店東横店の東館が渋谷川の上に建っている、という話はいろいろな書籍やブログで取り上げられている(※1)。
 私もそれらを見て数年前に行ってみたところ、なるほど川の上と思しき部分を足で強く踏むと床下に空洞がある響きがして面白かった。しかしここでギモンが浮かぶ。

 この百貨店の建造は昭和9年で、当時は東横百貨店と言った。鉄筋コンクリートの8階建てで、当時の写真を見ると、遠方からもよく目立ち相当に珍しい建物だったことが分かる。
 ここのトイレはもちろん水洗便所であったことだろう。汲み取り式のボットン便所は2階建てアパートくらいまでは成り立つが、それ以上になるとまず無理である。しかしこの時代、渋谷に下水道はない。デパートの大小便をどのように処理していたのだろうか。
 私は東急東横店東館のトイレに急速に興味を抱き、足繁く通った。すると、この建物のトイレは各階とも階段脇に設置されていることが分かった。トイレのある場所をそのまま地上に降ろすと渋谷川の脇になる。

「トイレが渋谷川に直結していたのであろうか」
 百貨店の8階から勢いよく落下物が渋谷川に突入する図が頭の中に浮かんでしまった。まさかとは思ったが、実際川のそばには公衆便所が多い。江戸の中心の日本橋の袂にも立派な公衆便所がある。これはもちろん川に汚物を放流するためではなくて、汲み取り時代に船で回収していた名残なのだが、川とトイレは近しい関係にある。あやしい。

新並木橋の公衆便所 渋谷川新並木橋脇の公衆便所

「便所の排水処理のために渋谷川の真上という立地を選んだのだろうか」

 百貨店を出店する時、トイレの都合から立地を考える経営者などいないわけであるが、私はドブ川を中心にモノを考える癖が付いてしまっているので東急百貨店通いを続けた。
 しかし床下の配管設備のことなので、店の中を歩くだけでは見えない。しかもこの百貨店の排水は今では下水道に接続されているだろうからなおさら分からない。
 では、ということで渋谷区の郷土資料館で東横百貨店開店当時の地下平面図のコピーを見せてもらった。
 
 この資料は残念なことに字が潰れてよく見えなかったが、ポンプ室が地下にあることが分かった。ポンプ室は排水ではなく給水のためのものであろうけれども、そのような近代設備があるくらいなら、浄化槽というものがついていてもおかしくはない。
 ということで浄化槽が一体いつから日本で使われていたのかを調べると、明治45年に兵庫県の外国人経営の石鹸工場に設置されたのが最初であった。それから東横百貨店ができるまで21年。この歳月は浄化槽という舶来の設備が百貨店の設備として普及するのに十分すぎる年月であっただろう。
 それを裏付けるように、老舗の浄化槽メーカーの社史には昭和8年に大阪ガスビルディング、昭和7年に阪急百貨店、昭和6年に東京の聖路加国際病院の「衛生設備工事」をしたことが記されている。当時の東横百貨店の工事については分からないが、この状況から考えると昭和9年に8階建ての百貨店に浄化槽付きの水洗便所を設置することはわけもないことのように考えられる。
 こうして東横百貨店トイレ問題は一応の解決を見た。しかし当然ながら新たなギモンが発生する。
 
 浄化槽普及以前の水洗便所は一体どのように処理していたのであろうか。
 浄化槽ができたのは明治末期だが日本に外国人が来たのは明治初期。彼らは当然水洗便所の配備を要求する。日本はこれをどのように乗り越えたのか。
 
 水洗便所というものは下水道がなくても成立する。
 かつて私が西アフリカの水道も電話もない村で一泊したときも、水洗便所だけはあった。その水洗便所は和式便器のような形をしていて、用を足したあとにバケツで水を流すと配管を通じて隣の空き地に自然放流・浸透されるというシステムであった。
 でもこれを都市でやると破綻する。とはいうものの明治の初期には近代的なビルはすでにあったわけで、これらのビルについていたであろう水洗便所の排水がどのように処理されていたのかは実にギモンなところである。しかしこれを体系的に調べた資料が例によってなかなかない。そこでいろいろな資料をつなぎ合わせて表を作ってみた。

