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10 公共溝渠

公共溝渠についてはこちらもどうぞ。→30 公共溝渠と普通河川と水路はどう違うのか(前編)
公共溝渠図面
                (東京都下水道台帳図より)

 東京の区部には巨大なコンクリート水路のような都市河川はあるが、郊外にあるような幅2mくらいのドブ川はほとんどない。
 土地が過密に利用される東京では、川として残すべきところと下水道に転用するべきところを厳然と区別して、あいまいな開渠のドブ川が存在し得ないようになっている。

 しかしその中にあって天然記念物的に開渠のドブ川が残されている場所もある。
 東京都世田谷区奥沢三丁目。ここに500mほども続くドブ川がある。幅、深さともに2mほどで、水は少なく、においもなく、途中で暗渠の下水路に合流して呑川という川へと至っている。都会の住宅地とドブ川のミスマッチが素晴らしい。

  公共溝渠(開渠)

 このドブ川には名前がない。正式な河川ではないので東京都の河川図には載っておらず、下水道台帳図を見ると「公共溝渠・開渠」とだけ記されている。公共溝渠とは一体何であるか。
 「溝渠」とは水を通すための溝のことであるから、字面を追えばさしあたり「公共の水路」ということになる。その意味では農業用水路も運河も「公共の水路」であるが、下水道台帳図で見る限り、この名称は雨水や染み出した地下水を流すドブ川に与えられているようである。
 昔は川として流れていたものが生活排水路のドブ川となり、やがて下水道が整備されて用済みの空堀になり、廃止を免れた空堀にこの名が付けられた、そのように見受けられる。その出自を表すかのように、公共溝渠はたいてい古ぼけたコンクリートでできている。

 そんな懐かしい空気を漂わせる公共溝渠であるが、見つけるのはなかなか難しい。
 下水道台帳図を見ると公共溝渠と書かれた箇所を見つけることができるが、その数はとても少ないうえに、それらがすべて開渠のドブ川とは限らないからである。公共溝渠には次の3つのタイプがある。
 ・開渠のもの
 ・蓋掛のもの
 ・暗渠のもの
 開渠はいわゆるドブ川の状態、蓋掛はコンクリートの蓋をして事実上道路になっているもの、暗渠はアスファルトで舗装されて同じく道路になっているものである。

 この中でドブ川としての体裁をなしているのは開渠のものだけである。
 開渠の公共溝渠は本当に少なく、私も世田谷区内でいくつかを発見できたに過ぎない。開渠だったところもいつの間にか暗渠にされてしまったりすることもあるから油断ならない。
 しかし「蓋掛」や「暗渠」がつまらないかというとそんなことはなく、ドブ川が絶滅危惧種になってしまっている東京においては、ドブ板を渡しただけの「蓋掛」やコケの生えた薄い舗装でマンホールの密集する「暗渠」は、それだけで十分ドブ川の痕跡を関知することのできる重要なしるべとなる。
 「蓋掛」と「暗渠」は要するに道路になってしまっているのであるが、それをあえて溝渠と言い張るところに水辺の記憶を消し去ることのできない人間の不思議さを感じることができるし、かつてのドブ川が多様な構造物に化けている姿を観察する楽しみがある。東京の川は、ほかにもそんな摩訶不思議にあふれている。

 例えば下水道台帳図を見ると、「水路敷(区道扱い)」と書かれた細道を見ることがある。
 かつて川が流れていたところに蓋をして歩行者用の区道にしているものである。これも事実上道路なのであるが、登記簿の上では水路のままになっている。
 水路でありながら事実上は道路ということになると、前述の暗渠の公共溝渠と同じスタイルではないかと思うのだが、なぜか下水道台帳では扱いを分けて一ジャンルを形成している。「水路敷(区道扱い)」と「公共溝渠(暗渠)」はどう違うのかということを考えながらドブ川跡を歩くのだが、いまだに解明できない。

 摩訶不思議の極みは目黒区にある蛇崩川遊歩道である。
 ここは蛇崩川というドブ川に蓋をして、蛇崩川幹線という下水道に転用したときに作ったもので、東京によくあるタイプの遊歩道である。ちなみにここは「遊歩道」とは呼ぶものの道路ではない。法律上は公園の一種ということになっていて、そのアリバイのように遊具やベンチが置かれている。

  蛇崩川遊歩道
   蛇崩川遊歩道

 では蛇崩川は下水道に転用されてなくなってしまったのかというと、これがいまだに河川法上の二級河川として登録されていて、東京都の河川図には蛇崩川がきちんと載っているのである。地上は遊歩道、地下は下水路になっているにもかかわらず、である。
 その仕組みは複雑で、川に蓋をして地上を公園として貸して、地下は下水道に貸しているが、川はなくなったわけではない、ということになっている。この話を聞いたとき、私はその理解を超えたロジックに感心してしまった。

 川とは流れる水のことにあらず、流れる空間のことにもあらず、水が流れうる空間が連続して存在し続ける事象のことなり。なぜか突然インチキ格言風になってしまったが、蛇崩川は「川とは何か」という根源的な問いを突きつけてくる。東京にはそういう川がほかにもいくつかある。

11 お歯黒どぶ

墨東奇譚

 永井荷風の『濹東綺譚』は大正時代の東京の玉の井、いまでいう墨田区東向島あたりにあった私娼街を舞台にした小説である。私娼街とは政府非公認の遊郭のようなもので、昭和33年に法律で禁止されるまではそういうエリアが日本の各地にあったという。
 玉の井には「お歯黒どぶ」というドブが流れており、小説では夏の暑い夜に立ち込めるドブの臭気や蚊のうなる声が活写されている。「お歯黒どぶ」とは妙な名前であるが、ドブの水がお歯黒のように真っ黒だったことから付けられた名前のようである。
 水が真っ黒ということは、ドブの中で嫌気性細菌が硫化水素を発して真っ黒な硫化鉄混じりのヘドロを産出している状態だから、相当に汚染された状態といえる。私はこの「お歯黒どぶ」が気になった。

 気になったのは、同じ名前のドブが隅田川の川向こうにある吉原遊郭にもあったからである。
 吉原遊郭は江戸初期の1657年、幕府の許可を得て浅草寺の北方に設置された。広さは約9ha、長方形の独立した街区で、周囲を堀で巡らしてある。この堀が吉原の「お歯黒どぶ」で、いまは暗渠になっているがドブの護岸の跡などはわずかに見ることができる。

 なぜ遊郭(と私娼街)にはお歯黒どぶがあるのであろうか。
 私が吉原のお歯黒どぶを知るきっかけとなった時代小説からは、風紀上の理由から遊郭を周囲の街と切り離して管理するためといったような事情が窺えたが、それがどうして真っ黒なドブでないといけないのだろうか。例えば高い塀を巡らすといったことも考えられたはずだし、堀を作るにしても水を真っ黒にする必要はない。
 もしかするとお歯黒どぶは意図的に作られたのではなく、もともと遊郭というものが真っ黒なドブが生じてしまう地形的な要因を抱えているのではないか、私はそう考えた。

 濹東綺譚に出てくる玉の井は、隅田川東岸の水田地帯を埋め立てた歓楽街で、お歯黒どぶは水田の小川の成れの果てと考えられる。
 一方、吉原は浅草寺の北の湿地帯を埋め立てて作ったもので、吉原とは「葦の原」に通じる。遊郭は湿地帯に作られることが多く、吉原ができる前はいまの中央区日本橋人形町の低湿地帯にやはり吉原という遊郭があった。日本橋の吉原が浅草寺の北に移転したのは、江戸の市街地が拡大して日本橋が江戸の真ん中になってしまったからである。

