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42 オレンジと油

   蛇崩川オレンジ (蛇崩川合流点 東京都目黒区)
 
 
 変な色のドブ川は変なにおいがするものだが、例外もある。例えばオレンジ色のドブ川は変なにおいがしない。
 東京都目黒区、東急東横線の中目黒駅近くで、暗渠の蛇崩川が少しだけ顔を出して、開渠の目黒川に注ぎ込んでいる。幅5m、深さ4mほどの大きな開渠だが水量は少なく、コンクリートの川底を水が浅く流れている。この川底が一面オレンジ色になっている。これは一体何であるか。
 
 蛇崩川流域は合流式の下水道が完備しているので、蛇崩川に流れる下水はない。
 ただし雨水用の下水管が接続されているので雨や染み出した水などが少しだけ流れる。これらは水質的にはきれいなはずだから汚染の原因になるようなものは含んでいないはず。この場所は異臭もない。
 
 ではあのオレンジの正体は何か。
 オレンジ色のドブ川は関東の各地で目にする。川の水がオレンジになるのではなく、川底の一部分だけにオレンジ色の藻のようなものがモコモコと広がる。色があまりに鮮やかなのでぎょっとするが、においはしない。

   オレンジのモコモコ モコモコ型オレンジ(千葉県松戸市)


 調べるとこれは鉄酸化細菌の仕業によるもので、こういう順序で生じるようである。

  ①沼沢地の土壌には鉄分が豊富に含まれている
  ②それが水に溶ける。

  ③ところで鉄は、他の元素と結合するための「フック」を2個にしたり、3個にできるという変わった性質を持っている。「フック2個状態」で他の元素(酸素など)と結合している鉄化合物を「第一鉄塩」、「フック3個状態」で結合している鉄化合物を「第二鉄塩」という。
  ④第一鉄塩を酸化すると第二鉄塩に変わる。この時エネルギーが生じる。
  ⑤このエネルギーを利用する細菌、「鉄酸化細菌」が存在する。鉄酸化細菌の仕組みは次のとおり。

  ⑥鉄分の豊富な土壌から浸み出した水の中に溶けている第一鉄塩(酸に溶けた鉄など)をキャッチする。
  ⑦それを酸化してエネルギーを受け取る。それを空気中の二酸化炭素(CO2)から有機物(Cの化合物)を生成するための原動力として使う。
  ⑧できあがった第二鉄塩は不要なので水中に排出するが、化学的に不安定なので排出された途端にすぐにまた分解される。
  ⑨第二鉄の酸化物と水酸化物の混合物である鉄さびを生じる。
  ⑩その結果、鉄酸化細菌の周りには鉄さび(酸化第二鉄)が集積する。これがオレンジの正体である。
 

 鉄が細菌の働きで集められているのであった。
 しかしどこでもよいというのではなく、やはり鉄分を多く含む水のある場所でないとこの細菌は働けない。
 よって、沼沢地など鉄分を含む水が豊富なところに繁殖し、その結果生成される酸化鉄の塊を沼鉄鉱というのだそうである。沼鉄鉱は鉄器時代から中世までの間、純度の高い鉄資源として採掘されていた、と微生物学者の本(※1)に書いてある。沼から鉄が出てくるなんて面白い。
 
 ここでギモンなのは、「なぜ沼の水には鉄分が多く含まれているのか」である。なぜ川の水よりも、地下水よりも、伏流水よりも沼の水に鉄分が多いのか。
 ここのところは微生物学の本には書いていない。
 そこで地学や金属化学の本をあたると、そちらも書かれていない。
 鉄器時代に採掘されていた、ということで古代の製鉄を研究した書籍(※2)を当たるが、こちらにもない。
 微生物学者は「沼鉄鉱が昔採掘されていた」と書いているのに、古代の製鉄を研究している人はこのことをスルーしている。あやしい。

