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53 眠れる森の下水管(前編)

 恵比寿三丁目の長い坂  恵比寿3丁目の長い坂(上部は首都高速)

 春の夜であった。
 私は東京都港区の地下鉄白金台駅から、渋谷区の恵比寿ガーデンプレイスに向かって歩いていた。
 地図によれば、駅から外苑西通りを北に向かって歩き、首都高速目黒線の高架に突き当たったらそれをくぐって恵比寿の住宅街を西に突き進むと恵比寿ガーデンプレイスに着くはずであった。
 
 白金台からの外苑西通りは緩い下り坂である。しかし首都高速目黒線の下をくぐって住宅街に入ると、一転して長い上り坂が始まった。ケーブルカーのように細くまっすぐぐんぐん上る。結構きつい勾配である。

「してみると……」
 坂を上りながら思った。
 首都高速が通っているあたりは谷ということになり、つまり川が流れているということになる。

白金台付近の地形図
    国土地理院電子地形図「東京西南部」より抜粋・加筆。旧白金御料地の場所は現在の自然教育園。


 都心なので川が流れていても暗渠の下水幹線に化けてしまったであろうから、ここに川面は見えないが、坂の長さと急峻さを見ると、ここにはそれなりの規模の川が流れていたと考えられた。
 この近辺で川というと渋谷川(※)であるが、渋谷川はここから500m北方の天現寺橋付近をかすめて通っているだけなので、この谷とは関係がない。
 ではここを流れていた川は何川か。

 家に帰って調べると、この川は渋谷川に注ぐ一支流であるらしかった。
 『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』という書籍では「三田用水白金分水」という仮称がついている。(こちらでも詳解している。東京peeling!「三田用水と白金村分水」lotus62さん)

 源流はJR山手線の目黒駅と恵比寿駅の間あたり、もともとは渋谷川と目黒川の尾根を走る三田用水という用水路からも補水していたとされるが、今では暗渠にされてしまって姿は見えない。
 このように暗渠化された川は都心に数多い。都市化の中で下水幹線に転用され、上部は遊歩道やただの道路になっていく。
 
 しかしこの川はちょっと違う。
 なぜなら白金分水の谷に寄り添うように、自然教育園という広大な敷地があるからである。
 ここは、上野の国立科学博物館の付属施設で、面積は20ヘクタール、都心にありながらうっそうとした森林や湿地が保全されている。上野の本館で展示できない自然の植物をここで担当しているようである。
 
 ここには小川が何本か流れており、それらは「白金分水」に合流する。
 すると「白金分水」水系の自然河川は完全に失われたわけではなく、一部が自然教育園の中に保存されていることになる。自然教育園の大きさから推測するにその川は都心最長級の自然河川といえそうである。
 私はこの川に俄然興味を覚えた。
 
 数日後に同園を訪れると、深い森の中に自然の池や湿地が広がり、ここが東京都港区だとはとても思えない。
 すぐ脇を首都高速が走っているが、うまく覆い隠されている。園内は3本の谷戸が走り、水は谷戸の奥から流れ出し、園内の池に注いで湿地帯を流れ、園外に出ているようであった。

 「ここから湧き出て流れ出た水が湿地を潤し、やがて渋谷川に注ぐのです」
 園路ですれ違った観察ツアーのガイドの説明が聞こえる。なるほど確かにそうだなあ。
 ここで湧いて小川を流れた水は、「白金分水」に合流するが、最終的には渋谷川に流れ込む。渋谷川は下水処理水を注水することで流れを保っているので、同園からの水は貴重な天然水源ということになる。
 このような緑地があれば、大雨が降っても何%かの水は地中に保留できるし、晴れた時に渋谷川に注いで水質を改善することもできる。
 そんなことを思いつつベンチに腰を下ろすと、モヤモヤしたギモンが湧いてきた。
 
 「自然教育園から出た水は本当に渋谷川に注いでいるのか?」
 
 自然教育園から水が流れ出しても、外は密集住宅地である。
 かつての川は下水幹線に化けてしまっているからそこに流すしかない。道路側溝のような所に流すのだとしても、このあたりの下水道は合流式だからやはり下水幹線に行き着いてしまう。
 雨水専用管が増設されているエリアだと無事に渋谷川に誘導されるが、残念ながらこのエリアにはないので下水処理場に直行である。
 
 もったいない。
 気になってきたので、自然教育園の水の行方を調べることにした。本当にそういう残念なことになっているのか?
 