 遊郭が低湿地帯にできるのは、次のような要因があると考えられる。
 ・風紀上、都心から離れた場所につくりたい。
 ・まとまった土地が必要である。
 ・住宅地から離れ、かつ住宅地に向かない土地でないと確保できない。
 これらを満たすのが低湿地帯を埋め立てた土地ということになる。
 湿地帯を埋め立てると、そこを流れていた水流を整理して排水路に仕立てる。しかしそれは地形的な要因でさらさらと流れずに澱み、ドブ川化する、このようなことではないだろうか。

 濹東綺譚の舞台となったあたりを歩くとドブ川こそないものの、路地裏をすりぬけて流れていたドブ川の跡を今でもあちこちで目にすることができる。ドブ川を暗渠にして作られた路地は、密集した古い住宅地をすり抜けて続き、この町に迷宮のような魅力を添えている。ドブ川が遊郭に付き物であることを荷風は知って頻繁に小説に登場させたのだろう。

(参考)
濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

図説 永井荷風 (ふくろうの本/日本の文化) 表紙裏の詳細な「玉の井概要図」で当時の様子が分かる。

12 どぶ板通り商店街

どぶ板通り

 どぶ板通り商店街は神奈川県横須賀市の米軍基地の正門近くにある。
全長約500m、かつて米兵向けのバーが立ち並んでいた通りで、今でも「アメリカンな横須賀」を味わえる一角である。私がこの商店街に関心を持ったきっかけは、当然そのユニークな名称である。

 ところがこの商店街を訪れて私はがっかりした。この商店街にはドブ板もドブ川もなかったからである。広い路面はカラータイルで舗装され、ドブ板を模した縞模様のデザインが施されているだけである。さらにがっかりなことに、商店街の名称の由来となったドブについての資料が乏しい。かろうじて分かったのは次のようなことである。

・かつてここには道の中央にドブが流れていたが、通行の邪魔なので軍の払い下げの鉄板を敷いた。
・明治38年の地図にはすでにドブの姿はなくて「どぶ板」の名称がある。

 どぶ板通り商店街はドブにフタをしてからすでに100年以上も経った商店街のようである。
 100年以上も「どぶ板」などという妙な名前を愛用しているわりに、そのドブの正体が気にとめられていないことに驚きというか無頓着さを感じた。どぶ板通りが語られるときテーマになるのは、きまって店の紹介や、そこに関係したミュージシャンなどである。
 
 もっとドブのことを気にしてくれてもいいではないか。
 ドブというものはいつもそうなのだ。「それは金をドブに捨てるようなものだ」とか「ドブ板選挙」などと軽々しく使われる割に、その正体はまるで存在しなかったかのように無視され続ける。どぶ板通り商店街には特にそれが現れている。
 思わず憤ってしまった私であるが、やがてそれが収まる日が来た。何度目かのどぶ板通り来訪で、ついに本物のドブ板に遭遇したからである。
 どぶ板通り商店街から少し離れたさいか屋というデパートの裏の道を歩いていると、細く薄暗い細道が交差しているのが見えた。細道は幅2mほどで、路面は周りより一段低い場所を通っている。その路面は、と見ると古ぼけた巨大なコンクリートのドブ板であった。

ドブ板細道
ドブ板細道

 私はその細道に入り込んでドブ板を踏んでみた。
 ドブ板は頑丈なつくりで、踏んでもボコボコと音がしたりはしなかったが、ドブ板にあけられた穴からはドブの水面が見えている。こういうドブ板は今は珍しい。ドブ板細道の周りには小さなスナックやバーが立ち並ぶ。
 ちなみに昭和30年代の地図を見ると、当時も同じようにスナックや旅館が立ち並んでおり、昔からこんなドブ板細道だったようである。
 
 ドブ板細道を進んで行くと、大通りに出た。
 バスの行き交う通りの向こうを見ると、例のどぶ板通り商店街が始まっていた。
 つまりこのドブ板細道のドブはどぶ板通り商店街を流れていたドブなのであった。まさに正真正銘「どぶ板通り」である。しかもこっちの方があやしくて雰囲気がある。

 さて、このドブは元はどんな川だったのであろうか。
 このドブはもともと川だったはずだから、川が流れてしかるべき地形的要因があったはずである。
 残念なことに今の横須賀は、元の地形が分からないほどに海面の埋め立てが繰り返されたので、このドブの地形的な関係が推測できない。なにしろ今商業地や米軍基地のある平地部分は、ほとんどが明治以降の埋立地なのだ。 しかし江戸時代の絵図を見ると、どぶ板通りのドブのポジションがはっきり見えてくる。
 
 江戸時代の横須賀は、海に迫る急峻な丘(現在の横須賀中央駅裏の丘)、そこから東京湾に向かって延びる細長い岬(現在の米軍基地)、そして丘と半島の間にある細く狭い平地(現在の本町)から成っていた。この平地の部分は「横須賀」という浜(現在の国道16号線小川町交差点あたり)に向かって開けていて、漁村の集落がへばりついていた。

 どぶ板通りのルートはこの細長い平地の真ん中を貫いている。現在のどぶ板通りの下流側は、前出のあやしげな細道となってしばらく続いた後、国道16号線にぶつかって姿を消すのだが、ここが江戸時代の横須賀の海岸線にあたる。つまりどぶ板ルートのドブはここで海に注いでいた。
 重要なのはここからである。明治7年、ここに小さな港が作られて港町・横須賀の端緒が開かれた。

 港を作るのに必要な条件は3つある。波が穏やかな入江であること、水深が深いこと、そして船や物資を引き上げる緩い傾斜の平地があること。
 港には運んできた物資を引き揚げる荷捌場や、船ごと引き揚げてるスロープが必要である。面白いことにこれが決まって入り江の小さな川の河口の横に作られる。なぜ河口の横に港を作るのか。

 入江の川の河口は、周りを急峻な岬に囲まれながらも小さな平地を作ることが多く、これが前述の3条件を満たすからである。
 たいていの港町は入り江の河口の小さな港から出発し、その背後が「元町」と呼ばれる商業地となる。横浜や神戸のような大型港も、大きな船が着けるように後から入江の外側に大規模な埠頭を追加建設していっただけで、もとは入り江の河口付近の港から出発した。
 
 横須賀の場合はどうか。横須賀は軍港があるので少し事情が特殊(※)であるが、明治7年に作られた港はどぶ板ルートの河口に位置し、その背後に元町(現在の本町)が作られている。位置から察するに、どぶルートを流れていたであろう川が「入り江の河口」の役割を果たしているのではないか、私はそう考えた。

旧小川港
かつて港だった地点(手前からヤシの木のあるあたりまで)から、ドブ板細道の「河口」(中央のグレーのビルの左端)を見る
 
 考えた、と若干歯切れが悪いのは、証拠がないからである。
 横須賀には江戸末期に描かれた絵図が何枚かあるが、そのどれを見てもどぶ板通りの場所に川はない。絵図には相当小さな川であっても姿が描かれるはずであるから、描かれていないということは実際には存在しなかった可能性もある。
 しかし丘と岬の間の低地という地形的な条件を見れば、そこに小さな川が流れていたと考えるほうが自然だし、絵図には書いてなくとも実際にドブ跡はそこにある。
 そのようなわけで若干疑問符は付くが、どぶ板通りを流れていたドブは、港町横須賀のルーツの港のそのまたルーツであった、そのように言ってみたいと思う。

 軍港として明治の初期から栄えた横須賀はかなり早いタイミングで土地が不足し、このドブも早い段階で暗渠にされたと考えられるが、証拠も不確かでなおかつ暗渠化されて100年以上経ったドブの名が生きているのは、横須賀を産んだこのドブ、いや川に敬意を表してのことなのではないだろうか。

大正4年横須賀市全図
横須賀市全図(大正四年横須賀市統計書附録 横須賀市中央図書館蔵) クリックすると拡大します
北に伸びる半島が現在の米軍基地、その南東に旧港、どぶ板通りは「元町」の町の字のあたりを旧港に向かって走る。半島の西の湾は軍港、その西に横須賀線横須賀駅。