 なぜ古代の製鉄を研究する人は沼鉄鉱をスルーしてしまうのか。
 この疑惑を解くために横浜の馬車道にある神奈川県立歴史博物館に行くことにする。
 この博物館のすばらしいところは付属の資料室の書籍がわりあいに充実していることである。一般に博物館は見栄えのいい展示物を作ることに力を入れるが、深く調べるには資料室が充実していることの方が重要である。
 そのようなわけで沼鉄鉱の問題もここで調べると分かる。理由は二つあった。

 一つ目。沼鉄鉱は製鉄の原料としては不純物が多すぎて、未熟な古代の製鉄方法では対応できなかった。沼鉄鉱は正式には褐鉄鉱といい、700℃くらいの低い温度でも加工できるという長所を持つが、炉の中で崩壊してへばりついてしまうという短所があるという(※3)。したがって、微生物学者が沼鉄鉱を「純度の高い鉄資源」と言っているのは、僭越ながら誤りだと考えられる。

 二つ目は、日本には砂鉄という高品位の製鉄原料がいくらでもあったからである。砂鉄は正式には磁鉄鉱といい、1100℃程度の高温でないと製鉄できないが、鉄の純度が高い。火山の多い地域に多く産出し、したがって日本には砂鉄が多く出る。だから日本の製鉄の歴史の本には、砂鉄で日本刀を鍛造した話(たたら製鉄という)がよく出てくる一方で、沼鉄鉱で製鉄をした話は出てこない。
 では砂鉄を使う前は何から鉄を作っていたかというと、大陸から輸入されたとされている。
 これは考古学の本の弥生時代の項に書いてある。ただしそれしか書いていない。考古学はどうも鉄器の研究が苦手なようで、土器や銅器は熱心に研究するわりに鉄器に関してはかなり及び腰である。なぜかというと鉄器は土器や銅器と違って錆びて消えてしまうからということのようである。
 
 では大陸の人はどうやって鉄の原料を入手していたのか。
 まずは隕石なのだそうである。隕石には鉄が8割程度を占める鉄の塊のような種類もあり、これを使うと簡単に製鉄できる。
 そのような都合のいい石があるものか、と思うが、これは神奈川県の小田原にある「生命の星・地球博物館」というところに展示されている。この博物館は先ほどの歴史博物館とワンセットになっていて、人文科学系を歴史博物館で、自然科学系をこちらで受け持っている。
 
 隕石は黒光りしていて重さは2.5トン。含有物はほとんど鉄とニッケルであるという。興味深いことにこの組成は地球の組成と似ている。地球の内部もほとんど鉄とニッケルである。地表は炭素や珪素などの軽い化合物だが、内部はドロドロに溶けた鉄である。
 このように地球は重いので、メタンでできた土星のように太陽系の遠くまで飛ばされることもなく、金星と火星の間のベストポジションにとどまり、温暖な生命の星となった。うまくまとまった。

 ただし隕石には2つの短所がある。すなわち
   ①たまにしか降ってこない
   ②いつどこに降るか分からない

ということであり、これをあてにしていては製鉄はできない。

 そこで古代の人が次に使ったのは鉄鉱石であった。鉄鉱石は、次のようなプロセスで生成される。
  地球に分子状の酸素が少なかった時代には鉄は水の中に溶けていた
  植物が登場して二酸化炭素から酸素が生成される
  分子状の酸素が増える
  酸素と水中の鉄が結合して酸化鉄になる
  海底に沈殿する
  固まる
  海底が隆起する
  鉄鉱石として発掘される。

 酸化鉄である鉄鉱石を使って製鉄するには、酸化鉄(Fe)から酸素(O)を取り除いてただの鉄(Fe)にすればよい。
 そこで、木炭や石炭で一酸化炭素(CO)を発生させ、酸化鉄(Fe)の酸素(O)と結合させて二酸化炭素(CO)にして飛ばす。すると後には鉄(Fe)が残る。この原理は今も使われている。
 しかしながらその製法ゆえに現代の製鉄業は二酸化炭素を大量排出する産業となり、地球温暖化対策では厳しい立場に立たされる。なるほど。(※4)