 自然教育園の水は、自噴する湧水だけでは賄えないので11~14%程度の水を地下水揚水で、さらに5~18%程度の水をポンプで循環させている。
 割合が変動するのは降雨が多い年と少ない年があるからであるが、概ね3割程度が人工の手が入った水と言える。
 この園は西側を高速道路、南側を目黒通りに挟まれ、その地下には地下鉄が水源の源頭である目黒駅に向かって貫通しており、これらの区域には雨の浸み込む地面はあまりない。この不利な状況を鑑みると、7割の水を自噴の湧水で賄えているのは優秀といえる。
 
 同園の水は下流の湿地と池に集まり、一部はポンプで上流に還流させるが、余水は園外に流れる。
 同園の調査報告によれば、余水は昭和58年頃までは地中に埋設されたマツ材の木製暗渠で排水していたが、これが崩壊したので新たに排水溝を掘削した、とある。
 ただし残念なことにその排水先は明らかにされていない。そこが知りたい。
 
 そこで自然教育園を出て北側に回り込んで、自然教育園の余水が出てくると思しき場所に行ってみる。すると「日東坂下遊び場」という児童遊園があり、その脇に「東京下水道 合流」と刻印されたマンホールがあった。

 「遊び場」は南側を自然教育園の壁、北側を細い区道に遮られているが、区道の向こうにも長細い植栽スペースが30mほど続き、首都高速の高架下の道路に突き当たって終わっている。この一見不思議なスペースがかつての川跡で、その地下の下水管を余水が流れるのか?と思われたが、これと直交する形で川跡らしき曲がりくねった路地があり、どうもよくわからない地形である。ギモンを解きに行ったのに余計なギモンが増えてしまった。

日東坂下遊び場 謎の植栽スペース
(左)手前が日東坂下遊び場、奥が自然教育園         (右)手前が謎の植栽スペース、奥に日東坂下遊び場と自然教育園

 仕方がないので家に帰って、再度東京都の下水道台帳を確認してみる。すると予想外のものを見つけた。
 自然教育園の森と湿地と沼の地下を貫通する下水管が描かれている。
 内径90cmの鉄筋コンクリート管で、南の目黒通りから自然教育園を南北に貫通して「遊び場」地下の下水管に繋がっている。あのうっそうとした森とヨシの生い茂った湿地の下に下水管が通っている。これは意外なことであった。

下水管ルート図自然教育園と下水管ルート(自然教育園の案内看板画像に加筆)

 下水管というものは長細い溝を掘って中に砂利を敷いて管を埋めて土をかぶせてしまえばできてしまうのであって、そこに後から木が生い茂ったりヨシが生えてしまえば「深い森の中の下水管」や「広大な湿原の中の下水管」はできる。それはそうなのであるが、この下水管にはどうしても不可解な点がある。

 それは、この下水管は公道の下に設置されていないということである。
 下水管は原則として公道の下に埋設される、というルールがあることを、以前公共溝渠のことを調べていたときに知った。
 たしかに私有地に埋設してしまうと、下水管が壊れて工事する時に所有者に断りを入れなければならないから不都合である。国公立の学校や公園の敷地ならそういう問題は軽減されるかもしれないが、例えば東京大学でも上野公園でも新宿御苑でもこのルールは守られていて、三四郎池や不忍池や玉藻池の地下に公共下水道はない。
 