※今の米軍基地のある場所(横須賀市泊町)には昔、水深の深い静かな入り江があり、これが軍艦に適していたことから軍港として利用されたという。

13 ウンコ問題

お米

 ドブ川雑記帳はドブ川の話であって下水道の話ではないのだが、下水道の仕組みがわかるとドブ川探索がさらに面白くなるので、少々脇道に逸れることを許してほしい。

 下水道は子供の社会科見学にうってつけのテーマらしく、下水道資料館などに行くと小学生向けのパンフレットが山ほど用意してある。ドブ川好きの大人のためのパンフレットなどというものはないので仕方なくそれを読むと、そこにはたいていこういうことが書いてある。

「コップ一杯のコメのとぎ汁を薄めて魚が棲めるようにするには、ふろ桶2杯分の水が必要です。コメのとぎ汁は庭にまいて肥料にしましょう」

 同様に牛乳コップ一杯はふろ桶11杯が必要で、マヨネーズ大さじ一杯は13杯必要などといったことも書いてある。これを読むと「これからはコメをといだ水は植木鉢に撒こう」などと思うのだが、私にはどうも引っかかるところがあった。そこである下水処理場の人に質問をぶつけてみた。

「ウンコやオシッコのことはどうして書かないのですか」
 下水の主成分はいうまでもなく人間の排泄物である。だからこれに触れずにコメのとぎ汁あたりを論じたところで、周辺部分をつついているに過ぎないのではないかと思ったのである。
 するとこういう答えが返ってきた。

「そういったものは確かに「多く」て「濃い」のですが、まず努力できるところから、ということでして・・・・・・」
 住民に対して「ウンコやオシッコをするな」とは言えない、ということであるらしく、言われてみれば当然の話ではある。しかし話を聞いていると、下水処理場の敵はウンコではないらしいことも分かった。下水処理場はもともとウンコを浄化するための施設なので、それらがいくら流れて来ても問題ない。敵は別の方角にあった。

「油をよく使う飲食店が多い地域はね、すごいんですよ」
油をよく使う飲食店とは中華料理や油ギトギトのラーメン店などであろうか。
 そういえば横浜などでは中華街の排水が流れる下水管は詰まりやすいという話を読んだことがある。下水管に油分が入るとコレステロールのように付着して詰らせた挙句にはがれて、巨大なごみとなって浮遊するという。
 下水道の真の敵は一にも二にも油で、だから下水のパンフレットにはしつこく「油を流しに捨てないで」と書いてあるのだ。ほかにも洗髪で流れてきた髪の毛もものすごい量なのだという。
 これからはラーメンの汁が残ったら野菜炒めの味付けにでも使って、風呂場の排水口には髪の毛取りの網を付けることにしよう。
 
 もう一つ聞いてみた。
「下水処理場から放流される水は微妙なにおいがありますよね。あれは薬品のにおいなのですか」
 下水処理場で浄化された水は海や川に放流する前に殺菌しなければならないので、消毒薬として塩素を投入する。しかしそれは放流水のにおいの要因としてはわずかなもので、大部分は取りきれなかったウンコやオシッコのにおいなのだそうだ。なんだそうだったのか。

 しかしこの問題は根深い問題を感じさせる。それは、取りきれないのはにおいばかりではないからだ。人間のオシッコの中には「尿酸」と呼ばれる物質が大量に含まれていて、対外に放出されるとアンモニアに変わる。悪臭成分の原因物質としてあまりに有名なこの物質はさらに下水中で「硝酸態窒素(NO3-)」という物質に変化する。これが普通の下水処理では除去しきれない。

(オシッコの仕組み)
オシッコの中の尿酸 →体外でアンモニアに変化 →下水中で硝酸態窒素に変化 →除去しきれずに海中へ →プランクトンの餌になる →大増殖して赤潮になる →海中が酸欠になる →プランクトン死滅 →嫌気性細菌が登場する →硫化水素発生


 下水処理場はおおざっぱな言い方をすれば、有機物で濁った水を透明にするための施設であって、水に溶け込んだ無機物、例えば食塩水の塩分とか医薬品成分とか硝酸態窒素といったものを除去するのは得意ではない。
 下水処理場に流れてくる下水はBOD100mg/l以上という猛烈に汚い水(※)だが、下水処理場はこれを5mg/lくらいまで浄化する能力をもっている。BODとは、「ある水の中に含まれている有機物を、生物が分解するとしたらどれだけの酸素が必要か」という尺度で表す単位で、つまり下水処理場は有機物を取り除く能力がとても高い。
 その一方で、硝酸態窒素に関しては50%くらいしか取り除けない。ハイテクを駆使した最新型下水処理場でも70%取り除ければ優秀なほうである。
 
 ところがオシッコが昔肥料として使われていたことからわかるように、硝酸態窒素は栄養分に富んでいる。

(オシッコが肥料になる仕組み)
オシッコの中の尿酸(生物にとって無毒)→体外でアンモニアに変化(有毒)→肥溜めで発酵させて硝酸態窒素(無毒)に変化させる→畑に撒く→根から吸収(→しかし撒き過ぎると地下水に溶けて有毒に)
 

 これを例えば東京湾に流すと、プランクトンの格好のえさになって彼らが大繁殖し、いわゆる赤潮状態になる。プランクトンは酸素を消費して生きているので、大発生すると海中に溶けている酸素が不足して魚が死に、プランクトンも共倒れで死ぬ。
 
 その後に登場するのが酸素を使わなくても生きられる「嫌気性細菌」で、彼らが出す硫化水素で悪臭発生と相成る。さらに悪いことに、東京湾は埋立てすぎて水の流れが悪くなったりして、環境を浄化する自然のシステムに欠けている。例えばここに自然の干潟があれば、嫌気性細菌を繁殖させずに有機物を分解することができるのだが、東京湾にはそれがほとんどない。

 このことは夏場に東京湾の遊覧船に乗ると実感できる。下水処理場のようなにおいが濃縮されて潮風に乗って鼻腔をノックアウトする。田舎のドブ川は、その場を離れればにおいを嗅がずに済むが、東京湾の場合は面的な広がりで襲ってくる (と言っても自分で乗船券まで買って近づいているのだが)。

  夏の東京湾(日の出桟橋)
  夏の東京湾(日の出桟橋)

 東京の下水処理場は、ハイテクを駆使して必死に浄化しているようだけれども、やはり1000万人のオシッコの硝酸態窒素の半分(ややこしいな)を取り除けずに海に流しているという事実は重い。かといって私たちはオシッコをしないわけにもいかない。一体どうしたらいいんだ。
 
 このように考えると暗くなるが、これを逆に考えてみると面白い。
 ①アンモニア(硝酸態窒素)は赤潮プランクトンを増殖させるが、同じ原理で畑の野菜も成長させる。
 ②そのため、昔から硫酸アンモニウムという物質が肥料として作られている。
 ③硫酸アンモニウムは硫酸とアンモニアから作る。
 ④硫酸は、下水管のなかで発生した硫化水素がある細菌に分解されたときにできる物質である。
 ⑤アンモニアと硫酸が下水から発生するのなら、それを使って肥料を作って一儲けできるのではないか。
 
 私はこの天才的なアイデアに興奮したが、結論からいうと下水から硫酸を取り出すのは難しいらしく、こういう製法での肥料は作っていないようであった。
 しかしアンモニアを取り出すのは技術的に可能で、愛知県豊橋市の処理場では、下水の処理過程で出る硝酸態窒素から肥料を作っていた。しかも一儲けしないで無料で配っているという。オシッコはちゃんと肥料になっていたのであった。いつの間にかウンコ問題がオシッコ問題になってしまったが、とりあえずよかった。

(H22.9.25 アンモニアに関する記述が間違っていたので修正しました。)

※昭和36年の隅田川の水質がBOD38mg/l。BOD100mg/lを超える川は、小河川などで局地的にはあったようである。

参考ページ
東京都水再生センターのページ(各センターをクリックすると流入する下水の水質と処理後の水質が分かるようになっている)