 しかしそれは話としては面白いが、肝心の沼の鉄分のギモンが解けていない。仕方ないので沼に行くことにする。
 行き先は埼玉県蓮田市の上沼である。関東地方の場合、利根川や荒川沿いの水田地帯に行くと沼はいくらでもある。蓮田市に行ったのは市の名前がいかにも沼っぽくて期待できるからである。こんなことを書くと妙な名前の市名に改称されそうだが、地形を反映する地名を維持できるのはその地域の文化の表れだと私は思っている。

   上沼 上沼(埼玉県蓮田市)

 上沼は水田地帯の中で保全された灌漑用の沼で、分かったことは、
  ・岸辺はぬかるみで、
  ・水辺には葦が密生しつつ、それが枯れて倒れてぐちゃぐちゃになっていて、
  ・水は濁り気味で、
  ・泥は黒く、においはせず、
  ・泥がオレンジの場所は見当たらない、


であった。オレンジの泥がないのであれば鉄酸化細菌は沼の鉄分の多さには関与していない。
 では何が沼に鉄分を呼んでいるのか。
 沼から帰ってもう一回微生物学の本を読んで、得た結論は次のとおり。

  ①関東の土壌は火山灰の影響で鉄分がもともと多い(※5)。鉄は地球を構成する主要な元素であるから、火山のマグマとして地球の奥深くから噴出されれば鉄も大量に出る。
  ②鉄はイオンの形で水にも容易に溶ける。
  ③その水が沼に流れてくる。
  
  ④沼は川に比べて水が滞留しやすく、植物が密生しやすい。
  ⑤密生した植物が枯れて腐敗して厚い泥を形成する。
  ⑥泥の中は嫌気性細菌が繁殖する。これが黒い泥である。
  
  ⑦嫌気性細菌の中には鉄還元細菌という細菌があり、これが水中にイオンの形で含まれる鉄分を引きずり出してくる(キレート化)。キレート化には酸が必要であるが、沼の中は有機物の腐敗で生じる酢酸や乳酸が豊富なので問題ない(※6)。
  ⑧このとき、鉄は第一鉄塩の形で引きずり出される。
  ⑨この第一鉄塩を含んだ酸性の水が外に流れ出す。
  
  ⑩流れ出た先に石灰石を含んだもの(コンクリートなど)があると中和されて中性になる。
  ⑪そういうところに鉄酸化細菌が待ち受けていて、第一鉄塩を第二鉄塩に酸化してエネルギーを得る。
  ⑫鉄酸化細菌が沼の中に入らずに外で待ち受けるのは、この細菌は二酸化炭素を得られる環境、すなわち好気的な環境でないと生きられないことと、酸が豊富な環境中では生きられないからである。
  
  ⑬このような仕組みがあるものの、沼は総体的にはいろいろな物質を溜め込んでしまう場所であり、鉄分もあまり流れ出ずに沼の中に溜まっていく。
  ⑭つまり、沼に鉄を溜め込んでいるのは鉄酸化細菌ではなく鉄還元細菌で、それを可能にしているのは酸欠気味の沼の泥である。


 このストーリーが正しいとすると、オレンジ色が出ているところは昔沼沢地だったところ、ということになる。 確かにオレンジ色が出ている場所はそういうところが多い。住宅地になっていても、水田を埋め立てたと思しき住宅地の水路にはオレンジが多い。松戸や浦和の住宅地でも見かけるし、世田谷区の奥沢のような古い住宅地でも見る。中目黒もかなり都市化されているが、本質的にはそうなのだろう。
 