 しかるに自然教育園では、そのど真ん中を、しかも中核施設とでも言うべき湿地帯を貫通している。通っている下水管は目黒駅東側エリアの下水を芝浦水再生センター方面に流すという重責を担っているが、下水道台帳図上では埋設場所の深さ、勾配、標高全て不明となっている。
 これはどういうことか。そこで別の方面から調べることにした。
 
 参照した資料は『自然教育園50年の歩み』という記念誌である。
 自然教育園は室町時代は豪族の屋敷、江戸時代は武家屋敷、明治時代は海軍弾薬庫、大正昭和は帝室御料地という、比較的開発圧力の小さい土地利用だったために自然の生態や地形が比較的温存され、これが戦後に注目されて当時の片山内閣が自然観察の場として保全することを閣議決定したという。

 しかしその後が大変であった。戦災復興や人口増、オリンピック、道路建設に地下鉄建設と、迫り来る開発圧力が戦前の比でない。ここに何かヒントが隠されていないだろうか。
 
 本書をひも解くと、この自然を守るのにはいろいろな困難があったことが分かる。
 保全決定後からしてがまずひと悶着である。文部省所管の自然「教育」園にしようとしたら、厚生省が「これは国民公園なのだから厚生省に引き渡せ」と言い、建設省が「これは都市公園であるから建設省に引き渡すべし」という。この時は世論が文部省案を推し、管理していた大蔵省もその方向で処理したために自然が保たれた。
 
 しかし文部省が管理したから安心かというとそんなことはなく、園内に食い込むように立地している朝香宮御用邸跡(今の庭園美術館の場所)を不動産会社が買い取ってホテルを建設しようとしたとか、外苑西通りの拡幅計画とか、恵比寿ガーデンプレイスの開発で地下水が枯渇しそうになるとか、正門前の目黒通りが拡幅されて園地が削り取られるとか、その下に地下鉄南北線が建設されるなどピンチは次々に襲ってくる。
 同園はそのたびに対策を迫られた。
 例えば地下鉄白金台駅のホームが地下深くにあって階段がホームの両端にしかないのは、地下水脈の分断を最小限に抑えようとした結果である。
 
 しかし同園の歴史を振り返ると最大の危機は、設置当初に持ち上がった首都高速目黒線の建設といえた。
 首都高速目黒線は、西五反田付近から白金、天現寺を経由して都心環状線に接続する高速道路で、その計画は昭和25年に公示され、昭和42年に開通した。
 現在自然教育園の西側をぐるりと囲んでいるが、囲んでいるというよりは削り取ったと言うほうが正しく、おかげで同園は外周部の森を0.69ヘクタール喪失し、一部の土地が分断されて飛び地になった。
 高速道路の直下には一般道路の補助17号線がトンネル形式で併設され、これらが発する騒音や排気ガスや夜間照明が、自然教育園の生態系にかなりのダメージを与えたことは想像に難くない。
 
 首都高速2号目黒線と飛び地
 
  首都高速(左)に分断された自然教育園の飛び地(右)。本園は青帯の壁の向こうの道路のそのまた向こうにある


 しかしこれでもましな結果なのであった。
 なんと昭和25年に公示された建設ルートは、現ルートとは違って園内のど真ん中、湿地帯と小川と沼をつぶして通す計画になっていた。
 これが実現すると同園は二つに分断され、水辺のほとんどが失われる。この計画は東京オリンピック開催を視野に入れて策定されたもののようであるが、前年に自然教育園が「豊かな自然を国民に提供しよう」というコンセプトで開園したことを念頭に置くと、あり得ないルート選定である。
 当時の報道によれば都市計画を所管する東京都が配慮を怠っていた、というような事情があったようであるが、この計画には反対運動が巻き起こり、妥協案として昭和34年に現ルートに変更された。
 
 さて、この変更前の「ど真ん中ルート」をよく見ると面白いことが分かる。
 ルートを北に向かってなぞると、件の「遊び場」謎の植栽スペースの上を通り、首都高速目黒線のルートに合流する。しかもこのルートだと首都高速はカーブが少ない理想的な線形になる。

