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54 眠れる森の下水管(後編)

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 国土地理院電子地形図「東京西南部」より抜粋・加筆

  (「53 眠れる森の下水管(前編)からつづく)

 ただし、手掛かりがないわけでもない。
 まず。敷設年不明、ということは東京都下水道局でない者が設置した可能性がある。
 都心の下水道は戦災を経ているので詳細図がないくらいは仕方ないが、いくらなんでも自分で作っておいて敷設年まで分からないとは考えにくい。
 この位置から察するに、帝室御料地時代に排水施設として敷設されたものではないかという推測が出てくる。
 何の排水かというと、一つは同園内の池の余水である。この時に池の余水は下水管への流入が確定付けられたのではないか。
 
 もう一つは上流の邸宅の排水である。
 同園の南側、つまり上流端には東京都の庭園美術館が食い込むようにして立地しているが、同館は旧宮家の朝香宮邸をそのまま保存・公開しているものである。
 なぜこのように大切に保存されているかというと、この邸宅がかつてフランスで流行したアール・デコ様式を取り入れた珍しい建築だからである。着工は昭和6年で竣工が同8年。しかも貴重なことに当時の姿で現存している。
 ということであるが、実は私はアール・デコなるものが何なのかを知らない。
 全く恥ずかしい話であるが、では、ということで建築の書物を調べても、なんとこの用語の定義が判然としない。アール・デコという用語は、世に喧伝されているわりには理解の難しい概念のようである。そこでいつものように分解してみる。
 
 「アール」は、フランス語のartで「芸術」「美術」
 「デコ」は、フランス語のdecoratifの略語「deco」で「装飾」
 
 合わせると「装飾美術」。何のことだか分からない。装飾美術だったら和室の欄間も装飾美術である。
 そこでさらに調べると、この用語は1925年(大正14年)にパリで開催された"Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernes"という博覧会の名称に由来しているという。
 直訳すると「装飾美術と現代工業美術に関する国際博覧会」。
 
 装飾に用いられる芸術に、工業的な手法を用いることを追及したイベント名と推測され、要するに「工業的装飾美術」である。産業革命の成果が徐々に欧州に浸透し、装飾分野にまで及ぼうとした時代を想像させる。
 私ごときが簡単に論じてはいけない気もするが、「アール・デコ」という洒落た用語の裏には、迫り来る工業化がもたらすコストカットと美術デザインの折り合いを付けなければならなかった切実さが潜んでいると見た。

  地下鉄入口看板
     私の中でのアール・デコのイメージ(パリ市5区)。原色使いと地下鉄を記号化しようとする意匠がアール・デコっぽい(と言ってみる)。
 


 そうであれば、ここで次のようなことが言えると思う。

 「アール・デコに汲み取り便所は似合わない」

 欧州近代工業の産物であるアール・デコ建築に日本式農業の産物である汲み取り便所を組み合わせるのはまずい。ということで、この朝香宮邸の邸宅の便所はバスルームと一体化した水洗式の洋式便所である。
 昭和6年というと水洗便所が東京や大阪のデパートで使用され始めた頃であったから、技術的に十分設置可能である。
 
 ここで昭和2年に開通した下水道白金幹線が俄然意味を持ってくる。この下水幹線は同園北側の白金地区を通っている。
 これを引き受ける芝浦下水処理場(現芝浦水再生センター)の完成は昭和6年。朝香宮邸の着工も昭和6年。
 するとこの下水道を使えば高価な浄化槽なしに水洗便所が付けられる。同邸の位置は自然教育園(当時は御料地)南側だが、園内の谷戸を縦断して北側まで排水管を通せば白金幹線はすぐそこである。しかも排水管のルートは長く急な下り勾配なので流下に全く支障はない。これを使わない手があるものか。
 ということで、朝香宮邸は現自然教育園内に排水路を作ったのではないか。
 これがAの下水管の原型となり、の昭和42年に行ったのは新設工事ではなく、既存下水管の全面改修程度の話だったのではないか……さあこれでどうだ!