<日本の水洗便所年表>
江戸末期 横浜の外国人向けのホテルに便壷内蔵の椅子(非水洗)が備えられる。
明治2年ごろ 「土壌浄化装置付き便所」が開発される(これが水洗かどうかは不明)
明治2年 イギリス人技師ブラントン(横浜在住)が「下水道と接続する水洗便所」の必要性を力説する。
明治4年 横浜で汲み取り式の洋風便所が開発される。
明治20年 水洗便所に不可欠な近代水道が横浜に開通する。
明治35年頃まで 外国人の住居といえども汲み取り式であった。
明治35年 水洗便所の輸入が始まる。排水処理方法は次のとおり。
  方法① 汚水溜に溜めて汲み取る。
  方法② 砂利やコークスでろ過して放流。
  方法③ 川沿いにビルを作り、排水管を川まで繋ぎ、その出口に糞便の運搬船を横付けして回収。
  方法④ こっそり川に捨てる(違法)。
明治45年 兵庫県の尼崎で日本初の浄化槽が設置される。
大正3年頃 国産浄化槽が作られ始めて水洗便所設置(水槽便所と呼んだ)の許可を得られるようになってくる。
大正11年 東京の三河島に下水処理場ができて正式に水洗便所設置が可能になる。

三河島水再生センター(旧三河島下水処理場 東京都荒川区) 三河島水再生センター(旧称 三河島下水処理場)


 明治時代を通して、「水洗便所はほしいが処理方法がないために設置できない」というジレンマが続いたことが分かる。これに終わりを告げたのが微生物による好気分解と嫌気分解の原理を利用した浄化槽の発明であった。この原理は現代の単独浄化槽の仕組みとほぼ同じで、その点では画期的な発明といえた。
 結局浄化槽が発明されるまでは外国人といえどもボットン便所に甘んじるしかなかった、そういうことのようである。

 さて、だいたい分かったところで年表を見直すと、最初に登場する外国人向けホテルの便壷内蔵椅子というものが気になる。これはいったいどのようなものであろうか。そのようなものを部屋に置いたらくさくて気持ち悪いのではないだろうか。
 ところが実物を見てみるとこれがなかなか格好いい。
 この椅子はchamber pot(※2)といい、愛知県常滑市のINAXライブミュージアムという博物館に展示されている。イギリス製なのであろう。ホーロー製の小ぶりな便壷を覆うように木製の箱型の椅子があり、座面に便座のような穴が開いている。用を足したら土や消臭剤を撒いてふたをするようになっている。ふたをしてしまうとおしゃれなタンスのようにしか見えない。これは便利なのではないか。真冬の夜中に目が覚めたときに寒いからちょっとこれで……というわけにはいかないだろうが、災害でトイレが使えないときは結構便利な気がする。

(※1)Wikipediaや、東京都都市計画審議会ホームページの資料(pdfファイルの35ページのところ)によると、平成21年5月22日に渋谷川の上流端は、従来の宮益橋(東急東横店のところ)から稲荷橋(246号線のところ)に変更され、250m短縮されたようである。したがって現在は同百貨店は「川の上」にはない。渋谷川に関しては渋谷駅東口の再開発や東横線跡地を利用した水辺空間再生などの動きが報道されており、いろいろ変わりそうである。

(※2)chamberは英語で「部屋」。よってchamber-potは「部屋の瓶」→「室内用し瓶」。chamberはラテン語に由来する言葉らしく、フランス語で部屋はchambre。と辞書にある。
 
(参考文献など)
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
水洗トイレの産業史 -20世紀日本の見えざるイノベーション-』名古屋大学出版会 平成20年
『須賀工業90年史』 須賀工業株式会社 平成4年
『横浜水道関係資料集 一八六二~九七』 横浜開港資料館 昭和62年(同館で販売・閲覧可能))
INAXライブミュージアム(chamber potの展示がある)
レイルウェイライフ こうしてみると不思議な格好をしたデパートである。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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