横浜市のHP(微生物の作用で、アンモニア→硝酸→窒素という手順で下水中のアンモニアを除去する仕組みを解説)

14 ドブと温泉とゆで卵とメタン

隅田川(浅草付近)

「メタン沸騰する隅田川」。
 昔の資料を読んでいると、こんなタイトルの新聞記事が出てきた。
昭和40年代の隅田川は、水面にメタンガスが沸騰しているように見えるほど汚染がひどく、目が痛くなるほどだったという記事である。
今でもドブ川からメタンガスが微量に出ているのを見ることがあるが、隅田川級の大きな川でメタンガスがボコボコと噴き出てきてしまったらそのにおいは相当なものだろう、そう思った。

 ところでメタンガスはどのようなにおいのガスなのだろう。ヘドロや豚のフンのようなにおいだろうか。あるいは人間のオナラ、あれもメタンガスのかたまりだからあのようなにおいに近いのだろうか、まあそんなところだろう。そう思って調べてみるとメタンガスは無臭なのであった。
 
 われわれの生活のなかで最も身近なメタンガスは都市ガスである。
 都市ガスは漏れると悪臭がするが、これは漏れた時にすぐ分かるように人工的ににおいを付けているだけで、都市ガスのメタンはもともと無臭である。
 メタンが無臭ならオナラも無臭、ドブ川も無臭のはずではないか。私がメタンのにおいと思っていたドブ川のにおいは何なのか。逆上してある下水道局に尋ねてみた。どうも私のドブ川探求は各地の下水道局の仕事の邪魔ばかりして心苦しいが、逆上しているので仕方がない。

「それは硫化水素のにおいです。あと排泄物に含まれるメチルメルカプタンといった物質も悪臭を放ちます。」
 
落ち着いて考えれば確かにそうだ。ドブ川はメタンのほかにも硫化水素を出していて、私もさんざんそのことを書いている。硫化水素は腐った卵のにおい、メチルメルカプタンは腐ったキャベツのにおいの有毒ガスである。ドブ川のにおいの成分はそれらであって、メタンは関係していないというのである。
 でもメタンってくさいガスだと思われていますよね?

「メタンは、日常生活では硫化水素やメチルメルカプタンなどと一緒に発生する場面が多いので、それらの悪臭と混同されてくさいイメージがあるのでしょう」

 メタンのえん罪が晴れたところで、私は面白いことに気が付いた。
 悪臭の原因として名指しされた硫化水素( HS )も、メチルメルカプタン( CHS )も、その分子中に硫黄(S)を含んでいるということである。また、にんにくやたまねぎに硫黄の化合物が入っていることは前に述べたが、それらを素手で触ると後でいくら手を洗ってもなかなかにおいが落ちない経験をしたことのある人はいると思う。硫化水素を豊富に含むヘドロに足を突っ込んでしまったときなどもそのにおいがなかなか取れない。
 どうも硫黄が絡むと危険でくさいガスが発生する上に、そのにおいがなかなか取れないという共通現象があるようである。硫黄は生命の維持に必要不可欠な反面、危険でしつこい側面を持っていてなかなか興味深い。なのでまたひとつ気になることが出てきた。それは、

 「硫化水素は腐った卵のにおいというが、では腐った卵は硫化水素を発しているのか」

ということである。どんどん脇道に逸れるが、こういうことは気になったときに解明しておかないといけない。
 私は卵を腐らせたことがないので実際に腐らせてみたかったが、そうすると家族に叱られるので他人が調べたものを参照した。まとめるとこういうことである。
 ・腐った卵は硫化水素を出している。卵の中の「含硫アミノ酸」という物質が硫化水素を生む。
 ・ゆで卵も硫化水素を出している。含流アミノ酸に熱が加わって硫化水素を生む。
 ・生卵は、それほど熱が加わっていないので硫化水素が発生しない。だから生卵は卵のにおいがしない。
 ・しかし硫黄自体は無臭の物質である。 

 なんと、腐った卵だけでなく腐っていないゆで卵も硫化水素を出しているのであった。
 実際に卵を20分くらい茹でてみるとそれらしいにおいが出る。食べてみると黄身は無臭で、硫化水素のにおいのするのは白身のほうであった。白身のほうに含硫アミノ酸が含まれていて、硫化水素を発するようである。一方、黄身のほうは鉄分を豊富に含むのでそれが硫化水素と反応して硫化鉄とおぼしき黒ずみを生じている。

  ゆでたまご

 こうしてみると硫化水素はわりと身近に充満している物質といえる。
 温泉街の「硫黄のようなにおい」も硫化水素だし、おならも硫化水素。毒性のある怖いガスだと思われているが、低濃度のものは温泉の有効成分になっているくらいで、ドブ川のにおい程度の濃度であれば健康に影響はなさそうでもある。
 それにしてもドブ川とゆで卵と温泉のにおいが同じだというところが面白い。興味深くて確かめたい仮説がまだまだあるので、最後にそれらを列挙したい。

 仮説1 温泉街にドブ川があってもにおいを感じないはずである。
 仮説2 温泉旅館でゆで卵を食べてもにおいを感じないはずである。
 仮説3 温泉街で放屁してもばれないはずである。

 ばかばかしくて呆れられると困るので生活に役立つ仮説も挙げたい。
 仮説4 硫化水素は銅や銀と反応しやすい。ということは、皮膚にこびりついたニンニクやヘドロのにおいは、銅(10円玉など)をこすり付けて化学反応させてしまえば取れるはずである。

参考:
東京湾環境情報センターの資料(昭和36年の都内の河川の水質マップやごみに埋もれた当時の川の写真を掲載)
雑学解剖研究所のHP(身近な科学を分かりやすく解説)

(おすすめ参考書籍)
社会微生物学―人類と微生物との調和生存 共立出版1992年 ジョン・ポストゲート著、関 文威 訳
以前の章でも紹介したが、硫黄が腐敗や植物の成長を通して地球を循環していることを分かりやすく説明してくれる一冊。ベニスのゴンドラが黒いのは汚濁した運河の硫化水素のせい、などといった話も面白い。

(追記)
修正用雑記帳その2:仮説3を実証した。

15 ビーチリバー

ビーチリバー全景A

 国道134号線は神奈川県の湘南海岸をなぞるように走る。
 海沿いのドライブコースとしてあまりに有名なこの道路の本当の見どころは、この国道が渡る無数の川にある。河原があるような大河川は相模川くらいしかないが、小さな川は数え切れないほど渡る。走っている車から小さな川を捕捉するのは難しいけれども、幸いなことにこの国道はよく渋滞する。この渋滞を利用すると車に乗りながらじっくり川を観察するという不精なことができる。

 例えば鎌倉の小動岬と稲村ガ崎という二つの岬の間にある七里ガ浜という砂浜海岸では、約3kmの間に7本の川を渡る。このうち4本はありふれた小河川であるが、残りの3本が不思議なことになっている。
 国道の海側を見ると砂浜を細々と流れる姿が見えるのだが、山側を見ると川がない。川があるはずのところは路地になっている。砂浜を流れる水はどこからやってきたものなのだろうか。
 そこで降車して海岸に下りてみると、道路の法面下に大きな排水口があってそこから水が流れ落ちているのが見える。流れ落ちた水の色を見てみると、汚水ではないようだ。ただし量が少ないので砂浜のうえを曲がりくねって流れて力尽き、砂に浸み込んで消えている。

