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44 夏のドブ川(後編)

  ベギアトア型ドブ川(クリックすると拡大します) ベギアトアのいるドブ(クリックすると拡大します)

第43章 夏のドブ川(前編)からつづく)

 5月の連休が過ぎ、暦の上では立夏の頃、ドブ川はにおい始める。
 側溝の集水桝からにおいが湧き上がることも多くなる。
 そのようなドブ川の底には、たいていベギアトアが広がっている。
 
 ベギアトアは汚れたドブ川の川底に繁殖する白い膜のような細菌で、冬でも生息しているけれども、やはり夏になると盛大に繁殖する。時にはレースのカーテンのように、時にはだらしなく伸びたガムのように。この細菌はヘドロから発生する硫化水素をエネルギー源として生きている。
 硫化水素を酸素で酸化する時、エネルギーが発生する。ベギアトアはこのエネルギーを使って水中の有機物を消化し、体を成長させていく。つまりベギアトアは、くさくて有害な硫化水素を消費してくれていて、その結果、硫化水素が陸上動物の世界に漏れ出さないようにバリアを張る役割を果たしている。このように生態系は絶妙な調和を保っている。

 と、以前第16章(「川底のベギアトア」)で絶賛したのであったが、よく考えるとこれはおかしい。
 なぜならばそのような絶妙な細菌がいるのに、ドブ川からは硫化水素のにおいが漂っているからである。硫化水素のにおいが漂ってしまうというのは、ベギアトアが硫化水素をしっかりキャッチできていないということではないのか。ベギアトアは実のところへっぽこキャッチャーであり、生態系はそれほど絶妙ではないのではないか。

  まだら模様のベギアトア 分布にムラのあるベギアトア(クリックすると拡大します)


 この疑惑(勝手に持ち上げて勝手に疑っている気もするが)を解くためにロシアの学者の力を借りることにする(※1、2)。
 ロシアの微生物学者にヴィノグラドスキーという人がいた。この学者はベギアトアを熱心に研究したという奇特な学者で、したがって彼の研究成果は私のドブ川探索に多いに役立っている。個人的に「近代ドブ川研究の父」と呼びたいくらい感謝している。

 ベギアトアの研究者であったヴィノグラドスキーは最初、「この細菌は二酸化炭素から有機物を合成できる生物ではないか」と考えた。硫化水素を含んだ純粋な水をベギアトアに流し続ける実験をしたら、ベギアトアは生き続けることができたからである。

 純粋な水には有機物、つまり炭素を含んだ化合物は含まれていない。しかしベギアトアの細胞は有機物でできている。
 ではベギアトアは生存に必要な有機物をどこから得ているのか。彼は次のような仮説を立てた。
 「植物が太陽のエネルギーを用いて二酸化炭素から有機物を合成するように、ベギアトアは硫黄のエネルギーを用いて二酸化炭素から有機物を合成しているのではないか」

 しかしこの仮説は間違っていたということが後年判明する。
 ベギアトアはとてもわずかな有機物だけで生きられるという特技を持っていて、実験用の「純粋な水」にさえ含まれるほんのわずかな有機物を捕らえていたのだそうである。

 硫化水素(2H2S)+酸素(O) → 硫黄(2S)+水(2HO)+熱(エネルギー)
  ・硫黄(2S)は、さらに酸化されて硫酸(HSO)になる。
  ・熱(エネルギー)は、水中の有機物の消化(分解)のために使われる。

 
 ベギアトアは上の反応式の結果、硫酸を生成するが、この反応は非常にゆっくりで、生成する硫酸の量もごくわずかであるという。であれば、必要とする酸素も硫化水素もごくわずかであろう。
 
この話を読んで私は次のように思った。

 ・ベギアトアが必要とする酸素も硫化水素も、おそらくごくわずかな量であろう。
 ・つまりベギアトアはドブ川の中の「資源」をほんの一部しか利用していない。
 ・したがってベギアトアはやる気になればもっと繁茂できるのではないか。
 ・しかしベギアトアは植物のように垂直に伸びることができず、ヘドロの表面に水平に広がることしかできない ので、狭いドブ川では「原料は豊富だが生産ラインはもういっぱい」状態になり、硫化水素の取りこぼしが多量に生じて空気中に放散されることになるのではないか。

 
 もったいない。
 ベギアトアはベール状のコロニーをウエハース状に多層構造にするとか、ウニのように放射状に伸びるとか、もっと頭を使うべきである。
 
 しかしそれは私が、大量の有機物を大量の酸素で酸化するという過激な仕組みを持ったヒトという生物だからそう思うだけで、ベギアトアにとっては何か理由があるのかもしれない。
 私はドブ川のベギアトアになったつもりで考えた。なぜベギアトアは硫化水素を全部使い切らないのか?
 
 もしも硫化水素を効率よく全部使い切ってしまえば、ベギアトアの上部には硫化水素のない世界が展開する。
 硫化水素は酸素で呼吸する好気性の生物にとっては有害だから、それがなくなれば好気性の生物の侵入を許すことになる。

  硫化水素の多い川 硫化水素の多そうな川(神奈川県箱根町)

 酸素呼吸は、ベギアトアが使っている硫化水素酸化方式よりはるかにエネルギー効率がいいから、ベギアトアは好気性生物に太刀打ちできない。そこでベギアトアは考えた。
 「まわりに硫化水素を漂わせて『やつら』を追っ払ってしまえ」

 ベキアトアが取りこぼす硫化水素は、好気性生物を近づけないための緩衝地帯として機能しているのではないか。どうもそんな気がしてきた。
 ベギアトア自体、硫化水素を発する嫌気性細菌の巣-つまりヘドロ-の外縁に位置する緩衝地帯の役割を果たしているが、ベギアトアも生活がかかっている以上、「緩衝地帯を守る緩衝地帯」というものが必要なのかもしれない。奥深いことである。
 と思いつつ、ベギアトアを眺めていると、何匹もの小さな魚がその上を泳いでいる。
 
 ドブ川の生態系は私の思考を超えた構造であるらしい。 


<参考にした書籍> 
※1 スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち ジョン・ポストゲート シュプリンガー・フェアラーク東京 1995年8月 
もちろんヴィノグラドスキーの研究も解説してくれる。

※2 微生物を探る (新潮選書)  服部 勉 新潮選書 1998年1月 
ヴィノグラドスキーだけでなく、その後新種の微生物を発見した研究者のことも網羅している。


 <目次にもどる>

コメント

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Re: No title

ベニマムシ様、コメントありがとうございます。
「ドブに関する深い考察」。ここ何度も読み返してしまいました。私もそこのところを追求しているところであり、大変励みになりました。
ベギアトアはおそらく下水処理場の技術者には知られているのだとは思いますが、こんなに汚らしい生物はあまり生物学者の研究対象になることもなく、情報も少なく、そこがまた面白いところだと思います。
ベニマムシ様も、ベギアトアを観察してお気づきの点がありましたらまたコメントいただけるとうれしいです。

No title

べギアトアという生物初めて知りました。あの白いゆらゆらはずっと気になっていましたのですっきりしました。またベギアトアという生物に関する考察はとても哲学的ですばらしいですね。このようなドブに関する深い考察と観察があるサイトを探していました。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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