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・修正用雑記帳その11(金町浄水場の建設時期関連)

第29章「窒素の問題(後編)」関係

 この章では、金町浄水場が戦後建設されたように書いていたが、この浄水場の完成は大正15年であったことが分かったので修正した。いつもながら間違いだらけで申し訳ないが、面白いのでなぜ間違えたのかを考察してみる。
 
 私が間違いを犯したのは、戦前の水道の発展を見落としていたからであった。
 東京の近代水道は、江戸時代の玉川上水に淀橋浄水場の機能を付加する形で発足するが、すぐに需要に追いつかなくなる。そこで、多摩地区に村山貯水池を設けて多摩川の水を貯めて渇水期をしのぐ、という方向に転換する。
 
 その後関東大震災が起こり、復興に向かうと、東京の市街地は急速に郊外に向かって拡張し始める。
 このとき、拡張した地域で町営や民営の水道がいくつもできる。このうち工業地であった東部を担当したのが江戸川水道である。江戸川から取水して金町浄水場で浄水した。
 
 しかしその後も水道の需要は増加した。多摩地区に山口貯水池を建設するが間に合わない。荒川の利用を検討するが水量が少ないので無理、相模川は水量は多いが遠いので無理、となり、金町浄水場を拡張して江戸川の水を拡大利用しようとするが水質が悪く、取水位置が低地なので配水上不利、ということで見送られる。奥多摩にダムを作る計画もできるがこれも戦争で中断する。
 
 結局戦後にこれらが次々に実現し、水質の悪いはずの江戸川から取水する金町浄水場が特に大拡張する。私の間違いはこの事象だけに着目したことによる。
 金町浄水場の拡張は東京の水不足解消に大いに貢献したが、これは水質の悪さに妥協した案でもあった。だからその短所を克服した先般の金町浄水場の高度処理100%実現は、東京の水道の一つの区切りと言える。

参考 水道の文化史―江戸の水道・東京の水道 堀越正雄 鹿島出版会刊


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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