ビーチリバー源頭部

 道路を渡って山側に回ってみる。
 川があるべき場所には路地が川幅くらいの細さで50mくらい続き、別の道に突き当たって消息が知れなくなる。小さな川なので暗渠にしたものの、国道よりも海側の砂浜の部分まではさすがにフタをできなくて流れが地上に出ている、ということのようである。
 市役所に聞いてみるとそれらの川には名前はなく、染み出た水や雨水などを集めて流れているということであった。水の流れがある部分は砂浜上だけなので、それらはつまり川ではなくて海岸の一部ということになるようだ。海岸上を雨水が流れているだけ、さしずめそういう解釈になるのだろうか。なんだかかわいそうなので、私はこの砂浜上だけの川に、「ビーチリバー」という名を付けることにした。

 砂浜上のビーチリバーは湿った砂を蛇行して侵食し、ミニチュアの崖やミニチュアの河原、ミニチュアの中洲などを作り、徐々に砂に浸み込みつつ消えて行くが、ミニチュアのラグーンを作って海に細々と流れ込むものもある。川の模型のようだ。

ビーチリバー渓谷

 ビーチリバーをみると、なぜ川は蛇行するのだろうかと思う。大きな川も小さな川も同じように蛇行する。そしてこの現象については、水は少しでも標高の低い場所を求めるので曲がりくねって流れるのだ、という説明が一般的にされている。本当にそうだろうか。

 例えば平らで滑らかなプラスチックの板に水道の水を細く流してみると、平坦な板の上でさえも水流は蛇行して流れ、一刻一刻その蛇行のパターンを変える。これはどう説明したらいいのだろうか。もう少し詳しく観察してみると以下のようなことが分かった。

①傷のついたステンレス流しでは、水は平べったく板の上に広がってしまい、蛇行を形成しない。
②プラスチックのような完全につるつるの板では、水に表面張力が発生して明確な流れを作り出して蛇行し、一刻一刻蛇行のパターンを変える。
③蛇行は、水量がごく少ないときに発生し、多すぎると一気にまっすぐ流れる。
④蛇行は何秒かのサイクルで同じパターンが繰り返される。

蛇行する水

 水の蛇行は単純に地形的な要因だけではなく、水自体の物理的な性質が関係しているようだ。  
 これを解明する学問は水理学といって、複雑な微分方程式の知識が必要らしいので、難しくて私には分からない。また、水理学者の関心は「洪水を防ぐにはどういう形で川をコンクリートで固めたらよいか」というところにあるので、「なぜ水は蛇行するのか」という単純なテーマはあまり研究されていないようである。
 ただ感覚的な言い方をすると、水というものは丸くなりたがる性質を持っているのではないかと思う。水は川のように線形になっている状態よりも、水滴や池の水のように丸く固まっているほうが好きなのではないだろうか。人間は水が勢いよくまっすぐに流れている状態を好むが、水にとっては迷惑千万で、早くしかるべき窪地に流れて澱んで丸くなりたいから急いでいるだけなのだ。しかし行けども行けども安息の地には到達しない。早く丸くなりたい。そこで水は考えた。
「流れながら丸くなればいいのではないか」
この答えが「蛇行する流れ」である。だとすれば水という奴も脳細胞がないわりになかなか賢いところがある。

 ビーチリバーは同じく国道134号線の三浦海岸でも頻繁に見られる。
 川を暗渠にしなければならないほど海岸沿いに住宅が密集し、しかし海岸までは埋め立てられておらず、合流できるような大きな川が周りにない、という3条件を満たすときにビーチリバーは現れるようだ。人間による埋め立てという圧力と、自然による河川の合流という圧力にさいなまれながらも砂浜という真空地帯でニッチに生き残る独立河川。
 
 しかしよく観察すると、ささやかに生きるこのビーチリバーを脅かす構造物があることが分かった。それはビーチリバーをすっぽりと覆うように砂浜に埋設されたコンクリート管である。
 ビーチリバーは、流れは細いが蛇行しているので横切ろうとしても一跨ぎというわけにはいかない。砂浜を散歩する人が横切ろうとすると砂の中に足を突っ込んで足がどろどろの砂だらけになる。
 このコンクリート管はそういうことを防止するために作られたものと考えられるのだが、陸上で暗渠にされ、砂浜上でも暗渠にされたビーチリバーは、波打ち際でわずかに排出口を見せるに過ぎない。やっと活路を見出したのに、全区間暗闇生活を強いられるビーチリバーの心情はいかばかりであろうか。私はこのコンクリート管を「ビーチリバーキラー」と名づけることにした。

16 川底のベギアトア

 白い川面のドブ川はいつ見てもぎょっとする。
 緑色や黒色のドブ川はメカニズムが分かっているのでもう驚かないが、白いのはいつ見てもびびってしまう。
 ドブ川が白くなる状態には二つある。
 一つは水自体が白い場合。牛乳でもせっけん水でもそうだが、水が白くなるというのは、ある物質が水に溶けずに非常に微細な粒子で浮遊している状態である。だから白いドブ川はたとえば洗濯排水のせっけん分や、汚泥の分解で生じた硫黄の粒子などが細かく浮遊しているのだろうと考えられる。

白濁したドブ川水自体が白いドブ川(縮小掲載しています。拡大したい人はクリックしてください)

 二つ目は、これが問題なのだが、水は透明なのに底に白いスライムのような物体が広がっている場合である。  以前「モヤモヤ藻」の章で珪藻のことを調べたが、珪藻は灰褐色で、あまりにおいのしないドブ川に出現するのに対して、このスライムは真っ白で強烈なにおいのドブ川に発生する。この気味の悪い物体は何なのか。

 残念ながら私にはこの物体を採取する勇気がなく、分析するための器具もないので例によって専門家が調べたものをあたることにした。
 この分野を扱う学問は微生物学といい、細菌や単細胞生物を顕微鏡で分析するミクロの世界である。一方で、下水中の微生物をどのように排除するか、または利用するかということは下水処理の技術者にとっても重大な関心事であるらしく、彼ら向けの技術書にも詳しい。

 白いスライムの正体はベギアトアという細菌であった。澱んだ水路に生息し、酸素のある水中とその下の酸素のないヘドロの境目に薄い綿のように平たく広がるという。意外なことにこの細菌は水中に酸素がないと生きられないのであった。正体がわかったところでじっくり観察するべく、よく晴れた9月のある日、ベギアトアの生息するドブ川に行ってみた。

ベギアトアの繁殖したドブ川ベギアトアの生息するドブ川(縮小掲載しています。拡大したい人はクリックしてください)


 ドブ川はいつものように力いっぱい硫化水素を発していて、白いベギアトアがびっしり繁殖していた。薄い膜のように広がってはいるが、ところどころに穴が開いてちぎれたりしている。穴の下には黒いヘドロが見える。ベギアトアはこんなところでどうやって生きているのか。
 酸素の少ないドブ川では、水中の硫酸塩が嫌気性細菌によって分解されて硫化水素が出る。これは前に調べたとおりである。このとき、硫化水素と水中のわずかな酸素を反応させてエネルギーを得る生物が出現する。それがベギアトアで、化学式で表すとこうなる。

硫化水素(2HS)+酸素(O)=硫黄(2S)+水(2HO)+熱(エネルギー)

 底の黒いヘドロの中に硫化水素を発する嫌気性細菌がいて、ベギアトアはそれらを覆うように広がって、ヘドロから発生する硫化水素をキャッチしつつ、頭上を流れる汚水から酸素を取り込む。
 こうしてベギアトアに取り込まれた硫化水素と酸素は硫黄に変わる。この時熱が発生し、ベギアトアはこの熱をエネルギー源にして汚水中の有機物を別の有機物に合成し直して成長していく。
この過程は、人間でいうとカロリーのある食べ物を食べて熱を発生させ、その熱をエネルギー源にして肉や魚を消化していく過程に相当し、硫黄と水を排出する過程は人間でいうところの大便と小便に相当するといったところか。