  下水管ルート上の湿地(木立の向こうは白金6丁目) 下水管ルート上の湿地(木立の向こうは白金6丁目)
 
 この推測の真偽を明らかにするには朝香宮邸の排水が浄化槽処理でなく、下水道直結であったことを証明すればよい。そこで宮内庁の公文書館に行き、『朝香宮邸新築工事録』という文書の中の配管工事の設計書を読む。
 
 すると推測はまたしても外れていた。
 朝香宮邸の裏庭には「分離槽」と「酸化槽」が設置されている。「分離槽」は今でいう単独浄化槽の沈殿槽、「酸化槽」は散水濾床であろう。朝香宮邸はなんと浄化槽処理なのであった。
 しかし次のようなことも分かった。

 ・「酸化槽」の設置場所、つまり処理後の放流場所は、Aの下水管に近いところにある。
 ・既存の道路側溝を放流先にする設計にはなっていない。

 よく考えると、浄化槽といえども、処理後の水はどこかに流さなければならない。その水の放流先は、Aの下水管に近いところにあるので、この状況を見ると私の推測もまるっきり間違いとは言えないかもしれないが、正解だとも言えない。 
 あまりに仮説が外れるのでだんだんむきになってきた。
 
 Aの下水管は朝香宮邸の敷地外、つまり帝室林野局の御料地内にあるので、その土地の資料を見なければ問題は解けない。
 ここは当時は空き地であったはずだが、昭和7年の朝香宮邸の建築着工前のこの土地の図面が宮内庁の公文書館に保存されている。着工前の図面はあまり参考にはならないがこれを見る。
 
 森林や池や通路の記号が見える中に、一条の線が通っている。
 この線は件の下水管のルートとほぼ同じ場所を辿っている。凡例を見ると、果たして直径二尺八寸(約85cm)の管であった。
 どうやら朝香宮邸ができる前からここには下水管があったようである。この管のルートを上流側に辿ると、なんと同邸を掠めて御料地の西側に出てしまった。そしてそこには「陸軍衛生材料廠」という施設があり、管の出発点になっている。

 なあんだ。
 件の下水管の起源は昭和初期の軍用の下水管なのであった。
 明治以降の軍隊は洋食や洋服に始まって洋船や鉄道に至るまで西洋文明をいち早く取り入れていたから、近代下水道の導入に関してもそれはありそうである。それに下水の処理は衛生のために行うのであるから、「衛生」材料廠が先んじて下水管を整備したとしてもおかしくはない。同時期に御料地内に計画された「ど真ん中ルート」の道路計画も貢献したことであろう。

 気が遠くなるような暑い日であった。
 自然教育園の森を歩いても、やはり下水管の存在は感じられなかった。この下水管は、森の中の小川に抱かれて身を潜めている。
 東京の多くの中小河川が、流路を下水管の敷設スペースとして提供し、上部を人工的なコンクリ親水せせらぎや遊歩道に変えざるを得なかった中にあって、ここではほぼ地上の流れを損なうことなく下水管と共存している。存在を忘れてしまうほどに共存している。


(参考にしたウェブサイト)
東京都庭園美術館リニューアルオープン特設サイト 2014年11月22日にリニューアルオープンする庭園美術館。トイレに行くのが楽しみである。 
国立科学博物館付属自然教育園のサイト
東京都下水道局下水道台帳

(参考文献)
アール・デコの館―旧朝香宮邸 (ちくま文庫)』 増田彰久(写真) 藤森照信(文) ちくま文庫 平成5年
『アール・デコの時代』 海野 弘 昭和60年 美術公論社(この書籍は、鎌倉の「古書 ウサギノフクシュウ」で入手しました)
朝香宮邸新築工事録 内匠寮 昭和6~8年(宮内庁書陵部宮内公文書館所蔵)
白金御料地内朝香宮邸建築用工作場敷貸付区域図 帝室林野局資料 昭和7年(宮内庁書陵部宮内公文書館所蔵)


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コメント

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Re: なるほどー

ドキドキしていただけてうれしいです。私も我ながらドッキドキでしたよ。
lotus62さんの記事のおかげで調査はかなり捗りました。
ところで、下水管はたぶん普通に溝を掘って管を埋めて土をかぶせておしまいだったのではないかと思います。
でも、園外に出る直前にあったという旧木製暗渠は、園内の土塁の下をくぐるのでおっしゃる通りの胎内掘り式だったのかも!

なるほどー

いやーおもしろかったです。また、ご紹介いただきましてどうもありがとうございます。
どういう結末になるのかとドキドキしながら読みました。
しかし自然教育園の下に下水管とは、工事も大がかりだったのでしょうね。
胎内掘り式に人が潜って掘り進むわけですよね。この時代なので、それ自体すごいなあと思いました。

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Author:大石俊六
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雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
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