 ギモンが解けてきた。
 どうやらこのスペースはど真ん中ルートで開通させるべく自然教育園境界手前まで確保していた道路用地が、その後のルート変更で盲腸のように残ってしまい、「遊び場」として利用しているもののようである。道路用地であるものを暫定的に利用しているので「公園」とは呼ばずに「遊び場」なのであろう。

 これを念頭にもう一回下水道台帳図を見る。
 すると「ど真ん中ルート」は下水管の敷設ルートにぴったり重なる。なるほど。この下水管は将来の道路建設とセットになっていたのであるか。
 ルート変更で道路は建設されなかったが、地下の下水管だけは先に作ってしまったのであろう……妙な工事の仕方であるが、そのように私は推測した。

 さてしかし、このルートは昭和25年に決定されたものではなかった。
 昭和2年の『大東京都市計画道路網図』という地図にこの「ど真ん中ルート」の計画線が引かれている。この計画は関東大震災後に東京の市街地が山の手方面に膨張していったことに伴って策定されたものであるという。

 この時代背景を考慮に入れると、ど真ん中ルートの自然破壊的な発想はさほど不自然ではない。
 当時は小川の流れる谷戸など珍しくもなかったであろうし、震災対策のためには自然よりも広い道路を欲したに違いない。
 現代人が郊外の山林を貫通するバイパス道路を作るような感覚に近いかもしれない。 

 ど真ん中ルートの起源がここまで古い都市計画にあるのだとすると、いかに自然教育園内とはいえ、これはれっきとした「未来の道路予定地」である。しかも建造物は何もなくて所有者は行政機関である。そのような場所に先行して下水管を敷いておくことに何の不都合があろうか。そこで昭和初期から34年の計画変更までのある時期に敷設されてしまったのではないか。そうに違いない!

 この仮説の真偽を確かめるには下水管の敷設年を調べればよい。
 敷設年と図面は東京都庁の下水道台帳閲覧室で公開している。結果は次のとおり。

 A 目黒駅東側から自然教育園を通って同園北端付近まで: 昭和42年。ただし詳細図なし。
 B 同園北端から「遊び場」と謎の植栽を通って下水道白金幹線まで: 敷設年不明。詳細図なし。
 C 下水道白金幹線: 昭和2年 詳細図あり。

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 国土地理院電子地形図「東京西南部」より抜粋・加筆。旧白金御料地の場所が自然教育園、旧朝香宮邸が庭園美術館。


 なんと仮説ははずれであった。
 同園内のA下水管の敷設は昭和42年。昭和34年の計画変更で同園内に公道が通らないことが決定して8年も経ってから敷設している。
 公道になる見込みがなくなった場所に、しかも森と湿地の地下にあえて下水管を新設する……
 どうも理由が分からない。謎解きは振り出しに戻ってしまった。   (「54 眠れる森の下水管(後編)」につづく)


※「渋谷川」は上流部の呼称で、下流部は「古川」と称し、この付近は両者の境にあたるが、文中では渋谷川に統一する。


(参考文献)
地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』 本田創 編著 洋泉社 平成24年
『自然教育園 50年の歩み』 国立科学博物館附属自然教育園 平成11年(東京都立中央図書館で閲覧可能)
大都会に息づく照葉樹の森―自然教育園の生物多様性と環境 (国立科学博物館叢書) 東海大学出版会 平成25年
『東京地下鉄道南北線建設誌』 帝都高速度交通営団 平成14年(東京都立中央図書館で閲覧可能)

(参考にしたウェブサイト)
東京peeling!「三田用水と白金村分水」 lotus62さん
国立科学博物館付属自然教育園のサイト 同園までは源頭の目黒駅から地下水脈のルートをたどって徒歩7分。
『自然教育園(旧白金御料地)外周土塁の調査』 岡本東三(自然教育園報告15,33-42,1984-03に収録)
大東京都市計画道路網図(昭和2年)(品川区長期基本計画(改訂版)に一部収録)
東京都下水道局下水道台帳


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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

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