 ベギアトアは硫化水素をエネルギー源にできるという画期的なメカニズムを持っているといえるが、同時に酸素や有機物もないと生きていけないという点ではわれわれ動物と大差ないメカニズムだともいえる。私はベギアトアのこの中途半端さが気になった。
 例えばヘドロの中の嫌気性微生物は、酸素がなくても硫化物があれば生きることができ、酸素があると死んでしまう。逆に人間は酸素がなかったり硫化水素がありすぎると死んでしまう。ベギアトアはこの中間的な環境で生きている。なぜこのような中途半端な生き方を選んだのであろうか。

 地球の歴史を見ると、酸素を呼吸して生きる生物が登場するのはごく最近のことで、植物が出す酸素が地球上に蓄積してからのことである。それ以前は酸素がなくても生きられる生物、つまりヘドロの中の嫌気性細菌のような生物の世界であったと考えることができる。
 その後植物が登場し、大気中に酸素が蓄積されると、酸素に触れると死んでしまう嫌気性細菌はどんどん追いやられた。今では陸上は酸素で覆われて嫌気性細菌の出る幕は少ないが、ドブ川やごみ捨て場など限られた場所には彼らの生きる小宇宙が存在しうる。この小宇宙を包み込んで彼らの世界に侵入してくる酸素を跳ね返してくれるのがベギアトアなのではないだろうか。あるいは小宇宙から漏れ出る硫化水素が陸上生物に有害な影響をもたらさないように、無害な硫黄に変えてくれる役割を果たしているのではないだろうか。
 白いスライム上のベギアトアは、酸素の豊富なわれわれの世界と無酸素で硫化水素が充満する小宇宙との臨界を司る門番のような生命体のように思える。


参考文献:
 
スーパーバグ(超微生物)―生命のフロンティアたち
ジョン・ポストゲート著 シュプリンガー・フェアラーク東京㈱刊
 ドブ川や火山噴火口のような極限環境に生きる微生物の生態を網羅的を分かりやすく解説。ドブ川から化学微生物学の世界に導いてくれる入門書。

マニュアルにはない水質管理 ~お金をかけずに求められる水を~
古賀みな子著 環境新聞社刊
福岡県大牟田市の下水処理場の職員が書いた実戦用解説書。ドブにいるような正体不明の生物や不思議な現象をほぼ網羅しているので、ドブの謎を解くのに好適。

 「水環境と微生物」(ミズムシさんのHP)
 水路やドブ川を丹念に観察して詳細に解説。ドブ川観察に最適。

(追記)
修正用雑記帳その3:ベギアトアとは違うが、風呂場の排水溝の白いヌルヌルと格闘してにおいを嗅いだの巻。風呂場が下水くさいときの掃除にも役立つ、かも。

17 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(前編)

開渠で残されている古川(東京都港区)古川 東京都港区)

 東京都区部は、日本で最もドブ川の暗渠化が進んだ地域の一つである。汚れたドブ川は徹底的に暗渠にして下水路に転用されていった。
 ところがそんな東京でも開渠で残っている川は結構ある。隅田川は幅が広いので当然だとしても、神田川や石神井川などはそれほど幅の広い河川ではないのに水源から河口までほぼ完全に開渠で残っている。また、渋谷川、目黒川、呑川、立会川などの中小河川は上流部は暗渠化されても下流部は今でも水面を見せている。これらの川はなぜ開渠で残されているのだろうか。

 東京の川が暗渠化されていったのは、一つにはくさいドブ川にフタをして悪臭から逃れたいという住民のニーズが、下水道に転用したい行政の思惑とマッチした結果といえる。実際フタの威力は絶大なもので、夏場にドブ川沿いを歩くと、どんなに強烈なドブ川でもフタをしている場所だけはにおいがシャットアウトされる。だから私にはドブ川を暗渠にしたいと願った当時の人の気持ちがよく分かる。
 しかしそれならばなぜフタをした川としていない川があるのだろうか。フタをしていない渋谷川の下流部や神田川はくさくなかったのだろうか。どうもそうは思えない。私は東京の暗渠の歴史を調べることにした。

 戦前から東京には下水道の計画があるにはあった。しかし費用がかかるのでわずかしか進まず、戦争が始まると完全にストップした。戦争が終わると東京は瓦礫の山である。戦後はこの瓦礫を中小河川に捨てて埋め立て、その土地を売却して瓦礫処理に充てるということが行なわれた。

 昭和30年代になると人口が急増したので、排水で川がドブ川化した。現在の都内の川の水質をBODという汚染度を表す数値で表すと、「汚いなあ」と思う川でも5mg/lくらいの値に収まっている。しかしこれが昭和36年の隅田川だと38mg/l、日本橋川で92mg/lというから、当時はわれわれの想像を超えた汚染だったことが分かる。
 この状況を打開するために東京都は4つの方針を立てた。昭和36年のことである。
       *   *   *
  ・源頭水源を有しない14河川の一部または全部を暗渠化し、下水道幹線として利用する。
  ・下水幹線化する以外の区間についても、舟運上などの理由から特に必要のない場合をのぞき、覆蓋化する。
  ・覆蓋化された上部についてはできるだけ公共的な利用を図ることとする。
  ・暗渠、覆蓋化にあたっては、狩野川台風並みの降雨でも氾濫しない能力を与えることを原則とする。
       *   *   *
 要するに、ドブ川化した中小河川を下水路に転用して暗渠にし、上部を緑道などにしようというのである。対象になった14河川を水系別に整理するとこうなる。

  ①呑川のグループ・・・・・・・呑川 九品仏川(支流)
  ②立会川
  ③目黒川のグループ・・・・・・目黒川 北沢川(支流) 烏山川(支流) 蛇崩川(支流)  
  ④渋谷川のグループ・・・・・・渋谷川(上流部) 古川(下流部)

  ⑤神田川の支流の桃園川
  ⑥石神井川の支流の田柄川

  ⑦江戸川の分流の長島川
  ⑧中川の支流のグループ・・・前堰川 小松川境川東支川


 大まかに言って、①~④は東京の西南部(いわゆる城南)、⑤⑥は西北部(いわゆる武蔵野)、⑦⑧は東部(いわゆる下町低地)に位置する。   
 ここで興味深いのは、東京の西南部の河川(①~④)がことごとく暗渠化されていることである。
 ①~④の河川を暗渠にすると、東京西南部にはほとんど開渠の川が残らない。⑤⑥を暗渠化しても神田川や石神井川が健在な西北部や、⑦⑧を暗渠化しても荒川など大きな川の残る東部地域とは対照的である。なぜ東京西南部の河川は徹底的に暗渠化されたのか。
 
 探ってみると東京西南部には、暗渠化されやすい4つの要因が見つかった。
 一つは、戦後急速に開発された地域であること。下水の未整備で川の汚染がひどかったと察せられる。しかし他の地域でも事情は同じだからこれは決定的な要因とは言えない。
 二つ目は、湧水に乏しいこと。たとえば⑤⑥のある東京西北部の川は井の頭池や石神井池などの大きな池を水源としていて、豊富な湧水が源頭にある。東京西南部にはそれがあまりない。湧水が乏しいと流れる水は下水主体になりやすい。
 
善福寺池善福寺川(神田川支流)水源の善福寺池の看板。風致地区として保全されている。

 三つ目は、①~④の河川のいずれもが、直接東京湾に注ぐ独立した水系になっていること。例えば東京の西北部にあって暗渠化の対象にならなかった神田川や石神井川は隅田川の支流である。その隅田川は荒川の支流で、荒川は国が管理する一級河川。したがって神田川や石神井川を改修しようとする時は、「荒川水系」のなかで考えなければならない仕組みになる。ところが西南部を流れる①~④の河川は、直接東京湾に注いでいるのでその川のことだけを考えればよい。そんな事情から、これらの河川では当時のニーズをすばやく反映して暗渠にしてしまったというような事情が推測できる。
 四つ目はオリンピックである。昭和36年といえば東京オリンピックの3年前。そのなかでも渋谷区はオリンピック施設が密集するので、外国人の集まるこの地域のトイレを水洗化することが急務であった。この地域を貫流する渋谷川が真っ先に暗渠の下水幹線にされたのはこうした事情が絡んでいそうであるが、当初は日本の玄関口となる羽田空港から代々木にかけての地域の下水道をまとめて整備しようという構想があったという。地図を見るとこのライン上にあるのが①~④の河川である。

