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39 続・渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか

渋谷川の河口 渋谷川(古川)河口付近
 
 以前、『渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか』という章を書いた。暗渠の下水幹線に転用されるのが当たり前の東京の中小河川で、開渠区間が残されている理由について考えてみたものである。
 
 その章では、開渠区間が残っているのは「大雨の時の雨水排水バイパスとして残す必要があったからではないか」と締めくくった。
 これはこれで今でもそうだと思っているが、この章は推測の部分が多い。私が「そうなるはずだ」と言っているだけでウラを取っていない。
 そこで本当のところはどうなのか確かめてみたいと思い、目黒区川の資料館(現在閉館)に行って尋ねてみた。すると見せていただけたのは『36答申における都市河川廃止までの経緯とその思想』(中村晋一郎・沖大幹 2009年2月)という論文であった。
 
 こんな論文があったとは。
 これは平成20年の土木学会の水工学論文集に掲載され、ウェブサイトでも閲覧できるが今まで読む機会はなかった。しかし36答申という言葉は今まで何回も遭遇し、都内のドブ川にとって重要な意味を持つ文書だということは知っていた。
 昭和36年に出されたから通称36答申(サブロクトウシン)。
 この答申は、オリンピック直前の東京で、河川の汚染対策と下水道整備を急いで進めるために出された。36答申は字面こそ「答申」とソフトだがこれによって「都内のドブ川→下水道に転用」というその後の方向性が決定的なものとなる。要するにドブ川の敵である。
 
 私はこの論文をこわごわ読んでみた。果たして以前の私の推測は正しかったのか?
 採点表は以下のとおりとなった。

  推測①「暗渠化は悪臭から逃れたい住民と下水道を整備したい行政の思惑が一致した結果でろう」→
  推測②「暗渠化された河川は戦後急速に開発された地域の河川で水が汚れやすかったであろう。」→当たり前のことなので言及なし
  推測③「暗渠化された河川は池などの水量豊富な水源がなく、水が汚れやすかったであろう」→(ただしそのことはもともと答申に書いてある) 
  推測④「暗渠化された河川は東京湾に直接注ぐ独立した中小河川だったので暗渠化の決断が素早くできたのであろう」→言及なし
  推測⑤「暗渠化はオリンピック施設と羽田空港に挟まれたエリアが特に選ばれているのではないか」→言及なし
  推測⑥「大雨の時には雨水も下水管に流れて溢れるので、雨水排水バイパスとして開渠区間を残す必要があったのではないか」→
 
 論文のテーマと私の関心にズレがあるのでうまく検証しにくいが、思いもしなかった新発見がいくつかあった。それは推測①③⑥の箇所である。
 
 まず推測①
 私は暗渠化が36答申で編み出された手法のように書いているが、中小河川を下水転用する構想は昭和25年からあったという。しかしそれがなかなか実現しなかったので河川は河川として整備が進んでしまい、下水道サイドとの調整が必要になったそうである。
 「いずれ下水転用する予定の川をそんなにきちんと整備していったいどうするのかね?」ということであろう。 つまり36答申の役割は河川を下水転用する手法を編み出すことではなく、河川の下水転用作戦が頓挫しそうになるのを立て直すことであったといえる。
 
 次に推測③
 これは一見単純そうに見えるが暗渠化の核心を突く理念が隠されていた。論文は36答申の委員会での発言を紹介している。かいつまんで書くとこういう内容である。

  ・水源がない中小河川の流域を下水道整備すれば河川に流れる水はなくなるはずで、
  ・にもかかわらず中小河川が必要だとすれば下水計画に欠点があるということだから、
  ・そのような「河川か下水道かわけの分からぬような存在」は残したくない。
 
 
 なるほど。「河川か下水かあいまいなものは残すべきではない」というのがこの答申の基本思想なのであった。そういうあいまいなものを残すと空堀になった川がごみ捨て場になってしまうであろうという懸念も当時はあったようである。
 論文でも触れられているが、私もこれはこれで当時の精一杯の見識であったと思う。とかくあいまいになりがちな行政が、河川か下水か白黒はっきりさせる決断をしたわけである。
 川からは悪臭がのぼり、その解決策は下水道くらいしかなく、川にごみを捨てる習慣も残っていた時代である。この決断で東京の川の多くが失われたわけだから50年経った現代では正当な見識であったとは言い辛いが、白黒はっきりさせようとした努力は認めざるを得ない。よって私の関心は別のところにある。
 
 「現在正当だと思われている見識が50年後にも正当であり続けるのは相当難しいことなのではないか?」
 例えばダム建設や干潟の干拓や海岸の埋め立ては50年前は間違いなく正しかった。今これを間違っていたと言うのは簡単だが、では現在行われている洪水防止のための巨大な地下貯留槽の建設が50年後も正しいと思われるか。 下水幹線上の人工せせらぎはどうか。これも50年後には「こんなメンテナンスのかかる電動水流を作っちゃって」などと言われているかもしれない。もし間違いだったと気づいた時に修正が利く仕組みがあったらいいのにと思う。
 
 最後に推測⑥
 開渠区間が大雨時の雨水排水バイパスになっているという点は正しかったが、もう一つ要因があったことを知った。
 36答申の委員の発言によれば、下水幹線に転用された川の下流部に開渠区間があるのは、下水処理場の位置と関係があるというのである。例えば渋谷川流域の下水は品川駅近くの芝水処理センターで処理される。だから渋谷川を浜松町の河口まで暗渠の下水幹線にして東京湾岸まで流下させてしまうと、品川まで自然に流れないという問題が出るということのようである。したがって途中の渋谷で分岐させて品川方面に向かわせる。

渋谷川並木橋以北 当初暗渠化されるはずだった渋谷川開渠最上流部
 
 しかし目黒川についてはこれでは説明がつかない。
 目黒川流域の下水は羽田空港近くの森ヶ崎水処理センターで処理される。
 だから目黒川を東品川の河口まで暗渠の下水幹線にして流下させてしまうと東品川から先が困るので中目黒で分岐させて……と思いきや、下水の「目黒川幹線」は河口直前の大崎まで目黒川に寄り添って敷設されている。
 また、神田川についても説明できない。神田川流域の下水は新宿区の神田川沿岸にある落合水処理センターに運ばれる。そうであれば落合水処理センターより上流の神田川は暗渠にして下水幹線にしてしまってもよさそうであるがそうはしていない。
 
 この点については論文では委員発言の引用という形でしか触れられておらず、真相は分からない。
 もしかしたら以前私が推測した「流域が広いほど雨水排水バイパスとしての開渠区間を長く取る必要があった」がそのまま正しいのかもしれないが、この論文を読むと別の考えも出てくる。
「昭和25年の下水道転用構想と36答申の11年のブランクが「河川か下水かあいまいな開渠区間を現状追認の河川として生き残させたのではないか」

 戦後の混乱期直後と、高度成長期前夜では時代が違う。その11年の間にドブ川の性格が変わってしまったとしてもおかしくはない。ドブ川がどのようにして暗渠化を免れたのかの検証は引き続き宿題として取っておこうと思う。


(おすすめ)
ミツカン水の文化センター 第4回里川文化塾『春の小川』をめぐるフィールドワークの報告 
渋谷川を題材に「じゃあ都市河川はどういう形に再生されるのが望ましいの?」ということが討論されている。論文の執筆者のうちの一人と、『春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』の著者が講演しているので、この報告を読むと理解度倍増である。

(参考)
東京都河川図
東京都下水道台帳

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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