 オレンジは解明したが、もう一つ分からない現象がある。それはドブ川に浮かぶ油膜である。澱んだドブ川の隅には時々油のようなものが浮いて光っている。水田にもよく浮いている。私は昔、田植えの手伝いをしたとき、「トラクターの油をこぼしちゃったか」と思っていたのであるが、これも鉄酸化細菌の仕業なのだそうである。

油膜状のもの 植物の生い茂った水路の「油膜」。その下にオレンジ。(茨城県土浦市)

 鉄酸化細菌が第一鉄塩を第二鉄塩に酸化するとき、鉄の酸化皮膜が生成される。これが水面に浮かんで油膜のように見えるが、油ではないので心配ない、とこれもいろいろなウェブサイトに書いてある。
 心配ないのは分かったが、ではいったいこれは何なのか。
 福岡県のホームページの論文(※7)によると、これは鉄が浮遊物質の形で存在しているものだという。水に浮かんでいるときは白く見えるが採取してよく見ると褐色で、再度水に入れると沈む。成分としてはやはり油(ノルマルヘキサン)ではなく、鉄の含有率が高いということであった。
 この論文ではそれ以上のことを書いていないが、現物を観察すると「油膜」の部分が鉄酸化細菌の本体で、その産出物がオレンジであるように見える。鉄酸化細菌は二酸化炭素を必要とするので油膜のように空気に触れ続ける必要があると思われるからである。
 この「油膜」は水田の土壌に微量に含まれる砒素が稲に吸収されるのを防ぐバリアの役割もしているという(※8)。砒素を吸着できるということは他の金属も吸着できるかもしれない。興味深いことである。



<参考にした書籍・論文> 
※1 スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち ジョン・ポストゲート シュプリンガー・フェアラーク東京 1995年8月
ドブ川解明のバイブル。

※2 鉄の文明史 窪田蔵郎 雄山閣出版 1991年7月 
 他の書籍でも沼鉄鉱のことはほとんど触れられていない。

※3  生業・生産と技術 (日本考古学論集) 斉藤忠 編 (株)吉川弘文館 昭和61年

※4 The CLIMATE EDGE((公財)地球環境戦略研究機関 気候変動グループのニュースレター) 
 これによれば、2010年に鉄鋼産業が出したCO2は電力消費などの間接排出を含めると、1990年の日本の温室効果ガスの約13%分に相当する。結構多い。このデータは「原発に依存せずに2030年の温室効果ガス排出量を1990年比29.6%削減する」ためのシミュレーションの中で出てくるもので、このシミュレーション自体も興味深い。

※5 東京の自然史 (講談社学術文庫) 貝塚爽平 講談社 2011年11月 
 埃っぽい関東ローム層のおかげで東京では靴が汚れやすく、大阪に比べて靴磨き屋が多い、という話や、洗濯屋も多いのではないかという考察が面白い。私が持っているのは紀伊国屋書店版(1979年3月)だが、名著のため文庫で復刊されたようである。

※6 微生物を探る (新潮選書)  服部 勉 新潮選書 1998年1月 
平凡なタイトルだが、微生物が発見されてきた経緯を幅広く、それなりに詳しくバランスよく説明した好著である。

※7 福岡県保健環境研究所年報第39号

※8 「水田土壌とイネの根周辺のヒ素の化学形態」(独)農業環境技術研究所 山口紀子


<参考にした施設>
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の弥生時代のコーナー 
 展示物の充実度はさすがである。

神奈川県立歴史博物館
 横浜の馬車道から山下公園にかけては開港資料館や都市発展記念館など、歴史関係の施設が充実していて地味に便利である。

神奈川県立生命の星・地球博物館
 この博物館は箱根への入り口にあるが、箱根自体が火山や地質的変化に富んだ博物館のような場所である。近年これが「箱根ジオパーク」として認定されて観光PRされているが、私にとってもさまざまな泉質の温泉や、そこに生息する微生物、硫化水素や科学博物館までそろった便利なラボであり、「箱根ドブパーク」として重宝している。


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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