 四番目は根拠薄弱のきらいがあるが、こんな風に考えると当時の河川の暗渠化がどんな基準で進められたのかが見えてくる。しかしまだ疑問は残る。
 暗渠化の急先鋒となった①~④の川は、なぜかその下流部だけが開渠のまま温存されているからである。

  ・渋谷川水系:渋谷駅前から下流7.3kmが開渠
  ・目黒川水系:目黒区大橋の国道246号線より下流7.8kmが開渠
  ・呑川水系 :目黒区奥沢の東急目黒線より下流約10kmが開渠
  ・立会川水系:品川区大井のJR東海道線より下流0.8kmが開渠

 なぜなのだろうか。渋谷川、目黒川や呑川は下流部が舟運に使われていた歴史があるので分からなくはないが、中流部が開渠で残っている理由が分からない。さらに、開渠の区間が川によって長短まちまちなのも分からない。しかしこの疑問はじきに解けた。(「18 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(後編)」につづく)

<参考にした書籍・文献・論文>
川の地図辞典(之潮)
「特別展「春の小川」の流れた街・渋谷」(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)
この展示図録はもう在庫切れだそうですが、もっと詳細な書籍がこちらで出ています。
春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

東京都河川図
目黒区総合治水対策基本計画素案
東京都の中小河川の都市計画に関する歴史的経緯 石原成幸 (H21都土木技術支援・人材育成センター年報)

18 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(後編)

  内川内川(大田区大森東付近)

「17 渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか(前編)」からつづく)

 ヒントは呑川と立会川の間にあった。
 呑川は大田区の羽田で東京湾に注ぎ、立会川はその4km北の大井で東京湾に注ぐ。この間にもう一つ、内川という目立たない川がある。大田区馬込の谷戸から発して品川区の平和島あたりで東京湾に注ぐ川であったが、昭和46年にBOD換算で約100mg/lという猛烈な汚染に至ったので暗渠化された。
 今はほとんど暗渠の下水幹線になっているが、JR東海道線をくぐる場所から下流の1.6kmだけがやはり開渠になっている。内川もやはり東京西南部河川のパターンを踏んでいるのだ。そこでこの川の構造を解剖してみる。                     
   位置関係はこちら→東京都河川図(東京都のHP)
   内川の流域図はこちらの最終ページ(内川河川整備基本方針・東京都)

 暗渠で進んできた旧内川の下水幹線は、内川が開渠になる場所でさらに地下に潜って、開渠の内川の地下を下水処理場に向かう。
 いっぽう、開渠で残された地上の内川には流れ込む水がないので、東京湾の満ち引きで水面が上下するだけの細長い水溜りのようになっている。そのような状態なので東京の川にしては珍しく汚れていて、その対策のための資料が数多く公表されている。
 
 そこで分かったのは、内川には一つ役割があるということであった。大雨で暗渠区間の下水幹線が容量オーバーになったときに、オーバーした分を引き受ける役割である。
 内川を暗渠にした下水幹線は造りが古いので、雨が降ると雨水がそのまま下水路に流れ込む構造になっていて、たちまち容量オーバーする。そこで苦肉の策としてオーバーフローした雨水混じりの下水を内川の開渠部分に放流して急場をしのぐ。これが内川、ひいては東京湾の汚染の一要因になるのだが、とりあえず現状ではそうするしかない。
 このとき内川に放流される下水の量は毎秒18m3に設定されている。しかし放流されても東京湾が満潮だったりすると河口から排出できずに川が溢れてしまうので、河口に水門を設けて海水の逆流を防ぎつつ、ポンプで海に汲み出すようになっている。この能力が同じく毎秒18m3。
 つまり内川は下水幹線の下流部におけるバイパスの役割を果たしていたのである。すると他の河川も、基本的にこの役割を果たすために開渠になっているのではないかと推測できる。下水道台帳図を見るとこうなっていた。

 ・渋谷川水系:新宿御苑の源流部から渋谷駅付近までが暗渠の下水幹線、
          そこから先は下水幹線は明治通り下に逸れて、渋谷川の流路は開渠となる。

 ・目黒川水系:世田谷区烏山付近の源流部から目黒区大橋の国道246号線付近までが暗渠の下水幹線、
          そこから先は下水幹線は山手通り方向に逸れて、目黒川の流路は開渠となる。

 ・呑川水系: 世田谷区桜新町の源流部から目黒区の大井町線緑ヶ丘駅付近までが暗渠の下水幹線、
          そこから先は下水幹線は付近の街路の地下に逸れて、その先から呑川の流路は開渠となる。

 ・立会川水系:目黒区の碑文谷池付近の源流部から品川区大井のJR東海道線付近までが暗渠の下水幹線、
          そこから先は下水幹線は付近の街路の地下に逸れて、立会川の流路は開渠となる。

 いずれの川も開渠になっている区間には必ず並行する下水幹線が用意されていた。その区間では晴天時には開渠の区間は空堀にしておいて、大雨になったら雨水混じりのオーバーフローした下水を流すバイパスとして利用しよう、おそらくそういう考え方で開渠の区間を残したのだろう。
 うがった見方かもしれないが、開渠で残してあるのも「景観に考慮して開渠の川を残しておこう」というような配慮ではなく、「非常時しか汚水は流れないのだから暗渠にせずに建設費を節約しよう」という考えから出たものと思う。なぜならその考え方に立てば、開渠区間の距離が川によって異なるという謎もうまく説明できるからである。

 内川はもともと小さな川で、内川に水が流れ込む地域の面積(流域面積という)はわずかに3.25km
 しかし立会川の流域面積はそれより少し広く、呑川水系になるとぐっと広くなって17.5km、渋谷川水系は22.8km、世田谷の北部から流れてくる目黒川水系はもっと広くて45.8kmになる。流域面積が広ければ広いほど、大雨のときに下水が集中して溢れる危険度と面積が大きい。
 だから渋谷川や目黒川は比較的上流の方で下水幹線を分岐させて開渠区間との二本体制にした。さらに開渠の区間の川底はできるだけ深く掘り下げて迫り来る水を大量輸送できるようにした。それが渋谷川や目黒川の開渠区間の長さに繋がっている、そのように考えることができる。
 これは遠くの街から多くの車が集まる幹線道路ほど、都心のはるか手前からバイパスを造らなければならなかったり、多くの客を集める長距離の鉄道幹線ほど、ターミナルのはるか手前から複々線区間を用意しなければならないのと同じ構造といえる。

 この視点で見ると、神田川が汚染がひどかったにもかかわらず、全区間開渠で残されている理由もわかる。
 神田川の流域面積は105kmで東京の中小河川ではダントツに広い。さらに神田川は水害の頻発河川であったので、開渠の川はそのまま残して下水道は上流から下流までほぼ全区間、川に並行する形で新設するという破格の対応が取られている。その北にある石神井川もしかり。

  神田川


 開渠で残された都内の川は今でこそ珍重されているが、もともとは大雨のときの下水のバイパスとして残しておかざるを得なかった50年前の洪水対策の産物なのであった。
 なんだか実もフタもないような話であるが、過密な都会ではドブ川といえども道路や鉄道と同じような発想で「整備」されざるを得ない切実さがある。その証拠に現在東京では、東京湾に向かって流れる4水系10河川を縦に串刺しにして連絡する地下のバイパス河川が作られようとしている。こういう姿を見ると、田舎のドブ川は素朴な構造でよかったななどと思ってしまうのだ。

(追記)
 『39 続・渋谷川や目黒川はなぜ開渠区間が長いのか』でこの説が本当に正しいかどうかを採点してみた。

(参考)
東京都下水道台帳図(東京都のHP)

「環七地下河川」構想(㈱クボタのHP)

あとがき -私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか-

堀川堀川(京都市中京区)

 川沿いを歩くとよく、「川をきれいにしましょう」という看板が立っている。
 その看板はたいてい小学生によって書かれ、「汚れた川はあなたの心」のような道徳的なメッセージなども添えられて訴えかけてくる。しかし看板は「汚れた川=よくない」という価値判断でもってドブ川を否定するだけで、なぜ川が汚れるのかという本質的な部分には立ち入らない。
 大人も同じで、ドブ川を訪ね歩いてその中を覗き込むというようなことは、いい歳の人はしない。ドブ川がくさければ近づかないようにするなり、市役所に苦情を言うなりするまでである。

 しかしドブ川は直視してみると、心をほっとさせる要素があるように思える。またはわくわくさせる要素がある。私が胸を張ってそう言えるのは、谷崎潤一郎が著書『陰翳禮讃』でこう書いているのを見つけたからである。

「便所の匂ひには一種なつかしい甘い思ひ出が伴ふものである。(中略)さう云ふと可笑しいが、便所の匂ひには神経を沈静させる作用があるのではないかと思ふ。」

 谷崎潤一郎は便所の匂いがいかに風雅なものであるかを延々一章語るのであるが、これはドブ川についてもある程度当てはまると思う。大谷崎の考察には到底及ばないものの、私も考えてみた。なぜドブ川をみるとほっとしてしまうのか。

 ドブ川は、人間の排出した汚水が自然の中に放出されたときに行なわれる、還元の過程だからなのではないだろうか。
 現代人の生活は大量の汚水を生む。その代償として高い維持費の下水道で浄化しなければならないのであるが、浄化しきれない部分は自然の川が引き受ける。その時に人工的な排水が悪臭や汚泥を産みながら自然に還っていく過程、それがドブ川だからなのではないか。
 硫化水素やヘドロが出るのは忌避すべき状態だけれども、そのようにして曲がりなりにも人工的な汚水が自然界に還っていく仕組みが生態系に用意されている、そのことを確認できるからではないか。
 
 ドブ川を見て私が一番驚いたのは、強烈なにおいを発するヘドロだらけのドブ川にボラやオタマジャクシやカメが泳いでいるのをよく見かけたことである。ヘドロの上に白いベギアトアが広がり、その上をボラの群れがすいすいと泳いでいる。彼らはかなり劣悪な水質でも生きられるようである。
 反対に、よく整備されて浄化された下水処理水が放流される都市河川ではこれらは見かけなかった。
 また、都市河川でも手入れが悪くて泥がたまっていたり雑草が繁茂する川、例えば港区南麻布の古川などには魚の姿が見えた。生物は水の汚さにはかなりの程度適応できても、コンクリートで固められてしまうと生きる場を失ってしまうのかもしれない。このあたり、人間にとっての「よい川」と、生物にとっての「よい川」は異なるように思える。
 
 ドブ川は人間にとって不衛生で醜悪な存在であるが、生態系としては少しも異常ではない。発生する硫化水素や濁った水が人間にとってはよくないだけで、生態系サイドとしてみれば、汚水に適応した嫌気性細菌が分解を引き受けてそれなりの生態系を作るだけの話である。
 むしろドブ川は人間活動の引き起こした生態系へのインパクトの結果が、においや色でわかりやすくダイレクトに人間に表示されるという良心的な構造になっているとさえいえる。だからドブ川はよい教科書なのであって、くさいドブ川に出くわしたら穴の開くほど観察したほうがいいのだ。
 
 そのようなわけで、私は旅行をしてもドブ川はしっかりと見る。最後に、本編で取り上げなかった地方のドブ川のうち、印象深かったものを挙げておきたいと思う。

 静岡県掛川市の東海道の街道沿いで江戸時代から営業している旅館に泊まったとき、入り口の前に細いドブがあった。聞くとそれは掛川城のかつての外堀であったという。改めて周辺を歩いてみると、古い石積みの歴史を感じるドブが各所にあった。

 香川県小豆島町は醤油の生産で有名である。木造の醤油工場が立ち並ぶ馬木という集落を歩くと、毛細血管のように細いドブがあって、そのたたずまいが城下町のように美しかった。毛細血管が本流に注ぐ箇所には必ず小さな水門があり、それはいったい何かと尋ねたところ、大雨と満潮が重なったときに高潮で水が逆流してこないようにするためのものであるという。馬木は海に近い集落である。

馬木の樋門小豆島の馬木川の樋門

 京都の堀川通という大通りを歩いていると、道の脇に親水公園のような堀ができていた。昔ここには堀川という川が流れていたが、下水道の普及で空堀になり、それを近年親水公園として整備したと看板に書いてある。
 その水はどこからくるのかというと、琵琶湖の水ということであった。哲学の道もそうだが、京都は琵琶湖の水が使えるので、こういうときに便利である。

 埼玉県の越谷市には地表面すれすれの今にも溢れそうなドブ川があった。しかもその護岸は土がむき出しで崩れそうになっていて、野趣に溢れたドブ川であった。糸を垂らしている人がいたので聞いてみると、底にザリガニがいてそれを釣っているのだという。

 沖縄県那覇市のガーブ川という川で作業をしていた作業員が大水に流されて亡くなった、という悲しいニュースがあった。ガーブ川は那覇市の繁華街を流れる都市河川だそうである。私はその変わった名前の由来が気になってしまい、調べてみたところ、当地の言葉で湿地を表す言葉だという。南国の湿地の川がどのようなものであるか、いずれ見に行きたいと思う。

(修正・追記)
修正用雑記帳その1:どうやら谷崎潤一郎は便所のにおいは禮讃したが、ドブのにおいは酷評したらしいことが分かったのでそのことについて追記した。

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プロフィール

大石俊六

Author:大石俊六
掲載雑誌
雑誌「『広告|恋する芸術と科学』2014年10月号(特集|Tokyo River Story 東京、川ろうぜ。)『私はどうしてドブ川を覗き込んでしまうのか』

マーガレットプレス 連載『ギモンの細道』

・「ラミネート」
(第10号/ラミネートを発明した人はコンブを手本にしたのではないか、の巻)

・「人馬平安散」
(第9号/「金はなぜ貨幣に使われるのか」を調べていたら四ツ谷駅前のハイフキヤドラッグにたどり着く、の巻)

・「恋とはどんなものかしら」
(第7号/オペラ『フィガロの結婚』で資本主義の発展の秘密にたどり着く、の巻)

・「神社と石橋」
(第6号/神社の前にはなぜ石橋があるのか、の巻)

・「夏帽子製造工場」
(第5号/鮫洲にあった紙帽子工場を調べたら横浜の三渓園にたどり着く、の巻)

・「イベリア半島の睡魔あるいは美しき怠惰」
(第4号/スペイン人はただ暑いからという理由だけで昼寝しているのか、の巻)

・「靴下のゴムはなぜ伸びるのか」
(第3号/靴下のゴムが緩む原因を調べたら長篠の戦にたどり着く、の巻)

・「シュロの奏でるハ短調」
(第2号/シュロの木を植える習慣は南国への憧れのほかにもうひとつ理由がありそうである、の巻)

また、季刊collegio(38,39号)には「水路敷区道扱い」というエッセイを書いています。
・「戸越公園の水路敷」(38号)
・「水路敷と銭湯」(39号)

その他の作品(文芸誌「フノリ」に掲載)
・「海抜の季節風」(渋谷川暗渠区間の高度をしつこく探求)
・「着席自由権」(パリのカフェのカウンター席とテラス席の料金差と客の滞在時間の関係を現地でしつこく調査)

カテゴリ
「日本のドブ川」カテゴリを廃止して「法律からアプローチする」を新設しました。ドブ川を全国レベルで捉えると、どうしても法律の話メインになるのでこのように変更しました。(H26.11.15)
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